第4話 陽の当たる休日
昨日と打って変わって冷たい風が頬を撫でる。生憎の曇り空。あらゆるものがくすんで見える天気。空を見上げる人はおらず、どこか心の片隅に陰鬱な気持ちが芽生えるようなそんな感じさえさせた。
晴れる様子のない濃い曇り空を一人だけぽけーっと眺めている少年がいた。
思ったより早く流れるぶ厚い雲を目で追いかけながら海堂は渋谷の有名な待ち合わせ場所のベンチで美代が来るのを待っていた。
少年が着ているのは黒の上に白いラインが入った昨日とは別のジャージだ。
雲の流れを目で追う少年が思い返すは昨日の巨大蜘蛛。意識が朦朧としていた当時と違い、今は土蜘蛛の行動に違和感を覚えていた。なぜ、子蜘蛛に自分を殺させなかったのか、病に侵す息を漂わせるのを止めて一対一の戦いに乗ったのか。まるで死んでも戦おうとする自分を称えるかのようだった。決闘を好むといった伝承はないはずなのに。
そんなことを考えていると海堂のスマホが通知が来たことを振動で知らせた。送り主は美代でもうすぐ着くとのことだった。その連絡は海堂にとって特に問題はなかった。予定は丸一日空いているのに加えて、昨日の戦いのことや伊達丸幸雄という自分を実質クビに追いやった正体不明の人物。考える必要なものが沢山あり、時間を潰すのには全くもって困らなかった。
また空を見て思考の海に沈もうと上を見上げる海堂の耳に、この場にいないはずの少女の声が聞こえた。
「よっ、びっくりした?」
美代が横に座りつつ片手を挙げて笑みを浮かべている。美代の服装は昨日のジャージ姿とは一転して女性らしい恰好をしていた。彼女はブラウンの膝上まであるゆったりとした長いセーターを着て、セーターの隙間からは白いシャツが見え隠れしていた。
セーターから足元へは黒のスキニーで彼女の華奢な脚を覆い、靴は白いスニーカーを履いている。活発な女子から線の細い女の子へと様変わりしていた。
「全然」
遊ぼうと誘ったのは美代の方で楽しむことへの探求心が強い彼女が遅れるはずもなかった。いきなり海堂の目の前に現れたことついては大した驚きはなかった。ただ彼女の印象の変化に戸惑い海堂は口数が減る。
「ばれてたかー。まっ、おはよう!海堂!」
たははっと快活に笑いながら頭を掻きつつ美代は朝の挨拶をする。
「おはよう」
その挨拶を海堂は律儀に最低限な返事で応える。
「いやー、天気予報通りの曇り空だねー。今日は晴れそうにないかなあ。」
美代は言葉とは裏腹に楽しそうに空を見上げていた。
「今日いっぱいは曇り空らしいぞ」
海堂は手に持っていたスマホの天気アプリで今日一日の予報を確認する。
そっかと美代は海堂の方に振り返り、ジロジロと視線を上下に動かす。
「ところでさー、海堂」
一拍置いて指さしながら美代は海堂の服装を指摘する。
「なんでジャージ?」
ビクッとスマホを眺めていた海堂の背が跳ねる。海堂は美代に視線を移し、美代と目が合うと逸らした。
「いやぁ、これはさ、今日何するか教えてくれなかったじゃん?活動的な美代のことだから運動でもするのかなあと考えた結果で……」
海堂は片手を頭の後ろに置き、はにかみつつ今日の服装の言い訳を並べようとした。
「私、嘘はつまらないから嫌いだなー」
急に口数が多くなった海堂を美代は怪しんだ。
「そこはつまらない嘘じゃないんだ」
分かっているはずなのに無駄な時間稼ぎをする海堂に美代は続きを催促する。
「で?」
「ジャージと制服しか持ってないです」
観念した海堂は美代に真実を話し項垂れた。
「はあ。うちの高校の制服結構人気でさ。普段使いしている女子もいるけど、ジャージと制服しかないって…………」
自白した海堂にフォローを入れようとするもできないと思ったのか美代は最後の方には無言になった。
「ドン引きはやめてくれ」
それに対し海堂はさらに頭を落ち込ませ、自分の頭あたりを見ているだろう美代に懇願した。
「いやいや、引いてはいるけど予定を組み直しているだけよ」
