第11話
本陣での整列が解かれればすぐにでもフィンの運ばれた病院へ、と思っていたククールだが、たいしたことはない擦り傷の手当てやら竜毒検査やらで解放された頃には日が落ちていた。
幼いながら奮闘してくれたきゅい助が寝床に戻るのを見送り、ようやくフィンの病室の前に着くとアンミールとディアンが表情を曇らせて話している。ここは城の隣に建つ地上の病院。アンミールの職場とは違う所だ。
「ククール」
ディアンが気付き、ククールを呼んだ。よく見れば腫れた目に掠れた声。
それはアンミールも同様だった。
「ククール、ケガはないって?良かったね」
無理して笑顔を向けてくれるが、痛々しい。
「大活躍だったって?すげぇじゃん」
ディアンも、本当は笑顔を作れる心境ではないはずだ。
「あのさ、フィンとかレイも…結構重傷だって聞いたんだけど」
「フィンは大丈夫。直に竜毒は好くなるはずよ。ただ、その…オーロラちゃんがね」
フィンがいた地点の氷竜は生き残り僅か二頭、それも重体。そう聞いた。病室の扉を見るククール。
なんと声をかけたらよいか、迷う。
「レイは…?」
入室する勇気が出ず、ククールはそう訊ねる。するとこちらも衝撃だった。
「あのね、レイだけじゃなくて、毒竜部隊の何人かはちょっと…。ライは全然ぴんぴんしてるんだけど。」
「レイ、意識不明だって」
いいよどむアンミールにディアンが補足する。
「意識不明……?!」
「ちょっとね、強い竜毒を浴びたり、毒霧を吸いすぎたりするとそうなることもあるのよ。血中竜毒濃度が下がれば大丈夫」
大丈夫であればよいのだが、やはり心配なのはフィンのメンタル。
意を決して、ククールはドアをノックする。
返事はないが、アンミールがドアを開けてくれた。
「じゃ、あたしは仕事だから帰るね。夜勤なの。ククール、悪いけど、ディアンと一緒に帰ってやってくれる?急いで来たから膝外れちゃって、治したばかりだから」
ククールは頷いてフィンの部屋に入る。
横たわってはいるが、眠ってはいなかったらしい。
「ククール?」
「フィン、具合は?」
「ん、俺は大丈夫」
言いながら体を起こそうとするフィン。
「いいよ、そのままで」
「平気。オーロラ達のお陰で、氷竜の乗り手は比較的軽傷だから。レイの方が深刻だろ」
「……」
オーロラの名前に、ククールは言葉が出ない。
「ククールはすごかったって?ファルクスとの立ち回り」
「別にそれは…きゅい助にも助けられたし、運が良かっただけっていうか」
「謙遜するなよ」
謙遜しているわけではない。ククールの頭の中はオーロラを失った彼にどう言葉をかければいいのか、ということに占められている。
フィンが思いのほか元気なのは安心したのだが、目の腫れ、鼻の赤み、声の掠れ…相当に涙を流したのは想像に難くない。
考えるけれども結局掛ける言葉など思い浮かばず。
「ともかくさ、帰る前に一度顔見れて良かった。ゆっくり休んでろよな」
ククールは涙が込み上げてきそうになり、早々に退室しようとしたのだ。
それを、フィンがククールの腕を掴んで制止する。
「フィン?」
顔を伏せたフィンが、何かを伝えたいのだろう。きっとオーロラのこと。
じっと、先を急かすことなく、ククールは次の言葉を待った。
数分に感じられた沈黙の後、フィンは震えた声を絞り出す。
「……聞いたと思うけど、オーロラが死んだ」
「……うん」
フィンがまた泣くかと思ったが、気丈にも唇を噛みながらもその姿を伝えようとする。
「…立派だったよ。……最期まで」
「オーロラらしいな……」
オーロラはいつでも、威風堂々として気高く、神格さえ感じさせる佇まいをしていた。
フィンの醸す雰囲気ともぴったり合って、ドラゴンナイトとはかくも神々しいものかと感じたことを思い出す。
「ごめんな、引き留めて。……それだけ、言い…たかった」
ポロポロと、遂にフィンの目から涙が零れた。
