恋の軽さ


「おい、俊樹、この動画見ろよ。これやばくね?」


 放課後の時間、早川がうちのクラスにやって来て玲香と三人で雑談をしていた。

 掃除当番で残っている中島さんを待っているからだ。

 格闘技オタクの早川がなにやら動画を見せてきた。


 そこに映っていたのは平塚先輩がムキムキ外国人と戦っている姿であった。


「この動画は会員サービスに入会しなきゃ見れねえんだよ。アンダーグラウンドファイトってやつで、正式な大会じゃなくてさ。裏で賭けもやってるって噂だけど、これ超人気あるんだぜ。しかもリングじゃなくて路上で戦う事もあって超やばいぞ」



 動画の中の平塚先輩は相手選手を寝技に持ち込み後ろから首を締めていた。

 平塚先輩の動きを見るとかなりの実力者だと言うことがわかる。

 玲香が興味なさそうにそれを見る。


「てか髪の毛掴んでるわね。反則じゃないの? うーん、ちょっと筋力足りてないわよ」


「はっ? 何いってんだよ!? 外国人選手相手に瞬殺だぜ? 先輩超やばいな……、ヤンキーだったっていう噂もあるけど、あそこの人気ファイターは芸能人並に超モテんだよ!! 俊樹はどう思う?」


「あんまり興味ないよ。暴力は好きじゃないし……」


 愛梨ちゃんは暴力が大嫌いだった。

 それなのに愛梨ちゃんが好きになる男はいつもヤンキーだったりちょい悪男だったり、暴力的な男ばかりであった。

 ……もしかして嘘つかれていたのかな? 


「そんな事より今日はアイス食べに行くからね。早川だっけ? あんたも来ていいわよ」

「はっ? と、俊樹の幼馴染だからって偉そうじゃねえかよ!? お、俺は俊樹と出会って一年だけどマブダチなんだよ!! 俊樹は俺の方が好きだ!!」

「聞き捨てならないわね。私は毎年俊樹に会えるのを超楽しみにしてたのよ!! 子供の頃の俊樹は私と一緒にお風呂を――」

「うっせ、俺だって俊樹とサウナ一緒に入って、大きさを比べ――」


 二人は途中で喋るのをやめた。視線は教室の入口の方を向けていた。


 そこには愛梨ちゃんがいた。愛梨ちゃんの横には友達のヒカリさんが困った顔をしている。

 俺と目があった愛梨ちゃんは小走りで駆け寄ってきた。


「えへへ、トシ君。……あのね、一昨日は冷たくしてごめんね。……色々あって自分の中で処理しきれなくて……。あっ、お詫びに今日は私がアイスおごるからさ、いつもみたいに一緒に帰ろ」


 愛梨ちゃんの笑顔はとても可愛かった。俺が大好きだった愛梨ちゃんの笑顔。

 だけど、少しおかしいよね? 

 もう俺と会いたくないって言っていたよね? 二度と話しかけて来ないでねって言ったよね? 俺は頑張って忘れようとしたんだ。

 君はなんでそんなに普通なんだ?

 仲直りするとかっていうレベルの話じゃない。俺の十年分の想いを投げ捨てて、やっと前を向こうと決めたんだ。


 愛梨ちゃんのこの軽さは一体なんなんだ?


 頭の中で疑問が渦巻く。愛情よりも嫌な気持ちが腹にズシンと重たく残る。玲香が眉間にシワを寄せて舌打ちしていたけど、愛梨ちゃんは玲香の存在を無視している。


「愛梨ちゃん、ごめん、今日はみんなと約束があるから無理だよ」


 それでも10年の呪縛は簡単に解けない。俺は愛梨ちゃんの前だと優しい男を演じようとする自分が嫌だ。

 やんわりと断ろうとしたが、愛梨ちゃんは俺の話を聞いてくれない。


「えーー、今日は絶対トシ君と帰りたいの……。絶対今日じゃなきゃ嫌なの……。ね、トシ君いいでしょ? あっ、昔みたいに手を繋いで帰ろっか?」


 愛梨ちゃんが俺の肩を柔らかく触ろうとする。前はあんなに嬉しかったのに……、なんだろう、今はすごく怖くて気持ち悪い。だって愛梨ちゃんはもう俺の事が嫌いなはずだ。家の前で出会った時の愛梨ちゃんの表情は印象的であった。


 愛梨ちゃん……、なんか焦っているの?

