平野聡
俺、平野聡に友達なんて出来たのは中学のあの時以来だろう。
あの頃は妹も元気で、親友の将暉がいた。
ボクシング部の俺と将暉は必死に練習に明け暮れていた。
俺と将暉と妹、三人で過ごす時間が俺の人生で一番輝いていた時であった。
さっきまで一緒にトレーニングをしていた早川は将暉そっくりだ。顔が似てるわけじゃねえ。弱っちい雰囲気が似ているんだ。
顔は将暉の方がイケメンだけど、将暉の面影を見つけようとする俺がいた。
「……楓。お兄ちゃん、頑張ってるぞ。お前も頑張るんだぞ。……将暉、お前に似た馬鹿野郎を見つけたぞ。お前が起きたら一緒に遊びに行こうぜ」
早川のバイトの時間が迫り、俺たちは別れた。俺はその足であいつらがいる病院へと向かった。
病院の一室には妹と将暉がずっと寝ている。キレイな寝顔であった。
将暉と妹の楓はお互いの事を好き合っていた。俺は生まれつきサイコパスで恋愛感情なんてものがわからなかった。人の痛みも好意も怒りもわからなかった。
だけど、二人が居てくれたから俺は段々と人の感情がわかるようになっていた。
楽しくて笑って、喧嘩して怒って、仲直りして喜んで――
そんな妹たちは交通事故にあった。将暉と一緒に帰っている時であった。
俺はその場にいなかった。
あの時、俺は部室に忘れ物があったから取りに帰ったんだ。
あの時、俺が戻らなければ。俺が将暉と出会ってなければ。俺が生まれてなければ――
事故があった時、自分が居なかった事が悔しくてたまらない。
将暉と俺は友達でもなんでも無かった。あいつはクラスでいじめられていた。感情が薄い俺はそんな事どうでも良かった。
将暉がボクシング部に入部して、必死で頑張っている姿を見て、俺は将暉に興味を持った。
初めは気まぐれだったと思う。
だけど、あいつと接していくうちに……自分の中で芽生えていく感情に戸惑った。
将暉は俺にとって初めての友達となった――
『なあ、サトシ! 今日も遊ぼうぜ!』
あいつの口癖だ。いつも一緒にいる癖に、遊ぼうぜ、と言ってくる。
いつの間にか俺もその口癖が移ってしまった。
二人は病室で一緒に眠り続けたままだ。俺は生まれて始めて涙というものを知った。悲しいという感情が初めてわかった。
こんなに苦しい感情だなんて思わなかった。
それでも、この感情を捨てたくない。将暉と妹が作ってくれたモノだからだ。
手術をすれば意識が戻るかも知れない。病院代だけで家計が圧迫されていた。貧乏な家だから保険なんて大層なものは入っていない。
俺は必死でバイトをしながらボクシングを続けた。ボクシングをしてチャンピオンになるとしてもあと数年も必要だ。
金が無いのが苦しい。俺の中で生まれた感情が俺を壊そうとする。
そんな時、俺は交通事故の加害者が誰かわかった。
ボクシングの大会前だったが、そんなものどうでも良かった。
交通事故を起こした加害者は無免許のクズ野郎だった。殺そうと思って殴り込んだが逆に返り討ちにされた。天才ボクサーと言われた自分が負けるとは思わなかった。
クズ野郎が俺に名刺を置いて立ち去る。その名刺にはアンダーグラウンドファイトの運営側の連絡先が書いてあった。
俺は、金のために戦う。
あいつらの病院代と手術代を稼ぐために戦う。
俺の身体なんてどうでもいい。俺の人生なんてどうでもいい。俺の大切な人を――どうか……。
将暉と妹の楓が安らかな顔で寝息を立てている。
ここに来ると時間が経つのを忘れる。そういや、早川をここで何度も見たことあんな。
看護師に聞いたら親御さんが病気と言ってた。
……教室でいじめられてる事といい、将暉そっくりじゃねえかよ。
俺は二人の顔を見ながら運営から届いたメッセージを思い返す。
『澤田俊樹と戦えば三つ星に昇格とする――』
俺は自嘲するように笑った。
妹はいつも俺に言っていた。『お兄ちゃんは世界で一番かっこいいんだから素敵な彼女つれてきてね!』『うーん、いつまで経っても彼女出来ないね。え? 好きっていう感情がわからない?』『大丈夫、お兄ちゃんが好きになる人ならきっと素敵だよ』
坂下を見た時、初めて感じた恋心。
どうしようも無くテンパって頭が働かなかった。
もうこんな感情は坂下以外の誰にも感じないと思う。それほど強烈だった。
話した事もないのに変だよな? 将暉も楓の事をこんな風に思っていたのか?
