第5話

ドラゴニアの各港は完全封鎖するのが理想、といってもそう簡単には行かない。基本的に一般市民は竜-馬引継ぎ線のところまで避難しているものの、やはり船の行き来を全てストップさせるわけにもいかないからだ。

騎士団騎兵隊が武装を強化してドラケイオスの襲撃に備える中での船の運航となっているわけである。

フィンにとってカンセルギの騎兵隊長の印象は既に最悪。

出港前に顔なんぞ見たくもなかったのだが、わざわざ船の点検だか見回りだとかでうろうろされて非常に気分の悪い思いをした。

おまけにずっとこちらを睨んでいたものだから、あの視線を思い出すと非常に腹立たしく苛々が収まらなくなる。

「あの、ハゲカラスめ…」

フィンがそうぼやくと、隣から明るく笑う声。

しまった。

今はバクペイド行きの船の中だった。

そしてけらけらと笑うこの男性はドラゴニア城内に勤務する国内政務長官補佐殿。それなりに偉い立場のお方だ。

名はケンショウ・リク。東の大国、遜皇国からの移民三世だという。

小柄で背丈はフィンと同じくらい、年齢は三十七だというがどう見ても二十歳そこそこ。もし初対面で同い年と言われたら信じてしまいそうだ。

そしてフィンが憧れてやまないナンバーワンドラゴンナイト、チューエン・リンの幼馴染みであり親友であるというのも知られたこと。

つまり、そんなお方に失言を聞かれてしまったことになるフィン。

「も、申し訳ありません!」

慌ててフィンは言い繕う。

ケンショウはまだ笑っていた。

「いいよいいよ。ハゲカラスってカンセルギ駐在の騎兵隊長でしょ?若い子のつけるあだ名って秀逸だよね」

「あの…どうか忘れて下さい」

「なんで?面白いのに。ハゲは頭髪だよね。カラスってのは姓がアガカラスだから?」

真面目で清廉、そして堅物。そんな人だと聞いてはいたのだけれど、実際はよく笑う気さくな人だ。

「それよりもさ、ほらチーズが垂れていて勿体ないよ。ナデシコが狙っているから食べちゃいなよ」

言われて、船内で食事をしていたことを思い出す。

手に持ったハンバーガーはケンショウの言う通り、チーズをふんだんに使っていて蕩けたチーズが皿に溢れていた。

ナデシコは女性にしては長身、垂れ気味の目をした一見すると美女。船上の男が二度見するのは美貌ばかりでなく、彼女の前にでんと積まれた皿。今は人の顔ほどもあるデカいドリンクを飲んでいるが、

「フィン、いらないなら寄越せ。代わりに食ってやる」

まだまだ食欲は満たされない様子。

欲しいなら渡しても良いのだが、それはケンショウが制止した。

「ダメ。これから体力と神経使うんだから、フィンもちゃんと食べないと」

そう言われてはフィンも食べる他なく、冷えたハンバーガーを噛った。

不味いわけではないが、ソースの味が濃い。素材の味をしっかり引き立ててくれるシェイラの手料理が既に懐かしく感じた。

もそもそと小さい口でやっとハンバーガーを食べ切ると、ナデシコの前にどデカいパンケーキ。

「ちょっと、一人占め?シェアしなさい、シェア」

ケンショウがそう言って一人分を切り分け、フィンの前に置く。

ケンショウとナデシコに礼を言ってフィンはそれを口に運んだ。ケンショウは食べずにコーヒーを啜っている。

まだ食事は終わらないようで、フィンは気になっていたことを尋ねた。

「あの、ケンショウさん。ケンショウさんはどうして調査員に?」

ナデシコは審議会の場で国王の指名があったが、ケンショウに関してはその翌々日に告示があったのだ。ケンショウなら審議会でダグダーラムが言っていたように、公正で中立という条件に合致するだろう。

