行かなくていい


 頭がうまく働かない。

 平塚先輩はクラスメイトに何かを言っていたような気がする。

 クラスメイトが俺に向かって何か暴言を吐いている気がする。


 平塚先輩は愛梨ちゃんに支えられて教室を去っていった。


 その時の俺を見る愛梨ちゃんの顔が、声が忘れられない。


「……なんで……なんで隠していたの……。ちょっとありえないよ……、それに先輩に暴力なんて……」


 嫌悪感を敵意をむき出しにした表情。俺は愛梨ちゃんのそんな顔を見たこと無かった。

 俺はいままで愛梨ちゃんの笑顔をみるためにどんな事だってしてきた。

 だけど、この瞬間、全て崩れ落ちた――






 無関心だったものが悪意へと変わる。

 俺に対する視線の質が確実に変わっていった。

 元々無関係だった生徒からの視線なんてどうでもいい。だけど、俺にも数人の友人がいたんだ。


「は、早川……」


「はっ? お前……、くそっ……」


 俺の唯一の男子生徒の友達である早川。

 愛梨と同じクラスで俺と同じ趣味を持つ友達……。多分早川もあの噂を信じているんだろうな……。

 

 俺と早川は昨日までは――


『おい、俊樹〜、お前って真島さんにいつ告白するんだよ。ていうか、もう付き合ってんだろ? はっ? まだ? てめえ作戦会議すっぞ! 今日の放課後ネットカフェな!』


 笑顔で俺に問いかける早川。

 俺と同じ地味でおとなしくて……それでいて優しくて友達思いで……。


 そんな早川が俺を睨みつけている。やっぱり犯罪者の息子って言う噂を聞いたんだろう。


 俺は無言でその場を立ち去る事しか出来なかった。どこへ行っても視線から逃れられない。




 トボトボと廊下を歩いていると小さな女の子がすごい形相で俺を見ていた。


「……先輩、なんか変な噂広がってるけどさ。あれって本当なの?」


 この子は中島萌なかじまもえ。女子漫画研究部に所属している一学年下の女子生徒。

 随分前に中島さんが生徒手帳を落として一緒に探してあげた事がある。

 それ以来、廊下でちょくちょく出会って、その度に俺に文句を言ってくる子であった。

 文句を言いながらもアニメの話を楽しそうしている姿が印象的だ。


 そう言えば愛梨ちゃんは俺と中島さんが話しているとすぐに割り込んでくる。

 ……愛梨ちゃんの事を考えるのはやめよう。


 きっとこの子も俺の噂を聞いて軽蔑しているんだろう。

 なんだか少し疲れちゃった。


「ねえ、どんな噂なの?」


「……えっと……先輩が犯罪者の息子で、おとなしい顔して不良と付き合ってカツアゲしたり暴力振るっているって……。そ、それに真島先輩の弱みを握って近づいて……」


 ああ、そうか、噂って尾ひれが付いて周るんだ。

 ははっ、なんかそれだけ聞くと俺が凄く悪い男みたいに聞こえる。

 なんか少しだけ父さんの気持ちがわかったかも知れない。


「ちょ、先輩笑ってないで答えてよ!」


「もう俺と関わらない方がいいよ。……犯罪者の息子か……、間違ってないよ」


 俺の言葉を聞いた中島さんは一瞬だけど、驚愕の表情を浮かべた。

 それが全てを物語っている。いつも意地悪ばかりされていたけど、悪い気はしなかった。

 とても優しそうな子だと思っていた。


 もう俺に関わらない方がいい。

 中島さんが何か言っているが頭に入ってこなかった。

 俺は中島さんに背を向けて早退を伝えるために職員室へと向かった。







 生徒が誰もいない、いつもと違う下校時間。

 外の空気を吸って、少し落ち着いた俺は愛梨ちゃんに謝罪をしようメッセージアプリを開いた。

 ……何に謝罪なんだろう? 愛梨ちゃんの好きな人を押し倒した事? 俺が父さんの事を隠していた事? 

