第81話 狂人3


「はぁ〜。ダルい」


 いつまでも逃げ続ける長髪の人間に飽き飽きしながら追っているのはラッシュだ。その側には伏兵も10人程度いるがラッシュには関係ない。気だるげな雰囲気を出しながらもしっかりとターゲットの背中を追っかけていた。


「……ここら辺でいいですかね」


 長髪の人間こと『樋口ひぐち けい』はある程度相手の戦力を分散できたことを確認すると、ラッシュに対面するような形で足を止めた。それに続いて10人の側近たちもラッシュを囲むように止まる。


「やっと止まった」

「随分と悠長ですね。今の状況が理解できているのですか?」


 十数人に囲まれ、近くには味方の姿もいない。傍から見たらラッシュが圧倒的不利な状況だ。


「え……ただ人が多いだけでしょ?」


 しかし、ラッシュは『それがどうしたの?』と言わんばかりの顔をした。ラッシュにとってこの状況は不利でも何でもない、むしろ敵が足りないくらいだった。


「囲まれてそんな戯言を吐けますか。逆に感心しますよ」

「だって、至って普通の状況だからさ。一人で何十人を相手にするなんて日常茶飯事」

「そうですか。ですが、この方達を甘く見てはいけませんよ。私が選別したエリートだらけです。元プロソルジャーだっているんですから」

「ふーん…………それで?」

「……そう言っていられるのも今のうちですよっ。同志たちよ、あいつを殺しなさい!」


 その樋口の指示によって10人の側近が一斉にラッシュに襲いかかる。ある者はそのまま拳で、ある者は武器を持って、ラッシュに次々と向かっていく。


「さぁさぁ存分に蹂躙されなさい!いつまでも澄まし顔をしている奴の顔を恐怖に染めてあげるのです!」


 ラッシュの態度が気に食わなかったのか声を荒らげる樋口。それに呼応するように側近の勢いも増す。


「はぁ〜。ダルい」


 1対10。明らかな人数不利。このままだと数で押されてしまうのは確実にラッシュの方だ。しかし、当の本人は一向に焦る気配がない。それどころか欠伸をしながら退屈そうにしていた。


「この……っ!早く殺れ!」


 そんな余裕ぶったラッシュの姿に余計腹立たしくなったのか口調が変わる樋口。

 側近とラッシュがもうすぐ一斉に接敵する。あの人数相手では流石に無理だろうと樋口は勝ちを確信する。

 だがそのままラッシュが何もせず殺られるわけもなく、


「……はぁ?」


 気づけば樋口の目の前には有り得ない光景が広がっていた。

 さっきまで動いていたはずの側近たちが所々で倒れており、その中心にはラッシュが清々しい顔で座っていた。

 あまりにも呆気ない結果、とんでもなく早くついた決着に樋口はあっけらかんとした顔をする。


「で、蹂躙がなに?」


 いくら敵が強敵とはいえ、中々の手練を10数人も相手するのにはそれ相応の時間と体力を消耗する。手駒に戦わせて疲弊したところを打つ樋口の作戦が全て水の泡となった。


「ど、どうやってあの人数を一瞬で……っ」

「そんなの簡単だよ。飛んで動いてばーんってやっただけ」

「ば、バケモノめ……!」

「君には言われたくないね」

「……あぁ?」

「お、やっと本性出てきたね」


 先程までの冷静沈着な樋口はもういない。予想外の状況に口調も荒々しくなっている。


「君のことは全部調べがついてるよ。樋口圭」

「……っ!」

「樋口圭22歳。殺人罪8件、殺人未遂15件、窃盗罪9件」

「な、何の話だ!私はそんなことやっていない!」

「そうだね。今言ったのは全部今までの君の側近たちが犯した罪だ」


 そうやって樋口は常に傍観者で楽しんでいた。異能『服従』を使って、少しでも志しが同じ者を手駒のように使い回しながら、あくまで他人事のように傍観者ぶってその様子を眺める趣味嗜好を繰り返していた。