「うん……」
何も気の利いたことは言えない。きっとフィンも、ククールにそんなことを期待なんてしていないだろう。
しかしククールの腕を掴んだ力は強く、言葉をかける代わりにその手にククールは自身の手を重ねた。
結局そのまま面会終了時間になってしまい、看護師に急かされて病室を出る。
「フィン、どうだった?」
長椅子に腰かけてそう口を開くディアン。
「ん…。思ったより軽傷だったみたいで、それは良かったよ」
どう言えば良いか迷うものの、涙のことは伏せておく。
「ほんと、それな」
「悪かった、待たせて」
ククールが謝罪すると、ディアンは立ち上がり、二人揃って歩きだした。
「それはいいよ。ククールも疲れてるだろ?寧ろ来てもらって悪かった」
無理に口角を上げて、ディアンも謝罪する。それは構わないと言って、気になるのはラッドの姿が見えないこと。
「ラッドさんは?」
「少しフィンに会ってまた公務。負傷者が多かったから、動ける奴でパトロールに行ってる」
「……俺、帰っていいのか?めっちゃ動けるんだが」
「いいだろ。騎士でも憲兵でもねえんだから」
「それもそうだけど」
動ける奴と言ったらククールも該当する。
しかしディアンの言う通り、正式なメンバーでないのだからでしゃばるのも良くないのだろう。
ディアンの歩調に合わせてゆっくり歩くと、夜でも厚い曇がかかっているのに気付く。
「一雨来るかな」
ククールがそう言えばディアンは歩調を僅かに早めた。
「おい、膝大丈夫か?」
「けどなあ、濡れるのも面倒だし」
その時、ポツリ、ポツリと雨がぱらつき出す。
仕方なしにククールは屈んで背を指した。
「ほら、おぶってやる」
「なんだよ。疲れてんだろ?」
言葉ほど遠慮せずに、ディアンはククールの背に乗る。
もだもだとおかしなやり取りをする方が反って迷惑になると心得ているのだろう。
「行く時膝外れたって?誰も一緒じゃない時どうするんだよ」
「今日はほふく前進してたら親切なマッチョが運んでくれた」
「……」
密かに笑い声を立てるディアンだが、いやそれ親切な人だから良かったものの、と思うと笑えない話だ。
雨が強くなる前に、とククールは小走りした。ディアンやククールの住む地下街へ行くには馬車の定期便で地下街出入口のスロープまで行かなくてはならない。
負傷兵の家族らしき人々が馬車に乗るらしく、乗り口はまあまあ混雑している。
なんとか馬車に乗って地下街入り口に行く間も二人は言葉少なに揺られ、パタパタと降る雨音を聞いていた。
スロープを下り、ようやく家に着く二人。
「ありがとな、ククール」
礼を言うディアンであるが、
「ディアン、あのさ」
聞いておきたいことがあってククールは口を開く。
「ドラゴンがいなくなったドラゴンナイトって、どうするんだ?」
「退団する人もいるけどな。また別のドラゴンに乗る人もいるし、色々だってよ」
ではフィンが自分で決断しなければならないということ。
「フィンなら大丈夫だよ。ああ見えてそれなりに強いから」
大丈夫という割にはディアンの顔も晴れない。
ディアンが自分に言い聞かせているうようにも聞こえた。
兄弟べったりというほどでもなく、どちらかというと小競り合いの多い二人だが、こういう時には兄弟の絆が垣間見える。
「ククールもさ、早く休めよ。送らせておいてなんだけど」
「ああ…おやすみ」
手を振りながらククールは歩きだし、なんとなく雨が気になって走って地上に出てみた。
雨足はシトシトと細い糸が垂れるように変わっている。
どこか哀しく聞こえるこの調べを、フィンは独りで聴くのだろう。
ククールの頬にも涙が伝った。
声を潜め、足音をできる限りかき消してラッドは歩く。
幸い雨が降り始め、こそこそと深更に動くには好都合。
月明かりがないのはこの際仕方がない。
アッソロー山脈を正面に、森の中を進み続けること小一時間。間もなく山に人工的に空けられたらしいトンネルに着くころ。
