校舎の産声
秋月流弥
校舎の産声
同窓会の知らせが来た。
高校を卒業して二十五年が経つ。時の流れは早いものだ。
こんな言い方は好きではないが、人生を双六で例えるなら「あがり」というやつだ。
家庭を持ち仕事もこなせる順風満帆な主婦。羨ましがられることもないし後ろ指さされることのないいたって普通の、一般的な幸せ。
したがって、自分の今を語るには些かパンチが弱く、同窓会で話が盛り上がる自信はない。聞き役になってひたすら周りの自慢話に付き合うのがオチだろう。
それでも同窓会に行きたいと思ってしまうのはしばらくご無沙汰の旧友が恋しいからかもしれない。
「お母さん、同窓会行くの?」
娘の
高校生になったばかりだというのに髪は明るく染めピアスもしている。
「どこでやるの?」
「高校生の時のタイムカプセルを掘るみたい。だから学校集合よ」
「お母さんって私の通ってる高校の卒業生なんだよね。参観会でもないのに学校に親が来るって変な感じ」
朝食のトーストを加えながら髪を上の方で結ぶ。
ポニーテールを完成させた後、幸が「そういえば」と話し始める。
「お母さんの学生の頃ってさ、《そのこさん》って噂あった?」
「そのこさん?」
祥子が言い返すと幸が頷く。
「うちの高校で昔、学生なのに妊娠した女子生徒がいて、退学とか停学とかで大問題になったんだって。その女子生徒はクラスメイトから酷いいじめを受けるようになるし学校でも有数のスキャンダルになったんだって」
「へえ」
「それでここからが酷いの。いじめで女子生徒のお腹が蹴られて中の子供が産まれる前に死んじゃって、それから夜の校舎から赤ん坊の産声が聞こえるの。多分暗闇を産道だと思ってるみたい」
幸が自分の身体を抱き締めて言う。
大袈裟に震える娘を見て私は笑う。
「その赤ん坊の名前がそのこさんっていうの?」
「そう! そのこさんは未だに自分が死んだことに気づかず校舎で泣いているの」
「へえ……私の頃にはそんな噂なかったな」
同窓会の報せの紙を見る。
集合時刻は夜の七時。学生たちが完全に下校したのを見計らっての時刻だ。
「土日にでもしてくれればいいのに」
「タイムカプセル掘るだけでしょ。さっさと帰りたい人だっているからじゃない?」
せっかくの同窓会なのに、なんか味気ないな。
そう思ってしまうのは多少なりとも学校生活が楽しかった証拠なのかしら。
「久しぶりー
「久しぶり、祥子。太った?」
「そういう未希だってシワが増えたんじゃない?」
失礼ねー、と嘗ての旧友と軽口を叩き会う。
懐かしい。高校生の頃に戻ったみたいだ。
担任の先生も腰が大分曲がっていたが元気そうに私たちを見て笑っていた。
朗らかな雰囲気でタイムカプセルを掘る作業も進められ、埋めてあった宝物が出てくると皆して懐かしいと柄にもなくはしゃいだ。
それぞれが宝物の入った小箱を取る中、ひとつだけ残された小箱があった。
「あれ、これ……」
「
理早子。
同じクラスの女子生徒。大人しくて控えめな性格の彼女はクラス内でも目立たなかった。いつも一人で教室で読書をしているような子だった。
その姿は暗さとは無縁で寧ろ凛としていて気品さえ感じた。そういうところから男子の人気を多く獲得していたのを覚えている。
「あんた理早子のこと嫌いだったもんね」
意地悪そうに未希が笑う。
「嫌いっていうか、澄ましてるのがちょっとお高くとまってる感じがして苦手だったっていうか……」
「あんたにいじめられて学校来なくなっちゃったもんね」
そりゃ同窓会にも来ないわ、未希は軽く言ったつもりかもしれないけれど、祥子にはひっかかった。
ぽつんと残されたひとつのタイムカプセル。
持ち主が訪れないそれに対して、可哀相と思うより不気味さを感じた。
「死んでないよね」
思わず未希に聞いてしまう。
「ちょっとからかっただけだもん。まさか学校行けなくなってから自殺なんてしてないよね」
「もー祥子なに言ってるの。今頃美味しいもんでも食べてうちらのことなんて忘れてるよ」
未希が豪快に笑う。
そうだよね。
そうだといいんだけど。
