第3話

ラッドは持ってきた花束をそっと置いて、神妙に手を合わせた。

この場所は城下から東に位置するフロル山。さらに東にはアッソロー山脈が南北にそびえ、ドラケイオス帝国との国境になる。

フロル山は自然豊かで一年中花が咲き乱れる美しい景勝地。野生の動物達も多く生息しているはずであった。

「ダメだ。シカもウサギも、イノシシもいない。かろうじてリスくらいのもんだな」

そう話すのはラッドとともにフロル山に調査に来たショーウン・リン。氷竜部隊に所属するドラゴンナイトだ。

「…そうだろうな。血がすごい。それに焦げ臭いな。何日も経つのに」

もう一人は背の高い女性。名はナデシコ・ニッタ。火竜部隊。女性であるが胸はない。小さいという意味ではなく、剣術の邪魔だとかで除去してしまったらしい。

「ライ、なんか分かったか」

ショーンが声をかけるのは、地面に飛んだドラゴンの血液らしき飛沫をじっと見つめる男。ライ・フィナレイルランド、毒竜部隊。レイの兄である。

ショーウン、ナデシコ、ライは鎧兜に身を固め、相棒となるドラゴンとともにバーロンが襲われた現場を調査していた。あの日、この山に来ていたのはバーロンだけではなかったらしい情報を得たことと、バーロンを襲ったのは普通のドレイク種ではなかったというラッドの証言のためだ。

ラッドは動けるようになったものの、ケガが完治せず戦いや巡回には参加できない。しかし今日は案内役としてやって来ている。

ライは大きな溜息を吐いた。

「これ、俺たちの毒竜の中にはないレベルの猛毒っすね。ほら、よく見ると周りが少し溶けてる。酸を含んでいるのかも」

「なんだと?」

ショーウンとナデシコが顔を寄せてそれを見る。

ラッドもそれに倣った。

確かに渇いて黒くなった血液の周りは未だ微かにガスを出して周囲を溶かしていた。一行は口を覆っているマスクを整え、改めて周囲を見渡す。

木々は倒され、花は踏みつぶされて無残な状態。赤黒い血の跡はかなり広範囲に及んでいた。それなのに死骸はおろか、骨一つ見当たらないのも不気味さを掻き立てる。

「……お前だけでもよく無事だったよ」

そう言ってショーウンはラッドの肩を叩く。

そして乗ってきた相棒の氷竜に向かって言った。

「ランスー、この辺にブレスかけてくれ!」

毒竜の毒はブレスだけではない。唾液に血液といった体液にも毒成分は含まれているため、氷竜のブレスで中和する必要がある。まだ蒸気を発している毒、ドラゴニアにとって未知のものである可能性が高い。人体、自然保護の観点から中和による解毒は不可欠であった。

