第6話 重なり合う夢
海堂は我武者羅に住宅街を走っていた。美代からの連絡で彼女が危機に晒されていると知ったからだ。彼女には警察に連絡してその場から離れるように言ったが、黒い亀裂がもうすでに大きく成り始めていて外に出ることが叶わないらしい。
海堂は街を駆けながら仕事用のスマホから退魔局に連絡を取る。
「こちら、未確認生命体対策局。海堂捜査官、ご用件をどうぞ。」
「未確認生命体の兆候があると通報があった!今現場に急いで向かってます!先ほどメールで送った場所に応援を寄越してください!」
支援課の人間と連絡を取りつつ海堂は走り続けるのを止めない。今は一分、一秒でも惜しい。必死に足を動かす。
「把握しました。スマホのGPSであなたの居場所を追跡しています。応援の到着には十分ほどかかります」
電話の相手は海堂の様子に動じずに少年にとって不都合な事実のみを簡潔に伝える。
「それじゃあ間に合わない!」
海堂は悲痛な声を上げた。自分の友達が危険な目に遭っているというのにこいつはなんでこんなに冷静なのか、そんな八つ当たりに近い怒りの感情が湧いて出てくる。胸のムカつきをバネに海堂は足の回転数を上げる。目的地まであともう少し。道行く人をぎりぎりに避けつつ、息切れを起こす自分の身体を無視して走り続ける。
「現在、多数の未確認生命体の確認により捜査官の特別措置が講じられています。書類上民間の協力者とされていた捜査官の単独捜査が認められています」
電話の相手は海堂の胸の内を察したのか、冷静な声を保ちつつも少年に有益な情報を与えた。海堂の頭の片隅にあった雑念が消える。海堂には自分の上の命令を無視した単独行動で助けを求めた美代や処分の解除を伝えた先輩に迷惑が掛かるかもしれないという心配があった。これで海堂は心置きなく美代を助けることができる。
少年は鉛のように重い脚を無理やり動かして走っていた感覚がほんの少しだけ楽になった、そんな気さえした。
少年はスマホに向かって声を張り上げる。
「俺一人でも問題ないんだな!!」
海堂は私用のスマホで美代に送られてきた地図を見た。目的地は少年がいる場所を指している。似たような造りの家屋が立ち並ぶ住宅街を見回し、美代の家を探す海堂に電話の相手が自若として答えを返す。
「そういう措置です」
「わかった!ありがとう!」
海堂は礼を言い電話を切る。海堂は自身の焦る気持ちを無理やりに抑え、辺りの家の表札を確認して回る。
「芝崎、花岡、田中、違う、これも……」
この家の近くのはずなのに、海堂は焦燥感に駆られる。
「あった!!美代!!」
七軒目にして美代という表札が目に映ると海堂はそのまま玄関に向かって走った。中途半端に開いている玄関扉を見てここで間違いないと、海堂は確信する。飛び込むように中に入ると少年は一歩目にして足を止めざるを得なかった。
黒い亀裂が扉を開けてすぐの玄関に生じていた。亀裂の周囲は相変わらず暗く、その向こう側を見通すことはできない。ただ、少女のすすり泣く声が聞こえた。少年は亀裂越しに少女に声をかける。
「美代!俺だ!海堂だ!」
「……海堂」
美代だ。美代のか細い声を海堂は聞き逃さなかった。
「美代。怪我はないか?」
美代の現在の状態を確認しつつ、海堂は入眠の準備に入る。無理して走ったせいだろう。動悸がや息切れが収まらず、集中できない。海堂はまず深呼吸して息を整えた。
「大丈夫……。きてくれてありがとう」
こんな事態とはいえ予想よりも少女の声に覇気がないことに海堂は違和感を覚えた。
海堂の呼吸が落ち着いてきた。肩で息をすることもなくなっていく。海堂はわざと美代のことを煽り、元の調子に戻ってもらおうとする。
「どうした?美代、元気ないな。いつものポジティブさはどうしたんだよ」
気力がないのか、美代は生返事をする。
「……海堂、ごめん」
この少女はどこまで他人を気に掛けるのかと海堂は苦笑した。
「気にするなよ、友達だろ。困ったときはお互い様だ」
「無理させてごめんね」
無理なんかじゃないと心の中で呟く海堂。これは終わった後も大変だなと少年は先のことを考えた。海堂は美代にこれから準備を行うと告げた。
「すぐに終わらせるよ。今から眠る。もう少しだけ待てるか?」
「うん」
