選択肢、またの名を幸福

イエスを信じよ、さすれば汝は救われん。その台詞をカケルがヨハネの福音書で見た時、当時のカケルはその言葉を本気で信じた。我武者羅に信じ、結果世間から孤立した。その時の影響からか、カケルはそれ以降穿った考え方をするようになった。そしてカケルは今日もこう思うのだ。やはり神などいない、と。トドメは日の出亭の主人の死亡だった。絶望に次ぐ絶望。最早「地喰い」の檻の中に囚われたカケル達に未来などあるものか。疲れ切った顔でカケルはユタの村を歩く。そこで一番合いたくない人物と出会う。

カケルの視線の先には、無邪気に笑う少女―――トゥグリと、何処か雰囲気の変わった母親の姿がある。見られていることに気付いたのかトゥグリが顔を上げて、カケルと目が合う。


「あっ―――」


何かを言いかけてカケルはすぐに口を噤む。続く言葉が出てこないのだ。今更どの面下げてトゥグリに何の話をすればいいと言うのか。だがカケルの心の中の葛藤など知る由もなく、トゥグリは満面の笑みを浮かべてカケルに話しかけてくる。どうやらまだトゥグリは自分の父親がもう帰らぬ場所にいることに気付いていないようだ。だが母親は地面を眺めて歩いている。彼女にはもう分かっているようだ。


「お兄ちゃん、トゥグリね、昨日良いことがあったんだ!父さんが王都までアムリタっていう薬を買いに行ってくれるんだって。もしかしたらトゥグリの病気も治るかもしれないって言ってたよ!」

「あぁ、そうだね」

「へへーん、お兄ちゃんはまだ王都に行ったことないでしょ?父さんが帰ってきたら沢山お土産話を聞けると思うよ!」

「うん・・・。そうだね」


天真爛漫な少女の姿にカケルは心ここにあらずといった、適当な相槌しか返せない。カケルにはトゥグリの無邪気さが眩し過ぎて、とてもではないが直視できないのだ。彼の心に後ろめたさがあるのも理由の一つであろう。カケルは「地喰い」の前であまりにも無力だったのだ。日頃からの訓練など肝心な時には何の役にも立たなかった。恐怖にのまれて目の前の命一つ救えなかったのだ。そして自分は今ものうのうと生きているのに、トゥグリの悲しむ顔をみたくないからか、日の出亭の主人の辿った運命を喋れずにいる。カケルは歯痒い思いをしながら、結局トゥグリと楽しい会話を少ししてその場を逃げるように離れる。


「何で俺は何も出来ないんだ・・・!そのくせ「地喰い」と戦わなくてすんで少しほっとしたんだ!いや、考えるのはよそう。待ってればいつかはあの「地喰い」もいなくなるはずだ」


そこまで自分に言い聞かせたところでカケルは嘲笑する。いつかとは、いつのことだと。カケルが知っているのはディープワールド・カードゲームの世界だけ。当然ゲームの世界と現実の世界は同じはずもなく、ゲームの世界と違って弱いカードしかないカケルにはこの状況を打開する術がどうしても見つからないでいた。カケルが現実逃避を続けていると、マウリが深刻そうな顔で長老の家に入っていく姿を見る。その後姿が日の出亭の主人と重なって、カケルは思わずマウリの後を追う。するとマウリはちょうど長老に直談判しているところだった。


「ルゥダさん、俺は、いや俺たちはもう限界です。精神的にもそうだし、肉体的にも。これ以上待っていたってなにも事態は好転しない。それならいっそ、あのにっくき「地喰い」と刺し違えてでも・・・!」

「マウリ、それ以上は言うな。それは未来のある若者の役目ではない。死ぬゆく老人の役目なのだ。せめて去り際ぐらい輝かせてくれ」


そんな長老とマウリの話し合いを、カケルはぼんやりと眺めるしか出来ない。ふとカケルは投影装置を眺める。見れば手札は8枚で、いつの間にかバーストしていたようだ。そんな大事なことにさえカケルは気付いていなかったのだ。手札は兵隊蟻、水の流れ、サソリの毒、未知なる予言、背水の陣、怒りの石、未完成増幅装置、老兵ガルガンの8枚となっている。画面が赤くなり手札を使用することが出来ない。1枚捨てないとどうやら何もできないようだ。今更ながらカケルは手札と向き合う。