「で、ラッドよ。あの日一体何があったんだ?」

ナデシコの問いに答える為、ラッドは記憶を辿った。



バーロンが婚約者の為に花を用意したい。そう言っていたので一緒に行く約束をしていた。フロル山は色々な花が咲く。そこで花を摘みたいと。

ラッドは約束していた時間に三十分ほど遅れてしまった。巡回の公務の途中で負傷者がいたのでその対応をしていたためだ。

巡回中は鎧兜の装着が軍の決まり。公務終わりとはいえ脱ぐのも煩わしく、ラッドは仕方なしに兜だけを脱いでバーロンの家に向かう。

「バーロン?バーロン!」

バーロンの家の前で親友の名前を呼んだが応答がない。

「バーロン、いないのか!」

ラッドの声を聞きつけてやって来たのはバーロンではなくシェイラ。手にはバスケットを持っている。

「シェイラさん、バーロンはもう出ちゃいましたか?」

「ああ。フロル山だろ?よく行く山だから先に行ってるってさ」

「うわあ…じゃ、すぐ追いかけますね」

駆けだそうとするラッドをシェイラは引き止める。そして持っていたバスケットを渡した。

「これ、飲み物と少しだけど焼き菓子を入れておいたよ。合流したら一緒にお食べ」

ラッドが中をちらりと見ればふわりと優しいバターの香り。特製のマドレーヌだ。嗅いでしまったら最後、すぐに食べてしまいたくなる。

仕事の後ということもあって、ラッドの腹が盛大に鳴った。

「おやおや、仕方ないね。ドラゴンナイトは体が資本だよ。一つ食べて行きな」

「ありがとうございますっ!」

ラッドはマドレーヌを口にすると時間も惜しくて走り出した。

「こぉら!食べながら走るんじゃないよ!!」

シェイラの咎める声はどこ吹く風。シェイラに向かって手を振るとすぐさま相棒の火竜、シークの待つ地上へと出る。

「シーク、行くぞ!」

シークが一鳴きして返事をすれば、橙の混じったようなシークの赤い鱗がルビーの宝石のように煌めく。

シークに飛び乗って足のジョイントを着け、すぐさまシークは飛び立った。

ドラゴンのスピードは速い。フロル山までもあっという間に到着する。

緑豊かで色とりどりの花は目にも楽しく、ゆったりと飛びながらバーロンを探す。

「おーい、バーロン!」

と、その時。ここに生息する動物達の悲鳴が上がった。

「……なんだ?!」

続けて聞こえたのはドラゴンのものらしき咆哮。

野生のドラゴンが狂暴化したか?いや、フロル山は登山客にも人気のスポット。狂暴化する前に発見、保護できるはず。

ではドラケイオスのドラゴンか?今までの出没地からは大分北であるが、そんなことがあるのだろうか。

考えはまとまらないが、シークは声のする方へ急旋回。

「バーロン!無事なのか!!バーロン!!」

必死になってラッドはバーロンを呼び続けた。嫌な予感がして冷たい汗が流れる。

無事でいてくれ、間に合ってくれ…

その願いも虚しく、再び聞こえたのはバーロンの悲鳴だった。

「バーロン!!どこだ!」

声のする方へ、なおもスピードを上げるシーク。

やがてたどり着いた時、目にしたのはドラゴニアのドレイク種よりも五倍ほど、頭から尾までの全長が三十メートル以上はあろうかという巨大な黒いドラゴン。血肉で育った毒竜の特徴である禍々しい色。脚には不可解な黄色の縞模様がある。

血に塗れた口は何かを食っているように動いている。その足元には、胸から下を失ったバーロンの亡骸。

ラッドは全身の毛が逆立つのを感じた。

剣を構え、ドラゴンの首に一直線に向かう。

ドラゴンは体に比べ首が細いため、一番の弱点なのだ。

しかし。ラッド達に気づいた敵が毒のブレスを吹き掛けてくる。その時に、首にドラケイオスの紋章飾りが光った。

やはりドラケイオスの悪竜。四本足に翼、信じられぬ大きさだがドレイク種だろう。

咄嗟にブレスを避けるシーク、同時に炎を吐き出して威嚇するが、体の大きさが違いすぎて効果はない。

ならば、と。

「シーク、奴の背に回るぞ。まずは尾を落とす」

ラッドの指示通り、巨竜の背に回り込むシーク。ラッドは素早く足のジョイントを外し、巨竜の背に乗った。尾まで走り、剣を振るう。通常のドレイク種なら難なく落とせたはず。尾を落とせば飛べなくなるか、飛べたとしてもバランスが崩れ隙ができる。