ほんの少しだけ美代の声は元気を取り戻した。
「よし」
美代の返事に海堂は頷く。
少年は揺らめく亀裂に向かって体育座りをした。目を閉じ、呼吸のテンポをゆっくりにする。吸って、吐いて、また吸って、吐く。その繰り返し。ここに来るまでに全力疾走して体を披露させたおかげか。眠気はすぐに来た。眠気に逆らわずそのまま流されると意識が明滅していく。
「ありがとう。海堂」
言うのが早いなと思いながら海堂の意識が落ちていった。
美代は体育座りをしながら一人後悔していた。なぜ海堂を呼んでしまったのか。自身を取り囲む三つの黒い亀裂を前にして唇を嚙む。これが何なのか、眠るとどうなるのか、美代は何も知らない。美代がただ一つ分かっているのは亀裂一つの場合でも海堂に危険が及ぶということだった。美代は亀裂が三つもあることを黙っていた。嘘はつかなかった。ただ黙っていた。海堂に見捨てられるのが怖かったから。
最初はただの空中に浮かぶ亀裂だった。時間が経つにつれ、大きくなるにつれ、それは圧迫感と恐怖を美代の心に与えた。黒い亀裂に囲われ暗闇の中にいるとどこか知らない場所で恐ろしいものに見られているような錯覚さえ覚えてくる。
ただ死にたくなかった。ただ助かりたかった。美代は自分の心につき動かされて海堂に電話をしてしまった。
「ごめんなさい。海堂」
そんな美代の電話に海堂は息を切らしながら来てくれた。後ろめたさから生返事になる自分の声を聞いて少年は励ましてくれた。そんな海堂を自分は疑い、不誠実なことをしてしまった。いまはただ海堂の無事を祈ることしか美代には出来なかった。
目覚めた場所は強風が吹く草原。空に曇りはなく四月の空と違い澄んでいる。どこまでも続く黄緑と群青の景色が海堂の目に映る。
海堂は急いでナニカを探す。このような場所では隠れることはできないだろう。
周辺を見回していると不意に海堂の周りが急に暗くなる。それが上空から落ちてくる巨大な影によるものだと気づいたのは、風を切る音が徐々に大きくなるのが海堂の耳に届いてからだ。一瞬遅れて反応し影の範囲から飛び出す海堂。その巨体は頭上スレスレまで迫っていた。安全圏に逃げることは間に合わないと直感で判断した海堂は玄関扉を一枚だけ召喚し取っ手を掴んで盾にする。直後、衝撃とつぶてが海堂を襲う。鋼鉄の盾一枚などで防げる衝撃ではなかった。
「ぐぅ、くそっ!!」
吹き飛ばされ無様に転がる海堂。体中擦り傷だらけではあったが致命傷は防ぐことができた。
起き上がり様子を伺いつつ、海堂は落ちてきたナニカであろうモノを確認する。ソレは雲を掴む龍だった。ソレは風を巻き起こす天狗であった。ソレは地を駆けるケンタウロスであった。
ソレらはお互いを貪り、喰らい合っている。既に体中が傷だらけであった。龍の胴体には木の槍が突き刺さり、天狗の左腕は嚙みちぎられ、ケンタウロスの胸は切り裂かれていた。
「グルルルルルルルゥ!!!」
互いを睨み合い、威嚇し、吠える。生物として原始的な姿。土曜日に相対した土蜘蛛が見せた賢慮さとはかけ離れた本能のままに動く様はとても醜く見えた。どうしてお互いを傷つけあっているか海堂には見当がつかなかったが、好都合なのは間違いなかった。
海堂は左の人差し指をくるりと回す。その動きに合わせて何枚もの鋼鉄の扉がお互いを貪り喰らう三体の未確認生命体を取り囲むように出現した。
ようやく乱入者がいることに気づいたのか、未確認生命体それぞれが扉で出来た囲いを越えようとするがその前に海堂は右手の指を鳴らし、左手を振り下ろす。柵の中に火が燃え広がり、上からは不規則な動きをしながら鋼鉄の扉が降り注いだ。
ケンタウロスは燃え盛る炎に巻かれ、上空に逃げようとした龍は鋼鉄の玄関扉に圧し潰される。ボロボロの翼の天狗は空を舞い鋼鉄の落下物を避け続ける。空中で天狗は舞い散る桜のようにすべてを避けていく。扉の雨がやみ反撃のチャンスと見たのか天狗は団扇を振りかぶる。巻き起こされた突風が海堂を薙ぎ払う。
海堂は五十メートルの高さまで吹き飛ばされた。直後、少年があらかじめ天狗の頭上に設置していた鋼鉄の玄関扉が重力に従って天狗の頭を圧し潰す。頭を潰された天狗は落下し、燃え盛る業火の中に飲み込まれていった。