 なんだかよくわからなくなってきた。よくわからないまま『ごめん』とだけ送信をする。


「……既読つかない、か」


 その時、本当の意味で俺と愛梨ちゃんの立場を理解した。

 住んでいる世界が違うんだ。俺は犯罪者の息子で愛梨ちゃんはキラキラしている女の子だ。

 俺に敵意を向けた愛梨ちゃんは何も間違っていない。俺が勇気を出して初めから説明していれば……。

 怖かったんだ。俺の父さんの事を伝えて愛梨ちゃんが離れていくのか……。


 十年間大好きだった。だけど、好きって伝えられなかった。

 思い出が走馬灯のように頭によぎる。


『ていうかさ、トシ君って好きな人いないの?』

『え、あ、べ、別にいないよ』

『ふーん、じゃあさ、私が誰とも結婚出来なかったら一緒になろうか?』

『な、何いってんだよ。誰が愛梨ちゃんとなんて』

『トシ君、顔が赤くなってる〜。でも冗談じゃないよ?』

『え? で、でも』

『そうだ! 今度一緒にディスティニーランド行こうね!』

『ま、まあいいけどさ。じゃあ帰ろ? ――うわぁっ!? な、何してるの!?』

『何って、手を繋いでるだけじゃん? ほらほら帰ろ』


 あれ? なんでだろう? 涙が止まらない……。

 なんで俺泣いているんだろう? もう愛梨ちゃんに会えないから? 父さんが犯罪者って言われたから? 学校で一人ぼっちだから? わかんないよ。


 泣いちゃ駄目だ。おじいちゃんが心配しちゃう。それにおじいちゃんの友達に笑われちゃう。


 だから、俺は歯を食いしばって涙を堪えながら歩いた――





 *************




 昨夜は眠れなかった。おじいちゃんの前では平気なフリをしていたけど、一人になるといろんな感情が押し寄せて来る。

 寝不足で迎えた朝、俺はいつもどおりの時間で家を出てしまった。習慣というものは恐ろしい。

 俺は玄関を開けた瞬間、後悔をした。


 愛梨ちゃんがちょうど玄関から出てきたタイミングであった。

 図らずしも俺を目が合ってしまった愛梨ちゃん。

 ……これで最後でいい。俺は今まで隠していた事を直接謝ろう。


「え、愛梨ちゃん……」


 愛梨ちゃんの顔は怖かった。モノを見ているような目付きだ。

 それでも、最後にけじめを――

 愛梨ちゃんは俺が喋る前に口を開いた。


「……あのね、もう二度と話しかけて来ないでね。私はトシ君の事大好きだけど、流石にお父さんの件があったら……ね、わかるでしょ?」


「あっ……」


 愛梨ちゃんはそれだけ言って去っていった。凄く冷たいものを感じた。愛梨ちゃんは見えないナイフで俺の全身を切り刻んだ。

 わかっていた。もう二度と戻れないって。嫌な気持ちが胸の奥でぐちゃぐちゃに煮詰まっている。大好きって言われてもあんな冷たい顔で言われたくなかった。男として思われて無くても、愛梨ちゃんの好みである優しい男を目指していたんだ。


 どうしていいかわからない。でも泣いちゃ駄目だ。早く学校へ行かなきゃ。

 でも足が動かない。学校が怖くて仕方ない。みんなの視線が怖い。






 その時、肩に温かい大きな感触があった。


「…………行かなくていい」


 振り向くと、おじいちゃんが立っていた。熊のように大きなおじいちゃんは空を見ていた。

 大きな手の平が俺の肩を包む。

 おじいちゃんに心配かけないように平気な顔をしなきゃ。笑顔にならなきゃ。

 だけど――

 うまく顔が作れないよ。


「……今は泣いてもいい。泣くのはこれで最後にすればいい。泣き終わったら飯を食って寝ろ」


「う、う、うん……、う、うん……。ひ、ひ、ひっく……」


 自分の中の何かが壊れたような音が聞こえた。

 俺はその場に泣き崩れた……。

 俺が泣いている間も、肩から温かいぬくもりを感じた――





 

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