しかし、太過ぎる尾は完全には切断出来ない。

痛みに雄叫びを上げる巨竜、震える空気。遂には翼で飛び立つ。

「くっ!」

シークが上空に回り込みあらんかぎりの炎を吹いた。

毒霧と炎の応酬に、兜を置いてきたことを悔やまれる。しかも火竜は竜毒に弱く不利だ。

しかしこんな化け物級を逃がすわけにはいかない。

「シーク!」

呼ぶと同時に巨竜から飛び降りるラッド。それをシークが背でキャッチし、再び上昇。ところが、巨竜が大口を開けて迫ってくる。

ならば、口を裂くように切りつける方が早い。毒霧は呼吸を止めて耐えてみせる。

そう判断して、ラッドは剣を構えた。

しかし、敵の大きな口に生成される雷の魂に目を疑う。

ばかな。

巨体すぎるが、毒特性のドレイク種、毒竜で間違いない。

なのに、雷球を生成するのは雷竜の特性。

まさか二つの特性を持っている?そんなの聞いたことない。

頭は整理がつかないが、あの雷をくらったら命はない。

巨竜が雷球を吐き出すと同時に、シークは脇に避ける。雷は木々を一瞬にして焦がし、あたりに焼けた臭いが漂った。

もう一度口を開ける巨竜。パチリと静電気のような音に、再び雷を生成しているのだと分かる。

だとしたら迷っている暇はない。

大口を開けているその喉に、猛スピードで突進し剣を突き刺すラッド。足のジョイントを外してシークから一旦離れると、できる限り大きく斬りつけて傷を大きくする。

しかし口が大きすぎた。喉に突き刺した剣を抜く前に、巨竜は口を閉じてしまう。

まずい。

そう思ったが、離れるのが一瞬遅かった。

鎧が砕け、体に巨竜の牙が食い込む。喉を負傷させたおかげでラッドを噛み切るところまではいかないが、毒竜は唾液にも毒を有する。

ドラゴンナイトは竜毒に対して耐性があるとはいえ、完全ではない。

体のあちこちに痛みが走り、血が噴き出るのが分かる。

そして即効性の毒らしく、徐々に体の力が奪われていった。

そんなラッドを救出するべく、シークが巨竜に噛みつく。

「シーク!よせ!!」

毒竜の血液の毒成分。噛みつけば、それがシークの体内にも入り込むため、ラッドはシークを制止した。

しかしシークは噛みついたその状態で炎を吹く。

巨竜の悲鳴がこだました。

そのおかげで巨竜の口からラッドが滑り落ち、シークが背に乗せる。

巨竜はなおも倒れず、しかし撤退するように、ふらふらと飛んで去ろうとしていた。

毒に侵されたラッドとシークも、倒れるのは時間の問題。ラッドはシークとともにバーロンの亡骸の元へと降り立つ。

間に合わなかった。胸をかきむしられるような悔しさに、涙が溢れるラッド。亡骸を抱えようとするも、半身を失ったバーロンさえ抱えることができない。

手足は震え視界はみるみる赤く染まり、いつ動かなくなるかもわからない。それでも、このまま亡骸を放ってはおけなかった。あの巨竜に致命傷を与えたわけではない。また戻ってくる可能性はおおいにある。

