それでも幼馴染
「さて、ここは盗撮も盗聴もされない。俺の城だ。そこのソファーにかけたまえ」
生徒会室に入ると、リー先輩は肩に羽織っていた制服を投げ飛ばす。
雰囲気が一気に柔らかくなった……。
そしてソファーに深く座る。ソファーは一つしかない。……と、隣に座るのか?
「い、いや、立ったままでいいです。それで、俺と平塚先輩は――」
リー先輩は手で俺を制した。
「みなまで言うな。お前らの拳の語り合いは存分と見ている。学校側からは特に何も言うつもりはない」
「え? じゃあなんでここに……?」
リー先輩は大きなため息を吐いた。
「聞きたい事があるのは本当だ。……君はアンダーグラウンド関係者から恨みでも買われたのか?」
「いえ、まったく身に覚えがないです」
「……そうか、だがな、君はどうやら運営の幹部から睨まれているんだ。俺が平塚君に君のお父さんの事を言ったのは運営の指示だ。理由は知らん、というか俺は上には逆らえん」
「…………」
「運営から睨まれている事も問題だが……、君の一番の問題は真島愛梨と対立している事だ」
「へ?」
思わず変な声が出た。まさか真島さんの事が出てくるとは思わなかった。
「君は教室で孤立しているだろ? ……あれは真島愛梨のせいだ」
「真島さんのせい?」
「正確には真島愛梨が指示しているわけではなく、真島愛梨を称えている奴らが勝手にやっているだけだ。真島愛梨自体は天然の人たらしなだけで、悪意というものがない。ち、ちなみにさっきのは演技だからな! べ、別に好きじゃないからな」
「別に否定しなくてもいいですよ。……言いたいことはわかります、子供みたいに遊んで虫を殺すというか……」
「……そうだ、そして君が真島愛梨に絶縁を叩きつけてあの子は更に悪い方向に変わっていく。しかも、彼女の父親はアンダーグラウンドファイト運営の最高幹部の一人だ……。正直、あの子自体がアンダーグラウンド内部で大きな力を持っている。俺が君と戦えと言われたらそうするしか無いだろう」
父親がアンダーグラウンドファイトの最高幹部? 愛梨ちゃんのお父さんを見たことがない。お母さんは小さい頃に亡くなったって聞いた。
だけど、俺は目が覚めたんだ。親が幹部だろうと関係ない。
もう二度と真島さんと関わりたくない。
リー先輩は言いづらそうな顔をしている。
「それで、君に頼みがある。……真島愛梨と……よりを戻してもらいたい。付き合えと言っているわけではない、友達として彼女とまた仲良くしてほしいんだ」
俺は絶句した。まさかこんな形で仲を取り持たれるとは思わなかった。
それもリー先輩と俺は今日始めて会った仲だ。早川が言うならまだわかる。
「それは無理です。俺は十年間の想いを捨てて真島さんと離れたんです。……いままでずっと辛かったのが、やっと初めて楽になったんです」
「それはわかるが――」
「わかるわけありません」
そう、俺は真島さんと十年間ずっと一緒にいた。自分の心を殺してずっとずっと真島さんの応援をしていたんだ。どんな時も真島さんを優先して、どんな時も真島さんを受け入れて、どんな時も真島さんだけを好きだった。
リー先輩は俺に頭を下げていた。プライドが高いと有名なリー先輩。そんな人が俺に頭を下げる。……嫌な気持ちだ。
「頼む、澤田。このままだと真島愛梨がファイターを使って何をするか予想もつかない。俺の好きなアンダーグラウンドファイトが狂ってしまう――それに、澤田だけじゃない、お前の友達が危険になるだろう……」
友達が危険? まっさきに思い浮かんだのは玲香の顔であった。次に早川たちを思い浮かべる。
時折真島さんからの視線を感じていた。睨みつけるような嫌な視線であった。
「随分勝手ですね……」
「すまん、俺は馬鹿だからジークンドーしかできん。こんな事くらいしか思い浮かばん」
「……一発殴っていいですか?」
「それで君の気が済むのなら」
俺に向かっていたと思っていた視線。……もし、それが玲香に向けられていたら? 漠然とした不安が胸に広がる。俺はリー先輩の言葉に何もも言い返せないでいた。
どんな風に教室に帰ったか覚えていない。
リー先輩との会話の後、俺は玲香のことが心配になって電話を入れた。
『あれれ? 俊樹どうしたの? 今授業中じゃない?』
『ううん、ちょっと心配になっただけだよ』
『あははっ、今は親父と一緒にいるよ! みんな元気にしてるよ』
『そっか……変な人とかいなかったよね?』
『変な人? うーん、今朝ずっと私を付けていたヤツがいたけど、途中でいなくなったよ。尾行が慣れてない感じで下手だったね。親父関連かなって思ったけど――』
俺はその後、当たり障りのない会話をして玲香との電話を切った。
玲香の周りは特殊な環境だけど……玲香は普通の女の子だ。もしも玲香に何かあったら?
