第7話 岩降る空

 空から降る薄暗い闇を街の明かりが光で塗りつぶしている。何色もの絵の具混ぜたように多彩な人工の明かりの下で行き交う人々の群れは、各々の楽しみを今すぐにでも味わおうと足早となる。宵の渋谷は昼とはまた異なる顔を見せ始めていた。


 海堂はそんな悦楽に浸ろうとする人々とは真反対の目的のために街を歩く。楽しげに笑う顔や声はどこか遠くのものに思えてならなかった。まるで分厚いアクリル板越しに街を眺めているような、そんな感覚。前までは雑踏など気にならなかったのに今は離れたくて仕方ない。現場に行こうと海堂は無意識のうちに足早になる。急かされるように歩く様は人ごみの中に綺麗に溶け込んでいた。



 海堂は目的の場所に着く。大通りから少し外れた小道の脇にあるコンビニエンスストア。二、三台は止められる程度の駐車場の奥に建てられた電灯がチカチカと瞬くさびれた店。その店のガラスの壁にハイエースが突っ込んでいた。ガラスの破片が小さな駐車場に飛び散っており、かなりの勢いで突撃したことが伺える。

 

 これまた派手にやったなと海堂は退魔局警備課のお仕事に呆れていた。一般人から未確認生命体を隔離するという大義名分があるとはいえ、実際に事故現場を作るのだから退魔局は本当に警察組織の一つかと疑いたくなる。

 

 黄色い規制テープに海堂が近づくとテープ内にいる一人の警官が気づいて寄ってきた。いつもと同じように偽装の学生証を取り出し、規制テープ越しに警官が持つカードリーダーに翳す。ピッーとカードリーダーがアラームを周辺の人間に聞かせた。


「え?」


 警察の顔が強張り、胡乱な目を海堂に向ける。慌てて持っている学生証を確認すると赤宮高校の学生証だった。まだ頭がこっちに切り替えられていないなと顔を赤らめつつ、ポケットをまさぐり今度は本当の偽装学生証を翳した。正常に作動したことで警官はご苦労様です、と規制テープを持ち上げ、まだ赤面している少年を通す。そそくさとかがんで通りすぎ、海堂はコンビニ内へと入っていった。

 

 コンビニの中は商品棚がいくつも倒れて商品が床に散らばっていた。床に散らばった菓子袋の中身を踏んづけないように気をつけながら入口から奥の方へと進んでいく。色とりどりの飲料水が飾られているドリンク棚に重なるようにソレはあった。

 

 退魔局が捜査する現場にお決まりにあるソレ。黒い亀裂がドリンク棚を覆うように拡がっていた。今回は早めに現場に着いたようで海堂以外にも数人の人間が自身の仕事を行っていた。対策課である自分の到着前に現場に用があるのは分析課なので今いる人達も分析課の人間だろうと海堂は当たりをつける。海堂の予想は半分当たり半分外れだった。計測器を使っての未確認生命体のカテゴリー分けや宙に浮かぶ亀裂の撮影をしている分析官を見ていた海堂の後ろから声が掛かる。


「さっきぶりですね」


 今日聞いたばかりの女性の声に海堂は振りむく。長い黒髪に白の眼帯やギプスが目立つ傷だらけの女性が杖をついて微笑んでいた。


「先輩は現場復帰は数日後って言ってませんでしたか?」

「しばらく考えさせてくれと頼んできたのはどこの誰でしたか?」


 海堂の質問に質問で返す女性。少しだけ眉を吊り上げる海堂に肩をすくめながら怪我人の女性はここにいる理由を話す。


「そんなに怒らないでください。分析官兼捜査官としてここにいるんですよ。捜査官としていきなり現場に出るより慣らした方がよいと思いまして」

「分析官ならともかく捜査官としての今の先輩は足手まといもいいとこでしょ」


 女性の返答に世話になった後輩としては多少厳しい口調になってしまったが、怪我が完治していない彼女の身を海堂は案じていた。

 