そうしたらバーロンは、骨一つ残らず喰われてしまうのではないか。

そんなことさせない。

力の入らぬ腕で、ラッドは予備の剣を抜いて振り上げる。涙で視界が霞むのを堪え、残りの力を振り絞った。

彼の首を落として両の腕で抱え、朦朧とした意識の中ラッドは帰ったのだった。



「バーロンの亡骸ももうないとなると、やはりその巨大なドラゴンは生きていると考えた方が良いのだろうか」

「アッソロー山脈の方まで行った調査隊の報告を待たないと、なんとも言えないだろうな」

「ではその報告待ちということか。調査隊は大丈夫なんだろうな。その巨竜に出くわしたら」

「だとしても手負いのはず。むしろ息の根を止める好機だろう」

経緯を話し終えて、ショーウンとナデシコの会話を黙って聞くラッド。

悪夢であったならよかった。しかし現実バーロンは死んでしまった。後悔しかない。そしてあの巨竜を倒せなかったことに情けなさが募る。

「ラッド。あんまり気落ちするとケガの回復に障るぞ」

ショーウンからそう励ましの言葉をもらうも、現場に来ればありありと現実がみえてしまう。

「……プラチナクラスを返上することってできたっけ」

そうラッドが呟くと、後頭部を拳で殴られた。

「馬鹿をいうな。そんなことをお前に望むやつなんかいない」

拳の主はナデシコ。手加減というものを知らぬ女。そう言って彼女は潰れたバスケットをラッドに押し付けた。

シェイラが持たせてくれたもの。いつの間に手を離したのか、記憶は全くない。中のマドレーヌはボロボロにつぶれているが、まだ優しい香りが漂う。

気持ちの整理が、まだ付けられないでいるラッド。それを見て、また涙が込み上げた。

「ちょっとちょと先輩方。毒サンプルの採取終わりましたよ。それとあっち。その巨竜の足跡見つけました」

ライの声の方へ、ナデシコとショーウンは小走りに向かう。

ラッドはこっそりと目元を拭った。

ライの見つけた足跡は、ラッドの見立て通り通常の五倍ほど。

その大きさに一行は眉を寄せる。

「……こりゃ、馬鹿でかいな」

ナデシコは溜息を吐いた。

「これで剣が通るのか?」

そう聞いたのはショーウン。

「口の中は、一応。鱗と表皮はさすがに硬かった」

「あと、奴の負傷の程度は?」

「シークが噛みついた時に火傷を負ったはず。場所は左後ろ脚から、広くて腹にかけて」

思い出しながら話すラッド。

本来のドレイク種であれば、ラッドとシークのコンビならほぼ瞬殺できるはずのもの。

それが全身に傷を負う始末。強い竜毒のせいもあって治りも非常に悪い。シークも竜毒に侵され療養中だ。

「……さて、ここでの調査はもう終わりにしときましょうよ。ラッドさんもまだ竜毒が治ってませんし」

ライの言葉で一行は撤収の準備を始める。

ラッドはそよそよと穏やかに吹く風の匂いを嗅いだ。血と焦げた匂いが混じり合い、命からがらの戦いを体が思い出して身震いする。恐怖ではない。奥歯を噛んで心裡で誓いを立てる。

次は必ず仕留める、と。



一躍英雄となったのはククール・レンカン。

暴れ狂うドラゴンを相手に、的確な弓を射たことと類いまれなる乗馬技術によるためだ。

カンセルギ港に駐在する憲兵や騎士団の騎兵隊は、ククールの取り付けた鐙を奪い合うようにして調べている。そしてあれやこれやの質問攻め。

舌長鐙、という東の方から伝わったとされる鐙なのであるが、ドラゴニアの者にとっては珍しいのだという。

ドラゴンに乗っていたドラケイオスの男も憲兵によって連行され、ようやく解放されたククールはレイとフィンの元へと合流する。

そしてフィンが手を負傷しているらしいことを知った。

「フィン、どうしたんだ?」

「凍傷になりかけているみたいだ」

ククールの問いに答えたのはレイ。手当は騎兵隊の救護班がしていた。

「凍傷?」

「あれ」

レイの言葉の通りにその方向をみれば、凍てついて真っ二つに折れた剣。

切り口が凍っていたのは見えたが、剣が折れていたのをククールは今知った。

どういうことかという疑問に対してはフィンが説明してくれる。

「ディアンの作った試作品だったんだけどな。この辺りにはドラゴンは来られないから、代わりに氷竜のブレスを武器に込められないかって。けど、刀身が冷気に耐えられなかったみたいだ」

ディアンの作ったものと聞いてまたククールは驚いた。剣を拾って見てみるが、一体仕組みはどうなっていたのか。

「…けどこれじゃまだ使えない。フルパワーで使ったらただの使い捨てだ」

ディアンの奴め、と付け足して舌打ちするフィン。責めることではないと思うのだが、まあ、兄弟間のことなので黙っておく。

「けど、武器に込めたブレスの威力はドラゴンに通用する。毒竜との戦いには氷竜のブレスは欠かせないからね。改良の余地はまだまだあるけど、光は見えたといっていいと思うよ」