そんなことはないと否定する美代に対してようやく海堂は顔を上げた。おそらく普通の女子なら海堂の服装にドン引きしてここで解散になっていただろう。海堂のために予定を作り直す美代の懐の深さに感銘を受けた。
「あ、結構考えてきてくれたんだな」
「……よし。まずはジャージでも大丈夫なところを攻めよう!」
流されるままの海堂は何をするか聞く。
美代は海堂の服装を改めて見て、最初に行く場所を思いついたらしい。
「どこ?」
「まずはカラオケ!!」
待ち合わせ場所からほど近い距離のカラオケ店に着いた二人。
美代は何回も来たことがあるのか料金表も見ずに店員と言葉を交わす。海堂は美代と店員の慣れたやり取りについていけずただ眺めることしかできなかった。
そんな海堂だが店員に学生証の提示を求められ、慌てて偽造の方を出しそうになりつつも赤宮の学生証を見せて事なきを得た。
美代は伝票と二人分のコップを受け取り、店員に言われた番号の部屋に海堂と向かった。
「よーし!歌うぞ~。二人で三時間だから結構歌えるかな」
部屋の電気をつけて置いてあるデンモクを手に取り美代は歌いたい曲の検索を始める。
海堂は初めてのカラオケルームに視線を巡らせる。ソファとテーブルがある個室でしかもジュースが飲み放題、それに加えて受付の店員に聞いた話によるとテレビで流れているような最新の曲も歌えるとか。海堂は施設の充実さに感心した。
「? 座れば?」
立ちぱっなしで感動している海堂を美代は不思議そうに眺めながら座るように勧める。
「おう。そうだな!」
いそいそと美代の隣に座り、彼女が操作するデンモクの画面を海堂は注視する。
「先に歌いたい?」
「いや?お先にどうぞ」
「そう?」
手慣れているもので美代はよどみなく指先をデンモクの上で滑らせていく。
曲を入れた美代はソファから立ち上がり、壁に設置された大画面の液晶を見つめる。
デンモクで選曲した曲が壁の液晶に表示され前奏が部屋中に響き渡る。
街中や商業施設で流れている聞き覚えのある曲だ。ただし、音量が大きい。
個室はこれが理由かと楽曲の騒がしさに海堂は顔をしかめそうになる。
だが、少しだけ頬の赤い美代をみて表情を抑えた。
慣れているとはいえ、出来たばかりの友達と初めて行くカラオケ、しかもトップバッター。美代でも緊張することがあるんだなと海堂は新しい発見をした。
美代は緊張を吹き飛ばすかのように元気に声を張り上げる。
「準備オッケー。行きまーす!」
「海堂はさぁ、歌わないの?私、連続5曲目なんだけど」
テンポが速い曲を歌い続け、疲れた美代は海堂に問いかけた。
「いや、好きに歌ってくれ。カラオケって聞く方も楽しいんだな。知ってる曲を友達が歌うからまた違った風に聞こえて興味深い」
それは海堂にとって嘘偽りのない本音だった。歌い方も感情の込めかたも違うので知っている曲がまるで違うものに聞こえてくる。美代は歌はうまい方なので海堂は十分楽しむことができた。ただし、楽しみ方はコンサートを聴くファンの楽しみ方だったのでカラオケの主旨とはかなりずれてはいたが。
「そ、そう。いつでも歌っていいからね」
苦笑しつつ美代はデンモクに自分が歌える曲を入れていく。
「おう!」
美代が次はどんな曲を歌ってくれるのか、海堂は楽しみで仕方なかった。
「美代、休憩入りま~す」
ふらふらとした足取りで美代は空になった自分のコップを手に部屋を出て、飲み物を取りに行く。
一旦休憩かと海堂はすこし残念に思った。二十曲も歌えば疲れも出るかと至極当たり前のことを海堂は考える。
美代がいなくなったことで手持無沙汰になった海堂は仕事用のスマホを起動しネットニュースを見る。強盗事件、追突事故など物騒なニュースが画面を飾っていた。事件のニュースの項目をタップし発生した場所を確認する。すぐに戻して様々なニュースの項目を流し読みし事件、事故の項目をタップし場所を確認する。その作業を憑りつかれたかのように繰り返す。
