第5話 揺れ動く覚悟

「やっとおわったぁー」


 授業終了の鐘がなり昼休みとなる学校。授業の時の静けさはとうになく生徒たちの騒がしい声であふれていた。そんな中、机に海堂は顔をつけ項垂れていた。最初の週はガイダンスや今期最初の授業もあってかゆっくりとした授業スピードだった。しかし、春休み明けもしばらくようやくカンを取り戻したのか、教師達は先週よりも早く授業を進めていた。一年のブランクがある海堂がついていけるはずもなく、火を見るより明らかな結果となった。


「大丈夫か、海堂」


 右隣の席に座る岩村が心配そうに声をかける。


「大丈夫じゃないです……」

「重症ね」


 机の上でしょぼくれる海堂の様子を見て断言する若草。


「なんなら俺がおしえてやろうか?」


 岩村は学生鞄から弁当を取り出しながら海堂に提案する。

 伏せていた顔を岩村の方に向けて相変わらず顔は机に着けたまま疑わしい目で岩村を見る海堂。


「スポーツやってる人は勉強ができないイメージです」

「なぜ、敬語?」

 距離を感じさせる海堂の言動にツッコミを入れる若草。

 だろうな、と岩村は苦笑しつつ自分が赤点を取らない理由を話す。


「うちの高校はそこら辺厳しくてさ。赤点一つでもあったら部活動参加できないんだよ。鬼監督って呼ばれている人がテストで赤点とって部活参加できませんって許すと思うか?」