苦笑いしながらすかさずフォローを入れるレイ。フィンと同じ年と言っていたが、大人の気遣いのできる人間のようにククールには思えた。

「もしかして俺が手伝うのってこういう武器開発の手伝い?」

ククールがそのことに気づいて口に出すと、フィンとレイが不思議そうに顔を見合わせた。

「…ククール、お前。ディアンなんかの手伝いでいいのか?」

なんかとはまた…。きれいな顔してフィンは口が悪い。

しかしそれは置いておいて、ククールはフィンがなぜそう言うのかが不可解であった。

「え?なんで?どういうこと?」

そう聞くと今度はレイがククールの乗っていた馬を見ながら話す。

「あれだけの騎馬技術と弓の腕。武器の開発なんかじゃもったいない。騎兵隊とか憲兵とかの方がよくない?」

「そう……か?」

確かに皆のあの馬術ではドラゴン相手にするには心細い。というのが正直なところ。

しかしククールとしては氷のブレスを吹く剣にも大いに興味がある。武芸好きの人間はえてして刀剣好きでもあるのだ。

なにより、入団二十歳といわれているのに十八で入るのも難しいのではなかろうか。

「まあ、ともかくさ。騎兵隊にしろ憲兵にしろ、十八歳がはいるなら国王陛下の許可が必要だ。ククールも、希望するなら推薦状書くから考えておくといいよ」

そう続くフィンの言葉。

国王の許可が必要…そうなのか、と思いながら、ククールは港の現状に目を向けた。

力の強いドラゴンに立て続けに襲われては人々の心も折れるだろう。一体これからこの港はどうするのか。

そんなことを考えていると、フィンとレイが話し合いを始める。

初めに口を開いたのはフィン。

「…港はまずは封鎖するべ方がいい。そしてヒューゲルグ付近の村まで人民を避難させないと」

「あぁ。それと、他の港も同様だ。竜ー馬引継ぎ線のところまで内陸に移らせないと」

「ドラゴンナイトの巡回範囲も広げないといけない。それから、ドラケイオスの出現があった時の情報伝達の方法も考え直さないと」

ぶつぶつと話し合う二人の会話を密かに聞きつつ、ククールは息絶えたドラゴンの元へと歩み寄る。人間にとって脅威の存在であることに違いはないのだが、乗っていた人間はどういうつもりなのか。人をいたぶり笑い声を上げていた男。

目の前のドラゴンも、結局は利用されただけなのだと思うとククールは静かに合掌したのだった。



ドラケイオス帝国は大陸でつながっているドラゴニア王国と違い、平均気温が低いという問題がある。

それは大陸北東に位置する氷の大陸のためだ。氷の大陸は海流によって氷が削られ、また海流によってドラグーホン大陸東に漂着する。そのため辺りは温度が下がり、年間を通して気温があまり上がらない。ドラグーホン大陸西側には活火山がいくつか存在し、地中はマグマで熱せられ比較的温暖な気候になっている。

その違いが、国の形成に大きく関わっていた。

気温が低ければ栽培できる作物は限られる。作物が育たず、食糧が不足すればすなわち人民間で争いが起こるのは必至。また植物が少なければ自然と、野生のドラゴンは凶暴化しやすくもなる。人々がドラゴンの脅威と戦の繰り返しで疲弊しきってしまう前に、帝国はある政策を掲げた。

それが、ドラゴニア王国の侵略である。

温暖な気候、豊富な食糧。それらを我が物にしようという共通の目的を掲げることで、敵はドラゴニアであるという認識を植え付けた。

それを実行する兵器としてドラケイオス帝国はドラゴンをより狂暴、より獰猛に育てている。

そんなドラケイオスには皇帝に二人の息子がいた。長子、ニリ。二十五歳。精神に重い障がいがあり、未だに幼子のような振る舞いをする純朴な青年である。

次子、ファルクス。推定十八歳。容姿と武芸の才能に恵まれているものの表情に乏しく、いつも翳りを帯びた顔色をしていた。

それも無理はない。ファルクスは養子。赤ん坊の頃にどこぞの奴隷商人から買われて来たのだ。そのため実年齢が不詳。

奴隷から皇子といえば聞こえは良いが、実際は奴隷出身として蔑まれる日々。高官を狙う貴族達には目の敵にされ、養父であるはずの皇帝は実子のニリのみを溺愛し、ファルクスは道具同然の扱い。

では何故買われたのか。噂ではニリが黒髪の赤ん坊の人形を可愛がり、父親が本物を贈ったという経緯があったと聞く。

そんないきさつもありファルクスはただの傀儡。味方はいないのだ。

今日とて自分が育て上げたドラゴンが一頭、重傷を負って帰ってきたことで散々な嫌味を浴びてきたところ。

自分のドラゴンがドラゴニア侵攻の一番槍、功労者ともなれば自分の評価は変わるかもしれない。

ただそれだけを目標に、新種のドラゴンを人工的に作る研究に身を投じて早八年。ようやく実を結ぶかに思われた巨大なポイズンアンドサンダードレイク。通称Z23。

喉には大きな刺し傷、尾は切断されかけている。脚から腹にかけては大火傷。息も荒く体が上下していた。

そんなドラゴンの尾を、ファルクスは優しく撫でる。

ドラゴンは兵器。使い物にならなくなった役立たずは捨てるがこの国のルール。

しかしファルクスはそこまで非情になり切れない。

ドラゴン用の薬なんてこの国にないので、馬用の薬をファルクスは丁寧に塗ってやる。

ぐるる、と苦しそうな声に胸が痛んだ。ドラゴンの体が大きすぎて、薬が大量に必要になる。それでもこのドラゴンを捨てることができす、ファルクスが追加の薬を取りに行こうとした時だった。