「この中で捨てるなら背水の陣かな。デメリットがでかすぎるし」


そう言いながらカケルは手札を捨てる。すると捨てられた手札は捨て札にはいかず、消滅する。ディープワールド・カードゲームの世界とは異なる仕様に、カケルは一瞬驚く。そして気付くのだ、これがゲームの世界ではないという事に。ディープワールド・カードゲームの世界では捨て札にいったカードにも活用法があった。例えば捨て札から手札に戻したり、捨て札から除外することで効果が現れたり。だがこの世界では恐らく生き返りなどはない。死ねばそれだけだ、生き返るすべはないのだろう。カケルが召喚したカードたちも、HPが0になれば土に還るという事なのだ。見れば今まで使ってきたアイテムも、使ったカードと合計コストが分かるように表示されているが、選択は不可能である。カケルはごくりと唾を飲み込む。召喚したモンスターたちと楽しい時間を永遠に感じることは、出来ないのだ。カケルは思わずナイトを見る。そののっぺらぼうな顔ではナイトの表情はまるで読めないが、それでもカケルにはナイトが不安に思っていると感じられる。名前を付けた手前、ナイトを守ってやらなければいけないとカケルは一人使命感に燃える。


(この世界はもうゲームの世界じゃない。日の出亭の主人も死んだ、俺の目の前で!考えろ、今まで出てきた情報を全て整理するんだ!)


カケルは心を入れ替える。先ほどまでの全てを諦めた表情は消え失せ、今は生きるために必死に打開策を模索している。そしてふと違和感を覚える。それは少し前に引いたカードパックの中身である。あの時カケルが引いたカードの中で、よくよく考えれば可笑しな効果を持ったカードがあった。


〇増幅装置完成版[アイテム] コスト7 ☆5

効果・デッキの☆5カード以外は全て☆5カードに変化する

ー世界システムにログインしますー


このカード、当初はカケルは高コストなので使えないと思って効果を碌に読んでいなかった。だが改めてみるとディープワールド・カードゲームのシステムを投影したこの世界との矛盾点がある。それはデッキのカードを全て☆5にするというその内容。☆5カードはデッキには5枚しか入れられない筈なのだ。だがデッキの枚数は50枚と決まっているディープワールド・カードゲームでは、往々にして初期のうちにこのカードを引くと、残りのデッキが全て☆5に変わるという事があるのだ。それならば5枚制限の適用範囲は何処までなのか?いやそもそも、元のディープワールド・カードゲームではカードパックの購入と対戦は全く別の時系列だったのだ。プレイヤーは貯めたルピーでカードパックを購入し、引いたカードをデッキに入れてそして対戦をする。だがこの世界ではカケルが引いたカードパックは全て無条件にデッキに組み込まれる。そこにデッキ編集というステップは挟まずに、自動的にデッキが5枚分増えるわけである。編集はされているがカケルの手は介していない、機械的なプロセスだ。つまり、「5枚制限というのはデッキ編集中のみの誓約であり、対戦中にはその制限は解除される。カードパックの購入は本来は非戦闘中の出来事であり編集行為でもあるので、5枚制限が適用される」という訳だ。そして言わずもがな、カケルは毎日ターンが経過している状態なので、対戦中であることは明白である。この世界においてデッキの編集はカードパックの購入、それだけなのだ。カケルは改めて手札を見る。


〇未知なる予言[スペル] コスト青 ☆1

効果・デッキに☆5カードを1枚生成する

ー世界は収束するー


コスト青だからとカケルが見過ごしていたカード、今思えばこれもヒントだったのだ。カードを使ってデッキに新たにカードを入れる時、その制限がなくなるというヒントだったのだ。カケルはいても経ってもいられず、日が昇ると同時に村唯一の魔道具屋に向かって駆け出す。今まで我武者羅に走ってきた訓練の賜物か、カケルは瞬く間に魔道具屋に辿り着く。


