第四話 _ 喜悦
街行く人々の視線が突き刺さる、午後1時。
とは言えいつもと同じような視線だし、そこまでは気にならない。
スマホの時計を見ながらソワソワとしていると、待っていた声が30cmほど下から鳴り響いてきた。
「おまたせぇ!」
その言葉と同時に、バシッと背中を叩かれる。
直後に来た激痛に懐かしさを感じるのは、緋愛と出会った夏を越えた証拠だ。
「痛っっった!!ちょっとやめてよ!!絶対折れたよこれ!!」
痛すぎて声量がセーブできず、大声を出してしまう。本当に痛い。涙出てきた。
「えぇ?そんなに強く叩いてないよ?ハエを叩くくらいの力でこう…バシッと」
「ハエを…!?殺意MAXでしょそれ…オーバーキルだよ…」
平気な顔をしながらハエを叩く仕草をする緋愛を見ながら、震えた声を出す。
人と触れ合うのは苦手とか何とか言ってたけど、背中を叩くのも『触れ合う』に入るんじゃないかな。入らないのかな。入らないのか。
じゃあなんで今、普通に背中をさすってくれてるんだろうか。これはさすがに『触れ合う』の範疇でしょ。
そういえば「家族となら大丈夫」とか言ってたな。僕は家族扱いとか…それは悲しい。悲しいけど嬉しいよ。
「何ぼーっとしてるの?ほら、行こ?」
ぐるぐると思考を巡らせていると、緋愛は先に歩き出してしまった。
「あ、う、うん!」
僕が大きな声で返事をすると、緋愛は此方へ振り返り、「捕まえてみろ」とでも言うように舌を出しては早歩きをし始めた。
これ、追いつけるんだろうか。あの子、歩幅は短いのに歩くのは意外と早いんだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
人混みの中に紛れ込もうとする緋愛の姿を追い、背中の痛みに耐えながら走り出した。
今日は初めて緋愛と休日を過ごす日だ。僕は『デート』だと思ってるけど…緋愛はきっと、『お出掛け』って思ってるんだろうな。
そんな何となく切ない気持ちになりながらも、見失ってしまった緋愛を追いかけ続けた。
*
僕はどうしてこんな所に来てるんだろう。
いや違う、どうしてこんな所に連れてこられてるんだろう。
「優斗!見て見て!これ可愛くない!?」
目を輝かせて僕に駆け寄ってくる緋愛が手に持っているものは、女性用の下着。フリルとかリボンがめちゃくちゃ付いてて、目が眩むほど可愛いやつ。
「かわっ、可愛い、よ…可愛い…うん…」
もごもごと喋りながらも、ゆっくりと肯定する。
目が眩むほど可愛いと思ったのは、緋愛がそれを着けている姿を脳内で想像してしまったからだ。不純だ。不純だぞ、僕。
そう、僕と緋愛は今、ランジェリーショップに来ている。僕が行きたいとか言ったわけではない、緋愛が行きたいと言い出したのだ。
周りから変な目で見られてるのに気付いてるのは、多分僕だけなんだろうな。緋愛はノリノリで店内をウロチョロしていて、周りの目なんて気にしちゃいない。
これ、恋人同士だとか思われちゃってるんだろうか。嬉しいけど全然嬉しくない。なんだか複雑な気持ちになってきた。
「…優斗〜、どっちが私に似合うと思う?」
選びあぐねているのか、緋愛は2つの下着を持って此方へ歩いてきた。
恥ずかしがり屋 + 恥ずかしいと突き飛ばしちゃう系女子なのに、なんでこういう事は平気なんだろう。普通なら一緒に下着選んだりする方が恥ずかしいんじゃないかな。
「え〜…えぇ…?こっちかなぁ…」
正直に言うとどっちも似合いそうだったが、よりシンプルな方の下着を指差す。
すると、緋愛は嬉しそうに笑って「じゃあこっちにする!」と言い、僕が指さした方の下着を買いに行ってしまった。
…待って、今のやり取り、誤解が生まれる気がする。どっちが似合ってるか聞かれて、答えて、その答えを買いに行くって…傍から見たら完璧に『そういう関係』に見えるじゃないか。
「ち、違います!そうじゃなくて!!」