だが、目を凝らしてもそのトンネルは見えない。今日、ドラケイオスの使いがいることは間違いないはず、とラッドは様子を見ながら南下を始める。
すると、前方にチューエンとケンショウの姿。
チューエンがラッドに気付き、人差し指を口に当て、『声を出すな』のジェスチャー。
そしてケンショウが山の方角に向かって指を指す。
耳を澄まさなくとも、ドラゴンの低い声が聞こえた。一頭ではなさそうだ。
「ラッド」
囁くように背後から声をかけたのはショーウン。ナデシコと一緒にいる。
ケンショウを見れば、ドラゴンのいる方に向かって『進め』の合図。
進むに連れて、人の話し声とドラゴンの陰が大きくなった。
「『止まれ』だ」
ナデシコがケンショウのジェスチャーに気付く。よくもまあこんなに夜目が利くものだと感心するラッド。
「五、四、三……」
ナデシコがケンショウの手を読む間、ラッドとショーウンは駆け出す準備。
「一」
チューエン、ラッド、ショーウンにナデシコが同時に飛び出し、包囲したものとは。
「アガカラス騎兵隊長」
ケンショウが松明に明かりを点ける。
その明かりを向けられたアガカラスは怯えた顔で動揺を隠せていない。
「アガカラス騎兵隊長、そちらの方を紹介していただけますか」
青ざめたアガカラスの向かいには黒いマントを頭からすっぽり被った男性らしき影。
「察するに、ドラケイオスの地位の高いお方だと思うのですがね」
ケンショウの言葉がいい終えぬ内に、何かぶつりと音がしたか思うと一斉に敵のドラゴンがラッド達に襲いかかってくる。
それに気をとられたら、マントの男は闇に消えてしまった。
ドラゴンは三頭、不意打ちとはいえそれぞれ一刀で首をはね飛ばしてしまうと、アガカラスは大人しくケンショウに捕縛されていた。
「アガカラス騎兵隊長、機密漏洩をはじめとするスパイ容疑で収監します」
「ああ…」
項垂れた顔にはもう表情がなく、無気力の様子。
「ケンショウ、スパイはこいつだと分かっていたのか」
チューエンが尋ねる。包囲した段階では顔は見えなかったが、ケンショウははっきりとこいつの名を呼んだからだ。
「まあね」
とケンショウが答える。
その会話にラッドは驚いた。
「ちょっと待って下さい。俺なんて今日初めてスパイの話聞いたのに、ケンショウさんはいつからスパイに気付いていたんですか?!」
スパイ捕縛の任務は遡ること数時間前、フィンの見舞いを終えて巡回に出ようとシークの元に来た時に指示されたことだった。しかもケンショウ直々に。
その時はスパイがいるなどとは思ってもいなかったので、半信半疑のまま森までやって来ていたのだ。
ケンショウの口ぶりから、アガカラスに目星は付けていたことになる。
「んー…。俺達がバクペイドに行った時は違和感くらいだったけど」
「そんな前に?!」
驚いたのはラッドだけでなくショーウンもチューエンもだ。
「そう。船がね、海竜に襲われて。海竜避けの薬をまく装置が不具合を起こしていた。海竜が寄ってきたのはドラゴニアを出港した後」
その話は知っている。会議でも報告があったし、フィンからもナデシコからも聞いた。
「海竜避けは船の生命線。寄港するたびに複数人で点検するはず。ところが、思い返してみれば出港直前にアガカラス騎兵隊長殿はその装置の辺りをうろついていたんだよ」
「けど騎兵隊が船を警備することはおかしくないはず…」
船の事故防止の観点から、船の所有者とは利害関係のない第三者が寄港中に警備するのは法律上のこと。
大抵はそこの憲兵や警邏隊などがそれを遂行する。守らなければ港を運用できない。
「そう。おかしくない。けれどね、我が国においては船の警備は憲兵の仕事なんだよ。憲兵の見回りの後、出港直前で騎兵隊がわざわざ行く必要はなかった」
ケンショウの目が鋭く、アガカラスを睨む。相当に怒っているのがラッドにも分かった。