海堂はゆっくりと瞼を開いた。ギリギリ首の皮一枚つながった戦いだった。ほんの数秒、天狗が堕ちるのが遅かったらこちらがやられていた。眠気がまだ体に残っているのか、ふらつきながらも海堂は立ち上がろうとする。
直後、叫びながら全力疾走で抱き着いてきた美代の勢いに押され海堂は倒れこむ。
「海堂おおおおお!!!!」
「うおっ!なんだ!!」
美代は涙を流しながら海堂を力強く抱きしめ、謝罪の言葉を口にする。
「ごめん。ごめんね!!本当にごめん!!!」
感謝されることはあっても謝罪されることを想定してなかった海堂は美代の言動に面をくらう。
「急にどうしたんだよ、美代」
美代は言葉に詰まりながらも謝罪の理由を懺悔するかのように話した。
「わた、私、黙ってたの。亀裂が三カ所できていること。一カ所でも海堂は大変だったのに。三カ所だって伝えたら見捨てられると思って。助けてくれないんじゃないかって」
その理由を聞いてそんなことかと海堂は拍子抜けした。あらかじめ先輩から最近の捜査はイレギュラーなことが起きていると聞かされていた。送還対象が三体いることは美代の身の安全に比べたら些細なことだった。泣きじゃくる美代の背中を海堂はあやすように一定のリズムで叩く。
「いいよ、無事だったんだから。むしろこっちが感謝したいくらいだ。せっかくできた友達を失わずに済んだんだから。俺に助けを求めてくれてありがとう」
罪悪感で胸がいっぱいであろう美代の心をほぐすように海堂は気にしてないと言った。そんな海堂の言葉に美代はもっと涙を流す美代。
「海堂~。ありがとうね~」
「どういたしまして」
ようやく到着したのか外からパトカーのサイレンが聞こえた。
現場に来た退魔局の人間に事情を説明し終えた海堂はリビングの掃き出し窓に腰をかけている美代の隣に同じように座った。美代は連絡の取れた母親の帰りをここで待っていた。海堂は差し入れとして警備課の人間にもらった暖かい缶コーヒーを美代に手渡した。
「あたたかい」
美代は缶コーヒーを手で包みながらほうっと息を吐いた。どうやら過剰なストレスを受けて手が冷たくなっていたらしい。
海堂はそんな美代の様子を横目で見ながら缶コーヒーのプルタブを開け、中身を喉に流し込む。いつの間にか緊張していた体がゆっくりと落ち着いていくのを海堂は感じた。海堂は手に持った缶の銘柄を見ながら、今回の騒動がどう片付くのか美代に説明する。
「この件は第三者によるいたずらの通報ってことになる」
美代は缶コーヒーを開けてちびちびと中身を飲んでいく。その間に海堂が発した言葉の意味、海堂の本来の立ち位置を飲み込んだのか、ぽつりと呟く。
「海堂って警察官だったんだ」
海堂は缶を撫でながら美代の呟きを否定する。
「厳密には警察官ではないんだけどな。書類上では民間の協力者ってことになってるし」
「…………」
海堂は知りたがりの美代が聞こうともしないことを不思議に思った。海堂は美代の横顔を見る。少女は目の前にある庭を物憂げに眺めていた。
海堂は同じように庭を眺める。母親の趣味だろうか。庭にはガーデニングが施されており様々な花が咲いていた。いつまでも花を眺めて黙す美代に海堂は問いかける。
「聞かないの?」
美代は庭を眺めながら少し微笑み、かぶりを振る。
「聞かないよ。そういう約束だから」
危険な目に遭ったのに律儀だなと海堂は思った。自分がどういったものに巻き込まれて、いつまで続くか分からないなんて怖くて仕方ないだろうに。しばらく庭に咲いている花々を二人で眺めていた。
「じゃあ俺から話すのはありなんだな」
美代が襲われた以上話すべきだと海堂は決心した。
庭を見つめていた美代が海堂の方を見る。まさか話すとは思ってもみなかったのだろう。驚いた表情をしていた。
「……そうだね。そういうことになるね」
美代はゆっくりと言葉を紡いだ。場の空気がほんの少しだけ張り詰める。海堂は息を吐き、緊張する自分の心を落ち着かせた。そして少年は語りだした。
「俺がこういう仕事に就いたのは十歳の頃。家族が全員、火事で焼け死んでからしばらくして、警察組織の一つである退魔局ってところが俺をスカウトしに来たんだ」
海堂は自分が持つ缶コーヒーに視線を落とす。蓋の金メッキが水面のように光を反射している。
「でも、家族から仕送りがあるって前……」