確認したほとんどの事件、事故が渋谷、もしくは周辺で起きていた。日にちはあの伊達丸幸雄と遭遇した三月二十六日以降。
そのうちどれが本当の事件、事故なのか海堂には分らなかった。あまりにも多すぎる。未確認生命体の送還には現場を隔離する必要があるため事件や事故として装い一般人を寄せ付けない。おそらくこのうちの何割かは退魔局が関与している。自分が退魔師の活動を止めてから未確認生命体の出没が増えたのか、と海堂は思案する。いや、と少年はかぶりを振る。伊達丸幸雄が現れてからかと考えを改めた。
海堂はソファに深く座り込み、天井を見つめる。薄暗く締め切られたこの部屋はあの時のマンションの一室のように思えた。思わず笑ってしまう海堂。
「休暇にしては長すぎないか?おっさんよ」
海堂以外誰もいない部屋で少年は独りごちる。それに応える声はなかった。
「ただいま戻りましたー」
美代がコップにジュースを注いで戻ってきた。少しの間だけでも休憩できたからか足取りはしっかりしたものに戻っていた。
「おかえりー」
今こんなことを考えている場合じゃないなと海堂は自身の逸る気持ちを無視し通知の来ないスマホをスリープ状態にした。
退魔局から要請がない以上もう少年は退魔師と呼べないのだから。
枯れた声を出し喉を抑える美代とけろりとした海堂はカラオケ店を出る。
「づがれだ~。声ガラガラだよ~」
だらりと猫背になり喉を抑える美代。
「歌うとそんなに声が枯れるもんなんだな」
少女に三十曲以上歌わせた海堂は他人事のように言う。
「そりゃあ素人ですから。何曲も歌ったらこうなるよ~」
猫背だった美代は背筋を伸ばし、体をほぐす。
「悪い。途中で交代すればよかったな」
カラオケとは交代しながら歌うものなんだなと海堂はようやく理解する。美代は過酷な労働をさせた海堂に対し金額分は楽しめたのかと心配そうに聞いた。
「そっちこそ歌わなくてよかったの?」
「ん~全部の歌詞を覚えてる曲とかないしな」
美代の問いにあまり考えず海堂は言葉を発する。そんな少年の答えに不思議そうに美代は聞き返した。
「一曲も?音楽とか聞かないの?」
怪訝な顔をする美代に少し考えながら海堂は答えていく。
「……ないかな。元々聞く習慣がなかったのとバイトで忙しかったし」
美代は海堂の答えに一瞬言葉が詰まる。それなら、と美代は自分がすることも少年もやろうと提案した。
「……そっか。これからいっぱい探そうよ。好きな曲、お気に入りの曲はぜったいあるはずだからさ」
友人の気遣いに海堂は少しだけ照れくさくなる。たまにはそういうこともありかなと美代の提案に同意を示す。
「……俺も美代に倣ってそういうの探そうかな」
「お!海堂もついに分かってくれたの!?人生は、限りある時間はおもしろいこと、楽しいことのために使うべきだって」
海堂の思わぬ答えに美代は嬉しそうにはしゃぐ。
「そんな人生の全部ってわけじゃないけどな。今までやってこなかった分楽しんでみようかなーと」
海堂はあくまで気持ちだけだと天真爛漫な笑顔を浮かべる少女に伝える。
「いいんだよ!その気持ちこそ大事!」
それで問題ないとサムズアップする美代。
「テンション高いなー」
そんな少女に海堂は苦笑する。そういえば、と海堂は美代に尋ねる。
「次はどこに行くんだ?」
「つぎはあれに行きます!行ったことないでしょ?」
高いテンションを維持したまま美代はとあるビルを指さす。
「あの一番高いビルか?」
美代が指さす方向を海堂は見る。そのビルはこの付近で一番高くそびえ立っていた。何より目立つのはビルの下部に3D広告が設置されているところだろう。今は三毛猫がこちらを睨んでいた。
「そう!渋谷スクランブルラウンジ!あのビルで服を買って、ご飯食べて最後に屋上の展望台に行きます!」
今後の予定をビルを見上げながら美代は海堂に話す。
