緑色の箱庭
秋月流弥
緑色の箱庭
『みんなで明るく仲良く健やかに』
私の通う
こんな教訓の幼稚園にいる私はここでは問題児なんだろうな。
問題児っていうと不良みたいで悪い生徒みたいだけど、別に私はそんな怖い子じゃない。
ただ、みんなと仲良く遊んだり協力したりする、いわゆる集団行動が苦手なだけ。だからいつも幼稚園では一人でいる。
「エミちゃん。一人でそんな隅にいないでこっち来てみんなと積み木で遊びなさい!」
「え、でもお絵かき楽しいし……」
「それにしたってお友達と一緒に描けばいいでしょ? 本当に消極的ね」
「…………」
それに、怖いのは担任の
いつも口をへの字に結んでいて怒ってるみたい。笑顔の楓先生なんて見たことない。
いつもにこにこしている園長先生と理事長先生の娘さんらしいけれど、親子って似ないものなんどなぁ。
クラスの子たちが話していたのを聞きかじった噂だけど、愛想の悪い楓先生はどの仕事先でも上手くいかないらしく、園長先生の提案でこの初園幼稚園で働かせてもらうことになったらしい。
そういうの『コネ』っていうらしいけど、コネって何の単語から由来してるんだっけ? まあいいや。
とにかく私は楓先生が苦手だ。
一人で遊んでいると怒るし、私のことを「暗い」とか「変な子」って気味が悪い子みたいに言う。
一人でいるのが好きなことがそんなに悪いこと?
みんなと仲良くするのがそんなに偉いこと?
そんな嫌な気持ちになると、私は決まってお気に入りの場所へ行く。
それは幼稚園の校舎から一番離れた隅っこに存在する体育倉庫、の前にある原っぱだ。
私がこの場所で遊んでいることは楓先生は知らない。
だからここにいる時は楓先生に怒られる心配をしなくていいから大好きだ。
この体育倉庫は数十年も前に使われていたもので、今は新しい倉庫が幼稚園校舎の近くに設置されたから、この体育倉庫は忘れ去られたようにポツンと建っている。
倉庫の前の原っぱには季節の草花が色とりどり咲いている。
雑草なんて言われるけれど、人の手によって育てられなくても成長出来る強い草花たちが格好よくて好き。
図鑑を持ってきては新しい草花を発見するのが自分にとっては最高の遊びだ。
「あら、エミさん。また会ったわねぇ」
「園長先生!」
園長先生は唯一私がここで遊んでいることを知っている人だ。
園長先生はにこにこと手を振ってこっちへ来る。エミも手を振る。
「今日も新しいお花を発見出来たかい?」
「うん。カタバミっていうの。白詰草に似てるんだけど、葉っぱをよーく見るとハートの形になってて違うの。花も黄色いし」
「へぇ、そうなの」
「うん。四つ葉があったって喜んでたらカタバミだったの。カタバミが四つ葉でもクローバーじゃないし、幸運も来ないからがっかり……」
「この原っぱには白詰草もいっぱいあるから、根気よく探せば見つかるかもねぇ」
「こんきよく?」
「がんばるぞーって諦めないことよ。でもエミさん、今日はもうバスが出るからそれは明日にしましょう」
「うん! 園長先生、またねっ」
園長先生は優しい。
私が一人で遊んでいても楓先生みたいに「みんなと一緒に遊びなさい」って怒らない。
それに、ここにいれば来てくれる。
一人でも全然寂しくなかった。
***
でもある日、私だけのお気に入りの場所に先に来ているお客さんがいた。
その子は私と同じくらいの年の男の子どけど、幼稚園でも見たことのない顔だった。
男の子は私に気づくとぺこり、と無言で頭を下げた。私も「こ、こんにちは」と緊張気味に挨拶をする。
男の子は原っぱに座り込み大人しく白詰草の群れを掻き分けている。きっと四つ葉のクローバーを探しているんだろう。
「私も探すよ!」
私はドキドキしながらも男の子に声をかけた。
自分から声をかけるなんて初めてだ。
男の子は驚いた表情でこっちを見たけど、またぺこりと頭を下げた。ありがとうって意味かな?