美代は口元に片手を寄せた。
「それは身寄りのない俺を引き取ってくれた親戚のこと。小学校を卒業するまで一緒に暮らしてたんだ。中学からは一人暮らしだけどな。時々気にかけてくれてる。本当の家族はもういない。俺の自業自得だけどな」
海堂は家族のことを喋っているときは穏やかそうに、自分のことに対しては吐き捨てるように言った。
「家族が亡くなるのに海堂のせいはないよ」
美代は海堂に詰め寄り少年の言葉を強く否定する。傍に置いていた美代の缶コーヒーが倒れた。
「本当に俺のせいなんだよ。死んだ日、俺の誕生日だったんだ。家族みんなでお祝いしてくれてさ。父さんも、母さんも妹も我がごとのように喜んでくれたのを覚えてる。でもおれは癇癪を起して、泣いてぐずったんだ。」
海堂はどこか懐かしいものを見るかのように目を細め笑う。口から漏れ出る笑い声はどこか空虚だった。
「どうして?」
美代は幼い海堂が泣いた理由を尋ねた。
「誕生日プレゼントが欲しいものじゃなかったから。笑えるよな。そんなことで泣いて暴れるんだから。頑張って同じようなものを探してきた両親の気も知らないで」
海堂の声は徐々に震えだした。
「笑えるわけ、ないじゃん。笑えないよ」
美代の声も震えだす。海堂は自分がいまどんなに酷い顔しているか分からなかった。それでも海堂の声は止まらない。堰が切れたかのように喋りだす。
「それで机にあった豪華な料理やケーキを手で払って、両親の声を無視して外に出ていったんだ。なんて言われたんだっけ。ただ悲しそうな声だったのは覚えてるんだ。公園で親が来るのを待ってたんだ。迎えが来るのを待ってたんだよ。けど、いつまでたっても来なかった。怒られるかな、嫌だなって思いながら帰った。そしたら家の周りに人だかりが出来ててさ。家が燃えてたんだ。後から出火の原因はろうそくの火によるカーテンの引火って聞かされた。不幸な事故として処理されたよ。原因の俺は野放しのままだ」
美代はほとんど悲鳴に近い声を出す。
「どう聞いたって不慮の事故じゃない!海堂は悪くないよ!」
美代の言葉は海堂にとって聞きなれた言葉だった。
「そう何度も周りから言われたよ。君のせいじゃないって。だけどそう言われれば言われるほど苦しくって仕方なかったんだ。俺があんなこと仕出かさなければみんな死ななかったのにって。みんなで笑ってその日を終えられたのに」
海堂は強く、強く缶コーヒーを握りしめる。金属のへこむ音が鳴る。
「海堂……」
美代が海堂の背中をさする。美代の行動に自分が我を忘れていたことに海堂は気づいた。少年はありがとうと呟いて続きをゆっくりと話す。
「だからあの時、退魔局に誘われたのは渡りに船だったんだ。罰を受けてない俺が誰かのために命を懸けて働くことができる。秘密組織だから誰にも知られず、感謝もされないって点も気に入ったんだ。罰を受けているみたいでさ。ボランティアもそれが理由だよ。仕事のない日は何かしないと自分が嫌いになっていくんだ」
海堂は正面を向き溢れそうな何かをこらえる。そうしないと美代にもっと弱い部分を見せることになりそうだったから。少年は自分が抱えているもの、嘘をついていることを告白していく。
「美代は分かってるだろうけど高校に通ってたのも嘘なんだ。ずっと退魔局の一員として中学の頃から黒い亀裂の中にいる怪物を倒してきたんだ。これが俺の隠してた、黙ってたこと」
話し終えた海堂はすっきりしたような感覚を覚えた。自分が心を許している相手に自身の弱い部分をさらけ出すとこんなに楽になるのかとほんの少し驚いた。
「大変だったんだね」
そんな海堂を慰める美代。
「振り返ってみるとそうかもな。無我夢中で大変だなんて思いもしなかった」
背中をさすっている美代にもう大丈夫だと海堂は片手を振る。さするのを止めた美代は手を窓ふちに置く。ゆっくりと顔を上げて夕焼けを走る雲を目でなぞる。
「……私も黙ってたこと。嘘ついてたことがあるんだ」
美代はポツリポツリと自分のことを告白し始めた。
「美代が嘘?」
海堂は美代の言葉を反芻する。素直で感情に従う美代が嘘を吐く姿が想像できなかった。
「うん、嘘が嫌いって言っている本人が一番の嘘つきなの。ふざけてるよね」