わりいな、お前らが寝ているのに俺だけ幸せになっちゃ駄目だろ。
別に付き合わなくてもいい。ただ、俺の事を嫌いにならずにほんの少しだけ話してくれるだけでいい。坂下の事を考えると胸がドキドキするんだ。
……だけど、俺にそんな資格はない。二人を差し置いて幸せな気持ちに浸っちゃいけねえ。
――俺は金を稼ぐ。
稼がなきゃいけねえんだよ。だから、早川……すまねえ、お前の友達と喧嘩するぜ。
俺は昔のように感情を切り離して病院の廊下を歩き出した。
今俺の心にあるのは、将暉と楓の事だけであった――
***************
「おう、澤田俊樹、待ってたぞ。これつけろや」
グローブを澤田に放り投げた。
俺は夜になるまで澤田を待った。早川からあいつの予定を聞いていた。
澤田の隣には綺麗に着飾った坂下がいた。
坂下を見ると俺の胸が高鳴りそうになる。だが、今の俺は感情を殺したアンダーグラウンドファイターだ。この胸が痛くなる感情を消すんだ。
この勝負に勝てば一気に三つ星ランカーに昇給できる。そうなればファイトマネーと動画収入が跳ね上がる。――昔の俺に戻るんだ。
平塚と戦った動画を見てこいつの動きはわかった。こいつは打撃よりもグラップラーに近いやつだ。平塚のホールドから逃げる技術が凄まじかった。
打撃は重いだけで遅い。ボクサーとは勝負にならない。
灯りが照らされている街の大通りのど真ん中。
予め呼んでおいた運営がそこら中に配置している。多角的に動画を撮影するだろう。
少し離れた噴水のベンチには平塚の野郎が偉そうに座ってやがった。
あの隠れオタクが……『将軍』なんて名前使って解説してんじゃねえよ。
澤田は俺が現れても微塵も動揺していなかった。何も言ってねえのに俺の戦意を感じ取ってやがる。無言でグローブをはめていた。
坂下に至っては澤田の背中を押していた。ははっ、見せつけてくれるじゃねえかよ。
誰かが澤田に向かって走り寄ってきた。アルバイトの制服を着ている早川であった。
……なんでここにいる? バイトじゃねえのかよ。
「俊樹!? け、喧嘩はやめような? な? わ、わかんねえけど、なんか理由あるんじゃんねえか? おい、平野! なんか言い訳言えよ!!!!!!!!!!!!!」
俺は運営に合図をする。すると、運営は早川の身体を掴んで後ろに下げた。
最後くらいいいよな。多分、お前は俺の事幻滅すると思うしな。
「……また、あそぼうぜ……」
「おい、平野!! 平野ってばよ!! こ、こいつら……、さ、澤田!! 頼む……、平野を、平野を止めてくれ!!」
早川の叫びが合図となった。
ボクサーの最速の武器である『ジャブ』。最高峰の技である『ステップ』。その二つを組み合わせた攻撃は格闘技のプロでさえ避けるのが困難な技だ。しかも俺のジャブは変則的な『フリッカージャブ』だ。
ましてや経験が少ない澤田は食らう事しか出来ないだろう。
俺のジャブが澤田の顔面を捉える。
……苦しまないように一瞬で終わらせる。
澤田は俺から離れた。
明らかにボクシングの構えであった。身体を小刻みに揺らしている。あいつは変なシステマとかいう格闘技じゃないのか?