 赤宮高校は確かに自由な校風ではある。しかし、それは学生としての本分を果たしてからというのが学校の考えで、たとえ強豪の部活でも扱いは変わらなかった。

 海堂の右隣に座る若草は一年の頃を思い出しているのか目を閉じ、考えるそぶりを見せる。

 しばらくして思い出し終わったのか目を開ける若草。


「確かにソフト部って補習受けてるイメージないわね」


 岩村の言葉に若草は首肯した。

 二人の証言を受けてそれでもなお、海堂は怪訝な目で岩村を見る。


「……本当ですか?」

「ホント、ホント」


 海堂の疑心を助長させるように岩村はおどけて言ってみせた。

 ふむ、と海堂は少し思案し、丁重に岩村の提案を理由をつけて断る。


「ありがたいけど、大丈夫。美代にノート貸して貰う予定」


 鞄から取り出したサンドイッチの袋を開けて、食べながら若草は海堂と美代の仲の進展に驚く。


「へー。もうそんなに美代と仲良くなったんだ」

「多分、若草も頼めば貸して貰えるぞ?」


 いまは他のクラスメイトと食堂にいる美代の許可なく勝手なことをいう海堂。


「大丈夫よ。高校入ってから赤点とったことないしね、私」


 海堂に心配される謂れはないと片手を振りつつ若草は断る。

 そういえば、と岩村は自身の失敗談を話す。


「俺は一回だけ取ったことあるわ。赤点」


 先ほどまでの岩村に対する信頼が少し下がった海堂が聞く。

 ソフト部の鬼監督は先ほどそれは許さないと言っていたはずだ。


「大丈夫だったのか、それ?」


 岩村はかぶりを振り、顔を青ざめながら当時の部活の状況を語る。


「監督にめっっっちゃ怒られたわ。連帯責任で同級生全員」

「はー。きついわね」


 可哀そうに、と若草は岩村に同情した。

 段々と鮮明に思い出してきたのか顔が真っ青になっていく岩村。


「もうあれ以降赤点は取らなくなった」


 昼休みだというのに暗い雰囲気を垂れ流す岩村を海堂は憐みの視線で見る。


「トラウマになってるな」


 お前らもどうだ、と岩村は口元を引くつかせ友達二人を地獄に誘う。


「テスト間近で夢に出てくるからな。サボりに効果ありだぜ」

「勘弁」

「同じく」


 哀れな人間の手を速攻で振り払い、切り捨てる海堂と若草。

 海堂と同じように机に岩村は机に突っ伏した。

 二人の突っ伏す男たちに視線をやらず黙々と若草は食事を進める。

 ぐでー、と机に伏せる海堂は二日ぶりに話す二人との会話は楽しいと素直に思うことができた。

 休みの日に美代と共に行動することでこれまで神経質でささくれだった自分の心を年相応に戻せたのかなと海堂はここにいない美代に心の中で感謝した。

 そんな海堂のポケットにあるスマホは通知が来たことを振動で伝える。

 机から海堂は起き上がりポケットにあったスマホを起動させ通知の中身を確認する。

 とあるメールが一件届いていた。


「ん?」

「どしたの?」

「メールが来てた」


 海堂はメールの差出人と内容を確認し目を見開いた。



 放課後になり、海堂は友人たちと別れ一人、目的の場所に足を運んでいた。

 大通りに面したカフェ。店の外壁は白色のペンキで塗られており、扉はライトグリーンでフラワーリースがかけられていた。女性が好みそうな店構えをしており個人経営の店のように思えた。海堂はスマホを見る。メールに添付された地図は確かにこの場所を指し示していた。

 

 おそるおそる海堂は扉を開け店の中に入る。店の内装は小さな足の高いラウンドテーブルが何カ所かに設置されそれを囲うように椅子が置かれていた。何名か先客がおり海堂の予想通り女性客が多くを占めていた。案内をしようとした店員に待ち合わせであることを伝えると、ここに呼び出したメールの差出人を探す。


 その人物は一番窓際に近いテーブルの席で人の行き交いを眺めていた。

 黒い長髪に陶磁器のような白い肌。何より目を引くのは左目の眼帯、左腕のギプスにテーブルに掛けられていた杖だった。一目で彼女が怪我人だと分かる。


 海堂は彼女を見て三週間前の捜査を思い出す。完全受肉寸前だったナニカ。それは河童の姿を模り水辺に棲んでいた。海堂の鋼鉄の玄関扉を拳でブチ破るほどの剛力の持ち主だった。

 その時、海堂は送還を彼女に任せ、時間稼ぎに徹していた。送還の直前にたった一撃だけ反撃の機会を許してしまった。それゆえのあの大怪我。立ち止まりそうになる自分を叱咤し彼女の元へと歩みを進める。


 足音に気づいたのか自身の持っていたティーカップから海堂の方に視線をやる彼女。仕事の時と違う制服であることが面白いのか、海堂の服の辺りを見て片目を細めて笑った。


「久しぶりですね。海堂君」


 彼女は一言挨拶をして席に座るように促すが、それを無視して海堂は怪我人の女性を見下ろす。


以来ですか。お元気では……なさそうですね。先輩」


 海堂は三週間も情報がなく無事かどうかも分からなかった女性に対して冷たい声を出す。女性はその海堂の声に気づいてないのか、気づいて無視しているのか楽しそうに笑いながらテーブルに置いてあった紅茶を飲む。一息いれ、女性は海堂を見上げる。


「ふふ。これでもこのような店に来られるくらいには回復したんですよ。まだまだ完治には遠いですが」


 海堂は怪我人の女性を睨むが本人はそれを飄々と受け流し、怪我の具合を伝えた。

 先輩の怪我が快方に向かっていることに心の中で安堵するが海堂にとってそれとこれとは話は別だった。なぜ自分に退魔局の先輩がわざわざ連絡を寄越すのかそれが問題だった。


「それで? 私用のスマホにメールしてまで何の用ですか? 教えてませんよね。メールアドレス」


 海堂が警戒するのも当然のことだった。彼女とは仕事だけの関係。今まで担当を共にしてきた捜査官全員に言えることだが、プライベートな関係など一切なかった。


「そう急かさないでくださいよ。傷に響くじゃないですか。ここの紅茶おいしいんですよ。座ってください」


 敵対的な態度をあからさまに見せる海堂にあくまで彼女は自分のペースをくずさなかった。 


「退魔局から教えてもらったんですか?何のために?」


 海堂はそんな彼女にいら立ち語気を強める。

 女性はため息をつき、今の海堂では話にならないと感じたのか冷や水を浴びせる。


「高校生活順調みたいで良かったです。お友達もできたみたいで」


 海堂は一瞬言葉に詰まる。なぜ目の前の女性がそれを知っているのか?