自分と自分自身の考えが矛盾していることを美代は自嘲した。海堂はただ黙って美代が話すのを待った。
「…………」
何も言わない海堂に美代は少し笑って過去の自分のことを話し始めた。
「私ね、小学生まで引っ込み思案って言うのかな。気が弱くてさ。友達なんて一人もできなかった。家の猫のユイちゃんだけが唯一の友達だったんだ。赤ちゃんの頃からずっと一緒だった。」
「そうか。大事な友達だな」
海堂は美代の友人が起きたことをぼんやりと予想する。少年は当たり障りないことしか言えなかった。彼には彼の人生において長い間、友人と呼べる人がいなかったから。
「小学六年生の夏にみいちゃん、いなくなっちゃったんだ。近所中を探し回って、夏休みに入ってからも毎日、毎日。けど見つからなかった。パパやママはみいちゃんはおばあちゃんだったからいなくなったんだって言ってくれた。頭ではそれは理解していたんだよ。けど心が納得するかは別じゃん。納得なんてしたくなかった。納得したら自分の心からみいちゃんが消えちゃいそうで怖かった」
美代の目にはみいちゃんとの思い出が流れているのだろう。空を見上げる美代の頬に涙が流れた。
海堂は美代の涙を見て動揺した。恐怖や安堵からの涙は見慣れていた。自分がそうだったから。ナニカに相対すると心が削られていく。新人の頃、先輩の前で何度泣いたことか。
目の前の少女は自身の言う引っ込み思案からとても遠く、初対面の自分と平気でぶつかり合って仲良くなれた、過去に囚われた自分に人生を楽しむことを教えてくれた、そんなヒーローみたいな女の子だった。そんな少女が悲しみで泣いている。
「気持ちの整理……できたのか?」
海堂は話の続きを促すことしかできなかった。美代は自身の涙を指で拭いとる。
「ううん、実はまだ納得できてないんだ。納得できてないから必死になって楽しさや面白さを探すことにしているの。命に限りがあって、死は突然やってくる。私の家族や友達。もちろん私にも。死ぬことは誰にも変えられない。けど死ぬ前までに何をするかは自分で決められる。後悔なんてしたくない。あれがやりたかった、これがしたかった。死ぬ間際になって、そんなことを思いたくなくて楽しく、面白く生きるって決めてたんだ。決めてたんだけど、だめだね。やっぱり後悔しちゃった」
彼女が自分の生き方を揶揄われて怒った理由が理解できた。彼女にとってその生き方自体が夢そのものだったのだ。だから怒った。
海堂には美代が嘘をついているとは思えなかった。それは夢を叶えるための努力だ。恥ずかしがることなんてなくて誇るべきものだと海堂は美代の勘違いを否定する。
「そんなことない。美代が俺と友達になろうとしなかったら助けることなんてできなかった。美代が必死に生きようとしたから助かったんだと思う」
美代の生き方で海堂は彼女の命を救えた。それは正しい。しかし、美代が危険な目に遭ったのは、原因を作ったのは自分だと海堂は思っていた。
この黒い亀裂の発生は偶然じゃない。最近起こっている未確認生命体の多発的出現の重要参考人である伊達丸幸雄。その参考人に接触した人間の友人の自宅に三体の未確認生命体が出現した。あのおっさんが裏で糸を引いていると少年は確信する。
「ありがとう海堂。海堂が来てくれなかったら私今この場にいないよ。本当にありがとうね」
美代が浮かべる安堵の微笑みが海堂の心をきつく苦しめていった。
「美代。俺、行かないと」
今回はいたずらの通報となっている。親は一人娘の安否が気になって仕方ないだろう。同じ制服の男子が家にいたら話がこじれるに決まっている。さっさと退散しようと海堂は立ち上がった。
「そっか、みんな忙しそうだもんね。もう私は平気だから。大丈夫だよ」
そう言って立ち上がろうとする美代を手で海堂は制する。そのまま手を振り別れを告げた。
「じゃあ、またな。美代」
「また明日、学校でね!海堂!」
見送りできないならせめて元気な姿を見せようと思ったのか元気よく手を振る美代。
あんな目に遭ったのだから学校を休んでもいいのに、と美代のバイタリティに呆れる。けど、良かったと海堂は思った。
今度の嘘はばれなさそうだ。
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