「名前、なんていうの?」
私が聞くと男の子は細い木の枝で地面をなぞった。
『カナタ』
地面に書かれた名前を見て私は嬉しくなった。
「カナタくんっていうんだ。私はエミ。よろしくね」
ぺこり。
またカナタくんがお辞儀をする。
大人しい子だけど自分も大人しい性格だから、かえってカナタくんの態度は親近感がわいた。
結局、その日は四つ葉のクローバーは見つからなかったけれど、私にとってはとても嬉しい一日になった。
***
次の日もカナタくんは原っぱにいた。
私たちは一緒に四つ葉のクローバーを探す。
カナタくんは喋らない。
首を縦に振ったり横に振ったりするだけ。だから返事も「はい」か「いいえ」で答える。
喋るのが恥ずかしいのかな?
カナタくんの声を聞くことは出来ないけど、その分カナタくんは表情で答えてくれる。
大人しいと思っていたカナタくんだけど、思っていた以上に表情は豊かだ。
嬉しい時は笑ったり、嫌な時は思いきり顔をしかめたり。
だから、彼が喋らないのなんて何も気にならなかった。
「あ! あった!!」
私は四つ葉を発見し、声をあげた。
私が四つ葉のクローバーを掴もうとすると、ちょうどカナタくんも同じように取ろうとして二人の手が重なった。
その手の温度を感じ、私はゾッとした。
カナタくんの手は驚く程冷たかった。
私は驚いて手を引っ込めた。
私の反応を見てカナタくんは少し悲しそうな顔をする。
「あ……」
傷つけてしまった。
ごめん、と謝ろうとした時、私の手のひらがポンと重力で沈んだ。
手を見ると四つ葉のクローバーが置かれていた。
カナタくんはにこりと笑った。
彼は私に四つ葉のクローバーを渡すつもりで採ってくれたんだ。
それなのに、私は。
「カナタくん、ごめんね。ありがとう……」
『いいよ』
カナタくんは細い枝で返事を書いてくれた。
四つ葉が見つかってからも私たちは一緒に原っぱで遊んだ。
もう私とカナタくんは立派な仲良しの友達になっていた。
カナタくんの手は相変わらず冷たい。
私は温かくなれとカナタくんの手を包んで温めたけど、カナタくんの手から温かさを感じることはなかった。
どうして?
泣きそうになる私をカナタくんは白詰草の冠を作り、頭に乗せてくれた。
それから私の頬を口角を上げるように優しく上へ摘まんだ。
『笑って』
そう口で言っているように聞こえた。
カナタくんの手は冷たかったけど、彼の優しさがうんと伝わってきて、ひんやりとした手の温度は心地好く感じた。
***
次の日もカナタくんを待っていると、先に園長先生に会った。
「あらエミさん。また会ったわね」
園長先生は嬉しそうににこにこと笑っている。
「カナタくんって男の子を待ってるの」
友達になったんだ! 私が喋ると園長先生は不思議そうな顔をした。
「今の幼稚園の生徒でここを知っているのはエミさんだけだと思ったわ」
「そうなの? でもカナタくんは……」
「ねぇエミさん。もしかして、その子は部外者かもしれないわ。カナタって名前の子は今この幼稚園にはいないもの」
部外者の子供が勝手に園に入ってくるのは良くないわ、困ったように園長先生はそう言った。
「エミさんも危ないから、そのカナタくんって子にはあまり関わらない方がいいわ」
「そんな……」
とても彼がそんな危険な子には見えなかった。
それに、カナタくんは初めて出来た友達だったのに。
「ごめんなさいね。でも、大事な生徒のエミさんに何かあったら大変だもの」
園長先生が私を抱きしめた。その温度は温かい。
「それとね、エミさん。この場所のことは他の子には内緒にしておいてね?」
「どうして?」
「エミさんの大好きなお花たちが誰かにとられちゃうのは嫌でしょ?」
少し意外だった。
優しい園長先生のことだから、私が他のみんなと仲良く出来ると知ったら喜んでくれると思ったのに。
園長先生がいなくなってから遅れてカナタくんがやって来た。
あんな話をした後だから、何となくカナタくんと顔が会わせづらい。
ぎこちない様子の私を見て、カナタくんは『大丈夫?』と心配してくれた。
こんなに優しいカナタくんが悪い子な筈がない。
「あ、これ! この間励ましてくれたお礼っ」
私は二つ結びにしていた青色のリボンを一つ解き、カナタくんの手首に結んであげた。
「これあげる!」
『いいの?』
カナタくんは戸惑うように首を傾げる。
「いいよ! おそろいだね」
私が笑うとカナタくんも照れ臭そうに微笑んだ。
園長先生には悪いけど、私はカナタくんの友達だ。
カナタくんを信じたいし、これからも一緒に遊び続けたい。
私はこの幼稚園で問題児なのかもしれない。
でも、それは大切な友達を守るためだ。
***
「早く来すぎちゃったな……」
次の日。
私はいつも遊んでいる時間より早めに原っぱへ来ていた。
カナタくんと会うのが楽しみでしょうがなかった。
前は一人で遊ぶことが当たり前だったが、カナタがいない原っぱに一人でいると寂しさが募った。
私が一人静かに白詰草の冠を作る練習をしていると、近くから声が聞こえてきた。
「本当なのお母さん?」
「あんたの教え子なんだろう。しっかり指導しなさいよ!」
楓先生の声だ。
怒鳴っているもう一人は誰?