誰に責められているわけでもない、というか話しかけられてすらいないのに大声で言い訳をしてしまう。
案の定店内に居る女性陣は僕に注目した。なんだこれ、どういう状況だ。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい、いやいっその事もうここに穴を掘ってやろうか。
緋愛が会計に行ったことで1人になってしまった僕は、完全に浮いた存在になってしまっていた。浮いたっていうか、まぁ…うん。もうこれ以上は余計なことを考えない方がいい気がする。
心細いな。緋愛、早く帰ってこないかな。
そんな事を考えていると、小さい足音がパタパタと近づいてきた。足音の主は分かりきっているので、その方向に振り返る。
「ただいま!」
笑いながら言う緋愛に近寄り、そのまま勢いで抱きしめた。
「緋愛ぇええ!!1人にしないでよ寂しかったんだよ!!」
涙目で大声を出し、とりあえず感情を吐き出す。
あ、抱きしめちゃった。これ突き飛ばされるんだろうな。
そう考える間もなく、僕の体は宙を浮いた。
「え?」
待って、突き飛ばすんじゃなかったの?思いっきり投げ飛ばされてるんだけど。
「あ…うわあああごめん優斗!!恥ずかしすぎて投げ飛ばしちゃった!!」
焦って叫び、向かい側の店の商品棚に乗ってしまった僕を助けに来る緋愛を見ながら悟った。恥ずかしさの度合いが高いと、その分力も大きくなっちゃうんだ。
「こっちこそごめんね…勢いで抱きしめちゃって」
「それはいいよ、寂しい思いさせちゃったのは事実だろうし…」
緋愛は申し訳なさそうに眉を下げながら言い、「ほら、飛び降りて」と腕を構えた。
「う、うん…」
キャッチしてくれる事は分かっていたので、ピョンと飛び降りる。
思った通り緋愛は僕の体をキャッチして、ストンと直ぐに立たせてくれた。
…今の『触れ合う』は大丈夫だったのだろうか。そう思って首を捻ると、僕が思っている事を察したのか緋愛が口を開いた。
「これくらいなら触れるよ、ただ下ろしただけだし」
そう微笑んで、ひらりと体の向きを変えては何処かへ歩き出してしまった。
「ど、どこ行くの?」
その後ろ姿に焦って問いかける。
「どこだと思う?」
少しだけ僕に振り返り、緋愛はニッと悪戯っぽい笑みを零した。
…まただ。またときめいてしまった。狡いよその笑顔…。
顔が赤くなっている気がして、俯き気味に「わかんない」と返す。
「じゃ、着いてからのお楽しみね!」
弾んだ声で楽しそうに言いながらエスカレーターに向かう緋愛を、慌てて追いかける。
さっき、すぐに投げ飛ばされちゃったけど…緋愛の体温、あったかくて、心地良かったな。本人に伝えたらさすがに殺されそうで怖いから、言わないけど。
次はランジェリーショップじゃありませんように。そう願いながら、緋愛が登りきってしまったエスカレーターに乗った。
*
緋愛がいち早く入っていった店は、これまた女の人しか居ないような雰囲気が漂う店だった。ランジェリーショップとまでは行かないけれど、男はちょっと入りづらい感じのやつだ。
「優斗!こっちこっち!」
子供のようにはしゃぎながら僕を手招きする緋愛に駆け寄り、「何?」と短く聞く。
「これ、どう?」
そうとだけ言い、ハートの形をしたリンゴのストラップを見せてきた。
「どうって…?可愛いと思うけど?」
質問の意図が分からず、首を傾げる。
「あ、言ってなかったっけ?私、優斗とお揃いのストラップが買いたいの」
「え?お揃い…?」
裏返った声でそう返すと、緋愛は僕を見上げながら「嫌?」と聞いてきた。嫌な訳がない。むしろ大歓迎というか…嬉しすぎて言葉が出てこない。
「全然嫌じゃないよ!僕もお揃いの物欲しかったんだ」
自然と口元が緩み、明るい声が出る。
変な笑顔になってないかな。自分としては気持ち悪いほどニヤニヤしてると思うけど、緋愛から見たらどうなんだろう。