「……見てたんですか」

「私、ではなく本局が、ですね」


 怪我人の女性は静かになった海堂の様子を見て満足そうに紅茶を啜る。


「退魔局が……」


 海堂は退魔局が自分を監視していた事実に驚きを隠せなかった。だが、よくよく考えればわかることだった。退魔師として従事していた年数は四年。組織の末端とはいえ、並の退魔師よりは長く現場にいた未成年の少年を退魔局が停止処分だからといってそのまま放置するわけなどなかった。


「ええ。あなたに会いに来たのは上からの指示です。仕事用のスマホは休暇中でも電源をつけとくべきでは?」


 通知を受け取るのも仕事の一環だと女性は海堂をたしなめた。


「それで連絡が取れないから上は先輩を寄越したんですか。監視中に命令違反した俺にクビでも言いに来たんですか?」


 怪我人の女性に食って掛かる海堂。クビならクビで構わない。こちらもせいせいすると海堂は思った。


「この男に見覚えありますよね?あら」


 海堂の様子を意に介さず女性は話を続ける。

 彼女はポケットから写真か何かを取り出そうとしたのか、それを落としてしまう。

 海堂は先輩が落とした写真を拾おうとし、一瞬硬直する。その写真に写っている人間は自分の人生を変えたきっかけでもあり原因でもある男だった。


「……ええ。そりゃ俺が暇になって高校生活を送っているのはそいつのせいですから。誰かわかったんですか?」


 海堂は自分が怒っていたのも忘れて女性を問いただす。怪我人の女性はテーブルを指さす。海堂は言われたとおりに女性と向き合うように椅子に座った。女性はまたも嬉しそうにうなずき紅茶を啜り一息つく。海堂は女性が言っていた傷に響くという言葉は大げさではないと思い至った。一度冷静になって湧いて出てきた海堂の後悔が顔に出ていたのか女性は苦笑しつつも写真の男、丸刈りのおっさんに関する情報を諳んじる。


「伊達丸幸雄。四十五歳。住所は渋谷区にある△△マンション201号室。未婚。趣味は煙草と酒。重度のヘビースモーカーらしいですね」


 あの男は偽名を名乗らずにわざわざ本名で乗り込んできたのか、と海堂は呆れそうになる。


「そこまで分かってるなら……」


 既に個人を特定できているのであれば捕まえるのは時間の問題なのではないかと海堂は思った。そんな気持ちを逸らせる海堂に女性は奇妙な真実を伝える。


「これは二十年前の写真です」


 そんなはずはない、と海堂はもう一度写真を注意深く見る。写真の男は間違いなくあのおっさんであった。あの捜査の際に撮ったと言われても納得するくらいに。


「いやでも俺が見たのはこの人ですよ。年恰好も変わってない」


 海堂の反応に怪我人の女性は我が意を得たりとばかりに微笑む。そしてなぜ写真と変わらないのか簡単で、けれど普通なら馬鹿馬鹿しいとなる答えを言う。


「年を取ってないとは分かりやすい話ですよね。もしくは取れないのか」


 女性の答えに海堂は賛同しかねた。そんな不老だなんておとぎ話ではあるまいと女性の正気を疑った。


「……いやまさか。人間ですよ?」


 目の前の女性はこの男が人間であるという海堂の意見を肯定した。ただ、前提条件が違う、と女性は付け加える。


「ええ。人間です。産まれ方が違うだけの」


 女性はこの写真の人間は産まれ方が特殊であると海堂に言った。そんな女性の言葉を頭の中で反芻させ、海堂はとある答えに辿り着いた。


「人間になったナニカだっていうんですか?」


 女性は頷き紅茶を啜る。中身が空になったのか、女性はカップを置き机にあるティーポットを指さす。海堂は怪我人だから仕方ないかと渋々カップに中身を注ぐ。


「ナニカは時に人に近い姿を模る。なら人間に成ってもおかしくないでしょう?」


 海堂は今まで送還した未確認生命体の姿を思い出す。人とかけ離れた姿をしたナニカもいれば人型のナニカもいた。人間に極めて近い存在とも戦った。だが人を模った未確認生命体と遭遇したことはなかった。そんなことはあり得るだろうか?


