#5

「カセハタって械機くん!?」

 教室内、黒板脇にある展示ボードの名前を見て、驚きの声をあげる女子生徒が約1名。

「械機くん!」

「?」

 そして展示ボードから僕の先まで瞬間移動したかのようなスピードで接近してくるなり、開口一番、名前を叫ばれた。

「私だよ私! 憶えてない??」

「うーん、ごめん、ちょっと存じ上げないな」

「えー!?」

 そんなに驚かれても残念ながら憶えていない。

「私だよ私!? ほら、小学校で同じクラスだった!?」

 どうやら、彼女は7年前の知り合いのようだが、僕にとっては7年前にそこまで親しい友人が、ましてや、女子生徒の友人が、いた憶えなど微塵もない。これっぽっちもない。

「ごめんなさい」

 僕は深々と頭を下げた。

 こういう時は、こういう場合は、思い出せそうみたいな素振りや、『あー! あの人ね!』のような知ったかぶりは、かえって失礼である。

 何故ならどうせわからないのだから。

 ならば、それならば、最初から素直に謝ったほうが賢明である。

「謝らないで!? ショックだから謝らないで!?」

「ごめん」

「だから、謝らないで!!?」

「うん、ごめん……」

 ごめんに対してごめんしてしまう。

 とは言えど、そうは言えど、完全に忘れてしまった僕の落ち度である以上、また憶えていない相手に対して、かける言葉もない以上、ごめん以外の言葉が見つかりそうになかった。

「えっと、それで君は誰?」

「私は西澤小鞠にしざわこまり! 思い出したかな!?」

「………ごめん」

「だよね!? そうだよね!!? なんかごめんね!?」

「うん、こっちこそ憶えてなくてごめん」

「ううん、仕方ないよね。7年も経てばきっと私でも忘れていたと思うから」

 でも、貴女は7年経った、あまり関わりのないはずの男子生徒を憶えていたではないかと。




「でも、またどうしてこの街に帰ってきたの?」

 "好きな女の人のために帰ってきた"なんて言えるはずもなく、

「なんとなくこの街が好きだったから」

 と、返した。

「へぇ! そうなんだ!」

「うん」

 そもそも、7年前当時からあまり話したことのない、関わったことのない、西澤を相手に話すことがなく、一言二言ひとことふたこと、言葉を交わすと、すぐに静寂が訪れてしまう。

 この気まずさをどうにか撤廃したいところだが、取り払いたいところだが、僕にそんな術がない。

 しかし、だがしかし、ふと、不意に本屋の少女のことを思い出した。

 彼女との約束を盾にこの場は退散させてもらうとしよう。西澤と話をするのは、今後の高校生活が進む中でも遅くはないはずだ。

「それじゃあ、僕はそろそろ用事があるから帰るよ」

「え、そうなの?」

「うん、戻ってきたとは言え、この街に来たことには変わりないから、やることがまだいくつかあって」

「ああ、そっか! それなら、今度またゆっくり話そうね!」

「うん、それじゃあ、また明日」

 僕は西澤に手を振り、その場を後にした。




 昼前には終わったはずの入学式であったが、すっかりと昼過ぎになってしまっていた。

「おや、さては君、先程の新入生ではありませんか?」

 今度は誰だと振り向かずとも、その声の主は判明していた。明白だった。

 この声は黒崎先輩で間違いないだろう。

「そう言うアナタは黒崎先輩」

「はい、正解です。早速、覚えてくれて嬉しいです。しかし、その苗字呼びは感心しませんね」

「………そう、、でしょうか?」

「そうですとも」

「では、なんと呼べばいいですか?」

「ここはズバリ! アリスさんって呼ぶのはどうでしょう?」

 黒崎先輩は人差し指を天に向ける様に一本立てると、そう提案した。

「いや、それはちょっと……」

「ダメですか?」

「まだ今日知り合ったばかりですし、いきなり先輩を名前呼びというのは………」

「カセハタ君がそこまで気にすることはないのですよ? 呼ばれたい本人がそう呼ばれたいのですから。私がそれで満足しているのですから、他人がどう思おうがそれは関係のないことなのです」

「わかりました。それではアリス先輩って呼ばせていただきます」

「うーん、それならいいでしょう」

 アリス先輩は少し考えたのちに、了承してくれた。



 学校のロッカー前にて、アリス先輩は次のように切り出した。

「お昼御飯はもう食べましたか?」

「いえ、まだです」

「それは丁度良かったです。私もまだなので、これから一緒にどうですか?」

「え、いいんですか?」

「はい、それはもちろん! 実はとてもいいお店を私は知っているのです! ぜひ、そこにカセハタ君をお連れしたいのです。どうでしょう?」

「それなら、ご一緒させていただきます」

 こうなってしまったわけだが、こうなってしまうと、用事があるとそそくさと西澤の前から撤退してしまったことに、罪悪感を覚えてしまう。

「すまない、西澤……」

「? どうかしましたか?」

「いえ、何もないです」

 こうして、そうして、ああして、どうして、僕とアリス先輩はとある一軒のいかにもチェーン店ではなさそうな、個人経営のお店の前にやってきていた。

「さっ、いきますよ」

「はい」

 アリス先輩が引き戸を開け、共に入店する。

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