第2話 素晴らしきかな学園生活

 任務からちょうど一週間後の四月二日、海堂は糊の利いたえんじ色の制服に袖を通していた。姿見で自身の姿を見る。どこにでもいる少し気だるげな高校生がそこに映っていた。


「はあーあ」


 ため息を吐きつつそのまま床に倒れこむ。倒れこんだまま左手を顔に翳す。その腕に着けたスマートウォッチでは時刻は午前七時半を表示していた。ついでに天気は降水確率0%の雲一つない快晴。自身が抱える気持ちとは裏腹な晴れ模様に舌打ちをする。


「いまさら高校生活といってもな」


 今日から五日前、つまり三月二十八日に未確認生命体対策局、通称退魔局から通達が来た。無期限の未確認生命体に対する捜査の停止処分、つまり実質的なクビである。


 海堂は退魔局の人間として訓練期間を含めると十歳から働いてはいたが、まだ正式な捜査官ではなかった。書類上ではたまたまその場に居合わせた民間人として退魔局の捜査協力に応じ、事件を解決に導いたことになっている。でなければ警察組織に属していない未成年の少年を捜査官として働かせていることになってしまう。未確認生命体に対する送還には特別な素質や特殊な訓練が必要なため、こういった警察官ではない素質ある民間人に協力を仰ぐのはよくあることだった。協力者が十代前半の未成年なのは極めてまれではあったが。

 

 退魔局には現場で未確認生命体の送還を執り行う未確認生命体対策課と現場の警備及び後処理を行う警備課、未確認生命体の情報を集め分析を行う未確認生命体対策支援分析課が存在する。


 この中で未成年の海堂が関われるのは対策課のみ。他の課は警察の通常業務と同様なため民間人の協力を得る必要がない。通常、対策課で捜査に従事できないほどの負傷を負った者、事件解決能力が十分ではないと判断された捜査官は他の課に回されるが海堂は民間人の捜査協力者でなおかつ未成年。そのまま無用とされてしまったのだ。


 つまり空白期間一年持ちの中卒の無職となってしまった。


 散々働かせておいていきなり無職は忍びないと思ったのか、退魔局は自宅から近い高校の転入手続きを行っていた。海堂は机に無造作に置かれた通知書に添付されていた履歴書と二枚の学校案内書を見る。


 履歴書には海堂が知らない間に都外のとある全寮制の高校に一年間、通っていたらしい。そこの高校の制服は捜査活動する際に貸し出された制服とよく似ていて思わず苦笑してしまった。それはつまり退魔局は海堂が辞めることも想定して動いていたということになる。


「辞めるつもりはさらさらなかったよ」


 本人が辞めるつもりがなくても辞めさせられることはよくあること。海堂は二度の失敗を犯した。一度は未確認生命体を完全受肉させる手前までいき、二度は正式な捜査官を伴わず単独での捜査を行い、見知らぬ民間人を退魔局の許可なく現場に招いたこと。


 二度目の失敗が決定的だったのだろう。捜査のレポートを本局から要求され、詳細に、あるがままに書いたが結果は御覧のあり様である。未成年を非合法な活動から足を洗わせ、健全な社会復帰を促したと言えば聞こえは良いが。


 実質クビであった海堂ではあるが諦める気は微塵もなかった。なぜなら、通達の内容をよく見ると完全ではなく無期限の停止処分。退魔局はまだ少年の力を見限ってはいないということだろう。もしまた声がかからなくとも再来年の四月から正式に警察官を目指し、退魔局に帰り咲くこともできる。今はまだ雌伏の時、抗議や反抗などをせず、淡々と健全な高校生活を送ることが退魔局へ復帰する一番の近道だと少年は考えた。


 考えてはいたのだが、体が動くかは別物で八時になるまで床の上でぐだぐだとしていた。


 美代希みしろのぞみにとって始業式とは楽しいイベントの一つであった。クラス替えで元のクラスメイト達と離れ離れになるのは確かに悲しいことではあるが、見知らぬ人たちとクラスメイトになれる絶好の機会。顔だけは知っている名前や性格を知らない人たちと一年間を共に過ごす。これからの一年間を想像するとワクワクが止まらなかった。

 

