真島愛梨
真島愛梨は誰からも好かれていた。明るくて社交的で羽振りが良くて、有名人の知り合いもいて、それでいて美人であった――
そんな真島愛梨の頭の中は深く物事を考えていない。
ただ、澤田俊樹と一緒に登下校をする。好きなアニメや漫画の話をする。それが真島愛梨にとって幸せであったと今更ながら気がついた。
誰かと付き合うということをただの友達作りと同じレベルで考えていた。
それが澤田俊樹の心を痛めつけていたなんて思いもしなかった。
本人に悪意も善意もない――
手ひどく振った元カレが暴走して襲われそうになっても真島愛梨の身内が処分する。
女子生徒たちは真島愛梨に彼氏を奪われたとしても、何も言えない。
真島愛梨の周りは不幸な事故が多かった。
そんな真島愛梨はこの小休憩の時間、教室でみんなから責められている。
真島愛梨は興味を持った人以外は無関心だ。クラスメイトは生きているだけの置物。その程度の認識であった。
保健室で玲香と接した時、真島愛梨の中にあった米粒ほどの良心が膨れ上がった。
真島愛梨の生い立ちを考えると、そんな心があった事が奇跡に近い。全ては隣に俊樹が居たからだ。真島愛梨もそれを本能的に理解している。
「おい、俺の事好きじゃなかったのかよ!! なあ愛梨ちゃん、なんとか言えって!!」
「あんたがいなかったら私達はずっと幸せだったのに!!」
「ねえ、愛梨ちゃんのせいで私みんなから笑い者になったんだよ」
「あんたのせいで虐められたのよ……」
罪悪感というものは頭で理解していた。だが、真島愛梨はそれを経験したことがない。
頭が空っぽだからだ。空っぽの頭に詰められていたのは父親の教えと、俊樹の事だけ。
俊樹のおかげでかろうじて悪いことした、と理解している。
真島愛梨は男子生徒、田代からほっぺたをひっぱたかれながら考えていた。
暴力は人の心を殺す。特に幼い頃に受けた暴力は。
真島愛梨の親子関係の異常性。
異常な真島愛梨に残ったもの。それは俊樹だけであった。
なぜなら、父親は真島愛梨を捨てた。保健室に出た時にメッセージが来ていた。
『愛梨ちゃん、もう真島の姓を名乗らないでね。勘当したから娘じゃないよ。バイバイ』
この瞬間、真島愛梨は全てをなくした。家族も家もクラスメイトも仕事もお手伝いさんも権力も、SNSの力も――
最高幹部の妾の娘、そんな理由でアンダーグラウンドファイト執行役員の座に着いていた真島愛梨。真島愛梨の心に反して頭脳は優秀であった。その自由な発想で行われるイベント戦は視聴者に人気を博していた。が、周りの大人たちはいい顔をしていなかった。
真島愛梨は罵声を浴びせられながら考える。空っぽな頭じゃない。
なぜ自分をここで捨てたのか? なぜ今まで捨てられなかったのか? なぜ自分が攻撃対象にされるのか?
父親による強制的な英才教育を受けた真島愛梨。アンバランスな真島愛梨。
俊樹によって目を覚ました真島は瞬時に答えを導き出した。
「あっ、トシ君なんだ」
真島愛梨は自分という存在自体が、澤田俊樹にとって『害悪』だと言うことに気がついてしまった。理由はわからないが、澤田俊樹が恨まれているという事を理解した。
何をしても澤田俊樹を苦しめるだけに生きている真島愛梨。10年間という重みから逃れられない。
真島愛梨が澤田俊樹の目の前で死んだら、俊樹は死ぬほど後悔するだろう。
俊樹と恋人同士になったとしても、幸せの絶頂の時に父親の手によって最悪な不幸が起こる。今ここで攻撃対象にされているのも澤田俊樹を不快な気持ちにさせるためだ、と真島愛梨は推測した。
どうあがいても幸せになれない運命だ。
その時、初めて真島愛梨は悲しいという感情を知ってしまった。
それと同時に、今まで澤田俊樹から受けた優しさ、思い出が一気に浮かび上がる。
『愛梨ちゃん、あのアニメみたよ! すごく面白かったね』
『もう、愛梨ちゃんまた宿題忘れたの? あとで見せてあげるね』
『うん、大丈夫、明日は一緒に帰ろうね』
『そうそう、これ愛梨ちゃんにあげるよ。猫ちゃん好きって言ってたもんね』