しかしケンショウが受けるかどうかの自由はあったのではないか。フィンはそう思ったのだ。

「うん?頼まれたしね、チューエンに」

「えっ?!チューエンさん⁇」

予想外の名前にフィンは思わず上ずった声を上げる。

甘ったるいパンケーキの味が途端になくなったが、勇気を出して続けた。

「あ、あの。チューエンさんは呆れてませんでしたか?その、スパイ容疑の奴らを庇ってるとか……」

ドキドキと心臓が嫌な鼓動を刻むも、ケンショウは笑顔でフィンの肩を叩いてくれる。

「ないない。あいつも友人は大事にするタイプだから。頼まれたのは、フィンの気が済むまで調査させてやってくれってこと。で、パドラ=シード王に直談判したってわけ」

「え?」

「だからな、大船に乗ったつもりでいろよ」

ヤバい。嬉しい。

泣きそうになるのを堪えて、

「はい……」

と短く答えるのがフィンには精一杯だった。



ラッドに漸く退院許可が降りた。

仕事させてくれと言っても、病院に戻ってこいという条件付きだったため随分と窮屈だったのだ。

竜毒の方もほぼ完治。公務の完全復帰は難しいにしても、日常生活に支障はなくなったというわけだ。

しかし喜ばしいことばかりではない。ラッドの親友バーロンの婚約者とその弟にかけられたスパイ容疑。

その調査に弟のフィンがバクペイドに向けて出発したのが昨日のこと。

入院中の手荷物を引っ提げ、大きな溜め息とともにアンミールの隣に借りている部屋へと帰る。

「お兄ちゃん、お帰り」

帰宅の気配を察知したのか、アンミールが部屋から出てきた。

「ただいま。心配かけたな」

「うん…」

いつも明るい妹が浮かない顔をしている。それもそのはずで、ラッドの親友バーロンとも家族ぐるみで親交があったし、その婚約者インティアナと弟のククールとも既に親しくしていた。

気丈にもアンミールは笑顔を見せ、

「ねえ、お兄ちゃん。シェイラおばさんに教えてもらって、チーズケーキ作ったの。これからお茶にしない?」

そう誘いの言葉をかけてくる。

その声が聞こえたのか、反対の部屋からはディアンが出てくる。

「なに?チーズケーキ?俺の分ある?」

「来たいなら来てもいいよ」

三つ子の内の二人の会話を、ラッドは僅かに口角を上げて聞く。

ディアンも明るく笑顔を作っているものの、おそらくは空元気。

揃いも揃って、ショックが大きいということだ。

いくら気落ちしているからといって、ラッドが二人の前で溜め息を吐くわけにはいかない。

「じゃ、荷物置いたら行くよ。アンミールの部屋でいいのか?」

「うん!シェイラおばさんも声かけようかな」

「じゃ、俺が呼んでくる」

ディアンがゆっくりとした歩調で出ていくと、ラッドは部屋の扉を開けた。ラッドは久しぶりに帰った殺風景な部屋を見る。

ドラゴニア騎士団騎竜隊、通称ドラゴン騎士団。ハンガーに掛けられている、国防の花形ともいえる白ベースの制服と、所属隊によって色分けされている軍帽とマント。火竜部隊のラッドの色は赤。