「おいファルクス」

高圧的に声をかけてきた男が一人。

ファルクスは返事の代わりに彼を睨みつける。険悪な空気にZ23が大きく唸った。

「なに無駄なことをしてんだよ。さっさとほかのドラゴンの餌にしちまえ」

「ゲルリオ……」

男の名はゲルリオ・デュスター。皇帝の甥で、一応はファルクスの従兄に当たる。

ニタニタしながら人の顔を覗き込んでくるその様に、ファルクスは嫌悪感を覚えた。

いちいち嫌な言葉を使ってくるところも気に障る。ファルクスはそれを隠そうともしないで、ゲルリオの横を通り過ぎようとした。

無視されたことは意にも介さず、ゲルリオはファルクスの肩に手を置く。

「ところでよ、ゲスバーディが帰って来てねえ」

ゲスバーディはお偉い貴族の子息の遊び人でゲルリオとも親友に近い間柄。一応親の威光もあって軍所属になっているが、真剣に武芸の嗜みのあるファルクスと違って武器は遊び程度にしか使えない。そしてやたらとドラゴンに乗りたがり、ファルクスが手塩にかけているドラゴンを窃盗同然に乗って行ってしまう。そうでなくても、気に入らないドラゴンをドラゴニアに向けて放ってしまい、帰って来なくなってしまったドラゴンも多い。

だから、帰って来ないと知ったところで知らんという心境である。

「……どこかに行ったのか?」

ゲスバーディの安否は心底どうでも良い。どうでもよくないのはドラゴン。

「ドラゴニアのカンセルギ港まで遊びに行ったきりだ」

「またドラゴンを盗んだのか?」

「どうせドラゴニアを攻撃するための兵器なんだ。お前のドラゴンじゃねえ、国のもんだ。だから貴族様が使ったっていいだろ」

良くない。まだまだ研究途中のドラゴン達だ。ゲスバーディはつい先日もカンセルギ港を攻撃しに行ってH50を負傷させてきたばかり。

大体、ドラゴンに乗って襲ってくるなんて、相手の警戒心を煽るだけ。いざ本当の侵攻の時に妨げになる。

「弱っちんじゃねえのか?」

その言葉にカッとなり、ファルクスはゲルリオの胸倉を掴んだ。

「弱いだと?海が苦手なドレイク種が、海の上を飛べるようになるまでどれだけ苦労したと思っているんだ?!」

「だからよ。海を渡れるんだ。楽しくなっちまうんだろ?」

あきれてものも言えないファルクス。

何を言っても無駄なのだろう。

殴りたい。しかし殴ったところで余計に自分の立場が悪くなるだけなのは明白。

拳をぎゅっと握って、ファルクスはその場を離れようとする。

それをまたもゲルリオが制止した。

「なあ、迎えに行ってこいや」

「……」

何故俺が。

と言いたい。言いたいが、ドラゴンは心配だ。

「分かった…」

結局、いいように使われる。

そんな日常に辟易するファルクスだった。



「だ――かーらっ!おりゃ何も知らねえよ」

そうわめき散らす男は、ドラゴンに乗ったドラケイオスの兵士でありながら何も知らぬの一点張り。

カンセルギ港を襲撃した犯人であり、連行した後に憲兵や騎士団の騎兵隊も取り調べをしたが、どうにも話が進まない。そればかりか、立場というものを弁えず平然と取調官をおちょくってくるので、ただただ怒りの感情に支配されただけで終わる。