怒りの理由は。
「どうしても、ククールをドラケイオスのスパイに仕立て上げたかったわけだ」
ということ。自分が情報を漏らしているのを、ククールで隠そうとした。しかしケンショウ達がバクペイドに行けばククールはスパイではないことがばれてしまう。
だから海竜の事故によってケンショウ達を消そうとした。
その姑息さが、ケンショウの義心には許せないのだろう。
「今日の御前試合の情報も、お前が漏らしたんだろ」
御前試合の日に襲撃があったのは偶然じゃなかったということ。
困惑しているラッドにも、次第に怒りが沸いてくる。
「なぜそんなことを?」
「……」
ラッド問うても、アガカラスは答えない。
次第に雨が強くなる。
「まあいい。憲兵に任せよう。みんなありがとう。さあ、戻るよ」
ケンショウの言葉で一行は移動を始めた。
ドラゴンの待たせてある場所まで歩くと、そこには憲兵と護送車。アガカラスを引き渡してスパイの捕縛は完了。
雨が強く、ケンショウが大きくくしゃみする。
『なぜこんなことを』
答えなかったアガカラス。ラッドは怒りを振り払うように、ドラケイオスの方角の天を仰ぎ見た。
大きな咳が一つ、二つ…三つ聞こえたかと思うと、取調室に入室してきたのは小柄で若い男。チャコールグレイの制服と薄黄のマントは確かこの国の文官。
ファルクスは手枷をそのまま、口枷だけを外されてその男の顔を見た。
取り調べなら何人も入れ替わって同じ事を繰り返し聞かれたが、こんなに若い取調官は初めてだなどとぼんやり考える。
「何回も悪いね。けど、何も話してくれないから仕方がないんだけど」
チクリと嫌味を交えて男が笑った。
聞かれたことはアガカラスという男のことや、ドラケイオスの戦力、権力者について。そして何故ゲスバーディとゲルリオを殺したのか。
アガカラスなんて男を知らないのは本当だ。だから知らないと答えた。
ゲスバーディとゲルリオを殺したのは嫌いだったから。戦力と権力者については黙ったのは本当だが、何も話していないわけではない。
ファルクスが黙っているのには構わず、男が切り出した。
「俺はケンショウ・リク。ええとファルクス・デュスターが本名で、歳は十八。誕生日は十二月五日?」
「?誕生日はない。歳はそのくらいだろうとは思うが、厳密には知らない」
ケンショウと名乗った男は何を根拠にしているのか、ファルクス自身あやふやな年齢や誕生日を言い当てる。
「…誕生日と年齢分からないの?」
「奴隷だ。誕生日も年齢もない」
ドラゴニアは奴隷制度のない国であることは知っている。確か人身売買は重罪。奴隷というものをまるで知らぬ様子にファルクスは若干の苛立ちを覚えた。
「元、奴隷だろ?」
「いいや、奴隷として買われたら一生奴隷。身分こそ皇子になっているが、ドラケイオスでの扱いは奴隷のまま。むしろ奴隷のくせに皇子の身分だけはあるものだから、風当たりは強い」
「君、皇子様だったのか。とんだご無礼を」
しれっと言って、特に驚いた顔をこのケンショウは見せない。
「なぜ、奴隷の君が皇子に?それに皇子が最前線での侵攻。ありえないでしょ、普通」
「……」
そう、ありえない。けれど国に買われた道具は国のいいように使われる。それだけのことなのだが、奴隷というものを知らぬ相手に話すのも億劫でファルクスは黙る。
「ま、それはおいといて。あとね、相談なんだけど」
「相談?」
「そう。今回の落とし前はきっちりドラケイオスにつけてもらう。不戦条約という形かな。近いうちに誰かを派遣するが、交渉が決裂して全面戦争に発展するのは避けたい。だから知恵をかしてほしい」
「……」
全面戦争とは物騒な言葉だが、実際その可能性は限りなく低い。
ドラゴンを兵士として育てる計画が進んでから人間の兵士は完全に腑抜けた。
そのドラゴンを扱える人間も限られている。戦力はもう心許ないはず。