それらを見て不甲斐ない気持ちになり、唇を噛んだ。

守れなかった親友、倒せなかった巨大なドラゴン。体は回復しても、後悔の念はすぐに拭い去れるものではない。

けれど、過去にとらわれてばかりでもいられない。ドラケイオスの脅威はまだ続くのだと、気持ちを切り替えるつもりで頭を振り、荷物を片付け始めるとふと本棚に目が行く。

その中にバーロンからもらったノートを見つけた。

プラチナクラスに昇格した時、シルバーのバッジと交換したものだ。

『僕には大事なものなんだ』

そう言って半ば押し付けるように渡されたそのノートを一度も見たことはなく、ラッドは一瞬迷ったが捲ってみた。

日記だったら読んでいいものではないと思っていたのだが、どうやら違う様子。

ドラゴンの生態に関するメモだった。仕事の関係で自主的に勉強したもの、そして毒竜の毒を医薬品として利用する研究のとりまとめが書かれている。

毒竜の毒を医薬に、その研究の歴史は古い。しかし現在まで今一つうまくいかぬ分野であった。

バーロンがその研究に興味があったのはラッドも知らなかった。だが、

「バーロンは、スパイなんかじゃない」

ドラゴンに真摯に向き合う姿、勤勉な態度、穏やかで優しい性格。

ノートに綴られた筆跡にまでそれは表れている。

だから、バーロンはスパイじゃない。ほかの誰が信じなくても、自分だけは信じよう。

改めてラッドはそう決意し、アンミールの部屋へと赴いた。



波はいたって穏やか。風も強くない。

なのに、時折大きく揺れる船に異変を感じたのはケンショウだ。

「これだけの船がこういう揺れ方をするってことはほとんどないはずなんだよ。まさかとは思うけど」

フィンとナデシコはケンショウに続き、船尾に立って水面を見た。一見すればなにもない。しかしそれこそがおかしいこともある。

「…いないな。この辺はイルカが多かったはず…」

ケンショウがそう言った時、徐々に水面近くに浮かぶ大きな影が見えた。

それを見たケンショウが青ざめる。

「…海竜だ。こんな近くに」

「海竜?確か、船は海竜避けの薬を撒きながら進まなければならないのが決まりなんじゃ…」

「そう。だから、薬を撒く装置にトラブルか何か起きたのかも」

「あの、このままだともしかして?」

「海竜に喰われる。幸い慎重な奴でよかったけど、いつ襲ってくるかわからない。船長室に行くよ」

そうして歩き始めたところで、船が大きく揺れた。二度、三度。これまでとは違う、明らかに転覆を狙った動きに、船上の人間がいくらか海に投げ出されてしまった。

フィン達はなんとか柵にしがみつくも、船上はパニックだ。

こんな時でもナデシコの目が光る。

「フィン、武器を取りに行くぞ。首を切り落としてやる」

「駄目だ!海竜の血が他の海竜寄せになってしまう!」

揺れに耐えて、ケンショウは紙にメモをする。

「二人は食堂に行って、ありったけのこの材料を混ぜておいて!俺は医務室に用があるから!」

「これで何を?!」

「説明は後!早く!!」

フィンにはまるで分からないが、今は言う通りにするしかない。

船の大きな揺れをものともせずに駆けるナデシコを必死で追い、食堂のキッチンへと辿り着く。

大きく何度も揺れたせいで、床には作りかけの料理が散乱してしまっていた。

「フィン、何が書いてある?」

「ええと、ハバネロ、ブラックペッパー、その他唐辛子類、度数の高いアルコール。」

「ありったけと言っていたが、そんなに多く置いてないだろう」

確かに。それに、一般家庭のキッチンとは段違いに広い。

誰かいないか、と探すが既に避難してしまったらしい。

「酒のある場所なら察しがつく。フィンは唐辛子を探しておけ」

「はい!」

仕方なしに、手分けして材料を探す。

幸いパントリーを開けただけで、ハバネロや名前も分からないが唐辛子とおぼしきものが大量に入っている袋が見つかった。

それらをゴミ用の大袋に詰めていると、よろけながらケンショウがやって来る。

「ケンショウさん!」

よろけるケンショウにフィンは手を貸した。

「出来てる?!」

「はい!」

ケンショウは大きな袋に詰められたそれに、自身が医務室から持ってきたものを混ぜ始めた。

それがなんなのかフィンにはまだ分からないが、事態は一刻を争う。

「これをなんとかしてあの海竜の口に放り込む!二人でやって来てくれ!」

「わかりました!」

大きく揺れた拍子にケンショウが壁に叩きつけられた。

しかし船の乗客乗員の命が掛かっている今、優先すべきは海竜を止めること。

フィンは袋を担いで、ナデシコとともに駆ける。

常日頃、ドラゴンに乗っている二人にとって揺れは大きな問題ではない。

しかし海中にいる海竜に対してどうするか。

柵から身を乗り出すも、海竜の動きは予測ができない。

「ナデシコさん、俺海に一度潜ってみます」

そこでの動きをみることで何か打つ手が見つかるかもしれない。そう思っての提案だったがナデシコは表情も変えずに、

「必要ない」

といって、おそらく食堂から持ち出したらしい包丁で自身の腕を切りつけたのだ。

「ナデシコさん?!」

血がボタボタと海に吸い込まれていく。

すると、その真下から大きな口を開けている海竜の姿が見えた。

「ほら、そこに放り込むめば良いだけだ」

なんの相談もなしに。

と憤慨したいところだが、今はナデシコに言われた通り、口を目掛けて袋を放る。

口を閉じた瞬間こそ、海竜が船にぶつかり大きく揺れるも、その後は徐々に海竜の動きが鈍っていくのが分かった。

しまいには腹を上にして漂う始末。

そこへよろよろとケンショウが柵に捕まりながらやって来た。

「良かった、うまくいった」

頭を押さえているところを見ると、あの時に打ったのかもしれない。

まだ揺れの残る船上ではあるが、ナデシコも腕を切ったこともあり、医務室へと向かった。

常駐の医師がナデシコの腕を手当てしてくれている間、ベッドに横たわったケンショウにフィンは尋ねる。ちなみにケンショウは幸い、軽い脳震盪との診断であった。

「あれはなんだったんですか?」

「海竜避けの薬が開発される以前にとられていた方法だよ。カプサイシンを含んだ食材複数にスパイスも数種類、度数の高いアルコールとかが主成分でね、殺すわけじゃなくて気絶させる」