あれ?
お母さんって楓先生が呼んでるってことは……あの声は園長先生?
そんな、あんな怖い声の持ち主があのいつも優しい園長先生だなんて信じられない。
私は向かってくる足音に警戒しながら原っぱから体育倉庫の裏へ隠れた。
(絶対違うよ、あの声が園長先生なわけない)
でも、私の期待は裏切られてしまう。
体育倉庫の前にやって来たのは園長先生と楓先生の二人だった。
二人は私が倉庫裏に隠れているのに気付いていないため会話を続ける。
「ああ、だからこの倉庫にこれ以上あの園児を来させるわけにはいかない」
あの生徒って……私のこと?
「あのガキは確かにカナタって言っていた。もし、そのカナタって奴があの時殺したガキと同じだとしたら……」
信じられなかった。
園長先生が生徒を殺していた。
しかも殺されたのはカナタという名前の生徒。
あり得ない情報の多さに頭がグルグルする。吐き気さえしてきた。
それでも、私は震える膝を抱え先生たちの会話を聞こうとする。
「こんな倉庫に近づく物好きのせいでこっちが大変だ」
「この倉庫に生徒が入ってるなんて知ったら騒ぎ出すに決まってるわ」
倉庫の中にカナタくんが!?
その時、私は転がっていた木の枝に体重をかけてしまった。
パキン、と乾いた音が二人に周囲に人がいると知らせる合図になるには充分だった。
「誰だい!?」
「ひっ」
思わず声をあげてしまう。
「!! エミちゃん?」
楓先生が私を発見する。
園長先生もそれを聞いてこちらへ向かってくる。
私は恐怖で震えながらも園長先生を睨み付ける。
「カナタくんをこ、殺した……ってどういうこと?」
今なら分かる。
園長先生がいつも倉庫に来ていた理由も。
園長先生は私が心配で様子を見に来ていたわけじゃなかった。
「園長先生が毎日この倉庫に来るのは、隠してるカナタくんを見つけさせないため?」
真実を知って、私はガンガンと体育倉庫の扉を叩いた。
鉄で出来ている扉は当たり前だけど硬く、強く叩きつけた手からは血が滲む。
「カナタくんッ! 返事して! カナタくん!!」
「無駄だよ!! もう何十年も前に死んでるんだ」
「だって! ここで一緒に遊んだもんッ! カナタくん!!」
「いいからこっちへ来い! このクソガキ」
園長先生は鬼のような形相で私を無理矢理ドアから引き剥がす。
私は嫌だと必死で抵抗した。
でも大人の力には敵わない。
園長先生は更に引っ張る力を強くした。
「わッ」
引っ張られた勢いで私は宙へ放り出された。
時間にしたら一瞬だったかもしれないけど、宙に浮く浮遊感は永遠のように長く感じられた。
私が落ちる先には硬く尖った大きな岩があって、あれに当たったら私死んじゃうな、なんて一瞬のうちにそう思った。
避けることの出来ない私は目を閉じることしか出来ない。
全てを諦めた、その時ーー。
頭に来る筈の衝撃はいつまでも来なかった。
その代わり、自分の体を包むのはいつか触れた冷たい体温。
「カナタくん……!」
岩の衝撃から守ってくれたのはカナタくんだった。
カナタくんは私を抱えたまま先生たちの方を向いている。
彼がどういう表情で先生たちを見ているか分からない。
カナタくんが来てくれた。
私は緊張の糸が切れたように、そのまま意識を失ってしまった。
***
信じられない。
かつて私の生徒だった
あの頃と何も変わらない姿で。
忌々しい生徒だった。
相沢カナタは生まれながら声を出せない病気だった。