 美代は朝早くに登校し、靴箱に貼ってあるクラス表で自分のクラスを、黒板に貼ってある座席表で自身の席を確認し座る。一番後ろの真ん中の席。自分以外は誰もいない教室。涼しげな春風が窓から吹き抜け、カーテンを揺らす。東から昇る朝日が無人の席を暖めていた。


 これからこの教室で大勢の人と過ごすのかと美代は感慨に耽る。時計の針が回るにつれて教室内に人がまばらに入り始めた。友達や元クラスメイト、顔だけは知っている人達。続々と入る今年のクラスメイトの顔ぶれを覚えようと教室の入口を見ながら美代は時を過ごした。


 時計の短針が八時を通り過ぎたころ、ほとんどの生徒が着席し、自分の周りの人間とぎこちない会話を繰り広げる。無理もないなと美代は思った。知っている人はともかく知らない人と談笑するのはよほど気が合う人間同士でなければ難しい。しかも一年間その人と一緒なのだ。最初は慎重になるのも仕方ないことだった。


しかし、美代は他人と打ち解けるのは早い方であった。だから両隣や斜め前の生徒が元クラスメイトでなくても早い段階で談笑することができた。


 そんな美代ではあったが一つ小さな不満があった。前の席の住人がいつになっても来ないのだ。学校の方針で最初の席順は名前の順ではなくランダムとなっている。その方が新しい友人を作る機会が多くなるとか。先生は顔と名前を一致させるのが難しいと愚痴をこぼしてはいたが、美代はその方針を作った人とは親友になれると確信していた。実際、打ち解けた周りの人間はあいうえお順だと隣合わない人たちであったから。


 いつになっても来ない前の住人にじれったい気持ちになりつつ、教室の扉を凝視する美代だったがそこに見知らぬ人間が入ってくる。


 パリッとした新品の制服を身に纏い、それに似合わない眠そうな少年が入ってきた。その少年を見知らぬ人と評したのは雰囲気が自分を含め他の学生とあまりに違っていたからだ。朱に交われば赤くなるとはよく言ったもので、同じ空間で過ごし続けると人は同じ雰囲気を纏う。学校生活も同じで相手が同学年か他の学年かもなんとなくではあるが分かるようになってくる。そして、その見知らぬ少年は特に異質で同学年どころか同じ学校の人間には思えなかった。他の生徒も少年の雰囲気の違いに気づいたのか別の意味で騒がしくなる教室。


 少年は教室の喧騒を特に気にせず、前の黒板に貼ってある座席表で自分の席を確認していた。


 確認し終えたのか、少年は振り返り移動を開始する。今や教室の誰もが彼の行動を凝視していた。少年の動きに全く迷いがない。わかりやすいところに席があるのだろうか。


 前一列を通り過ぎる。二列目、三列目を通る。


 美代は彼がどの席に座るか分かっていた。なぜなら少年は美代をずっと凝視していたから。少年は真ん中の横五列目、最後の列から一列前で足を止めた。


 手に持っていた学生カバンを机に置き椅子に座る。ようやく教室を漂う変な空気に気づいたのか、周りをキョロキョロと見回す。


「なあ」


 少年は右隣の男子生徒に話しかける。


「え?なに!?」


 いきなり話しかけてくると思わなかった男子生徒が慌てて返事をした。

 少年の次の言葉を固唾をのんで待つ美代。


「これって何の席順?」


 楽しいイベントがまた一つ増えた瞬間だった。



 海堂時恩という人間は環境に適応できる人間である。

 気持ち一つ切り替えることができればその場にふさわしい言動をとることができた。


 事前に郵送されてきた履歴書では自分は都外の全寮制の高校に一年通っており、そこからこの赤宮あかのみや高校に転入したことになっている。学校を移動した理由は全寮制の高校の制限の多さに嫌気がさした、と束縛を嫌う思春期の若者らしい理由をでっち上げた。


 設定が破綻しない程度の作り話を織り交ぜながら海堂は周囲の人間と談笑することができた。海堂は話し相手から巧みに情報を引き出している少女をそっと尻目に見る。茶髪セミロングの小麦色の肌をしている少女の名前は美代希。


 海堂が周囲の人間と簡単に打ち解けたのは彼女が周囲の雰囲気を揉み解していたからだ。彼女自身が主体となりつつも相手の聞き役に徹する。聞き役がいることで相手は自分の話をしやすい形となり、周囲がお互いのことを知る。話したがりの高校生には中々できない芸当だった。