「…………」


 考え込み続ける海堂と紅茶の香りを楽しむ怪我人の女性。しばらく悩み続けて海堂は目の前の女性を見る。それを女性は合図と受け取ったのか手に持ったカップを置いた。


「ようやく本題に入れそうですね」

「……教えてください」


 海堂は話の続きを促した。女性は頷き伊達丸幸雄というナニカの話を続ける。


「この伊達丸幸雄という存在は二十年前にも存在が確認されています」


 自分が生まれるずっと前にあの黒い亀裂の中から産まれてきたのかと伝えられた年数に驚きを隠せなかった。


「そんな前から」

「ええ、退魔局初代局長として」


 海堂の予想を軽々と超えることを怪我人の女性が口にした。


「は!?」


 海堂は口をあんぐりと開け驚いてしまう。先ほどの年数のことと比べたらこちらの方は全く想像だにしていなかった。まさか自分が所属していた退魔局の初代局長だなんて。未確認生命体が同じ未確認生命体を送還するなんて意味が分からないと海堂は頭が痛くなってきた。


「私も聞かされた時は驚きました。まさかナニカが退魔局に所属していて、しかも局長を務めあげていたなんて」


 そんな海堂の様子を笑いながら早乙女は自分も同じような気分だったと海堂に告げた。


「信じるんですか?そんな話を」


 一気に話の信憑性がなくなったと海堂は思った。上に担がれているか、全部目の前の女性の作り話ではないかと疑いたくなった。

 胡乱げな目で見つめる様子の海堂に情報の出所を彼女は教える。


「私はこの通り怪我のため、今は未確認生命体対策支援分析課に所属しています。言葉通り現場の支援や未確認生命体の分析を行う課です。ですが未確認生命体以外にとあることの分析を行っているんですよ」


 海堂の知識にある分析課は未確認生命体か、それに関係する分析しか行わないはずだった。海堂にとって分析課が他の分析を行うことは初耳だった。


「何をですか?」

「未確認生命体対策局、つまり本局です」


 退魔局が退魔局を分析する。海堂は女性の言葉がうまく頭に入ってこなかった。

 どういうことかと女性の真意を確かめようとする。


「言ってる意味が……」


 怪我人の女性は海堂の質問を遮り矢継ぎ早に話を進めた。質問は自分の話が済んでからとでも言うように。


「本局が二十年前にどうやって設立されたか、誰も分からないんです。いつの間にか存在し、伊達丸幸雄を局長としてナニカという脅威から市民を守るために日夜明け暮れていました。そのことに疑問を抱いたのは、十年前、伊達丸幸雄が局長を退いて行方不明になってからだそうです」


 女性の話では退魔局とは未確認生命体によって創られその未確認生命体が長を務めていることを知らないまま運営していたのだという。海堂は話の一割も理解できそうになかった。女性に自身の心情を正直に話した。


「うまく飲み込めません」


 女性は海堂の戸惑いを受け入れた。自分も同じであったと海堂に同調する。


「私も聞かされた当初同じように戸惑いました。話を続けますが、行方知れずだったソレが最近になって現れました。あなたの仕事の同僚として」

「…………」


 ようやく自分と関係のある話になったと海堂は黙って彼女の話を聞く。

 怪我人の女性は紅茶を飲みたそうにしていたが海堂の様子を見て飲むのを止めた。

 カップを指でなぞりつつ女性は退魔局の海堂の最近の扱いについて説明をする。


「事態を重く見た上はあなたを伊達丸幸雄の関係者とみなし、停止処分を下しました。敵か味方かもわからない人間を捜査官と共に行動させることはできません。私との捜査の件も加味しての判断でしょう」


 女性の話に海堂は納得をせざるを得なかった。未確認生命体と個人的な関係があると思われていたのなら基本ツーマンセルで行う未確認生命体の捜査から外されるのは当然だった。そんな海堂だが一つ疑問が湧いた。なぜ自分に拘束や尋問を行わなかったのか。


