#7

 1時間かかっただろうか。

 いや、きっとそんなに時間は経っていないだろう。

 おそらく20分程度しか経っていない。

 なのに、それなのに、アリス先輩の元にあった丼は空っぽになっていた。米粒一つ残すことなく平らげられていた。

「ごちそうさまでした」

 アリス先輩は綺麗に両の手を合わせた。

 心なしかその表情はとても満足げに見える。

 これこそが、それこそが、あれこそが、常連の為せる顔ということなのだろう。

 アリス先輩のからになった丼から、自分の丼に目を戻すと、まだ半分以上がスキダ丼であった。

 アリス先輩の丼はただの丼のみ、僕の丼はただの6割以上残っている、ただのスキダ丼であった。

「…………」

 満足そうな笑みを浮かべるアリス先輩を横目ならぬ、縦目たてめに、黙々と丼の制覇を目指す。



 それから3、40分程度が経った頃、ようやく僕の丼も底についたのだった。

「おお、さすが男の子ですね! 食べる子は育ちますから、これからもドンドン食べてくださいね!」

「……………」

 少しでも口を開いたら、出て来てはならないものが、胃から食道を通って、出てきそうなので、僕は言葉を返せなかった。


「さて、そろそろ私も用事がありますので、帰りましょうか」

「はい」

 スキダ丼の完食から更に数分後、僕の具合を見計らってくれたように、僕がようやく言葉を発し、動ける状態になったのを確認した上で、アリス先輩は立ち上がった。

「今日は私の奢りです」

「いや、それは悪いですよ。それにあんなボリューミーな丼だから、高いんでしょうし」

「いえいえ、大丈夫ですよ。ここは私に任せてください」

 アリス先輩はそう言うと、会計にやってきた店長に1,500円を手渡した。

「あい、丁度ね。アリスちゃん、また来てくれ」

 1,500円で丁度なの!?

 ということは、あのボリュームで一杯750円!?

 なんというリーズナブル。

 これが世に言うところのコストパフォーマンスというやつなのだろうか!?

 ともあれ、僕は昼食を出逢ったばかりの先輩にご馳走になってしまった。

「うん、ごちそうさまでした! また来ますね!」

「おっと、そこの優男の兄ちゃん」

 お店を後にする先輩に続いて僕も扉をあと一歩で出られたというところで、店長に肩を掴まれる。

「な、なんでしょう………?」

 当然、背後には店長がいるわけなのだが、顔を見ずとも、店長の威圧がヒシヒシと、シヒシヒと、伝わってくる。

「お前は二度と来るんじゃねぇぞ」

「…………」

 そんなことを言われて、僕はなんと答えるのが正解なのだろうか?

 ただ、ただただ、直感的に、直感として、"はい"と答えることだけは良くない気がして、あえて何も返事をしなかった。

 店長は僕の返事を待たずして、肩の手を外した。

 僕もまたその感触を頼りに、振り返ることはせず、店を後にするのだった。




「店長にもう来るなって言われたんでしょう?」

 帰り道、アリス先輩は開口一番に店長の言葉を当ててみせてくれた。

「え、どうしてわかったんですか?」

「あの人、男の人嫌いだから。男の客には誰彼構わずそう言っているんですよ。だから、気にしなくて大丈夫ですよ」

「そうだったんですか」

 そう言ってくれると少し安心できたような気がした。なぜ安心しているんだと言われると、単に人という生き物は意味もなく嫌われたくない生き物だからだ。それが例えどんな人であってもだ。嫌われるというのは、いい気はしない。

 だから、なので、僕は安心したのだった。

「はい、それでは私はこれで失礼しますね」

 軽快に歩き出す先輩を呼び止める。

「あの」

「? どうされましたか?」

「その、今日はありがとうございました」

「いえいえ、礼には及びません。これは私がそうしたかったから、そうしただけなのですから。逆に私からもお礼を言わせてください。今日は私に付き合ってくれてありがとうございました」

 アリス先輩は深々と頭を下げた。

「それでは、学校で!」と、言葉を続けてアリス先輩は風のように去っていった。



 アリス先輩の姿が完全に見えなくなったから、僕はスマートフォンの時計を確認した。

 14時半過ぎ。

 あまりに色濃い出来事の連続に、午前中に入学式が行われていたことをすっかりと忘れかけていた。

 そんな中でも、こんな中でも、あんな中でも、どんな中でも、ハッキリと覚えていることがある。

 それは本屋の店主との約束だ。

 学校終わりにまた来るという約束だけは、何を忘れようとも、ちゃんと記憶できている。

 そして僕はその約束を果たすべく、迷いのない足取りで本屋に向かった。

 その本屋の名前は『星ノ図書店』

 7年前からそんな名前だったのか、お姉さんがいなくなってからの名前なのか、記憶が曖昧ではあるが、今この本屋の店主を務めているのは、お姉さんのような雰囲気はあるものの、お姉さんに比べると、可愛らしがまだ勝っているといった感じの少女、ルキアだ。

「あら、いらっしゃい」

「…………」

 ルキアのいらっしゃいに対して何と返していいのかわからないため、無言で目を合わせた。

「丁度、お茶が淹ったから、お茶でも飲んでゆっくりしましょうか」

 こうして、そうして、ああして、どうして、僕は本屋の奥の部屋でお茶を飲むことになった。

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