『……愛梨ちゃんが……誰を好きになってもそばにいるよ』
真島愛梨の目から涙が流れる。
人としての感情というものをやっと理解した。
自分の過ちを理解した。俊樹を苦しめていた事を理解した。
これが、この十数秒の間にたどり着いた答え。
真島愛梨の意識が教室へ戻る。悪いことした、と理解した。
頭の中にある色んな事例に当てはめて、この暴力はやりすぎだと判断した。
「ごめんね。私が悪かったもんね……でも、これ以上は殴らないで欲しいな。だって、トシ君が悲しんじゃうから」
その言葉にアンダーグラウンドファイターである田代が激昂し、周りの女子生徒たちは騒ぎ立てる。彼らは真島愛梨が力を失った事を知っている。アンダーグラウンドサイトのトップページに真島愛梨についての動画があったからだ。
それに謝罪は意味がなさない。ただ有名人だった人気者を自分の過剰な正義で叩き潰したいだけだ。
田代が再度平手打ちをしようとした時、真島愛梨がそっと動いた。
「私、暴力は嫌いなんだ。……ひどい事したけど、これ以上殴られるとトシ君が心配しちゃう……。これ以上トシ君を傷つけたくないの」
真島愛梨はずっと暴力を受けていた。それは父親からであり、死んだ母からであり、本妻からであり、お手伝いからでもあり――身内全てからであった。
生まれてからこれまで、真島愛梨の人生は壮絶であった。
心が壊れるくらいで済んで良かったと思える。
真島愛梨は泣いていた。
わけも分からず涙が出た今朝と違う。本気の涙だ。
悲しそうなフリをしても、嘘泣きしても、悲しい事なんて一度もなかった。
それなのに彼女は泣いている。自分が生まれてきた事に後悔していた。
俊樹に迷惑をかけて後悔をしていた。
真島愛梨は最小限の動作でビンタを躱す。
なぜなら暴力は日常茶飯事であった。時には対抗しないと殺されていた。
見様見真似で覚えた身体の動き。
「避けてんじゃねえよ!! この糞ビッチが!!」
よろけた田代が再びビンタを試みようとした。が、叫び声を上げたのは田代の方であった。
真島愛梨はただビンタと止めようとした。机の上にあったボールペンで――
田代の手のひらはボールペンが突き刺さっていた。
田代の悲鳴が真島愛梨には遠くの出来事に感じられる。
真島愛梨は今だに壊れている。何かで突き刺されたことなんて日常茶飯事。肉体的な痛みなんて麻痺している。ただ、心の痛みを思い出しただけだ。
「……もうすぐ授業が始まるよ。みんな席に戻ってね。話があるなら後で聞くからね!」
淡々とクラスメイトに告げる真島愛梨。
クラスメイトたちは真島愛梨の雰囲気に飲まれてしまった。
その時、教室にはいち早く駆けつけた澤田俊樹が現れた。
澤田は教室の異様な雰囲気を感じ取る。
どの生徒にも目もくれずに真島愛梨に近づく。
「愛梨ちゃん……、大丈夫? 何があったの?」
真島愛梨の心がキュッと苦しくなった。澤田俊樹を心配させている。暴力を振るわれたとわかったら悲しませる。涙を拭いて笑顔を向ける。
「ううん、みんなで遊んでただけだよ! ほら、トシ君、昼休みに会う約束でしょ? へへ、今日はカフェテリアで食べたいな」
真島愛梨は俊樹の背中を押して教室の外へと押し出そうとする。
真島愛梨は思った。俊樹は真島愛梨の恋心は友達としての好意と言っていた。
――トシ君は相変わらず鈍感だもんね。へへ、目が覚めたけど……やっぱりトシ君の事……大好きだよ。
澤田俊樹に向ける感情は本物であった。壊れていった心の唯一の支えは澤田俊樹への想いだけ。
もう、二度と、澤田俊樹と苦しませたくない。
真島愛梨はその恋心を罪悪感と後悔とともに表に出すつもりは無かった。
平静を装っているが、真島愛梨の心の中は荒れ狂っていた。自分のせいで大好きな澤田俊樹が苦しむ。抑えきれない想いが真島の身体を蝕む。
それは、どんな痛みにも耐えた真島愛梨が耐えきれない程の苦しみであった――
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