なので本来管轄ではないが、敵がドラゴンに乗っていたことを踏まえて騎竜隊のフィンとレイも取り調べをすることになったのである。

ちなみにククールは正規の団員ではないので外していた。

「おい、下衆。いい加減にしろ。海を渡れるドレイク種が何故生まれているか、それしか聞いてないんだぞ」

「オレは下衆じゃねえ。ゲスバーディーだよ」

「名前なんかどうでもいい!」

取り調べの机を強く叩くフィン。凍傷がヒリヒリと痛むが、それすら気にならないほど、腹立たしい。

「おぉこわ」

手枷があっても大袈裟に肩を竦めるゲスバーディー。

さらにはフィンに向かって、

「てかアンタ男かい?随分可愛い顔してんな。お、そうだ、アンタがチューしてくれたらなんか思い出すかもな!ヒャハハ!」

などと笑ってほざくものだから、フィンのこめかみには血管が浮く。

「……てめえっ!その下品で軽薄な金髪、毛根から引きはがしてやろうか…!」

「フィン、落ち着きなよ」

そう言いつつも、レイの握ったペンからはミシミシと不穏な音。

冷静になれ、とフィンは大きく息を吐く。

頭ごなしに何言っても無駄、ならば。押してダメならなんとやら。

そう思い直して、

「そうか。知らないか。そりゃ知らないよな。こんなあほみたいな男に、国の重要機密なんか渡したりできないよなぁ」

フィンは何度も大げさに溜息を吐く。

「ああん?!」

ゲスバーディがつられたところでレイも、

「悪かった。知らないなんてこと、聞かなくても顔を見たら分かることだった」

と言ってこちらも溜息を吐く。

「んだと?!あのなあ、俺様はドラケイオスの貴族様だぞ⁇」

その割に品性というものが欠片も感じられない。喚くゲスバーディに辟易しながらも、今度はにっこりと笑うレイ。

「じゃあ、ドラケイオスのドラゴンについて知っているのか?そう言うからには何か知っていらっしゃいますよね?貴族様」

フィンとしてはまさか食いつくとは思っていなかった。レイとアイコンタクトを交わし、焦るな、と自分に言い聞かせる。

「おうよ。ドラゴンの特性操作なら、今はファルクスってやつがメインでやってるぜ。こいつがまあイケすかねえ奴でよお!!そういえばこの間!…あぁ、なんだっけ?」

本気で忘れていそうなそのバカっぷりに、フィンとレイはガックリと気を落とすばかり。しかしすぐさま気を取り直し、

「ドレイク種が海を渡れるのは?何故なんだ?何故なのでしょうか?」

レイはこめかみをおさえながら問う。

いい掛けた言葉は察するに私怨。ゲスバーディ個人の恨み言まで聞いてやるつもりはないのだ。

「あ?そんなん、なんでかは知らねえ」

鼻をほじりながらゲスバーディは机に脚を乗せる。

なんと態度の悪い奴!

ホントに貴族なのか疑わしい。

再び拳を震わせるフィンだったがここで、憲兵の女性が皿にケーキを持って入室してきた。

「これ、ゲスバーディ様に差し入れです。気が利きませんで、大変失礼致しました」

「おぉ!なんだよ、話の分かる奴いるじゃねえの!!」

ケーキ作戦が功を奏したようで、ゲスバーディはまた上機嫌。

機嫌の良いうちに、フィンが再び尋ねる。

「毒と雷、二つの特性を持った大型のドラゴンは?知っており、ま、す、か?」

苛立ちからスムーズに言葉が出て来ないが、何とか声を絞り出した。

ラッドの意識が戻ってから、巨竜の情報は漏れなく伝わっていた。この目で見ないことにはにわかには信じられないという声もあったが、嘘を吐くような人間ではないこともまた知られている。

バーロンを喰ったという憎いドラゴンだ。情報が欲しい。

またしても知らぬと言われるかと思いきや、ケーキを頬張りながらゲスバーディはおう、と答えた。無意識にフィンとレイは身を乗り出す。

「Z23から25だろ?お偉いさんが随分と気に入ってたぜぇ。怖くて目の前に出れねえくせしてよ」

ひゃははとゲスバーディは笑うが、フィン達にとっては笑えない情報だった。

ラッドが一騎とはいえ、瀕死のケガを負わされた相手。

それが、ほかに二頭。

フィンはレイと顔を見合わせる。

「ほかに知っていることは?」

「なあ、今日って飯は何が出る?」

ケーキで満足したのか、ゲスバーディは大きな欠伸までしている。今はこれ以上の情報を引き出すのは無理と判断し、フィン達はひとまず取り調べを終えた。記録を騎士団本部のある城下に運ぶのは騎兵隊に任せ、フィン達はククールの元へと戻る。