 夢には無意識のうちに考えていることや記憶に強く残っているものが現れる。捜査官は自身のトラウマや訓練で無意識レベルにまで刷り込んだものを武器として用いることで夢の中に現れる未確認生命体と戦う。右手に剣を、左手には盾を持て。未確認生命体の送還の基礎の一つだ。海堂の場合、右手は火事のトラウマからの炎、左手には炎に包まれても燃えることのなかった玄関扉を盾として頭に刷り込んでいる。

 

 そういう面では未確認生命体対策課の捜査官は夢のスペシャリストではある。しかし、思い込みや刷り込みは時として本人に悪影響を及ぼす。未確認生命体というナニカに対する恐怖、怪我を負わされた記憶。そういう本人の意図しない無意識の負の刷り込みにより戦えない状態になるのはよくあることだった。

 

 怪我を負ったことで夢の中でも負傷したまま戦うのはまだましだった。最悪なのがナニカに対する恐怖によって、ナニカがより強大で恐ろしい存在に変化してしまうことだ。故に怪我を負った、もしくは送還できるレベルに達していないと判断された捜査官は他の課に回されていた。目の前にいる彼女もナニカに重傷を負わされた身、本来なら怪我の完治に並行してカウンセリングを受けて、現場にでても問題ないと判断されるまで現場への立ち入りは禁止されているはずだった。

 

 だが今は非常事態、たとえ治療を終えていない怪我人だろうと使えるものは使うというのが上の判断なのだろう。上のその判断は正しいと頭では思うが海堂は心では納得はしていなかった。


「泣き虫なあなたという後輩を背負いながら未確認生命体を送還してきた私なら、怪我を負っていても問題ないと上は買っている。そう思えば悪い気はしないですね」


 女性はうんうんと頷きながら薄い笑みを顔に張り付けている。海堂はほじくり返されたくない昔の話をいつまでも持ち出す怪我人の女性にうんざりした表情を浮かべた。


「俺が泣き虫っていつの話ですか? それ」

「ごく最近の話ですよ。私にとっては」


 軽口の応酬をしている二人の元に計測を終えたであろう分析官が結果を伝えに来た。


「計測の結果が出ました。境面振動数201.4、空間断裂面積24平方メートル、境界侵度は2。界裂孔を一つ確認。特大のカテゴリーBですね。」


 自身が弾き出した結果であるがにわかには信じがたいのか、分析官は不安そうな表情を浮かべていた。分析官が持っていた計測結果が載っている紙を怪我人の女性は受け取りデータに目を通す。


「巨大を示すカテゴリーBでさらに特大ですか。これは骨が折れますね」


 女性はそう言った後ちらりと海堂を見る。

 海堂はナニカを前にして冗談を吐く怪我人の女性の姿にため息を吐く。自分の周りにはこういうふざけた人間しか集まらないのかと嘆きたくなった。


「先輩の場合、冗談になってないでしょう。それに先輩の手を借りるつもりはありませんよ」


 女性の手を借りないと言うセリフが意外だったのか。おや、と驚いた顔を海堂に見せる。


「強情ですね。前のあなたなら最悪の事態を想定して私と二人体制で未確認生命体に臨んだでしょうに。心境の変化ですか? あの少女があなたに与えた影響は大きいみたいですね」

「その相手のプライベートを探る癖止めた方がいいですよ」


 後輩のプライベートな情報を知っているのが当たり前であるかのように話す詮索好きな先輩に海堂は釘を刺した。


「ふふっ、そうですね。私たちはただの仕事だけの関係ですからね。これ以上の詮索はやめときましょうか」


 女性は何が面白いのか、笑いながら後輩の言うことに素直に従った。


「そうしてください」

 

