第2話 慈しみ
俺は、この女のことを何もしらない。
この女も、俺の事を何もしらない。
でもかまわない。
何を知っていて、何を知らないかなんてどうでもいい。
知らないことは、妨げにはならない。
俺は、そう思うんだ。
飯を食い終わって、腹は膨れた。
さて、どうしよか。
そんなことを思っていると、女が問いかけた。
「ねぇ、きみの名前は何て言うの?」
俺の名前?
俺の名前は……。
「なんてね。猫のきみが答えるはずないよね」
なんだ、この女。
自分で聞いておきながら、笑うなよ。
「きみがこのまま、家にいてくれたらいいのになぁ」
お前は俺にいてほしいのか?
こんな俺がいてもいいのか?
お前がそう望んでくれるなら……。
「いてやるよ」
「……え?」
なんだよ、まぬけな顔しやがって。
「ここにいてやるって言ってんだよ」
「……えっ‼今の!きみがしゃべったの⁉」
声が、でかい。
そして、持ち上げるな。揺するな。
「俺がしゃべらないで、誰がしゃべるんだよ」
「あー……そうだよね。びっくりしちゃった」
あははと笑うお前。あまり驚いているようには見えないがな。
「なぁ、そんなことより……」
「ん?なに?」
首をかしげながら見つめてくる。
「俺をおろせ」
前脚の付け根で持ち上げられているから、胴が伸びきりそうだ。
「あっ、ああ!ごめんね!」
地に足がついて、やっと安定した。
やっぱり自分の足で立つ方が落ち着くな。
「ねぇ、きみのこと、なんて呼べばいい?名前ある?」
ああ、さっきも聞いてたな。
「あー……。お前の好きに呼べば?」
俺は迷った末に、そう答えた。
あいつが呼んでた名前はあるが、それは俺とあいつの物だ。
お前との間には、別の繋がりが欲しい。
それから、俺はお前と暮らすようになった。
お前が出かけている間は、俺が留守番をする。
「くろー!ただいまっ」
お前はいつもそう。帰ってくると一番に俺の名を呼ぶ。
なんでくろなのか聞いてみたら……。
「だって、黒くてふわふわで、さらさらなんだもん」
と、なんとも安易なネーミングだったな。
「くろって豪華な毛並みだよね。気も長いし、もっふもふ。あの時、拭くの大変だったなぁ」
なんて笑ってやがる。まぁ、俺の自慢の毛並みだからな、手入れができて良かっただろ。
「今日も疲れたよー」
そういって俺の横たわるベッドへ倒れこんでくる。
「おつかれさん」
サービスでお前の頬にすり寄ってやると、嬉しそうに微笑んだ。
「すぐご飯用意するから待っててね」
「ああ、ゆっくりでいいぞ」
そして、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「なぁ、お前、他に家族は?親は?」
俺はここに来てから、他のやつを見たことがなかった。
「あー……、親、いないんだよね。でも大丈夫だよ。一人も慣れたし、困ることはないよ」
お前は食事の支度をしながら、俺を振り返って笑顔を見せる。
その笑顔は寂しそうで、困ったような、それ以上踏み込んでほしくないという意思が感じられた。
「そっか」
お前が話したくないなら、気かねぇよ。
食事が運ばれてきて、各々食べはじめる。
どことなく、重い空気が流れる。
ちりめんじゃこがトッピングされたササミも味気なく感じる。
「くろ……ごめん」
「何が?」
「嘘、ついた……。親はいる。一緒に住んでないだけなの」
だろうな。この広い家に、お前ひとりは似つかわしくない。
匂いだっていくつか薄っすら残っていた。
「私の親はね、あんまり仲が良くなくって。今はそれぞれが別のところで、別の人と暮らしてるの。お金は十分すぎるほど送ってくれるし、必要なものも買って送ってくれるし……電話もたまに来るんだけどね。なんか……ね」
「……そうか」
膝の上で手を握り締めて、寂しそうに笑うお前。
そんなお前にかける言葉なんて見つからない。
何て言えば、悲しくなくなる?寂しくなくなる?
お前のそんな顔、見たくねぇよ。
見てるこっちが辛いんだ。
「一人も慣れれば楽だし、楽しいよ」
だったら、そんな顔するなよ。
無理するなよ。俺の前でくらい……。
「お前はもう、一人じゃないだろ」
傍に寄り、膝の上に手をかけて見上げると驚いたような顔と目が合った。
「慰めて、くれてるの?」
「……うるさい」
ごめんねと言いつつ、笑うその顔。
そう、そんな笑顔が見たかったんだ。
俺にお前を放っておくことなんてできない。
お前が俺を助けてくれたように、俺もお前を助けたい。
同情とかじゃない。
ただ、重なったんだ。あいつに捨てられて、一生をもてあそばれていたような自分の姿と。
猫と姿を重ねられるなんて、お前は嫌かもしれないけどな。
でもな、猫も人間も関係ないんだよ。
自由がある。権利がある。
意思がある。
命が、ある。
基本的に俺は同じだと思う。
ただ、天秤にかけられてしまうと、認識の違いからか俺たち猫のほうが軽く見られがちだけどな。
命の重さに変わりはないだろ?
こんなことを言うと、一時期ニュースで話題になっていた猫のように、誰かに首をはねられて殺されるかもしれないな。
でも、もしかしたら……お前なら話を聞いてくれるのかもしれない。俺たちのことを分かってくれるのかもしれない。受け止めてくれるかもしれない。
そう、確信にも似た何かを俺は持ってしまった。
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