 なんだろう、いつもはこんなに早口じゃないのに……。

 それに気にしないようにしていたけど、愛梨ちゃんのほっぺたが少し腫れている……。


 10年間大好きだった。愛梨ちゃんがどんなにわがままでも大丈夫だった。彼氏が次々と変わろうが俺の気持ちは変わらなかった。

 だけどその想いはもう捨てたんだ。


 気になるけど、俺の出る幕じゃない。





 俺はもう一度愛梨ちゃんに断りを入れようとしたその時、教室で机をひっくり返したような激しい音が聞こえてきた。


「おい、愛梨……。なんでこの教室にいるんだよ。いつもの場所で待ってろって言っただろ?」


 平塚先輩がポケットに手を突っ込みながら倒れた机をガシガシと蹴りつける。

 教室に残っていたクラスメイトは驚きながらも動こうとしなかった。この前の理知的な印象と大違いだ。


「また幼馴染かよ……。はぁ、愛梨は俺と付き合う事になっただろ? なら他の男とは喋るな。今日はVIP席用意してんだよ。金かかってんだよ。大人しく付いてこいよ」


 平塚先輩は愛梨ちゃんに近づく。そんな威圧感は女の子に向けて出すものじゃない。

 なんだ、この人は?


 玲香が小声でぼそっと呟く。


平塚達也ひらつかたつや、アンダーグラウンドファイトの二つ星の2位。ブラジリアン柔術がメインだけどストライカーとしての実力もある選手。素行の悪さは折り紙付きで、気に入った女の子をクラブのVIP席で食いつぶすゲス野郎よ」