「へー。屋上入れるのかあのビル」
海堂は屋上付近に目を凝らす。確かに少女の言う通りうっすらと人影が見えた。
「一番の目玉がそこなんだけどね。ホントに行ったことないのね」
美代は振り返り苦笑する。
「まあな。ていうか服も買えるし飯も食えるのか」
「オフィスも入ってるけどビル型の商業施設みたいなもんだから。雑貨売ってる店とかあるし」
あれだけの高層ビルだ。確かに沢山の店が入りそうだなと海堂は思った。
全部の店を回るのにどれくらいかかるだろうと海堂が考えていると美代が悲痛な声を漏らす。
「うわぁ、事故あったんだ。あれカラオケ入ったときはなかったよね」
海堂が視線をビルから美代が見ているであろう事故現場に移す。
既に警察が到着しており、黄色い規制テープとブルーシートで街道の一部を閉鎖していた。現場の進み具合から海堂は時間を逆算する。
「……あの感じだと早くて俺たちが店に入って二曲目くらいだろうな」
現場を遠くから見つめ続ける海堂の手を取り、美代は先へ促す。
「行こう。かわいそうだけど今は海堂が楽しむ時間だよ」
「……そうだな。警察もいるみたいだし。民間人の出番はないな」
海堂は出入りしているスーツ姿の人達の中に何人か見覚えがあった。その中にはあのおっさんと担当した捜査の時に会った警備課の二人組の男女もいた。
ほんの少しだけ後ろ髪を引かれる海堂。
少年のスマホはいまだ鳴らない。
「うーん。この色だとなあ。気になるなあ」
海堂と美代は渋谷スクランブルラウンジ内の数あるアパレルショップの一つにいた。美代は試着室の一つを陣取り傍に店員を侍らせ、ああでもこうでもないと唸っていた。
「俺、ジャージに似たようなやつでいいんだけど。こんなおしゃれじゃなくても」
試着室で美代と店員の着せ替え人形になっていることにげんなりする海堂。
「何言ってるの。人生楽しむなら毎日着る服が大事。服はいろんな自分を表現できる素敵なアイテムなんだから」
抵抗しようとする海堂に美代は服とは人生におけるマストアイテムだと説いた。
後ろに佇む店員が同意するかのようにうんうんと頷く。
「これと同じ服で違う色ってありますか?」
美代は顎に手を当て店員に他に色はないかと聞く。
「もちろんございますよー。お持ちしますねー」
「お願いします」
店員は服を取りに店内に戻っていく。
「えー。まだ着るのか」
店員がその場から消えてから海堂は美代に不満を垂れる。
「ほんとなら服やズボンとかいろんな所見て回りたいんだけどね。ここで揃えるのが一番安いんだよね。あんまりお金持ってきてないでしょ」
海堂に後ろを向かせて美代は背中側からみた全体のバランスをチェックする。
「物ごとに別の店行くのか!?」
海堂は驚きながら美代を鏡越しに見る。それは店を行ったり来たりでとても時間がかかるのではないだろうかと思った。
「それが普通よ。お気に入りのブランドとかあったりするけど。自分が気に入ったものを掛け合わせるのが楽しんじゃない」
美代は鏡越しの海堂と目線を合わせて平然と言う。
「なるほどー。奥が深いなあ」
ファッションの奥深さに感心する海堂は鏡で自分の背中を見たり、ズボンの生地を確かめたりして自身の服装を確かめる。長い黒の薄手のコートがはためく。
コートの動きに合わせて揺れている値札を手に取り値段を確認する。
「一つでこんなにすんの?」
硬直する海堂に美代は現実を教える。
「安くてそれよ」
「へへっ、すげえや」
海堂は変な笑いがでてきた。
「この色のアウターはどうでしょう?彼氏さんが来ているパンツは細身のタイプですのでオーバーシルエットでも全然OKかと」
海堂が来ている色違いの上着ともう一つ別のものを携えて戻ってきた店員が美代に薦める。
「海堂はどう?上がゆったりしたものでも大丈夫?」
店員の彼氏という言葉を聞き流しつつ美代は海堂に聞く。
「いや、俺は上も下もオーバーシルエット?なのはちょっとな。俺に合ったサイズがいいんだけど」