「俺を伊達丸幸雄の関係者と思うなら、なぜ停止処分程度で済んでいるんですか?」


 怪我人の女性はあぁそれは、と退魔局が停止処分中の海堂を使って行っていたことを簡単に説明した。


「泳がせるためです。また伊達丸幸雄との接触があるかもしれない。拘束するよりかはあなたを囮にするべきと上は判断していました」

「していた、ですか」


 海堂は怪我人の女性が過去形を使ったことが気になった。もう囮には使えないと判断したのだろうかと海堂は思った。


「はい。あれ以降伊達丸幸雄との接触は確認できず、土曜の一件で本局は、あなたをただ利用された一般退魔師であると結論付けました。おめでとうございます。現場復帰ですね」


 怪我人の女性は感情のこもっていない声で海堂の復帰を祝った。話は終わったとばかりに女性はいそいそとカップを手に取り紅茶を啜る。

 海堂は停止処分の解除を言い渡されたことにすぐには気づけなかった。もう今をもって海堂は退魔師として活動することを正式に許されたということになる。土曜日の退魔局から離れる覚悟を、日曜日の一般人として生きる覚悟をこの人たちは何でもないかのように扱うのか。


「……今更、戻ってこいだなんて勝手すぎる」


 海堂は呻くように呟いた。怪我人の女性は紅茶を啜りながら苦し気な表情をする海堂を見る。彼女はカップをテーブルに置き、注がれた紅茶の水面が揺れ動くさまを眺めながら、道理を知らない子供に世の常識を教えるように簡潔に言う。


「組織とはそういうものです」


 せっかく手に入れた日常をようやく楽しめるようになった今になってそんな酷なことを言うのかと海堂は思った。高校に通うことで美代たちと出会えた。知らないままなら戻れた。けど今はもう平和を謳歌することを覚えてしまった。海堂はテーブルの下で拳を握りしめる。


「俺はもう一般人に戻る覚悟を、退魔師を辞める覚悟をしていたんです」


 海堂は自分は戻るつもりはないと言外に伝えた。怪我人の女性はおかしなものを見るような目で少年を見ながらからからと笑う。


「認めたくない現実から目を逸らすことを覚悟とは言いません」


 海堂の言葉は怪我人の女性どころか退魔師が聞いたら噴飯物のセリフであった。自分達が何と戦っているのか、一般人が信じる平和なんて仮初のものにすぎないと退魔師が最初の送還で一番身に染みてわかることだった。そんな大事なことを二週間程度の平凡な日々を過ごしただけで忘れてしまっているのかと女性はそう言いたげだった。

 いや、本当はそうは思ってないのだろう。ただ彼女を見ると退魔師だったころの自分ならそう言うだろうなと海堂は自嘲した。


「……俺に戻ってどうしろと」


 海堂はテーブルを見つめながら自分が戻った時の扱いを怪我人の女性に聞いた。


「前と同じようにナニカを狩り続けてください。伊達丸幸雄が現れた二週間前から我々の処理能力を超えるほどのナニカが大勢出現するようになりました。現状、完全受肉を免れてはいますが時間の問題です」


 女性は海堂の扱いと共に現在、退魔局が問題に直面していることを告げる。そのことを聞いて海堂は土曜日の土蜘蛛の一件を思い出す。あの時も退魔局の人間は黒い亀裂が発生しているのにも関わらず現場にはいなかった。


「土曜の時と同じような?」

「ええ、我々が今まで相手してきたナニカと違いカテゴライズできない逸脱したナニカです。それも無数に報告されています。ニュース見ていますか?」


 海堂の問いに女性は首肯し、問題はナニカの数だけではないと言った。女性は海堂に情報を集めているかと聞いた。


「最近、事件や事故のニュースが増えていますよね。あれの何割かがやっぱり?」


 海堂は日曜に見たネットニュースのことを思い出す。渋谷やその周辺で起きていた多数の事件や事故、やはりあれの何件かが未確認生命体がらみだったのだろう。海堂は目の前の女性の言葉を待った。