「なんだいアンタ、そんなに息を切らして・・・。あぁ、前にマウリが連れてきた、カケルといったかい?一体アタシに何用だい?」

「お婆さん、未知なる予言のスクロールはありますか!?」


カケルは息を切らしながら何とかその無謀な願いを老婆に伝える。元よりユタの村は辺鄙な場所だ。魔道具屋だってこの村にたった一軒、それもさほど大きくはないサイズだ。当然売り物の品ぞろえも王都に比べれば雲泥の差で、スクロールだって古びた紙切れが少しあるくらいだ。カケルが求める未知なる予言のスクロールがいくら☆1、つまりレア度が一番低いといえども、この村にあるような代物ではない。さらに老婆はカケルを絶望の底に突き落とす。


「未知なる予言のスクロールはないよ、別にこの村だけじゃなく王都に行ったってありやしないよ。あんなよく分からないスペル、求める人間はいないさね。むしろ一時的とはいえ何で未知なる予言のスクロールが造られたのか不思議なくらいだよ」


老婆のいう事はもっともである。未知なる予言はデッキに☆5カードを1枚生成するという効果だが、それを普通の人が使って果たしてどうなると言うのだろうか。カケルのようにディープワールド・カードゲームのシステムの下で動いている人間ならそれは価値のあるものなのだろうが、この星の一般人からすれば縁のないものであることは明白だ。そのことに気付き、カケルは絶望に顔を歪めるが、もう何があっても諦めないと一度誓った身だという事を思い出し、なおも食い下がる。


「・・・それなら!それなら、俺に青の魔法の使い方を教えてください!突貫で良い、今この一瞬だけ使えるのならそれでいい!頼みます!

「そうかい?無理を言うのなら一つだけ方法はあるよ、だがこれは本来スペルを使えない人間が最後の手段でスペルを使うための手段だ。アンタは緑の魔力を持っている、そこに一時的とはいえ別の色の魔力を入れるのは、この世界の理を歪めるってことだ。激痛だよ、それも途轍もなく。ショック死だけはするんじゃないよ」


そう言って老婆はカケルに向けて手を伸ばす。直後、カケルは体に強烈な違和感を覚える。老婆に魔力を視られた時以上の不快感がカケルを襲い、その次にはそれが激痛に変わる。脳が割れる程の痛みを感じ、思わずカケルはジタバタと暴れまわる。


「ぐあぁぁ!」

「我慢するんだよ、アンタがやるって言ったんだから」


カケルの叫び声をその身に浴びながら、老婆はカケルに青の魔力をねじ込む。どれほどカケルは暴れ続けていただろうか、カケルの両目から大粒の涙が滝のように流れて、涙も枯れたと思えるほど時間が経つとようやく老婆はカケルから手を離す。カケルは今にも死にそうであるが、何とか一命は取り留めている。


「あ・・・あがっ・・・」

「よく耐えたね。それで青の魔力一回分になるよ。死ぬ気で手に入れた青の魔力だ、大事に使うんだよ」


老婆のねぎらいの言葉もほどほどに、カケルは歩けるようになると老婆にお礼だけ告げ、ヨロヨロとその場を離れる。カケルが死ぬ気で手に入れた青の魔力は一回分のみ。その一回分の魔力で手札にある未知なる予言のスペルカードを使用する。カケルは両手を合わせて祈る。一心不乱に祈り続けて、随分と時間が経った気がする。気付けばスペルは使用されており、カケルの体から青の魔力が抜けていく。恐る恐るカケルが目を開くと、そこにはカケルの探し求めていたカードがデッキに加わっていることを示すメッセージが出ている。一瞬カケルは固まり、そして膝から崩れ落ちる。


「は・・・ははっ、やった、やってやったぞ!」


それは心の底からの歓喜の声。急いでカケルはコスト7のアイテムを使うために疲れた体に鞭打ってもう一度魔道具屋に向かう。そして老婆に自然の治癒のスクロールを譲ってほしいと頭を下げる。必ず金は後から払うというと、老婆は溜息を吐きながら承諾する。


「何でそうまでして自分を追い込むのかね・・・。まぁ金はいつでもいいさ、いつでもね」


そう言う老婆にカケルは別れを告げ、自然の治癒のスクロールを使う。いくら魔法の練習をしているとはいえ、カケルはこの短期間では自然の治癒を使えるまでには至らなかったのだ。兎に角、カケルのHPはこれで12となり全回復する。使えるアイテムのコストも8となり、カケルは震える手で未完成増幅装置を使う。直後、地面からへんてこな機械が現れる。無機質な色合いと、それに似合わぬ転々と存在する錆模様。筒状のそれは真ん中がグルグルと回転をはじめ、やがて電子音と共に7が3つ揃ったところで機能を停止して、ただの金属製の筒に変わる。