教室にいるとクラスメイトから悪意を向けられる。
真島さんの影響か……。
俺は授業中だけど、立ち上がり先生に調子が悪いと言って早退をした。
そして、その足で玲香がいる基地へと向かった。
************
昨日は何事もなく玲香を迎える事が出来た。
そして、俺は昨夜、玲香に俺の考えと意志を伝えた。
あまり眠っていない。もう学校へ行く時間だ。
「玲香、今日は一緒に登校できなくてごめんね」
「うん、仕方ないよ……」
朝の準備を終えた俺たちは家を出ようとしていた。
いつもどおりの朝ではない。
「あのさ、これプレゼント。この前のデートの時にあげようと思ったんだけど……平野君に邪魔されちゃってね」
俺は玄関前で玲香に熊さんのキーホールダーを手渡した。
玲香は嬉しそうに受け取る。だけど、その顔も直ぐに曇ってしまった。
「ありがと……、大事にするね……」
玲香の喜ぶ姿を見ると、俺は嬉しくなる。曇った顔を見ると悲しくなる。……こんな風に想えることって本当は素敵な事なんだ。
「うん、じゃあ先に行くね」
「う、うん……、そっか、また後でね!」
俺は玄関の扉を開けた。
そこには真島さん……が立っていた。
「トシ君!! やっと一緒に登校できるね!! えへへっ、今日からずっと一緒だよ」
俺は何も言わずに家を出ていった。
後ろを振り返りたくなかった。今はまだ玲香の顔を見れない。
こわばった顔を無理やり笑顔にして、俺は歩き出した。
「それでね、立花先生が私にケーキ奢ってくれたんだよ。あっ、トシ君嫉妬してる? 大丈夫だって、立花先生の事も好きだけど、トシ君が一番だもん」
「ああ、そうだね」
多分、こうしているのが一番正解なんだろうな。リー先輩が言ったとおり、前みたいに真島さんと一緒にいる事。
真島さんは俺の隣にいて、俺以外の好きな人の事を楽しそうに話す。
歪な関係の俺たち。
ふと、俺は思った。真島さんの家族の事を何も知らない。あの大きな家に真島さんは一人で住んでいる。お手伝いさんをたまに見かけるだけだ。
俺は本当に知らない事だらけだ。
真島さんの他愛もない話を聞きながら学校へと登校する。
周りの生徒たちの視線の質が変わっていた。
ああ、これが真島さんの影響力なんだって実感した。
それでもクラスメイトから向けられる視線の質はあまり変わっていない。
校門に近づくとリー先輩立っていた。
俺を見て頭を下げている。
……殴っていいんですよね? 覚悟してください。
「あっ、今度旅行行くんでしょ? むむぅ、私も付いていくからね! トシ君は玲香ちゃんの事お気に入りだもんね。でもわかってるもん、トシ君は絶対私の元に戻ってくるって」
「玲香ちゃん? なんで真島さんが玲香の事を親しそうに言うんだ?」
「うん? トシ君怒っちゃった? へへ、トシ君のものは私のものだもん。玲香ちゃんにもちょっとは優しくしなきゃね」
俺たちの後ろには玲香と早川たちがいる。
声と気配でわかる。戸惑った様子が手にとるようにわかる。
「……ねえ、愛梨ちゃん」
「なあに、トシ君! やっと愛梨ちゃんって呼んでくれたね」
愛梨ちゃんは普通じゃない。彼女の過去に何が起こったか俺は知らない。
だけど、俺たちはずっと一緒にいた幼馴染だ。
どんな事があっても突き放しちゃ駄目だったんだ。もう関係ないって言っちゃ駄目だったんだ。
なぜなら俺たちは壊れていたんだ。もっと深く話さなきゃいけなかったんだ。嫌な事はいやって言わなきゃいけなかったんだ。
俺だけ癒やされてまともになっちゃ駄目だ。
俺は愛梨ちゃんの肩にそっと手を置く――
「わぁーー!! トシ君、恥ずかしいよ!! へへ、そうそう、トシ君には私が必要だから――」
リー先輩が言ったように、愛梨ちゃんと昔みたいな関係に戻れば平穏な暮らしに戻る。
そんなものは歪な関係だ。幼馴染でも友達でもない。だから、俺は決断した。
愛梨ちゃんと向き合うって――
俺は優しく身体を離して愛梨ちゃんに俺の気持ちを伝える。
「――もう二度と突き放さないよ。……愛梨ちゃんは俺の幼馴染だもん。……でもね、俺、好きな人出来たんだ。――玲香の事が大好きなんだ」
「え、で、でも、私の事、す、好きでしょ? 別にトシ君に好きな人がいても私は構わないもん!! ねえそうでしょ!!」
やっぱりおかしいよ……。憎しみよりも悲しみが生まれてくる。愛梨ちゃんはどんな人生を歩んで来たんだ? こんなの絶対おかしいって!!!