「海堂ってさ、部活何入るか決めた?」


 海堂が一番最初に話しかけた長身の少年が尋ねる。名前は岩村祐一。所属している部活はソフトボール部。野球経験者は軟式と硬式の野球部に流れてしまうため、毎年入部希望者が少ないと言っていた。転入生である海堂を誘いたいのだろう。


「でも放課後や土日にも練習があるんだろう?ソフト部って」

「まあ、そーなんだけどさあ」


 逆境でこそ燃える人間はいるもので経験不足、人数不足であるからこそ鍛えにゃならんとソフト部の監督はやる気に満ちているらしい。


「やめときなって。せっかく海堂君は自由を求めて羽ばたいてきたってのにさ。あの鬼監督がいるソフト部なんて」


 鬼監督ってことソフト部の部員以外にも知られているのねと岩村は苦笑した。

 ソフト部の監督を鬼と評した海堂の左隣の席の少女の名前は若草ゆきな。所属は書道部で何度かコンクールで受賞しているとのこと。書道に目覚めたきっかけは小学生の頃に夏休みの課題でだした書道が県の賞状に換わったこと。家や部室でコンクールに出す作品を日夜、書いているらしい。


「でもそこまで熱意のある部活の監督って今時珍しいよな」


 海堂は顔も知らない鬼監督のフォローに入った。さすがに顔も名前も知らない人の悪評をそのまま受け入れることをしなかった。そのフォローを入部希望と勘違いした岩村はパァと顔を輝かせる。


「まあ、入らないんですけど」


 海堂は満面に喜悦の色を浮かべる岩村をバッサリと切り捨てた。入部を否定され、顔に影が差した岩村はそのまま机に顔を伏せた。


「書道部はどう?結構自由だよ。ほとんど活動は個人で、作品を出せばオールオッケーみたいな感じよ」

「その作品を作るのに四苦八苦してるんだろー」


 図星を指された若草はウッとなる。もしかしてどこかの部活に入るまでこれは続くのかとげんなりとする海堂。そんな海堂は後ろから背中を何かでチョイチョイと小突かれた。振り返ると美代がシャーペンのノックボタンで背中を小突いていた。


「海堂って休日何してるの?バイトとか?」


 ノックしたせいで出てきていたシャーペンの芯を人差し指で戻しながら美代は海堂に聞いた。ああ、それならと海堂は椅子を後ろ向きに座り直し、美代の問いに答える。


「こっちに移ってから一人暮らししてるんだよ。親からの仕送りはあると言え、足りないからさ。だから休日はちょくちょく短期や日雇いのバイト入れてんだよね。なんも予定のない日はボランティアに行ってる。ゴミ拾いだけど」

「へー、バイトやボランティアかあ」


 ほとんど嘘の内容がない話を周囲に海堂は聞かせた。海堂は中学を卒業してからは一人暮らしである。家族からの仕送りは本当で、短期や日雇いのバイトは退魔師の仕事のことを指していたし、ボランティアも退魔師の仕事のない日には必ず入れるようにしていた。嘘を吐いた部分は始めの部分の期間だけであった。


「そっかー。それじゃ部活は無理だね。ごめんねー!」


 海堂の休日の過ごし方を隣で聞いていた若草が両手を合わせて頭を軽く下げる。

 同じく話を聞いていた岩村は顔を机に引っ付けたまま感心したように呟いた。


「ボランティアってすげえな」


 海堂は大したことないと片手をひらひらさせる。二人の純粋な反応に決まりが悪いと感じたのか、海堂は誘いを断ったことを謝罪した。


「いや、こっちこそ部活に誘ってくれたのに悪いな」

「いいって気にしなくても。だめで元々の気持ちで誘ったんだし」

「そーそー。改めて考えると鬼監督のしごきの被害者を増やす必要はねえなと思ったわ」

「なんだそりゃ」


 岩村の冗談に笑いあう海堂達。海堂は一年間を過ごすこのクラスで最初にこの三人と仲良くなれたのはかなり恵まれていると考えた。席順がこのランダムで良かったと方針を考えた人に感謝する。