薬が開発される以前といったら五十年かそれ以上前。それを再現するとは、博識だとは聞いていたがさすがだった。

「今もその名残で、材料が船にそろってることが多いんだ。船にとってはお守りみたいなもんかな」

そう言って安心したようにケンショウは笑う。

「ま、安心なのはひとまずってだけで、すぐに近くの港には寄らないといけない。装置の故障なのか、薬の品質の問題なのか。それを調べるのは俺たちの仕事じゃないけど、船のオーナーはこれから大変だろうな」

船のオーナーにとって、いかに安全に航海できるかは非常に重要な問題であった。海竜避けをきっちりやっていることは基本中の基本。海竜に襲われたとあっては信用はガタ落ち。原因究明と、再発の防止。何年もかけて信用を取り戻さなくてはならないが、その前に経営が行き詰まるケースがほとんどだ。

それを思うと気の毒ではあるが、フィンとて物見遊山ではない。

予定外の寄港はあまり歓迎できないのだ。

「……工程にも遅れが出てしまいますね」

「そうだね。…でも喜んでるのが一人」

ケンショウが指を指す。その先はナデシコであった。

「聞いたか?急遽寄ることになった港ではソーセージとビールが美味いらしいぞ」

医師にまで美味い物を尋ねていたらしいナデシコに、フィンはケンショウとともに苦笑いするほかなかった。



ドラグーホン大陸から南の大きな大陸、ルーナフス大陸。その西南に位置する内陸国がバクペイドである。

大陸の港から馬車の定期便をいくつか乗り継いでバクペイド入国を目指す。

内陸に入るにつれ、フィンのような明るい髪色の者はどんどん減っていき、バクペイド国境ではじろじろ見られていい気分ではなかった。ケンショウとナデシコも、何代か前の先祖は黒髪だったらしく今もドラゴニアの中では暗い髪色であるが、グラデーションのように毛先にかけて明るく輝く髪はやはり人目を引く。

ドラゴニアから来たとあってはさらに奇特な視線を向けられるのだから居心地が悪い。それだけ、世界から見れば異端の国だと肌で感じた。

ゴトゴトとゆっくり揺れる馬車の中で、フィン達の周りに空間ができるのも致仕方ない。

しかしナデシコは全く気にも留めてないのか、

「遅い」

とぼそり。

ドラゴンに乗り慣れているナデシコにとっては馬も牛歩と変わらないのは理解できる。だがここは異国。頼むから空気を読んで欲しいところだが、ナデシコの方が先輩なのでフィンは何も言えない。

「文句を言うんじゃありません」

このマイペースな女性にピシャリと一睨み利かせるケンショウはさすがといったところ。

そしてバクペイドに入国してしばらく経った頃、ある焼け野原の脇に通り掛かった。

なぜか一斉にフィン達を見る乗客達。そしてひそひそ話。 

なんだろうか、という疑問の答えはケンショウが教えてくれた。

「あそこ、大量繁殖したドラゴンを討伐したところなんだって。」

「そうなんですか?」

「うん。二年前に、飛ぶ能力のないワーム種だったらしいけど、毒の粘液を吐いて、近隣の住民はかなり苦しめられたみたいだよ」

「なんで知ってるんですか?」

「新聞で調べてきた。焼け野原に見えるけど、実際は毒のせいなんだろうね」

青々とした森の反対側で、黒い地面や枯れたままの木々が見える範囲で広がっている。

ドラゴンに乗らぬここの人間がドラゴンをどのように討伐したのか。

カンセルギでオーロラ抜きで戦ったことをフィンは思い出す。ククールがいなければ被害はもっと大きかっただろう。

ドラゴニアのため、というよりは目の前の町や人を守ってくれた。

それを何故分からぬ輩が多いのか。

フィンは再び沸々とした怒りに拳を震わせながら、いつまでも続く焼け野原を眺めていた。



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