 俺はどうしていいかわからなかった。なんで愛梨ちゃんはいつも男の見る目がないんだ……。こんな事一度や二度じゃない……。日常茶飯事だ。


「愛梨ぃぃ――」


 平塚先輩が低い声で愛梨を呼ぶと、愛梨は真っ青になって立ち尽くす。

 そして、愛梨の髪を掴んで引っ張り上げた――


「い、痛っ!?」


 平塚先輩は周りの目を気にしていなかった。

 愛梨ちゃんの悲鳴が俺の胸に刺さる……。


 ……やっぱり駄目だ。どんなに嫌われていようが、ひどい言葉をかけられたとしても――

 暴力は許容できない。

 勝手に身体が動いていた。玲香が苦い顔をしていたけど仕方ない……。







「……おい、澤田、俺が優しいうちにその手を離せよ」


 俺は丸太みたいに太い平塚先輩の手を掴んだ――

 別に愛梨ちゃんのためじゃない。

 自分の気持ちがぐちゃぐちゃでわからない。

 陰キャな俺がこんな事をしたらおかしいと思われる。


 ……もうそんなのやめだ。陰キャとか大人しく過ごすとかどうでもいい。愛梨ちゃんに嫌われているとかどうでもいい。

 そもそも平塚先輩が俺の父さんの事を犯罪者扱いにしたのが発端だ。

 ふつふつと怒りが腹の底から浮き上がってきた。

 こんな感情久しぶりだ。

 勝手の言葉が出ていた。



「――父さんは犯罪者じゃない。正当防衛だ。訂正しろ。誰がそんな事を言ったんだ?」



 平塚先輩の顔が一層険しくなった。

 愛梨ちゃんの髪から手を離し、俺の胸ぐらを掴み上げる。


「おいっ? 陰キャが俺に喧嘩売ってるのか? おまえの親父の事なんてどうだっていいんだよ。雑魚は引っ込んでろ――」



 平塚先輩が俺を締め上げようとした時――――俺は全身の力を脱力させた。そして、腕の隙間を作り瞬間的に力を入れて平塚先輩の拘束から抜け出し後ろに回り込む。


 後ろから平塚先輩の頭を小馬鹿にするように叩く。

 パーンという小気味良い音が鳴り響いた。




 早川の呆けた声が聞こえてきた。

「ちょ、おま……、やめろって!? 身長は同じでも平塚先輩は八十キロ近くあるんだぞ! 死んじまう」

「なんだ俊樹と変わらないじゃん」

「はっ?」


 背中を向けている平塚先輩の身体がプルプルと震えていた。怒りを押し殺しているみたいだ。これで平塚先輩のヘイトは俺に集中する。



「もう一度だけ言う。父さんの事を訂正しろ」



 平塚先輩が振り向いた。


「てめえ、殺す――」


 平塚先輩はそう言いながらスマホを取り出し、誰かと連絡を取り合う。

『――今から野良試合するから後始末を頼む』

 それだけ言ってスマホを放り投げた。

 入り口を塞ぐように俺の前に立ちはだかる平塚先輩。


 緊張感に包まれる教室。そして、すぐに廊下から足音が聞こえてきた。多分平塚先輩が呼んだ誰かだ。

 扉を開ける音とともに平塚先輩が襲いかかってきた――






「死ね――」


 鋭いワンツースリーのコンビネーション。おじいちゃんのパンチに比べたら全然遅い。

 次の瞬間、平塚先輩の身体が消えた。

 フェイントからのタックル――


 俺は自然な動きで膝蹴りを顔面に突き刺す。ガキンッという骨が折れる音が響く――


 早川の震える声が聞こえてきた。


「はっ!? マジかよ!! パンチ見えねえだろ!! プロのボクサーでも平塚先輩のパンチ避けられねえんだぜ? それに膝蹴りのタイミングがマジやべえ……」


 平塚先輩は床に倒れ、呆然とした顔で俺を見る。

 自分の血を見て雰囲気が明らかに変わった。


「……かじってんのか。……プロなめんなよ」

「父さんの事を訂正しろ」


 立ち上がった平塚先輩は腰を落としてスタンスを広げながら身体を揺らす。

 さっきまであった隙が完全になくなった。

 だけど、そんなものどうでもいい。こいつは俺の家族の領域に首を突っ込んできた男だ。愛梨ちゃんの事はついでだ。


「おい、俊樹!! 絶対捕まるな!! こんな床で投げられたら死んじゃうぞ!! もう一度膝蹴りしろ!!」


 早川の声よりも早く、平塚先輩が一瞬で距離を詰めて俺の両肩を掴む。

 足をかけて俺を押し倒そうとする。


 その瞬間、俺は脱力した打撃を平塚先輩の胸から顔にめがけて流れるように2発放った。


 ――ストライクと呼ばれる俺の『健康法システマ』の打撃技。


 防具の上からでも打撃を効かせるその技の威力は、見た目よりもとんでもなく重い。……普通の人だったら骨が折れる。打撃が背中へ貫通した音を聞きながら、即座に腕の逆を取り顔面を蹴りつけようとした。


「ま、待つんだ君!! もう勝負はついた――」


 平塚先輩が呼んだ誰かが叫んだ。でもね、駄目なんだ。ほら、目が死んでない。油断したらこっちが死ぬんだよ。



「父さんの、事を、訂正しろっ!!!」



 容赦なく放った蹴りの衝撃で平塚先輩の肩が外れた。






 平塚先輩は胸を抑えながら荒い呼吸を続ける。鼻から血が止まらない。脳震盪も起こしているのか目が泳いでいた。意識があるだけすごい。

 俺は平塚先輩の謝罪の言葉を待つ。……いつまで経っても何も言わない。


「え、俊樹、それって喋れねえだけじゃね?? ていうかそれって合気道……いや違う、なんだその技は? 意味わかんねえだけど……、いや、まて、これってヤバくね? アンダーグラウンドの選手をぶちのめして……、でもあっちから喧嘩売ってきた証拠の動画もあるし……」


「当たり前っしょ。てか、俊樹……ちょい鈍ってるね」


 そう言いながらも玲香は嬉しそうに俺に向かって両手を突き出す。俺は玲香と手をバチンと叩き合わせた。

 なんだか妙に懐かしさがこみ上げてきた――




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