これでカケルの残りアイテム使用コストは1だけとなったが、当のカケルは随分と満足気だ。カケルの手札は10枚、十分すぎる程の戦力が集まった。


〇老兵 ガルガン[モンスター] コスト3 4/8 ☆5

効果・このモンスターは陣地に攻撃するとき、攻撃力+1

ー今の時代は平和すぎる、それがいいー


〇誰かの隠れ家[陣地] 体力7 ☆5

効果・プレイ時、カードを5枚引く

―今は忘れ去られた誰かの家―


〇溶けない氷棺[スペル] コスト青・青・青 ☆5

効果・任意の陣地を選択する。選択された陣地およびそこにいるモンスターは行動およびリリースが出来なくなる

―次の瞬間には時が止まる―


〇星を紡ぐ者[モンスター] コスト2 4/4 スペル赤 ☆5

効果・プレイ時、全ての陣地に4ダメージ

―星の輝きのように、命とは儚いのです―


〇増幅装置完成版[アイテム] コスト7 ☆5

効果・デッキの☆5カード以外は全て☆5カードに変化する

ー世界システムにログインしますー


〇水の流れ[スペル] コスト青 ☆1

効果・手札を1枚引く

ー止まることなく流れ続けるー


〇兵隊蟻[モンスター] コスト2 2/2 ☆1

効果・死亡時相手プレイヤーに2ダメージ

―兵隊蟻はルーク―


〇サソリの毒[アイテム] コスト2 ☆2

効果・モンスター1体に【毒】を与える。もしくはモンスター1体の【毒】を取り除く

ー毒は薬、薬は毒ー


〇アムリタ[アイテム] コスト1 ☆5

効果・モンスター1体のあらゆる状態異常を取り除く

ー神秘の霊薬ー


〇怒りの石[アイテム] コスト1 ☆2

効果・プレイヤー、陣地、モンスターいずれか1つの最大HPを-1して、その後1ダメージ

ーガナスの村は破滅の運命ー


更にカケルの傍にはウッドゴーレムのナイトが控えており、体力10の赤の地には沢山のモンスターがいつでも戦えるように配置されている。


〇ウッドゴーレム[モンスター] コスト3 4/5 ☆2

ー無機質だが木の温もりを感じるー


〇働き蟻[モンスター] コスト1 1/1 ☆1

効果・死亡時プレイヤーのHPを1回復する

―働き蟻はポーン―


〇働き蟻[モンスター] コスト1 1/1 ☆1

効果・死亡時プレイヤーのHPを1回復する

―働き蟻はポーン―


〇森狼[モンスター] コスト1 2/1 ☆1

ーその身は森の写し鏡ー


〇マイコニド[モンスター] コスト2 2/3 ☆2

効果・召喚時、同じ場所にマイコニドを1体召喚する

ー菌は増殖するー


〇マイコニド[モンスター] コスト2 2/3 ☆2

効果・召喚時、同じ場所にマイコニドを1体召喚する

ー菌は増殖するー


これで戦える、とカケルは思うと同時に、唇を噛む。もう少し早く気付いていればもしかしたら日の出亭の主人を救うことが出来たかもしれないのだ。トゥグリに辛い思いをさせてやることも、マウリやルゥダの心労を取り除いてやることも出来たはずだ。いやそもそも、地喰いに恐れることがなければ、自分が召喚したモンスター達を可愛がって戦闘という選択肢を外さなければ、あるいは・・・。だがもう遅い、全ては過ぎ去った過去なのだ。だがそれでも今だけは、カケルは強い目つきで遥か先に佇む地喰いを睨みつける。カケルの手札は潤沢だ。それもそうだ、これはチュートリアル。地喰いと戦う前にカケルに授けられた猶予時間なのだ。無駄にはできない、とカケルは厳しい表情をする。闘志に燃える人間ばかりのこのユタの村はちょうど昼下がり、むせ返るほどの熱気が支配していた。


〇地喰い[モンスター] コスト30 50/50 ☆6

効果・このモンスターはいかなるカードの効果も受けない

ー生きた伝説ー


〇伝説の地[陣地] 体力50 ☆5

効果・この陣地には「地喰い」のみ存在可能

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