ククールは取り調べの間憲兵に騎馬の指南をしていたらしく、彼の周りには人だかり。

フィン達に気づくと、彼は小走りにやって来た。

「フィンにレイ、取り調べどうだった?」

「……むかついた」

「へ?」

横柄な態度、言葉遣い、顔、どれをとっても苛立つ要素しかなかった。それを知らないククールは苦笑い。

短い言葉とへの字に曲げた口で苛立ちを表すフィンに対し、レイがフォローを入れる。

「重要事項を把握している兵士というわけではなかったみたいだよ」

「そうなのか」

残念そうに溜息を吐くククール。

フィンは続けて報告をする。

「けど、バーロンさんを襲った大型のドラゴンは少なくとも三頭はいるらしいことはわかった」

「三頭?!」

その三頭を、ドラケイオスはどう使ってくるか。ドラゴンナイトのフィンとしても気は抜けない。

できること、やるべきことを確実にこなしていかなければ。

「そういえばククール、荷物はどうだった?」

ドラケイオスの襲撃に遭ってあやふやになっていたが、彼の本来の目的はそれであったはずだとフィンは思い出した。

「あぁ。剣以外は受け取れた。剣は多分盗まれたらしいんだけどさ。窃盗犯を見つけて取り返したら連絡くれるって憲兵の人が言ってた」

その割に浮かない顔をしているククール。

「……なあ、それってちゃんと戻ってくるのか?」

盗まれたものは戻ってこない。そういう先入観があるのだろうか。それともドラゴンとの戦い方を見て信用できないのか、いずれにしてもククールは疑っているようだった。

フィンは、

「ああ。盗みとか殺しの犯人捜しなら憲兵は優秀だ」

そう言って安心させてやる。

国防は騎士団、治安維持は憲兵。

戦いよりも犯罪捜索の方が憲兵の本分だからだ。国外に流出するようなことにでもならない限り、たいていの盗品は戻ってくる。

「そっか。よかった!」

そう言って笑うククールに、レイが尋ねる。

「ククールって剣も使えるの?」

「ああ。剣と弓のほかにもさ、槍に戟、棒、鏈、斧、鎚。東の方で武芸八般っていわれているものは一通り」

武芸八般。ドラゴニアでは一般的ではないが、東の方からの移民者の間では有名だった。

そうフィンが思い返していると、レイも同じことを考えていたらしい。

「騎士団にもそれの達人いるよ」

「え?そうなの?!」

意外、とばかりに驚き、ククールは目を輝かせた。

「うん。チューエン・リンていう方なんだけど」

その人の名前が出たなら、フィンとて黙っていられない。

「すごい人なんだぞ。騎士団最強ナンバーワン!」

「へえ」

「ラッド兄さんが最年少プラチナクラスに昇格する前は、チューエン様が最年少記録だったんだ」

「……おう」

つい鼻息荒く、かの方の強さすごさを強調してしまうが、どうやら引かれたらしい。

レイにはクスクス笑われるわでフィンは咳払いを一つ、一旦冷静さを取り戻してククールに伺いを立てた。

「あのさ、ククール。この後ヒューゲルグまで戻ったら北のサンクル山方面に寄っていいか?」

「山?」

「山の手前の森。シェイラおばさんにお土産。いつもご飯招待してくれるし、ケーキもお裾分けくれるから。あそこ、果物とか木の実がいっぱいなんだよ。美味いのがいっぱい獲れる」

「おぉ。いいな。俺も手伝っていい?」

「言われなくても手伝わせる」

「だよな」

ククールはそう言いながら笑いながら、ヒューゲルグまで戻るべく荷物を馬に括りつけていた。

その様子を見て、フィンは試しにあることを頼んでみる。

「なぁ、ちょっと俺を乗せた状態でさ。馬で全速力出してみてくれないか?」

しかしククールが返事する前に、

「やめた方がいいんじゃない?」

とレイに一蹴されてしまう。

「けどな、ドラゴンなしじゃ戦えませんなんて言ってる場合じゃなくなって来ただろ?」

「まあ、それは確かに」

レイにそう力説して納得させる。

ククールはといえば、

「じゃ、本当に全力出すからな」

と悪戯めいて目を細めた。

「僕もできる限りついていってみるよ」

レイはなんだかんだと乗り気で馬に股がっている。

ククールの全速力とやら、下さえ見なければなんとか、フィンは堪えることができたのだった。

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