「それよか幸ちゃんは元気?」
「お陰様で。高校はテストが大変っていつも文句ばかり。お洒落だけ一人前になっちゃって」
「いいよねー女の子。うちは息子だからさ、そういう会話一切ない」
羨ましそうに言う未希に祥子は言葉を選んでしまう。こういう、お世辞なのか本音なのかわからない友の愚痴に答えるのって苦手だ。
祥子は「隣の芝は青い」っていうでしょと当たり障りなく言うことしか出来なかった。
お手洗いに行きたくなったため、祥子は一旦未希と別れ夜の校舎を歩いていた。
校舎は夜のため活気がなくしん、と静まり返っている。
ピチャン、とたまに水道から水滴が落ちる音が聞こえてくるのが余計に静寂さを際立たせ、不気味さを演出させている。
そう、いかにも出そうな。そんな不気味さ。
廊下を歩く足音をわざと大きくして誤魔化したりしてしまう。
自分の幼稚な行動に恥を感じたが、どうも先程からあの話を思い出してしまう。
『祥子、理早子のこと嫌いだったもんね』
未希の言葉で思い出してしまった。
卒業してから、いや、あの子が学校に来なくなってからいじめてたことなんて忘れていたのに。
廊下を歩いていると、同時に幸がしていた話も思い出してしまう。
『産まれる前に死んじゃったんだって』
一瞬自分が理早子の腹を蹴ってなかったか記憶を手繰ってしまう。
大丈夫。蹴ってない。
それに、理早子が妊娠していたなんて話は聞いたことがない。
だからそのこさんの話は自分と無関係だ。
ようやく冷静になった思考に安堵の息を吹きかけた。
その時。
暗闇から産声が聞こえた。
赤ん坊の泣き声だ。
泣き声が暗闇の校舎の中に響き渡っている。
どこから聞こえてくるかわからない。
姿も何も見えない。泣いている者は現れない。
それでも間違いなくこれは赤ん坊の産声だった。
幸の話が脳裏を過る。
妊娠した女子生徒。
いじめ。
腹を蹴られて死亡した胎児。
噂は本当だった。
祥子はぶんぶんと首を振る。
「でも私は関係ないじゃない! そのこさんなんて知らない! 私は関係ないッ!!」
赤ん坊の声はだんだん大きくなっていく。
近づいてくる恐怖に私は取り乱すしかなかった。
そして泣き声が自分の真後ろまでやって来た。
祥子はガタガタ震える身体を抱き締め、固く動かない首を無理やり後ろにひねる。
そこには赤ん坊を抱えた女性が暗闇の中に立っていた。
ひゅっ、と息が詰まる。
女性の顔は暗闇の中のためよく見えない。
女性はこちらを見下ろして、そして口を開いた。
「もしかして、祥子さん?」
話しかけてきたのは嘗てのクラスメイトの理早子だった。
理早子も赤ん坊も幽霊ではなく、生きている人間だった。
彼女は育児で時間に追われ、たまたま同窓会に遅れてしまったらしい。
笑顔で話す理早子に祥子は自分の早とちりで取り乱してしまったことが恥ずかしくなった。
理早子は幸せになっていた。
祥子の心ないいじめによって将来を奪われてなどいなかったのだ。
突如ふって沸いた種明かしに祥子は力が抜けてしまった。
理早子はタイムカプセルを受け取るだけ受け取ると、気持ち良さそうに胸の中で眠る赤ん坊を抱いて帰っていった。
「理早子さ、ちゃんと生きててよかったね」
未希が冗談めかすように言ったが、先程あんなことがあった後では笑うことなど出来なかった。
祥子は誤魔化すように咳払いをし、娘が話した噂を未希にしてみる。
「ねぇ、そのこさんって知ってる?」
「そのこさん?」
「そ。昔妊娠した女子生徒のお腹を蹴られて中の赤ん坊が死んじゃったんだって。その赤ん坊の名前がそのこさんて言うんだけど」
「知ってるよ」
未希が笑う。
「だって、私の子だもん」
隣で笑う友人はぺちゃんこのお腹をさする。
「祥子がふざけて思い切り蹴るからさ、死んじゃった」
「え……」
じゃあ、そのこさんは?
まさか本当に……
誰もいない暗い校舎の中で、産声が聞こえたような気がした。
校舎の産声 秋月流弥 @akidukiryuya
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