ボクシングなら俺が負けるはずない。
俺はステップインをして一瞬で距離を詰める。ジャブから始まるコンビネーション。
「――ぐっ!?」
強烈なジャブが俺の顔面に突き刺さる。全身に鳥肌が立つ。ジャブの威力じゃない。これ以上食らうのは危険だ。
一瞬で数発のパンチを放ち合う俺と澤田。
いくつものフェイントを織り交ぜ、フックとアッパーを組み合わせる。強烈なジョルトが決まった。ダメ押しの『心臓打ち』をあわせた。
が、澤田は倒れもしない。なんだこいつは? 俺のフィニッシュブローだぞ?
「澤田ーー!!! 平野は普通のボクサーじゃねえ、オールラウンダーのボクサーだ!! アウトもインとスイッチもなんでもできる天才だ!!! 平野ーー!!! 澤田は予備動作がねえから早えんだよ!!! それにこいつはヘビー級だ! お前よりも重いんだよ!!」
ははっ、あいつ何いってんだ? 俺はお前の友達を殴ってんだぞ? なんで、俺の応援もしてんだ――
戦いの最中なのに俺は変な感情に包まれる。病室で寝ている将暉を思い出す。
ずっと、自分は不幸だと思っていた。自分のせいであいつらが不幸になったと思っていた。
アウトボックスに切り替えて技で翻弄する。
そう思った時、澤田の姿が消えた――
俺の懐の飛び込んだ澤田が強烈な肝臓打ちを繰り出す。
骨が砕ける音が聞こえた。
返すカタナで俺のこめかみにフックを放つ。ブロックした俺の腕が吹き飛ばされた。一瞬、意識が飛んだ。だが、次のパンチで意識が強制的に戻った。
澤田は八の字を描きながら俺の迎撃を避けつつ、カウンターパンチを放つ――
くそっ、マジかよ、デンプシーなんて初めて見たぜ。
アドレナリンでも痛みが中和されねえ。痛いなんてもんじゃねえ。鉄で殴られてる気分だ。
だけど、自然と笑みがこぼれ落ちる。
ボクシングで負けそうになるのは将暉と戦った時ぶりじゃねえかよ。
俺は久しぶりにボクシングをしてんだな。
あの日以来、まともにボクシングを出来なかった。よくわからねえ格闘家と対戦する日々。
俺はボクシングをしたかった。
――将暉と一緒にボクシングがしたかった……。
走馬灯のように将暉と楓と俺の三人で過ごした日々が頭に駆け巡る。
俺は、また、あいつらと、一緒に――
一緒に過ごすんだよ……
苦し紛れに高速フリッカージャブを放った。澤田が後ろへと下がる。
苦しい、体中が痛い、もう倒れてもいいんじゃねえかって思える。
まだだ、俺はまだ戦える、まだボクシングができる。
動かない左手を下げて、右手に力をすべて集中させる。
『サトシ、右ストレートって難しいね。サトシのストレートは最強だよね』
ああ、そうだ、俺のストレートは最強だ。
誰にも負けねえ。
俺が勝たないとアイツラが戻ってこないんだ!!!!!
澤田は俺の息が整う数秒待っていた。
「来いよ……これで決めてやる」
澤田の身体が動く。俺は澤田が拳を放つ前にストレートを放つ。
完璧なフォームだった。将暉と何度も何度も繰り返し練習したストレート。絶対不可避の一撃。
俺の拳が澤田の顔面を捉える――
だが、澤田は顔面で俺のストレートを受け止めた。微動だにしなかった。そして、俺にストレートと放った。
天地が逆さまになった。何が起こったかわからなかった。気がついたら地面に倒れていた。
起き上がろうとしても足が動かない。手で支えようとしても力が入らない。
まだ、だ、俺は、金が、あいつらを――ボクシングを……、
ふと、誰かが泣いている声が聞こえた。
身体を抱きかかえられていた。
「ば、馬鹿野郎!!! け、喧嘩なんてしてんじゃねえよ。もう立つんじゃねえ」
早川がボロボロに泣いて俺を支えていた。
はっ……、なんで坂下じゃ、なくてお前なんだよ。声も出ねえよ。
「おい、笑ったまま気絶してんじゃねえっての!!」
負けちまったけど、スッキリしたな……。金はどうにかすりゃいいか……。このバカヅラみたら気が抜けた。
俺は段々と意識が、遠く、なって――
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