 海堂はこれ以上先輩とのお喋りに興じるつもりはなく、彼女の言葉を受け流しながら黒い亀裂の前まで歩を進めた。そのまま海堂は黒い亀裂を観察する。亀裂はガラスの罅のように何もない空間の上を蜘蛛の巣状に走っていた。海堂の経験上、完全受肉する寸前の未確認生命体の亀裂の場合、それはまるで煙のように揺らめく。現実とナニカが溶け合って混ざるかのように。

 

 だが目の前の亀裂は一切のぶれなく走っているのが見て取れた。分析官の計測通り、境界侵度2、空間に生じたばかりということだろう。確認を終えた海堂はいつものようにブレザーの内ポケットから仕事用のスマホを取り出す。電源をつけてボイスレコーダーのアプリを起動する。


「2024年4月8日。19時24分。東京、渋谷。□□コンビニエンスストア。分析官の情報から捜査対象をカテゴリーBと判定。これから未確認生命体の送還を執り行う。捜査官は一名。海堂時恩かいどうしおん。以上」


 録音し終え音声データを海堂は退魔局に送る。送信完了を確認すると自分の周りに落ちている商品を足でどかしてスペースを作り座り込む。

 

 息を深く吸って吐く。吸っては吐く。その繰り返し。深呼吸で体を落ち着かせ入眠態勢に海堂は入る。体育座りをして顔を膝にうずめる。視界が瞼と膝に遮られ黒が広がっていく。雑念を消して思考を真っ白にする。ほんの少しずつ、だが着実に眠気が押し寄せてくる。意識が波のように落ちては浮上していく。波に逆らわずに深くゆっくりと沈ませる。段々と意識が落ちる時間が長くなっていく。そして――



「……眠ったようですね。では私も私で仕事をしましょうか。椅子を持ってきてください」


 怪我人の女性は海堂が眠ったのを確認すると分析官に椅子を持ってくるように指示を出した。分析官は奥の従業員スペースからパイプ椅子を持ち出し女性の傍に置く。満足そうに女性は頷きながらその椅子に腰を掛ける。


「これ、後で海堂さんに大目玉食らいそうですね」


 分析官は困りましたねと少し微笑みながら言う。

 その言葉に怪我人の女性は目を閉じながら澄ました顔をしながら答える。


「問題ないでしょう。彼は一瞬だけ感情的にはなりますがその後は自分の行いを省みて冷静になる性質を持っています。もし怒られてもすぐに終わりますよ」

「もしもじゃなくて絶対だと思いますけど」


 楽観的な考えをしている女性に分析官は必ず訪れるであろう現実を親切心で教える。あの堅物そうな少年が怪我人の先輩の身を案じているのは、大して面識のない自分でもわかったからそれが無下にされるのはあんまりだと思った。


「そうですかね?まあ、私は先輩ですから後輩である彼は強くは出れないでしょう」


 他人からの有難い忠告を私の後輩がそんなことするわけないだろうと海堂の先輩は耳を貸さなかった。分析官は先輩だからこそ怒られるんじゃないかなと目の前の女性の鈍感さにほんの少しだけ呆れる。これだから現場上がりの分析官は使えないのだと全く無関係な事柄と絡めて心の中で女性にほんの少し悪態をついた。


 分析官の内心を知らない先輩はギプスをしていない右腕でスマホを取り出した。膝の上にスマホを乗せてボイスレコーダーを起動する。


「2024年4月8日。19時28分。東京、渋谷。□□コンビニエンスストア。分析官の情報から捜査対象をカテゴリーBと判定。未確認生命体の送還を執り行う。捜査官は二名。海堂時恩かいどうしおん早乙女美幸さおとめみゆき。先程、海堂捜査官と合流した。今回の未確認生命体の送還は規則通り二名で行う。この連絡は海堂捜査官の連絡を上書きするものである。以上」


 退魔局にメールを送信した早乙女はもう一度ポケットに手を入れてワイヤレスイヤホンが入った充電ケースを取り出した。膝の上にのせてイヤホンのケースを開き両耳に白いイヤホンを着ける。早乙女はスマホの画面を操作して音楽アプリを選択する。曲が流れ始めたのか、彼女は目を閉じてパイプ椅子の背もたれに寄りかかった。