声が出すことが出来ず、他の園児たちと仲良くなれなかったカナタは一人で幼稚園の庭の草花を見ているのが好きだった。
カナタがずっと一人でいることに痺れを切らした私は強引に集団の中へ入れようと庭で遊んでいる彼を無理矢理引っ張った。
カナタは顔を歪め必死に抵抗する。
そして私の引っ張る腕から自分の腕を引き抜いた。
しかし、運が悪かった。
引き抜いたと同時に自由となったカナタの身体は宙に投げ出され、そのまま大きな岩の尖った先に頭を打ち付け、帰らぬ人となってしまった。
動揺した私はすぐ近くにあった体育倉庫に彼の死体を隠した。
可笑しいことに、それが一番の解決策だと思ってしまったのだ。
体育倉庫は何らかの理由をでっち上げ、すぐに使用禁止にした。
それから私は理事長をたぶらかし結婚に結びつけ園長となった。
園長となれば園の権限も自分に采配される。
そして、何より自分には味方という名の共犯者が欲しかった。
数年後には娘も生まれ、いづれ園に携わらせようとした。
家族でこの罪を背負っていく。
この罪を隠していく。
自分に降りかかる責任を少しでも軽くする。
協力者と罪を共有する。
利用できるものは全て利用すればいい。
そうやって、上手くいっていたのに。
エミさえいなければ。
エミさえこの倉庫に来なければこんなことにはならなかった。
憎しみからかエミを掴む腕には予想以上の力が入った。
気がつくと私はエミを思いきり岩のある方向へ投げ飛ばしていた。
あれはカナタが死ぬ原因となった岩だ。
自分は数十年前と同じやり方で園の生徒を殺そうとしている。
しかし、それは阻まれた。
彼によって。
相沢カナタがここにいる。
あの頃と、全く変わらない姿で。
カナタは静かにこちらをじっと見て、そして口を開いた。
『先生は、どこまでも僕を一人にするんだね』
響く声。
声の発せられない彼の口からは、そう言ったように聞き取れた。
ギィ……、と後ろから音がする。
体育倉庫の扉がゆっくりと開いていた。
何重も鍵をかけた筈の倉庫の鉄の扉はギィギィと開いていく。
扉が開いた先には原形をとどめていない腐敗しきった『彼だったモノ』がこちらを見つめていた。
***
「初園幼稚園、閉園するんだって」
「え! 少子化とかで?」
「それが殺人みたい。園長とその家族がグルで殺害した教え子の遺体を隠してたみたいなの」
「やだ、こわーい……」
「ほんと、教育機関だからって安心して預けられやしない」
ご近所さんたちの間をそろりと静かに通り過ぎる。
自分の通っていた幼稚園の噂をする人物たちの群れに進んで挨拶するほど私に勇気はまだない。
先に駐車場へ行ってしまった母親を少し恨む。
今日から私は新しい幼稚園へ通う。
これから新しい毎日と戦うことになるんだなーと、ちょっと憂うつな気分。
「あ」
駐車場の片すみの緑の群れに私は目をやると、しゃがみこんだ。
「エミー。何してるの。早く行くわよー」
「はーい」
母が急かすので返事をし、車へ向かった。
これから送る毎日は退屈か新鮮か。
『がんばって』
駐車場の片すみに佇む四つ葉のクローバーの方から声がしたような気がした。
青色のリボンをつけたクローバーは風に揺れ、いつまでもエミを見送っていた。
緑色の箱庭 秋月流弥 @akidukiryuya
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