ようやく自分の意見が言えるとほっとしつつ海堂は美代と店員に好みを伝える。
「なるほど。彼氏さんはゆったりしたものではなく自分のスタイルに合ったものをお探しと。……少々お待ちくださいませー」
そそくさと姿を消す店員。店内から海堂のリクエストに合うものを探しに行ったのだろう。
「忙しないな」
海堂は店員の様子を見て呟く。
「それがお仕事みたいなもんだし。初めてのおしゃれってことで店員さんも気合入ってるんじゃない?」
大体こういう感じ、と美代は海堂に教える。
「何着も着せてもらってるけど全部は買えそうにないんだけど」
海堂は試着室に置かれている何枚もの服を見ながら申し訳なさそうにする。
「全部は買えないでしょ。気に入ったコーデ一揃いだけ買ってご飯食べに行こう」
「そうするか」
今後の予定をすり合わせる海堂と美代。
「お待たせしましたー」
店員が数種類のアウターを持ち二人の元に戻ってきた。
海堂が気にいったのは青いデニムジャケットをアクセントとしたモノトーンなコーデ。
インナーには白のパーカー、ボトムスは黒のスキニーパンツ。
「うん、柄がないのがわかりやすくていいなこれ」
腕や足をぐるぐると回し、服が自分の身体にしっくりくるか確認する海堂。
「いいじゃん。様になってるよ。やっぱり服が変わると印象も変わるね」
身体の調子を確かめるような動きをする海堂に美代はついつい笑いつつ褒める。
「着て帰ることも可能ですよー」
店員が気の利いた提案をする。
「じゃあお願いします」
「分かりました。一度お会計した後に試着室でお着替えくださいー」
会計に気に入った服を海堂は持って行った。
「三着でこんだけするんだな。財布の厚みが……」
予想外の出費に海堂は普段はジャージでいいかと能天気に考えていた今までの自分を呪いたくなった。
「まあ、私たち高校生だし。制服で出かけるってのもありだから、そのコーデは勝負服ってことにすればいい値段じゃない?」
しょぼくれた海堂に見方を変えてみようと美代は元気づける。
「大事に着ます……」
ひしと海堂は服を抱きしめる。
「次はご飯。目的地は上の階だよ」
美代はそんな海堂の姿にクスクスと笑いつつ上を指さす。
「段々、上に上がって最後は屋上って感じか」
美代の指指す上の方を見ながら海堂は今後の動きを理解する。
「そういうこと!」
「う~ん、この天ぷらさくさくでおいしい~」
「うどんもコシがあってうまいな」
二人が選んだのは麺類の店。他の店と比べ価格が安くチェーン店なのもあって味にある程度の保証があるのが決め手だった。
「悪いな。手持ちの金があんまなくてさ」
もう少し所持金があれば他の店も選べただろうと海堂は美代に謝罪する。
美代はそんなことはないと笑いながら否定した。
「もう、謝ってばっかり。おいしいご飯ももちろん食べたいけど、友達と食べるご飯はそれ自体が楽しいのに。これがおいしい、これが好きとか言いながら」
それにさ、と美代は続ける。
「海堂とご飯行くの楽しみだったんだから。こういうのが海堂らしいならこれがいいよ」
「普段着をちゃんと買ってればな~」
これはこれで楽しいとおいしそうに蕎麦を啜る美代に余計に海堂は後悔の念に駆られた。
「過ぎたことは仕方ないよ。ポジティブに考えるべき!例えばそうだな~。一人で買い物するより友達と買い物することでよりいい服が買えたとかさ」
さらにしょげる海堂に美代は自分だったらこう考えると慰める。
「確かに。俺一人じゃ買えなかった」
そういう考えもあるかと考え直す海堂。
「捉え方次第じゃない?何事もさ」
何事もポジティブにとらえる美代が言うと説得力があった。
確かに退魔局から処分を受けなかったら美代たちと出会うこともなかったかと海堂は思いを馳せた。
食事を楽しみ、お互いの皿が空になったことを確認するとごちそうさまと両手を合わせる。
「じゃあ屋上行こうか!」
