#8

 スキダ丼で膨れ上がった胃には、温かいお茶がとても優しく染み渡っていく。

「美味しい」

「でしょう? これは私のお気に入りなの」

 本屋の中では会話は弾まなかったわけでもなければ、大して弾んだわけでもない。

 ただ、ただただ、緩やかに、のんびりと、ゆったりと、そんな時間が流れていた。

 ふと、不意に、スマートフォンで時刻を確認すると、既に18時を過ぎたところであった。

「…………っ」

 こんなにも時間を忘れて話しに夢中になっていたのなんて、いつ以来だろうか。

 ルキアはお姉さんではないはずなのに、ルキアからは、この本屋からは、お姉さんと同じような居心地の良さを感じる。

 きっとスマートフォンがなければ、時計がなければ、帰れと言われない限り、僕はいつまでもここに入り浸ってしまうのかもしれないとも思った。

「そろそろ時間?」

 時計を確認する僕の仕草を見て、ルキアが尋ねる。

「まぁ僕一人暮らしだから、門限なんてないんだけどね」

「そう、、でも、今日はもう帰った方がいいわ」

「そうなのか?」

「うん。ヨウがまた明日来てくれるなら、また明日会えるから」

「わかった。明日も顔を出すよ」

「楽しみにしているね」

「それじゃあ」

 本屋を出ると、外は暗がりを迎えていた。

 僕の住んでいるアパートや本屋の場所は煌びやかで、光の行き交う栄えたビル郡の街から離れた郊外にあるため、心なしかより暗く見える。

 ビルの群れはあんなにも眩しそうなのに。





 どうしてそう思ったのか、何を考えていたのか、何を思っていたのか、僕は何も考えずに、考えもなしに、一度はアパートの扉の前まで帰ってきたのにも関わらず、光の集まる街へと足を向かわせていた。

「これが街か」

 街というか、都市。

 本屋や僕のアパートなんかがある静けさの具合がまるで違う。

 この都市まちではただいるだけで、足音や車のエンジン音、モニターからの広告音、会話、携帯の音、さまざまな混じり合わない音たちが、都会という音色を奏でていた。

 特に目的があるわけではないのだけれど、この都市に吸い寄せられるように、操られるように、訳もわからぬまま、足を進めていく。

 しかし、だがしかし、慣れない人の群れ、彩里いろりでの生活では決してなかった、人の大群に、その空気の重さに、クラクラと回るように、眩暈めまいが誘発されるようであった。

 そんな中で、こんな中で、あんな中で、どんな中で、紫色の髪が歩いていくのを目にした。

 紫色の髪。

 ついさっきまで、つい先程まで、一緒になってお茶を飲んでいた髪。

 見間違えるはずがなかった。

 見間違えるはずもなかった。

 この天原という都市で、あの髪色をしているのは、きっと彼女。ルキアくらいなものだろうから。

 紫色の髪のその背中を追いかけるように、僕は人の渦の中へと飲み込まれていった。

 追いかけているはずが、ドンドンと、段々と、紫色の髪の背中は、遠ざかっていく。

「ま、待って」

 どうしてこんなにも必死になっているのか、自分でもわからない。

 僕は彼女の背中に何を求めているのだろうか?

 お姉さんの影? 面影?




 気付いた時には、7年前にも見たことのないような、そんな路地裏に辿り着いていた。いや、人の渦に飲み込まれたという点では漂流したというのが、正しいのかもしれない。

「どこだよここ……」

 どこかではまだ都会の音は聴こえている。

 なのに、それなのに、ここではそう大きくは聴こえない。渦を前にした時ほどは大きく聴こえない。

 表の大きな渦の音に隠れているようだが、この暗がりの路地裏でも、何かこだましている。

 奥へ、奥へ奥へと、進むにつれて外の大きな渦よりも、路地裏の音の方が大きくなっていく。

 完全に音の大きさ具合が入れ替わった頃、それを見つけた。

 いかにもな悪そうなヤンキーが、ヤンキーしてますよなヤンキーが、ヤンキーだけど何か? なヤンキーが、3人のヤンキーが、人数までヤンキーなヤンキーが、徹底されたヤンキーが、1人を寄ってたかって、何をしているのかまでは見えない。

 だが、良くないことをしているのだけは、見えている。

「こういった場合って……どうすんだ?」

 こういった場面に、こういった状況に、出くわしたことがなかったために、咄嗟とっさにどうしたらいいのかに迷うのだった。

 というのも、彩里にはこういった路地裏でどうこうという、ドラマや映画、漫画やアニメでしか観ないような展開がなかったのだ。

 確かに彩里にも柄の悪そうな、お兄さん達はそれなりにいた。いたのはいた。

 しかし、だがしかし、

『おう、なんだよ? 歩きか? しゃーねぇーな! 乗ってけ! オラ、乗ってけ! 早くしろ!!』と、バイクに乗せてくれたり、

『婆ちゃん! なにフラフラしてんだよ! 信号でそんことしてたら、危ねぇだろうが!! 一緒に渡ってやんよ!!』と、荷物を持ってあげたりと、

 見た目のわりに優しい人たちばかりであった。




 どうやら、いま目の前にしている連中は、そのお兄さん達とは違うようだ。

「おい! テメェ! なに見てんだ!! 見せもんじゃねぇぞ!! そんなに見てぇんなら、見学料取らせてもらうぞ」

 と、ありきたりな手をポキポキと鳴らすモーションを見せてくれた。

 悪いヤンキーとは本当に手をポキポキと鳴らして近付いてくるのだなと、感心してしまった。

「げっ、絡まれた。仕方ないな……」

「聞いてんのか!!」

 ヤンキーの1人が僕に殴りかかろうとしたが、僕はコンクリートの壁際で、それを躱し、ヤンキーを壁と衝突させ、自滅させた。

 僕が避けないとでも思ったのだろうか、全力でぶつかったからなのか、ヤンキーは悶え苦しんでいた。

「テメェ、何しやがった!!」

 それを見ていたもう1人が叫んでいるのだが、何をしたもなく、完全に自滅しただけなのである。

「ナメてんじゃねぇぞ!!」

 さすがに同じでは通じなさそうなので、顔に向けて放たれた拳を躱し、ヤンキーの腹部に一発、拳を入れた。

 最後の1人になったヤンキーはポケットから刃物を取り出した。

「よくもやりやがったな、ぶっ殺してやる!」

 このヤンキーたちのあるある台詞の数々に僕は思わず笑いが溢れてしまう。漏れ出てしまう。

 ヤンキーは刃物を先頭に、手をピンと前に突き出すようにして、突っ込んできたところを、刃物が握られている拳を目がけて、蹴りを入れる。

「ぬあっ!!」

 勢い余って刃物を手放したところを、追い討ちをかけるように回し蹴りで撃破した。

 こうして悪そうなヤンキー3人組は完全に活動を停止させ、伸びている。伸び切っている。



 誰がたかられていたのかと、手を差し伸べると、同じ制服を身に付けていた。

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ブックマンの家は星ノ図書店 千園参 @chen_san

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