 

 安物のイヤホンから漏れる音から分析官は早乙女が聞いている曲の種類をクラシックだと推測した。早乙女という女性はクラシックを子守り歌か何かだと勘違いしているようだった。だが彼女にとってはそれが正解らしい。すぐに寝息を立て始めた。


「さてと」


 分析官は二人が眠ったのを確認してから測定機器を片付け始めた。機器を放置していたのは彼らがすぐに戦闘準備ができるよう配慮してのことだった。分析官という人間はもはやこの場にはいらない。万が一未確認生命体が受肉する恐れがあるので分析課の人間は送還前には撤収するのがセオリーだった。ただでさえ危険な任務だ。しかも今回のナニカは規格外の大きさ、困難な任務になるのは間違いなかった。

 

 だが今回は最後まで現場に残っていようか分析官は迷っていた。この考えを同僚が聞いたら現場から無理やりにでも連れ出されるに違いない。しかしあの二人が未確認生命体の送還に失敗するとは到底思えなかった。完全受肉の怪物と相対してから数週間も経っていないのにこの二人は未確認生命体に恐れを抱いていなかった。ナニカに重傷を負わされてから初の任務の早乙女すら冗談を言えるくらいの落ち着きようだった。

 

 分析官は未確認生命体の分析が仕事だ。分析に根拠があいまいな予測は必要ない。だからこれはただの直感だった。きっとあの二人は任務を終えて目を覚ましたら未確認生命体のことなんか振り返らずにまた言い合いを始めるだろう。そんな二人になんて声をかけようか考ながら分析官は片づけをしていった。

 


 燦々と輝く黒い太陽がじりじりと海堂の肌を焼いていく。まるで日食のような太陽だった。違うのは直接見ても問題ないところだろう。海堂が目を凝らして太陽らしきものを観察していくと太陽の縁が蜃気楼のように揺らいでいた。

 

 現実ではありえない不可解な現象は他にもあった。海堂の周囲には白い平地が広がっていて人間より大きな岩がボールのように弾み、転がり続けている。岩に触れてみると硬質な感触ではなくスポンジのように柔らかく指が沈む。その岩が雲一つない空から雨のように降り続けていた。


 黒い亀裂の側で眠ると必ず見るこのような夢は未確認生命体にとっての蛹のようなものだと海堂は解釈していた。ナニカはソトの世界に存在する、人類の想像の外側にいる超常的な生物。ナニカは人間の想像の範囲内の生物に自分の形を作り変えてこの世界に侵入しようとする。まるで芋虫が綺麗な翅をもつ蝶に変態するかのように。


 これが未確認生命体が見ている夢なのか、それともナニカが人間の想像から姿を変えるように自分たちも夢を見ることでナニカに影響を与えるのか海堂には分らなかった。分かっているのはナニカが殻を突き破って蝶になっては困るということ、自分の仕事は夢という蛹の中の未確認生命体をソトの世界に追い払うということだけだった。そう考えれば退魔局初代局長である伊達丸幸雄がナニカというのも海堂は納得できた。こんなことナニカでなければ知りようがない。海堂はいずれあのふざけたおっさんは見つけ出して送還してやると改めて心に誓った。


 辺りを見回して今回の送還対象を探す海堂。この夢の舞台は広大な白い大地。転がる岩を避けつつ目線を遠くにやると見えるのは遠い地平線のみ。ナニカらしきものは影も形もなかった。岩に擬態しているのかもしれないと思った海堂は辺りの岩を手当たり次第に燃やしていく。叫び声もうめき声もない。ただ火を纏い転がり、跳ねるのみだった。

 

