第9話 懐かしきヒト

 身体が暗闇に墜ちていく。抵抗する術はなかった。沈む身体を無理やり上に向ける。雲一つない群青が黒に閉じようとしていた。


 飲み込もうとする巨人の口をそうはさせまいと海堂は右手の指を鳴らす。右手に纏わせていた業火は既に消えていた。海堂は一度に複数の発火点をつくることができない。あまりに大きすぎて距離感のつかめない巨人の口。未確認生命体の体内に入るというイレギュラーな事態に無意識に揺らいでしまう炎のイメージ。ここが夢で海堂が夢のスペシャリストとはいえできることにも限界があった。


「ちくしょうっ!」


 右手の指を鳴らしても巨人の口が発火することはなかった。未確認生命体の口が閉じていき、海堂の視界全てが黒色に染まる。海堂は何回も指を鳴らして手当たり次第に発火できないかを試す。しかし徒労もむなしくすべてが不発に終わってしまう。


 焦る海堂は周囲の何もないはずの暗闇が自分に群がるようだと錯覚した。そんな不気味なイメージを振り払って視界を確保しようと右手に炎を纏わせ周囲を照らす。海堂に迫るぶきみなものはいなかった。炎の明かりを照り返す物体もまた存在しなかった。


 暗闇の中で浮いている海堂は自分が本当に落下しているのか疑問に思った。確かに体の身動きは取れない。身体をばたつかせようが這うことも立ち上がることさえもできなかった。青空の下で落下しているときに感じた浮遊感はなかった。自分を支えるもの、触れるものがないから浮いていると考える。これが夢であるからといえばそれまでであるが。


 海堂はこのままずっと何もできないまま宙に浮いているのではと良くない方向へ想像を働かせた。未確認生命体の体内だ。人間の想像を超える不可思議な現象が起こってもおかしくはない。海堂は少しだけでも周囲の情報を得ようと左手の指を鳴らす。海堂の上空に玄関扉が出現する。玄関扉は回転することもなく落ちることもなく空中に漂い続けている。まるで糸を吊り下げられているかのように。


「……まずいな。最悪だ」


 巨人に食われてしまってもまだ何とかなると海堂は思っていた。未確認生命体といえ生物。体内のどこかに着地さえできれば、そこから右手で発火させることができる。だが宙に漂ったままだと話は変わってくる。いつまでも底も壁も見えない暗い空中に漂ったままなら状況は好転しない。


 海堂はどうするべきか悩む。状況を打開する策が思いつかない。宙に浮いているだけなら逆に利用することで階段状に玄関扉を創造して空中階段を造り上に向かうことができる。しかしそれはあまりに楽観視しすぎていないだろうか。そのまま上に向かっても巨人の口に到達できるとは限らない。落ちた距離以上に開いている可能性もあるし、最悪出口がないかもしれない。それに加えて時間的な問題もある。悠長に階段を上り続けて時間が過ぎてしまい巨人が完全受肉すれば元も子もない。いくら考えを巡らせても必ず逆転できる一手が出てこない。


「上るしかない、か」


 好転するとは限らない。だが何もしないよりかはマシだと海堂は考えた。何かをしないと心がざわつく。ここはただの暗闇ではない。本来、人が居ていい場所じゃない。ここに居続けると自分が浮かべるイメージで自滅してしまいそうになる。少しずつ心が削られていく。


 海堂は左手の人差し指をくるりと回す。玄関扉が螺旋状に出現する。顔の高さに出現した玄関扉の螺旋階段を左手で掴み足を掛ける。


「よっと」


 引っかけたつま先から左膝を螺旋階段の上に乗せる。左半身を入れ込み膝立ちの体勢から立ち上がった。海堂はおそるおそる片足を階段から離してみる。身体が浮き上がるような不可思議な現象は起きなかった。ずっと空中にいたからか地に足がついたことに安堵のため息を吐いた。


「よし、行くか!」


 右手の炎を松明代わりに海堂は螺旋階段を駆け上がる。状況は未だ大きく変わらない。最悪ではないが下から数えた方が早いだろう。それでも海堂は絶望だけはしなかった。ここにいるのは自分一人だけではない。外にはお節介で詮索好きな頼りになる先輩がいるのだから。