「八割です」


 怪我人の女性はここにきて初めて苦々しげな表情をして答えた。


「そんなに!?」


 海堂は彼女の言葉に驚きを隠せなかった。少なくても数件、多くて二割、三割を予想していた。それが八割。海堂の想像をはるかに超える事態が知らない間に進行していた。


「ですから今は猫の手も借りたい状況です。こんな状態の私も数日したら現場に戻る予定です」


 怪我人の女性は自分もすぐにこの事態を解決するため現場に戻ることを少年に告げた。海堂は敵対心を女性に抱いていたことを忘れて、世話になっていた目の前の先輩の身を案じる。


「そんな身体で無茶な!大怪我負った状態で夢に潜ったら怪我のまま、下手したらもっとひどい状態で戦わなきゃならないかもしれないのに!」


 立ち上がり心配そうに見つめる海堂に目を見開く女性。

 一瞬だけとはいえ、先輩と後輩の関係に戻れたのが嬉しいのか、女性は微笑みながら仕方ないことだと少年に伝える。


「状況は切迫しています。ナニカの存在が明るみになれば世間はパニックに陥ります。もしそうなれば平和な世の中なんてものを楽しむ余裕なんてありませんよ。あなたは平和を謳歌するためにこちらに戻らなくてはいけなくなる」


 怪我人の女性は真面目な表情を浮かべて日常に戻ろうとする海堂に残酷な事実を伝える。海堂がどちらを選択しようが結局、退魔師に戻らなければいけないということを。


「遅いか早いかの違いですか」

「そういうことです」


 椅子に座り込み、海堂は悩む。退魔師に戻るということは高校生活を止めるということ。ただし、高校生活を続けてもきっと自分は今はもう楽しむことはできないだろうと海堂は思った。この生活がすぐに終わるかもしれないと日々怯えながら過ごすことになる。


「……少しだけ考える時間をください」


 海堂は無理を承知で願い出た。大怪我を負っている目の前の女性は数日後には現場復帰するというのに、五体満足で怪我を負ってない自分が答えを先延ばしにすることを退魔局が許すとは思えなかった。しかし、中途半端な状態で捜査に加わることは海堂の性格上許容できなかった。

 そんな葛藤を見抜いたのか、女性は時間的猶予を海堂に与えると言う。


「すぐには答えは出ませんよね。元先輩のよしみです。本局には私から言っておきます。稼げても二日が限界ですが」


 先輩の気遣いに頭を下げる海堂。


「ありがとうございます」

「礼なんて、感謝は言葉ではなく物でするべきでしょう」


 そんな海堂に目の前の先輩は別のことを要求した。


「……と言うと」

「ここはあなたの奢りでお願いしますね」


 女性はウインクのつもりなのか見える方の片目を閉じ、支払いを海堂に任せた。



 海堂は一人帰路につく。先輩とは喫茶店の前で別れた。怪我人をそのまま一人で帰すのは心苦しいのでタクシーを呼ぼうとしたが一人で帰るのもリハビリだと断られてしまった。帰り際に見た彼女の歩く姿は杖をついているとはいえ確かな足取りだった。

 海堂は未だに悩んでいた。退魔師にすぐに復帰するか、事態がより深刻になり日常を謳歌できなくなるまで日々を享受するか。戻ることには変わりはなかった。以前の自分なら、土曜の前の自分なら喜んで現場復帰したことだろう。ついでにあのおっさんを探し出して送還してやると息巻きながら。

 だが、今はそんなことはどうでもよかった。むしろ高校に通わせてくれたことに関してだけは感謝していた。

 こんな時、美代ならどうするだろうと海堂は考えた。あの人生享楽主義はどっちをとるのだろうか。そんなこと考えなくても分かるかと海堂が思っていると私用のスマホが着信を知らせる。こんな偶然もあるんだなと美代からの電話に海堂は応答する。


「もしもし。どうした?」

「海堂助けて!家にあの黒い亀裂があるの!!」


 海堂は美代の助けを求める声を聞いた。







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