店から出て最上階へ直通のエレベータに二人は乗った。
最上階についた二人はテラスに出てエスカレーターに乗り屋上の展望台へと上がる。
海堂の頭に浮かんだ最初の感想は視界を遮るものが何もないということだった。
いつも高層ビルや商業施設といった建築物に阻まれていた視界が広がり開放感さえ感じさせた。
「すげー高いな。周り全部見渡せる!」
「渋谷で一番高い展望台だもん。東京タワーに、ほらあそこスカイツリー見えるよ」
「ほんとだ。あれか。あれもやっぱり高いもんだなあ」
子供のようにはしゃぐ海堂に隣でしょうがないなといった笑みを浮かべる美代。
美代の言うとおり東京タワーはもちろんのことスカイツリーも見えた。
海堂にはこの高さからの景色だといつも見えていたものが違う風に思えた。
「今度はスカイツリーにも行ってみようよ」
美代の提案に海堂は笑って同意する。
「そうだな。ここよりもっと見渡せるんだろうな」
しばらく二人で景色を楽しんでいると海堂がぽつりと呟いた。
「美代。ここにしばらくいてもいいかな?」
「いいよ。私、後ろの方で待ってるから」
海堂はガラス越しに渋谷を見下ろす。
沢山の人達がビルの隙間を縫うように歩いていく。いつも通りの日常がいつものようにあった。ニュースでは事件や事故が多発しているにも関わらず、自分たちには起こりえないことだと信じて日々を過ごしていく。事件や事故以上のものが毎日のように起きているのにそれを知らないでいる。海堂はそれを知っていて人々に知られないように処理をしてきた。時間、生活、命を削ってまで人々に平和という嘘を信じてもらうために。何もしなかった自分を振り払うために。
そんな少年が今は大勢の一人になった。知らないふりをして、来ないかもしれない未来のことを口に出す。本当は平和なんてなくて来るはずの明日が来ないかもしれないのを知っているのに。このまま何もしなくて良いのだろうか。海堂はガラス越しの街を見下ろし自問する。
どれくらいそうしていただろうか。太陽が傾いていく。街並みが明かりを宿していく。曇天の空の下、人工的な光が渋谷を照らす。
海堂は仕事用のスマホを取り出し昨日の土蜘蛛との遭遇を思い出す。
昨日の出来事は退魔局に未練を持つ己を断ち切る儀式のような戦いだった。二度の失態に加えての命令違反。もう戻ることはできないだろう。前まで、退魔師以外の生き方など考えられなかった。それしか自分の生きる道はないと思っていた。自分の本当の家族が焼け死んだあの日から。
正直なところ不安がないと言えば嘘になる。だが、海堂には美代という人生を楽しむことを生きがいとした少女がいる。来ないかもしれない明日のことより確かな今日をどう全力で楽しむか、彼女に倣って少年は生きようと思った。
取り出したスマホの電源を落とす。もう通知を確認する必要はない。
海堂は街並みから背を向け後ろを振り返る。ベンチに座っていた美代が少年に気づいて片手を振っていた。
海堂は美代の隣に座る。ベンチからでも人口の光で彩られた街並みは海堂の目に映った。
「綺麗だった?」
美代は隣に座った海堂に声をかける。
街並みから視線を離さず海堂は感想を言った。
「ああ、十分すぎるくらい。」
「それなら良かった」
しばらく間を置いて海堂が口を開いた。
「俺さ、友達と出かけるってことなかったんだよ。カラオケ行ったり、服を買ったり、飯を食べたりとか。仕事して寝に家に帰って、何もない日も仕事のことをずっと考えて。こんなこと考えもしなかった」
「……」
眩しいものを見るように海堂は目を細める。
美代は海堂の言葉を黙って聞いていた。
海堂は美代に視線を移し楽しそうに笑って礼を言う。
「すげー楽しかった。誘ってくれてありがとな。美代」
「どういたしまして!!」
美代は笑顔とピースサインを添えて返事を返した。
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