「海堂君が食べられてしまいました……」


 早乙女は頬に手をやりつつ困ったことになったなと思った。長いこと未確認生命体の送還に携わってきたが相方が丸呑みにされるなんてアクシデントは初めての出来事であった。早乙女は後輩を食べた未確認生命体の姿を注視する。未確認生命体の姿が黒いナニカではなく白銀の鎧を着た巨人の姿に変貌しつつあった。


 早乙女は二つの選択肢を迫られていた。海堂の命と未確認生命体の送還、どちらかを選ばなければならなかった。海堂の火力ならいざ知らず早乙女の鳥の群れによる強襲では短時間のうちにあの巨人の送還は難しい。全力で臨んでも完全受肉するかしないかのぎりぎりのラインになるだろう。未確認生命体に致命傷を与えながら海堂を救う余裕は早乙女にはなかった。


 未確認生命体の体内入ったらどうなるのか。それは長年未確認生命体を相手にしてきた退魔局でも知りえないことだった。最悪の場合を想定して動いた方が退魔師として利口である。つまり海堂を見捨てるという選択肢だ。退魔師にとって遂行しなければならないのは未確認生命体の完全受肉。人の想像の中の怪物はたやすく人の想定を超える被害を出すだろう。それは絶対に避けなければいけないこと。だから早乙女が取れる選択肢は実質一つであった。


「まったく、世話のかかる後輩ですね」


 早乙女はため息を吐く。あれほど自分一人で出来ると豪語しながらこのような選択を強いてくるとはわざと困らせて先輩である自分を試しているつもりかと疑いたくもなった。取れる選択肢は一つだけ。早乙女の選択肢は最初から決まっていた。


「先輩の底力ってやつを見せてあげましょう」


 早乙女は目を瞑る。白銀の鎧を着た巨人との距離は今までの戦闘で掴めている。今この場にいるのは自分一人。生真面目だがどこか抜けている後輩はいない。早乙女はあの少年にこれを見せるのはまだ早いと思っていた。だからこれは海堂が知らない退魔局の技術。

 

 頭の中の雑念を消して真っ白な景色を思い浮かべる。自分だけの世界。自分が望むままに創造できる場所。その箱庭にこの夢の世界を落とし込む。どこまでも続く青い空、白い大地。降り注ぎ積もった岩の層。海堂が残した玄関扉の山脈。鳥の群れに白銀の鎧を纏った巨人。そして最後に自分自身。


 自分のいる場所を俯瞰する。チェスの駒を動かすように自身を巨人の近くの空中に置く。自身が落下しているイメージを第三者の視点で眺める。目を瞑る早乙女の足元が徐々に不安定になっていく。早乙女の体がぐらりと揺れる。地面の感覚がなくなって倒れこむ体勢になる。つま先と頭の高さが平行になるが地面に衝突することは無かった。目を開けると早乙女は空から巨人に向かって落下をしていた。


 うまくいったと早乙女はほくそ笑んだ。ここは夢の中、できることは無限にある。退魔局の捜査官は未確認生命体の夢の中で自身の存在を見失わないように、まず自身のイメージを強固にするための訓練を受ける。その訓練では頭の中で自分を俯瞰してつま先から髪の毛の先まですべてを把握する。夢の中で自身という存在が揺るがないようために。それが出来なければ未確認生命体との戦いの土俵にも立つことができない。早乙女が怪我一つなく夢の中に入れたのも自身のイメージを怪我によって崩すことがなかったからだ。


 だが早乙女はその訓練とは真逆のことを行った。自分ではなく世界を俯瞰し自身の存在を希薄にした。強固に形作られた自分のイメージをほつれさせ好きな位置にもう一度自分をイメージする。自分の存在を海堂の玄関扉や早乙女の鳥のように一から創造する無茶なやり方。一歩間違えれば自分の存在を見失って夢からはじき出される諸刃の剣。それを早乙女はやすやすとやってのけた。


「さあ、こじ開けましょうか!!」


 早乙女は勢いよく右腕を振り下ろす。その動きが合図となり巨人の全身を覆うように飛んでいた鳥の群れは一斉に巨人の顔に殺到した。たまらず顔を手で覆う巨人。そんなことはお構いなしに鳥は肉を食い千切ろうと手や指の隙間から入り込む。早乙女は目の周りはあえて避けて口周りに攻撃を集中させる。一つ一つが微々たるものでしかなくとも積み重なれば強大な力となる。