 海堂はそういえば、と分析官の言葉を思い出した。今回の未確認生命体は人間よりも巨躯であることを示すカテゴリーBの中でも規格外の大きさだと言っていた。しかし、岩の大きさはせいぜいが三メートル、Bクラスでは小さい部類だ。とても規格外とは言えない。だが海堂の周囲に存在するのは空から降る岩と白い大地。


「……まさか」


 海堂は右足で白い地面をトントンと小突いた。岩以外で規格外の大きさといえば海堂が立つ場所、それ自体。一面に広がる大地そのもの。今のところ海堂にはそれしか心当たりがなかった。


「どうすんだよ。これ……」

 


 何分経っただろうか、太陽は真上まで昇って先ほどよりも強い日差しが海堂を責める。太陽だけではない。海堂自身が発火した炎もまた海堂の肌を紅く照らす。上から下からも揺らめく光に海堂の体力は夢の中にも関わらず消耗をしていた。いや、夢が現実に近づいているからかもしれない。変わらない現状と過ぎていく時間に海堂は焦っていた。海堂が白い大地に対して行ったことは至極単純で火力の一点集中、地面に向かって何度も炎を放つことだった。しかしこれは徒労に終わった。大地の表面が焼け焦げるだけで未確認生命体にダメージが通っているとは海堂は思えなかった。


「これじゃあただのたき火じゃないか」


 ダメ押しで海堂の右手から発した爆炎が大地を舐める。炎は上へと巻き上がり消えていく。残るのは地面に焼き付いた黒い跡。


「どうするか」


 頭を悩ませる海堂は次の手を考えようと空を見上げる。相変わらず雨のように降る岩もどきを体をずらすことで避ける。この岩もどきも問題だった。降ってくる数は少ないが時間が経てば経つほど地面に転がる岩の数は増えていく。地面が岩で埋まるのも時間の問題だった。加えて岩の衝撃音も段々と鈍く重いものに変わってきていた。


「このままだと間違いなくつぶされるよな俺」


 海堂は両脇に玄関扉を創造しその上に屋根のように一つの玄関扉を寝かせて置く。岩の雨をしのぐ簡易的な小屋を作った。海堂は座り込み玄関扉の壁に寄りかかって現状を打開する方法を模索する。


 落ちて転がり周囲の岩とぶつかることでまた転がる大地の表面を覆い隠そうとする岩の群れ。海堂は自身の安全地帯が徐々になくなっていく現状に真綿で首を絞められる感覚を覚えた。普段ならこういう時は空を眺めながら考えを纏めるが岩の雨でそれができない。心がささくれ立つのを少年は自覚した。玄関扉の陰に少年は身を潜めることしかできない。心の中で空を思い浮かべ自身の苛立ちを抑えようとする。思い出すのは先ほど見上げた空。青空には


 弾かれたかのように立つ海堂。急いで玄関扉の屋根の下から飛び出し上を見上げた。落ちてくる岩の雨の隙間から太陽を凝視する。黒い太陽は変わらず直視することができた。太陽の縁は前に見たときと同じように揺らめいている。海堂は落ちてくる岩を避けつつ、右手に炎を宿し大きく振り上げた。打ちあがった炎は岩を飲み込み上へ上へと昇っていく。しかし、太陽に届く前に勢いは弱まり消えていった。


「ちっ」


 海堂は舌打ちをしながら炎を纏い落ちてくる岩を玄関扉でシェルターを造ってやり過ごす。少年はただ我武者羅に炎をまき散らしたのではない。今回の未確認生命体の居場所へと放っていた。海堂が光の揺らめきだと思っていたそれはであった。


 変わることのない不動の大地。段々と質量を増していく岩の雨。時間が経ち夢が現実に近づくことでナニカの被った役は現実味を増していく。周囲に存在するものもまた同じように現実に近づく。下にあるものが変化せず上にあるものが変わるのならば未確認生命体は上に存在することになる。そう考えれば攻撃は最初からあった。雨のように降る岩の群れ。あれはただの夢によくある怪奇現象ではなくナニカによる先制攻撃だった。