しかし好戦的で野心家の皇帝が不戦条約にサインするとは思えない。
「知恵なんて無駄だ」
短くそう答えた。
「そういうわけにもいかないんだけどね、こっちは。なんでもいい、サインさせることができるアイテムがほしいんだ」
「……」
「皇帝の好きなもの、食べ物でも趣味でもいい。健康状態、家族構成とか、話してくれないか?」
ケンショウはなおもそう問う。実際皇帝は長く床に臥せっているし、実子はニリのみ。
それを答えてしまうことはできる。
しかしできないのは、純粋なニリを国のいざこざに巻き込みたくない気持ちがあるからだ。
ニリが陰で『足りぬ頭』とか『木偶の坊』と悪口を言われているのを知っている。だからこそ、彼の存在が国の不利益をもたらしたという事実はつくりたくない。
なにより、結局のところファルクスにとってドラケイオスは故郷なのだ。そうやすやすと売るような真似はできない。
「…うん、黙っちゃったね。じゃ、気持ちを切り替えて、と。何か希望はないかい?」
「希望?」
「そう。やってほしいこと。死なせろとか帰らせろとか、そういうのはさすがにきけないけど。食べたいものとか、読みたい本とか」
「その代わりに情報を寄越せと?」
きょとんとケンショウの目が丸くなった。
「…うわ、そんなこと思ってもみなかった」
「そうじゃなければなんだよ」
「暇だろうと思って」
アホらしい。
ファルクスは大きくため息を吐いて呆れる。
「俺がアンタらの国に何したのか忘れたのか」
「もちろん忘れるわけない。うちの宝のドラゴンも、乗り手の人間も、何人も死んだ」
「分かっているなら…」
死罪にしてほしい。もう苦しむのはご免だ。
そんなファルクスの気持ちを見透かしたように、
「だけど死罪にはしないよ。君の首をはねたところで、根本的な解決にはならない。また人を変えて同じことになっては意味がない」
そう断言した。
「心配しなくても…」
戦えるドラゴンは出し切った。ポイズンドレイクの他にファイアードレイクの育成計画があるが、彼らが育つまでにあと五年以上は必要だろう。
と、口を滑らせそうになりあわてて口をつぐむ。
幸いそこを深掘りされることはなく、ケンショウは続けた。
「それにね、君と戦ったうちの臨時の兵士が言っていたよ。君だって本当は戦いたくなかったんじゃないかって」
「……」
「ドラゴンを大勢死なせることが嫌だったんだろう?あぁ、答えなくていい」
そうだ。殺戮は何も生まない。ただ自分の立場を考え、やるしかなかった。いや、やる選択をした。
もし時間を戻せたとしても、同じことをするだろう。すこしでも、自分を高くするため。そんなことのために多くの犠牲を払ってでも。
矛盾する自分の気持ちが苦しい。
無意識にファルクスは眉を寄せ、涙が込み上げるのを堪えた。
「さて、もう時間だ。今日はここまでにしておくよ。また明日。何か希望を思いついたら言ってくれ」
ケンショウはそう言って立ち上がる。
付き添いの刑務官が口枷を持って来たが、ファルクスは一度制止して、
「…じゃ、一つだけ頼みがある」
と、切り出した。
「俺の持っていた剣とか鞭。二束三文にしかならないだろうけど、換金してほしい」
「換金?欲しいものなら現物で支給するよ」
「そうじゃなくて、その金で死んだドラゴン達に花を供えておいてくれ。到底足らないだろうけど」
支給では意味がないことだ、とファルクスは言い添える。
分かった、とケンショウはメモを取ると、
「君は本当にドラゴンが好きなんだな」
と言って優しく笑った。
「そりゃ、俺もドラゴンも国盗りの道具だからな。それも失敗したってなったら…」
「…だから死にたい?」
「……」
だからというのではない。
死に場所、死に方を模索するようになったのはいつからだったか。
此度の侵攻も自分の立場の向上を目的にしていたが、どうせ成功したところで何も変わらないだろう。今となっては何故そんな甘い考えを持っていたのか疑問だ。