 ほんのすこし。ほんのすこしだけでいい。口を開かせさえすれば後はこちらのもの。鳥の鳴き声が早乙女の感情の高ぶりに合わせて一層激しくなる。巨人はとうに我慢の限界を超えたのか。両腕を使い空中にのさばる鳥の群れをはたき落とす。空気がかき混ぜられ轟音がとどろいた。かき混ぜられた空気が気流を生み早乙女を襲う。


「っ!」


 早乙女は体を暴風にさらされ、より高い上空へと舞い上がった。先程の海堂の状況に酷似している。この展開は望んだものではなかったがちょうど良いと早乙女はほくそ笑む。口を開いて自身を飲み込もうとするならば、その隙に鳥の群れを潜り込ませる。思い通りにさせるつもりはない。早乙女は口に指を含ませる。

 深く息を吸い込んで指笛を吹く。甲高い音が鳴り響いた。地上でもがく巨人の反応をうかがう。爛々と輝かせる不気味で巨大な瞳がぎょろりと動き、巨人と目があった。巨人は早乙女へ腕を伸ばす。


「そう上手くはいきませんか。ですが……がら空きになりましたね。顔」


 顔を無防備にも晒した巨人。その巨人の口へと群がる鳥の群れ。自分の方に向かってくる巨人の腕を意に介さず鳥の群れを差し向ける早乙女。早乙女はくるりと右指を回した。


 一匹の鳥が高く飛び上がり、翼を折りたたんでミサイルのように巨人の瞳に突撃した。大きな目玉の中へと鳥が消えていく。両目を潰された巨人は手で覆い、声なき叫びを上げる。予想外の痛みに思わず開いた巨人の口に鳥の群れが入り込んでいく。一度勢いがついたら止まらない。排水口に吸い込まれる水のようだった。鳥の群れが巨人の口を中心に渦の形を形成している。


 早乙女は近くにいる鳥を呼び寄せて、落ちていく体を支えさせた。落下の速度がゆっくりと和らぎ空中に留まる。鳥に掴まりながら地に伏せる巨人を見下ろす。巨人の体の中で必死に脱出しようとしているであろう後輩のことを早乙女は思う。


「あとはあなた次第ですよ。海堂君」



 海堂は玄関扉でできた螺旋階段を駆け上っていた。階段の頂上まで上りきるとそこからまた新しい螺旋階段を創りさらに上の段へと駆けあがる。それを五回ほど繰り返した。ほんの少しずつではあるが高さを稼ぐことができていた。巨人の口が、出口が見えるまで無限に続く終わりの見えないマラソン。それでも海堂の目に諦めは見られなかった。腕を振って足を上げ、一段飛ばしで駆けあがる。この何もかも諦めたくなる状況はきっと良くなるはずだ。そう信じて顔を上げながら上る。


 苦しい状況ながらもがき続ける海堂の耳に鳥の鳴き声が聞こえた。海堂は慌てて足を止めて耳をすます。聞き間違いではない。確かに鳥の甲高い声が空間に響いている。そうしている間にも鳥の声は無数に増えていく。海堂は周囲を見渡して鳴き声の発生源を見つける。自分の今いる所からずっとななめ下に白い大きな光とその周りを旋回する鳥の群れがいた。


 海堂の予想通りこの空間は普通ではなかった。光が漏れ出ている場所は海堂が浮かんでいた場所よりもはるか下の方にあった。入ったときは上の方にあった出口が今は下にある。この空間は物事の辻褄が合わない。だがあの光の向こうは外であるということは揺るぎない事実だ。


 いつまで出口が開いているか分からない。急いで向かわなければと海堂は左手の指をくるりと回す。出口に向かって一直線に玄関扉を連ねる。急いで飛び乗り滑る。玄関扉で出来た道は勾配が急な坂道になっており、海堂の身体は徐々に加速しながら滑っていく。


 出口まであと数十メートル。海堂は目を瞑る。思い出すは燃え盛る思い出の家。鼻につく何かが燃える匂い。人々の悲鳴と怒号。思い出したくない記憶に眉根を寄せながら目を見開いた。