 だから、ラッシュは樋口の方がバケモノだと言ったのだ。


「なら、私は関係ない!側近たちが勝手にやったことだ!私を法で裁くことなど出来ない!」

「確かに、君を法で裁くことはできない。君はずっと部外者でいたのだから。……けど、僕たちにはそんなこと関係ない」


 例え表の世界で罪に問われなかったとしても、裏世界ではそうとは限らない。


「そんな表で裁けないような人を狩るのが僕たちの仕事さ」

「ひ……っ!」


 ラッシュは懐から小型のナイフを取り出し、樋口を狩る体勢をとる。


「こ、こうなったら……!」


 絶望的な状況で気が狂った樋口は最終手段に出た。

 樋口は隠し持っていた小物の瓶を取り出し、その中に入っていた赤色の液体を一気に飲み干した。


「ぐが……っ!ぐあ……!!」


 途端、樋口は全身を抱えながら悶え始めた。


「……?」


 樋口に良くないことが起こっているとラッシュも勘づいている。そして、ラッシュは任務前にボスが言っていたことを思い出していた。


『もしかしたら別の組織の生き残りも紛れている可能性がある』


 樋口が飲んでいたのはおそらく身体に何らかの影響を与える薬。だとしたら、2ヶ月前に起こったソルジャー学園Cクラス襲撃事件時に敵ヴァイスが使っていた物と同じになる。ということは、こいつはその事件に関わっている人間ということになる。つまり、樋口圭はソルジャー学園を襲った宗教団体の生き残りである可能性が高い。

 ラッシュの中で様々な思考が続いていく。いつもほんわかな雰囲気でボケているような様子のラッシュだが、意外と頭はキレる人間だったりする。

 ちなみに、ソルジャー学園の事件は表では一切公開されていない事件だが、裏世界では既に出回っている情報だった。もちろんレイン以外の者が知っている情報だ。レインが知ればすぐさま学園に戻ってしまうことをボスが懸念してのことらしい。


「ぐあぁ……っ!ぐあぁァァァ!!!──────ククッ……ようやく、カンセイした」


 そんな思考をしている間に、薬の効果が完全になってしまったようだ。元々ヴァイス用に作られた物で人間が飲んでいいものか怪しいものだったが、そこは樋口も賭けだったのだ。

 賭けは成功。樋口が飲んだのは筋力増強剤。人間離れした肉体とガタイを手に入れた今の樋口に怖いものなどない。


「ミロ、私のこのスガタを!」

「おお、ホントにバケモノになった」

「今のオレに敵はいないゾ」

「ふーん…………で?」

「……っ!このクソガキィイイ!!」


 薬を使って人間離れした姿を持ってしても尚余裕をぶっているラッシュに一層憤りを感じた樋口は、その力を見せつけるために尋常じゃないほどのスピードでラッシュに詰め寄る。


「おっと危ない」


 しかし、そんなちっぽけな攻撃などラッシュには無に等しい。


「どんな攻撃も当たらなければ意味は無い」

「クソ……っ!降りてキやがれクソガキ!正々堂々勝負しろ!」


 異能『飛翔』を使って楽々と樋口の攻撃を躱すラッシュ。


「僕は常に仕事を忠実にこなす。例えそれが卑怯でも、プライドのない戦い方だとしても、僕は紅に尽くす忠実な駒だ。それが、僕を拾ってくれた紅とボスへの恩返しだから」

「ナニわけのわからないことを!!」


 ラッシュは空を自由に舞う鳥のように華麗に樋口の攻撃を躱していき、懐に入ったかと思ったら、


「もう君つまんないから終わり」


 樋口の急所へと着実にナイフを刺し切った。


「が……っ!」


 確実なクリティカルヒット。いくら筋力を増強してガタイが大きくなったとしても、人は急所を刺されれば一瞬で意識を失ってしまう。

 樋口はみるみるうちに倒れていった。


「さよなら、ヴァイスになってしまった人間さん」


 その皮肉ももう樋口には届いていなかった。

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