 海堂は地面にいてもらちが明かないと黒い太陽に一歩でも近づくために玄関扉を何重にも重ねることで太陽への階段を造る。ほんの数十メートルの高さしかないが海堂はないよりマシだと階段を駆け上がっていく。岩の雨の衝撃で階段がぐらぐらと揺れる。海堂はバランスを取りながら一歩ずつ、だが確実に進む。海堂が階段の中腹まで来たときそれは起こった。


 岩が海堂の鼻先に落ちてきた。反応が一瞬遅れてしまった。岩は階段とぶつかり海堂の身体に向かって跳ねる。玄関扉の壁を造ることも避けることもできない。真正面から受け止める形になった。身体が階段から浮いて受け身をとることもできずに転げ落ちていく。


「ぐっ、がぁ、ぎぃ」


 身体が階段に叩きつけられる度に口から空気が強制的に漏れる。何とかしようと落ちていく方向に玄関扉を立たせた。海堂はもんどりを打って玄関扉に頭を叩きつける。明滅する視界に迫る岩を見た海堂は急いで玄関扉を開け、身体を滑り込ませて閉める。直後、岩が玄関扉にぶつかり鈍い音を周囲に響き渡らせる。勢いを失った岩が海堂が作った階段脇へ落ちていく。


 自分を襲ってきた岩の行方を確認した海堂は盾に使った玄関扉を四方を囲う壁の一つにして、階段の上に小屋を造る。を休めるために小休憩をとることにした。座り込み後頭部を抑える海堂。

 

 夢ではあるがこの夢はである。時間が経つにつれ痛みや怪我が現実と変わらなくなっていく。完全受肉寸前に近ければ近いほどより痛みは現実感を増す。完全受肉寸前であれば怪我は夢を見ている人間の現実の身体にフィードバックする。怪我や痛みでどれくらい受肉しているのか確かめることも可能だ。


 海堂はまだ時間は残されていると確信した。落ちてきた岩と正面衝突し階段を転げ落ちて最後は勢いのまま頭を叩きつけた。現実なら死んでもおかしくない場面、海堂は体の節々と後頭部を打った程度の痛みしか感じてはいなかった。まだこの夢は現実に近づいていない。

 

 次の作戦はどうするか海堂は考えあぐねていた。どうにかして未確認生命体に近づかなければ勝負の土俵に立つことすらできない。階段を試してみたが雨のように降り続ける岩が邪魔をして高さを稼ぐことができない。このまま待って降りてくるのを待つか。降りずに完全受肉する可能性の方が高い。分の悪い賭けだと海堂は思い浮かんだ考えを否定する。やはり階段を造ってナニカの傍まで地道に行くしか方法はないと海堂は立ち上がった。


 岩をやり過ごすために屋根を造りながら進もうと海堂がドアノブに手をかけたとき、無数の鳴き声が壁の外から聞こえた。その鳴き声に聞き覚えのあった海堂は急いで扉を開けた。無数の鷹の群れが黒い太陽へと飛翔していた。降り続ける岩など掠りもせず空を自由に飛んでいく。この光景は何度も海堂は見ていた。三年前からずっと。


 誰かが階段を上る音が聞こえる。海堂は後ろを振り返る。足音の主は確かな足取りで一つ一つ踏みしめゆっくりと扉の前に立つ。海堂は聞き慣れた足音に思わず乾いた笑いが出る。その人は重傷で現場に来るのもやっとのはずだった。海堂が口を酸っぱくして来るなと忠告したはずだった。


 鋼鉄の玄関扉が開き足音の主が姿を現す。


「流石に階段であの黒い太陽に向かうなんてバベルの塔のように無謀じゃないですか?」

「これしか思いつかなかったんです」


 海堂は入ってきた人物に対して少し不貞腐れる。


「それで何か言うことはありますか?海堂君」

「無事に夢に入れたようで何よりです。先輩」


 遅れてやってきた早乙女はで不敵に笑った。


 




 



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