 右手の炎は鮮やかなオレンジ色からどす黒い赤色の劫火へと変化していた。海堂は拳を握りしめる。


 出口まであと十数メートル。ゆっくりと漏れる光が狭くなっていく。巨人が口を閉じ始めたようだ。海堂は右腕を振りかぶる。


 出口まで数メートル。出口から漏れる光が線に見えるほど狭まっていく。強く足を踏みしめて跳ぶ。


 出口まであと数十センチ。光は点になって小さくなる。海堂は右腕を突き出し勢いのまま飛び出す。


「届けぇぇぇぇぇぇええええええええええ!!!!」


 燃える手がほのかな光に触れる。指先を中心に赤黒い炎が燃え広がっていく。光の小さな点は海堂の炎と共にその大きさを増す。広がる光の輪の中に外の景色が映る。青空を舞う鳥の群れが見えた。


 そのまま宙へと海堂の身体が投げ出される。海堂は巨人の体内から外に出ることができた。真っ黒な空間から色鮮やかな世界へと。だが高度およそ二千メートルの高さに身一つで放り出される形となった。


「うおおおおおおおおおお!!」


 息が苦しく、頬を冷たい空気が突き刺す。目がくらむような明るさと肺に流れ込む空気の冷たさに思わず笑みがこぼれる。何もない世界から夢の世界へと脱出することができた。海堂の五感がこの夢が現実になる間近だと嫌でも思い知らせてくる。現実に近い世界でこんな高所から落ちたらひとたまりもないと浮かべていた笑みが引っこみ、海堂の背中に冷や汗が伝う。焦る海堂の肩を何かが力強く掴んだ。


「いってっ!!」


 海堂の耳に羽ばたく音と甲高い鳴き声が聞こえる。肩を掴んだ何かを見ようと海堂は上を見上げる。人間よりも一回りも大きい鳥が足で海堂の肩を掴んでいた。鳥が羽ばたくのやめ羽を伸ばし滑空する。不安定だった体勢がゆっくりと落下とともに安定していく。落下のスピード遅くなり状況をきちんと把握できるほどの余裕ができた。


 真下には玄関扉の山脈が連なっている。海堂は左手の人差し指をくるりと回す。玄関扉の山脈がよりそびえ立つ。足に届くことがなかった玄関扉の山脈の頂上は足元まで高くなる。海堂が新たに枚数を加え重ねることで階段状になった山脈に足をつけて両足を回転させる。落下の勢いを徐々に和らいでいるのがわかった。ある程度勢いが弱まったのを確認してもう一度左指を回して一本道を造る。


「よっと」


転ばないように勢いのまま駆けていく。足を出したらすぐにもう片方の足を出してブレーキをかけ続ける。足の回転がおさまりようやく立ち止まることができた。とくに怪我もなく無事降りられたことに安堵しつつ海堂は振り返る。目や口から炎を吹き出しながら燃える白銀の鎧を纏った巨人が腕を伸ばしていた。灰になっていく自身の体を山脈で支えながら海堂を掴もうとしている。


「……」


海堂は巨人の様子を見るだけで動こうともしなかった。海堂の肩で羽を休めていた鳥を撫でる。焦りも動揺もみられない。あの忌まわしい炎で焼いたのだから無事で済むことなどないと海堂は確信していた。海堂の思った通り巨人の体に罅がはいり始める。地割れのような硬いものが砕ける音が響く。罅割れた隙間から炎があふれ出す。


「無事なようで何より。それにナニカも送還できそうで良かったです」


早乙女が後ろの方から海堂に声をかける。腕の汚れを払いながら海堂の隣に立った。早乙女は指先を海堂の方に向け回す。海堂の肩で羽を休めていた鳥が煙のように消えていく。海堂は別れを惜しむかのように指先に煙を纏わせる。


「先輩のおかげで助かりました。ありがとうございます」


海堂は早乙女の方へ顔を向けて感謝の言葉を伝える。一瞬早乙女は面食らった顔をして頬を指でぽりぽりとかく。


「海堂君がそこまで素直だとこっちが恥ずかしくなりますね。素直すぎるのも考え物です」

「俺が前まで素直じゃなかったみたいなこと言わないでくださいよ。大して変わってないつもりなんですが」

「変わりましたよ。こういうのは本人ではなく周りの人間の方が変化に気づきやすいんだと思います。雰囲気がやわらかくなりました」


クスクスと早乙女は笑う。今度は海堂が頬をかく番だった。早乙女から目を逸らして前を見る。巨人の手のひらが巨大な傘のように開いて迫ってきていた。だが海堂は恐怖を微塵も感じることは無い。なぜなら巨人の体の大半が灰と化していた。海堂の目の前の腕も罅が入り体の端からボロボロと崩れていく。