余計な心配をしながら緋愛の様子を伺うと、「よかった」と安堵の息をついていた。
「ん〜、でも全く同じなのもなぁ…優斗はどんなのがいい?…あ、これとかどう?」
ブツブツと喋る緋愛を隣で見守っていると、2つのストラップがセットになっている物を見せてきた。
さっきと同じくリンゴだけれど、ハート型では無い。1つは青リンゴでもう1つは赤リンゴで、半分に切った形になっている。埋め込まれたマグネットを合わせると1つのストラップになる、所謂『ペアストラップ』だ。
「これ良いじゃん!僕は好きだよ」
「じゃあこれにしよっか!良いの見つかってよかった〜」
笑いながらストラップを眺める緋愛を微笑ましく見ていると、後ろから数人くらいの女の子の喋り声が聞こえてきた。
「あれって緋愛ちゃんと波田くんだよね」
「そうだよ、髪色と目の色変だし。分かりやすいなぁ」
「あの2人って付き合ってたんだ…」
「前からそんな雰囲気あったじゃん」
「いいなぁ美男美女カップル…髪と目の色は変だけど」
「わかる〜」
此方に聞こえてくるほどの声量で話している。
あれは多分クラスメイトだ。いつもグループで行動してる系の女子たちで、クラスカースト的には上の中くらいだった気がする。
それよりも、今の女の子たちの会話、緋愛に聞こえてたりするのかな。カップル扱いされても平気だったりするのかな。
「ひ、緋愛…」
何故か言い訳をしようと考えた僕は、緋愛に振り向いて名前を呼ぶ。
「えっと…、割る…2…」
僕の心配は必要なかったらしく、緋愛は値段の計算をしていた。
「あ…あぁ、僕が払うよ」
「えっ?ダメだよ、こういうのは2人で買わないと」
僕の発言に、緋愛はムッと軽く顔を顰めて強い口調で言う。この顔も可愛い…なんて、考えちゃダメだ。益々惹き込まれてしまう。
「これ、どこに付ける?」
スマホの電卓を開きながら聞かれたので、質問の答えより先に「電卓要る計算じゃないでしょ」という突っ込みが出る。緋愛が数学苦手なのは知っていたけど、ここまでとは思ってなかった。
「…僕なら、学校の鞄かなぁ」
「あ、私もそう思ってた。じゃあ鞄に付けよっか」
意見の一致。それだけで喜んでしまう僕は、単純だと思う。
「うん!」
自分でも分かる程の、とびっきりの笑顔を浮かべながら頷く。
緋愛は満足気な表情をした後、「じゃあ優斗が計算して」と言って値札を見せてきた。
「1人320円だね」
計算するまでもない、と言っても過言ではないほどの簡単な値段に一瞬驚くも、冷静に答えることが出来た。偉いぞ、僕。
「320円…はい!」
その言葉と同時に320円とストラップを手渡された。あ、僕が買って来いってことか。
「うん、買ってくる。先に店出てていいよ」
「はーい!待ってるね」
笑顔で店を出ていく緋愛を見届けた後に、レジへ向かった。
*
緋愛と出掛けた翌日、月曜の朝。
いち早く緋愛と顔を合わせたくて早歩きをしていると、後ろから「おはよ!」と声が聞こえてきた。声の主は分かりきっているので、直ぐに振り向いて「おはよう!」と返す。
「優斗、今日は早いね」
「緋愛がいつもより遅いだけじゃない?」
「あはは、それはあるかも」
緋愛の鞄に付けられた青リンゴのストラップが、学校指定のストラップと共に揺れる。
後ろでまた誰かが「やっぱり付き合ってるんだ」「お似合いだよねえ」なんて言ってるけど、緋愛の耳には届いていないようなので聞こえないフリを決め込んだ。
この中途半端な関係が続くのも悪くはないな、と考えながらも、伝えたいことは伝えたい気持ちもある。
でも気まずくなるよりかは全然マシ。こんな感じの距離感で、ずっと仲良く過ごしてたいな。
そんな叶わない理想を、馬鹿みたいに描いていた。
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