「若いのに難儀な子だなあ」
「アンタ、そんな歳変わらねえだろ」
「失礼だな。君の倍程度は生きているんだけど」
「……」
嘘だろ、マジか。
ケンショウはそのまま退室し、ファルクスはぽかんと開いた口に枷を嵌められて収容所に戻るのだった。
殉死した騎士達の葬儀は国をあげての盛大なものだった。
国王に騎士団長らの弔辞、黙祷に献花、と一通りの次第を終えると厳かな雰囲気は一変、笑顔で賑やかな歓談があちらこちらで始まる。
フィン達騎士団員とは離れた一般参列の区画で、ククールと姉のインティアナは不思議な面持ちでそれを眺めた。
「?どうしたの⁇」
そんなククールにこそ不思議といわんばかりに声をかけるのはアンミール。
「いや、葬儀ってこう神妙な顔をしているものなんじゃないかと思って」
「あぁ。騎士団員の葬儀は特別。『笑っていられるのはあなた達のおかげ』っていう意味でみんな笑うんだ」
教えてくれたのはディアンだ。
なるほど。よくよく皆の顔を見れば涙を浮かべて笑い声を立てている。悲しみを振り切るためのようにも見えるが、それが殉死者への最大の敬愛の形なのかもしれない。
「殉死した側から見れば安心する光景なんだろうな」
「そういうこと。なぁ、祭壇の方行ってみようぜ。もう自由に動いていいはずだから」
ディアンに誘われ、遠目でしか見えていなかった祭壇の目の前に来る。
「へえ、綺麗…。よく見るといろんな種類のお花でできていたのね」
「ほんとね。一般参列じゃ後ろの方でよくわからなかったけど」
インティアナとアンミールが感心したように祭壇に見惚れた。
祭壇は実に立派で白色ばかりの花かと思いきや、薄い水色や紫の色も使っていてその配色のバランスが気品高く美しい。ククールには芸術のセンスは皆無なのであるが、かなり洗練されたものであることが窺える。
祭壇には殉死者の名前が書かれた木札、その中にはオーロラの名もあった。
「ドラゴンの名前も並べるんだな」
そう呟くと、返ってきた声は後ろから。
「ドラゴンも騎士だからな」
退院したばかりのフィンだ。
腫れた目と掠れた声は相変わらずだが、足取りはしっかりして背筋も伸びていることにククールは安心する。
レイに関しては意識が戻ったようだが、まだ入院中だ。
オーロラの最期は立派だった。とフィンがククールに語ってくれたように、フィン自身も今日の別れの時までに気持ちを奮い立たせて来たのだろう。
凛とした強さがフィンの顔に戻っている。
「そうだよな」
自分より大きい相手に立ち向かい、命を捧げて国を守るドラゴニアのドラゴン達の勇姿をククールは思い浮かべた。
そして今も上空で巡回している彼らを仰ぎ見る。
「いたいた、ククール!」
やって来たのはケンショウ。
探し回ったのか、息が上がっていた。
「ケンショウさん、用があるなら俺が行くのに」
「平気平気。あのさ、この間の御前試合、ダメになっちゃっただろ?」
仕切り直しをしている場合ではないことはククールとて分かっている。が、チューエンとの仕合はやってみたかった。まさか実現でもさせてくれるのかと期待はしたのだが、ケンショウから提案されたのはもっと意外なことであった。
「それでね、ドラケイオスとの実戦のことも踏まえてだね…正式に騎士団への入団を打診したいんだ。階級はシルバーね。騎兵隊、どう?」
「…シルバー?!」
フィンやレイのブロンズクラスの飛び級ということにはなるのだが、それはケンショウ殿、やりすぎですよという感想しかない。
「おぉ。すごいじゃん。特例中の特例じゃねえの」
興奮している様子のディアン。フィンはただ目を丸くしている。
「騎竜隊を希望するならもちろんそれでもいい。最良の教育環境は準備しよう」
そうケンショウは続ける。
魅力的な案件であることは分かっていたが。
「どうするの?ククール」
インティアナがククールの顔を覗く。