劇的な変化があったのは巨人の体だけではない。夢の主が送還されたからだろうこの世界、夢自体も変化が表れていた。空の色がマーブル色に変わり白い大地が歪み地割れが起きている。文字通り世界の終末が訪れていた。早乙女はマーブル色の空を見上げている。


「もうそろそろ夢から覚める時間のようです。今回も窮地に陥りましたがなんとか打開できて良かったですね」


夢の世界が歪む。世界だけではない。海堂達の体もまた歪み始めた。まるでひび割れたガラス越しに覗き込んだかのように体が不自然に伸び縮みしている。地平線が白み始める。絵の具のように広がる白が世界を飲み込み染め上げていく。視界が白一色になっていった。



海堂はまぶたを開く。目に映るのはジュースが並んでいるショーケース、床に散らばっている菓子袋や雑貨用品。ようやく現実に戻ってくることができた。ゆっくりと立ち上がりズボンに着いた汚れを払う。海堂は体を伸ばす。こおばっていた体がほぐれパキパキと骨が鳴る音が聞こえる。


「お疲れ様です。ご無事で何よりです」


分析課の女性が駆け寄り海堂に労いの言葉をかける。その言葉に海堂は会釈して応えた。分析官の後ろに視線を寄越すが、誰も座っていない椅子があるだけで早乙女の姿が見えなかった。海堂は分析官に早乙女の居場所を尋ねた。


「早乙女捜査官はどこに?」

「早乙女捜査官なら目を覚ましたらすぐに帰りましたよ。なんでも用事があるとか。引継ぎは海堂捜査官一人で十分だろうと」

「前言撤回だ。やっぱり尊敬するのやめよう。面倒ごと俺に押し付けやがってあの不良先輩」

「怒られるのが嫌だったんじゃないんですか? 海堂捜査官の心配を余所にして未確認生命体の送還を行いましたから」


ため息を吐きつつ海堂は顔を押さえる。海堂は命の恩人である先輩に感謝こそすれ怒る気なんて毛頭無かった。早乙女本人もそのことは分かっていたはずだ。おそらくだが引継ぎに来る警備課の人間と話すのがめんどくさいという理由だろう。以前そんなことをぼやいていたのを海堂は思い出した。そんないらついている海堂の様子に分析官はどう言葉を掛ければよいかわからなそうにオロオロしていた。


「海堂捜査官ですね? 引き継ぎに参りました」


黒スーツを着た二人組の男達が海堂に問う。海堂はその声に姿勢を正す。内心一人で帰った先輩に毒を吐きながら警備課の二人に今回の未確認生命体の送還の報告する。


「お疲れ様です。送還完了しました。送還対象は未確認生命体カテゴリーB一体。捜査官は海堂時恩。早乙女美幸。引き継ぎをお願いします」

「……一人足りないですね。早乙女捜査官はどこに?」


やっぱり聞かれるかと心の中でため息を吐く。警備課の人間に説明してばっかりだなと海堂は最近の自分の扱いに嘆きたくなった。腐っても命の恩人。悪いようにする気はさらさらなかった。


「早乙女捜査官は――」


海堂はとりあえずこの場をしのぐことだけを考えた。



「……はあ、疲れたぁぁああ」


海堂は肩を落としながら道を歩く。すっかり日は落ちていて空は黒に沈んでいた。空は厚い雲に覆われていて星の明かりは街に届くことは無かった。人工的な明かりの下     楽しげな人々の横を海堂は通り過ぎていく。行きと違い海堂の足は足早になることはなかった。


今はこの空気、人々の雑踏全てが好ましい。真っ暗闇の中一人でいたからだろうか。煩わしいと感じていたものが心に温かみを与えてくれる。海堂は道の脇に設置してあるベンチに見つけてそれに腰を掛ける。目をゆっくりと瞑る。人々の話し声、足音、生活音、店に設置された液晶TVのコマーシャル。様々な音が海堂の耳を刺激する。海堂はしばらくそうして耳をすましていた。今は誰もいない部屋に帰りたくはなかったから。いくらか時間が経ったとき海堂の頭上から声がかかる。


「時恩君じゃないか。どうしたんだい。こんなところで?」


聞きなれた声に目を開いて顔を上げる。見知った顔が視界に映った。

中年の中肉中背の男がそこにはいた。海堂は少し笑って挨拶をする。


「久しぶりです。叔父さん」


声をかけたのは海堂が世話になっている親戚の叔父だった。

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