愛梨ちゃんは周りの生徒たちに同意を求めるように叫んだ。
生徒たちの足が止まる。
半べそかいた愛梨ちゃんの姿を見ると、俺の感情がぐちゃぐちゃになる。
何故か泣きそうになっていた。
でも、俺は決めたんだ。
「愛梨ちゃん……、好きっていう感情の種類が違うんだよ。俺は玲香の事を愛している。愛梨ちゃんの好きは……、幼馴染として、友達としての好きだろ? ……わかるんだ、俺もそうだったから」
「でも、でも!! 私、わかんないよ!! なんでそんな意地悪言うの? 私、トシ君も大事だし、みんな大好きなんだもん!」
俺は愛梨ちゃんの肩を強く掴んだ。愛梨ちゃんに向かって初めて大きな声を上げた――
「違うんだよ、愛梨ちゃん!! 俺たちはおかしかったんだよ……、ねえ、愛梨ちゃん、今までと同じ関係にはなれないけど……俺と一緒に普通になろ?」
「ふ、つう? 私、普通じゃなかったの? だって、みんな私を肯定する、もん。トシ君、私おかしいの? あれ? なんで、こわいよ、怖いよ、やだ、やめて、痛いのいや……。わ、たし、トシ君の事、好きじゃないと……」
その時、愛梨ちゃんの周りに人が集まってきた。
他のクラスの子もいれば愛梨ちゃんのクラスの子もいる、うちのクラスメイトも大勢いた。
「真島さん、大丈夫? 嫌な事言われたの?」
「愛梨ちゃん、こんなヤツ放って置いて一緒に行こ」
「おい、犯罪者が愛梨ちゃんに近づくんじゃねえよ」
「お前いじめてんのか? このクズ野郎が!!」
うちのクラスの山田が俺の胸ぐらを掴んできた。
玲香たちが俺に駆け寄ろうとしたが、俺は首を振った。
リー先輩が駆け寄ってくる。
「おい、お前ら離れろ! 暴力をしたら俺が許さんぞ。……澤田、一体どういう事だ? お前らは元通りの関係に戻るんじゃないのか? そうしないとアンダーグラウンドファイト内部派閥の力関係が……。狂った真島愛梨は暴走するぞ」
リー先輩は他の生徒に聞こえないように俺に小声で言ってきた。
俺のシャツを強く掴んでいる。
本当に自分勝手な人だ。他人の事を考えていない。
「ねえ、リー先輩。確か一発ぶん殴っていいんですよね? お互いの了承があるってことで……腹に力入れてください」
「はっ?」
密着している俺たちに隙間は数センチしかない。――十分だ。
全身の身体の筋肉とバネと回転力を使って俺は拳を腹に撃ち抜いた。
『ワンインチパンチ』とも言われる技だ。
リー先輩は目玉を飛び出しながら吹き飛んでいった。悲鳴を上げる暇もない。今のは本気に近い一撃。
周囲のざわめきが困惑へと変わる。
無駄に強い握力の持ち主のリー先輩は、吹き飛んだ時に俺のワイシャツを引き裂いた。
俺は愛梨ちゃんにつきまとっている奴らに吠える――
「わかってないのはお前らの方だ! 十年間一緒にいた俺でさえ愛梨ちゃんの事がわかんなかったんだよ!! 部外者は俺たちの前から消えろっ!!!!」
愛梨ちゃんにつきまとっている奴らの身体が震えている。口をパクパクさせているだけで言葉が出ていない。当たり前だ、本当の暴力の恐怖を知らないからだ。
俺はこの十年間、愛梨ちゃんとちゃんと向き合わなかった。おかしさに気がついていたのに。
幼馴染だから向き合わなきゃ駄目だったんだ。
――かろうじて意識があるリー先輩に告げる。
「アンダーグラウンドファイト? 危険が迫る? 愛梨ちゃんの親が幹部? そんなもの俺には関係ない!! 俺は愛梨ちゃんの駄目な幼馴染だ!! これから、愛梨ちゃんを普通の女の子に戻す。――それにね……、俺は怒っているんだ。お前らは、玲香をね……、攫おうとしたよね? だから――」
俺の声が一段低くなる。俺にとって一番大切な人を傷つけようとした。
絶対にそれを許せない――
俺は周囲を見渡した。生徒たちは威圧によって震えて動けないでいた。
「――その喧嘩、買ってやるよ」
頭を抱えて座り込んでいる愛梨ちゃんに近づいた。
俺は愛梨ちゃんを子供のように抱きしめてあげる。
喧嘩したら仲直りすればいい。そんな簡単な問題じゃない。だけど、普通の事だ。そんな普通の事さえ俺たちは知らない。
「ねえ、愛梨ちゃん、俺とちゃんと友達になろうよ」
「え、あ、トシ君、わ、私……、トシ君の事、好き、に、なれって、言われて……。あ、トシ君は幼馴染で――」
「うん、俺たちは幼馴染だよ。ほら、保健室行こ」
「う、ん……」
俺たちのぼそばに玲香たちが近寄る。
玲香は放心した愛梨ちゃんを支える。
俺たちは保健室へと向かった……。
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