頭によぎるのは故郷のバクペイドにいる友人達。
それも、ケンショウは織り込み済みのようで。
「もちろん、バクペイド王政を脅そうがハッタリかまそうが、友人達の命の安全にも全力を尽くすと約束する」
まっすぐククールの目を見据えるケンショウ。その言葉が嘘でないことが分かる。
しかしククールはもう既に答えは出ていた。
「俺、ケンショウさんにお願いするつもりでした。士官学校に入れてくれって」
その言葉には、場にいた皆が驚く。
「士官学校でいいの?入団の許可が下りてるんだよ?お給料もらえるんだよ?」
特に信じられないと言った顔なのはアンミール。
「ん。けど俺、この国のことちゃんと知らないままだし。勉強した上で入団したい」
ただひたすらに剣術をはじめ、武芸に明け暮れた日々。それを後悔はしていない。あの頃に学んで今に活きていることはたくさんある。
強くなればそれでいいと思っていたし、なぜ強くなろうとするのか、強くなってどうするのか。自分でもどうしたいのかはっきりとわからぬまま、結果国のいい駒にされそうになった。
それじゃダメだ。自分が守りたいと思うものは自分で決めたい。フィンやオーロラを見て、この国の騎士道にそのヒントがあるのではないか。
かつてドラゴンを討伐したククールだが、ドラゴンを忌み嫌う気持ちはもうない。血肉を求めるのがドラゴンの本来の生態なのだろうし、彼らは単に生きるために血肉を求めるのだ。
ただ、人とドラゴンが互いに傷つけずに生きられる道があるならそれを選ぶ。そんなドラゴニア王国に対しての興味も尽きない。
そう思ったのだ。
「ケンショウさん、俺をドラゴンナイトとして育ててください」
ククールはそう言って頭を下げた。
「分かったよ。君がこの国に残ってくれることは大いに歓迎する」
ケンショウが手を差し出したその時、ラッドの叫び声が聞こえた。
「あっ!ケンショウさんいた!!チューエンさん、ケンショウさんいました!」
「ラッドさん?」
血相を変えた彼の様子にククールは驚く。
その直後、こちらは鬼の形相で顔を出したのはチューエンだ。
「おい、ケンショウ!熱が出てるくせにフラフラしてるんじゃない!」
ヤバい、とケンショウの顔に書いてある。
息が上がっていたのは発熱によるものだったらしく、ケンショウは大した抵抗もせずにチューエンの肩に担がれてしまった。
「おろせよチューエン…バクペイドとドラケイオス宛ての書状をなんとかしないと…それにククールの編入手続きをして、嗚呼…王様に許可印をいただきたい書類がえぇといくつあるんだっけ…」
「仕事のし過ぎだ馬鹿者。大体、それのいくつかはお前の仕事じゃないだろ?」
確かにケンショウの肩書きは国内政務長官補佐。国外への書状はおそらく外交官の仕事。
ここ最近もドラケイオスとの戦いの後処理で仕事は増えていたのだろう。
「ケンショウさん、熱あるならゆっくり休んでくださいよ。ていうか熱出す前に養生しなきゃ」
ケンショウは責任感が強いのだろうことはククールにも分かるが、それで周囲を心配させては本末転倒だとも思っている。
「仕方ないでしょ、長官がやるより俺がやった方がはやいんだから」
「…上司がぼんくらなんですか。苦労しますね」
ケンショウに仕事を集中させぬようにするのも上司の役目ではなかろうか。
ククールはそう思って苦笑い混じりに軽く言ったのだが。
「ちなみにククールよ」
チューエンが気まずそうな顔をした。
なにかと思ったら。
「前方五メートル先にいる白髪の紳士がケンショウの上司だ」
両手で口をふさぐが、遅かった。
白髪の紳士は笑顔でククールに会釈するが、こめかみに血管が浮いているのを見つけてしまうククール。
後ろではクスクスと笑い声がした。
振り返ってみれば涙を拭ってフィンも笑っていた。
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