 時計の長針が十の数字を過ぎた頃、スーツを着た大柄な男性が教室に入ってきた。

 おそらく担任であろう教師の到来に海堂達は前を向き座りなおす。


「みんな、来ているな。このクラスを担当することになった大前田だ。二年生の数学担当だったから君たちとは初めましてだな。よろしく頼む」


 大前田は教卓に貼られている座席表を見て誰かを探す。彼は目的の人物の座席を見つけたのか前を向く。海堂は担任と目があった。


「おっ、君が海堂君か。君も初めましてだな。えっー、もう何人かは知っていると思うがうちのクラスに新しい友人が入ってきた。海堂君。前で自己紹介しなさい」

「……えー、分かりました」


 海堂はいきなり大勢の前で自己紹介させようとする鬼畜教師に参りつつも席から立ち、教卓に向かって歩き出す。


「頑張って!」

「がんばれー」


 サムズアップする美代と手を振る若草。岩村は応援の言葉をかけずニヤニヤと笑っている。

 そんなおおげさな三人に苦笑しつつ、大勢のクラスメイトの前でどんな法螺話を吹こうか海堂は思案した。



 つつがなく始業式が終わり各クラスがHR《ホームルーム》を始めた。海堂が所属するクラスでは担任の大前田が諸連絡を手早く終わらせ、生徒が自己紹介をする時間を作った。


 クラスメイトの自己紹介に拍手は起こり、次のクラスメイトが自己紹介する。聞こえた同級生の情報を頭の片隅で整理しつつ、美代は別のことで頭がいっぱいだった。海堂時恩のことだ。転入生が来たということは誰にとっても十分おもしろい出来事ではある。しかし、その転入生である海堂が何かを隠している、もしくは嘘をついていることは美代にとって転入生が来るよりも興味が引かれるイベントであった。


 海堂時恩という人間は本来嘘が苦手な人間なのだろうと美代は当たりをつける。嘘が苦手な人間が嘘を吐こうとするとき、多くの情報を自分から話す。相手が聞いてもいないのにだ。多くの情報の中に一つだけ嘘を混ぜ、罪悪感を打ち消そうとする。


 海堂の話もそれに当てはまった。最初は自分の話をたくさん聞かせたい人間なのかと思ったが、美代が聞いた休日の話は必要最低限の内容で済ませていた。前の学校の話をべらべらと無駄に喋っていたのにだ。それに学校で起きた出来事の内容があまりにも具体的過ぎた。何月の何日に、誰がどうした、など。まるで昨日、そんな出来事があったかのように鮮明に話していた。あまりにも嘘くさいなと美代は海堂の背中を疑いの目で見つめる。


「海堂は……自己紹介終わったな。もう一回やるか?」

「いやもうお腹いっぱいです」


 大前田と海堂の軽口に笑みがこぼれるクラスメイト達。海堂という存在は早くもクラスの人間に受け入れられていた。


「じゃあ次は……美代だな。」

「はーい!」


 ようやく自分の番が来たと美代は立ち上がる。

 ちらりと海堂の方を見る。岩村と一緒にニヤニヤしながらこっちを見ていた。


「美代希です!一年のクラスは二組でした。部活は帰宅部です。好きなことは楽しいこと、おもしろいことを探すこと。嫌いなものは……嘘がきらいですかねえー」

「先生もだな!」

「目標はみなさんと友達になることです!よろしくお願いします!!」


 大前田の茶々をスルーし自己紹介はやり終えたと拍手をされながら美代は席に座る。

 そんな美代の雑な対応に意気消沈した大前田はその様子を生徒に笑われつつも、次の生徒の自己紹介の進行を進めた。


「次……花岡」

「ウッッス!!!」



「嘘、嫌いなんだ?」


 振り向いていた海堂が自己紹介を終えた美代に尋ねた。やっぱり聞いてきたかと美代は苦笑した。それは自分の嘘がばれてないか探る人の動きのそれだった。


「好きな人ってあんまりいないでしょ。他人のために吐く嘘ってあるけど、言われた側はたまったもんじゃないと思うよ」


 おもしろいこと、楽しいことを探すのは美代の人生そのものと言っても過言ではなかった。嘘とはそれを隠し、つまらなくしてしまう対極的な行動だと美代は常々考えていた。


「それが本当に他人を気遣っての嘘でも?」


 先ほどよりも緊張した面持ちで海堂は聞いた。そんなに自分の嘘がばれたのか気になるのか、と美代は海堂の行動に呆れた。


「うん。私に限って言えば嘘より本当のことが知りたいよ。あ、もしかしてもう私に嘘吐いた?」


 海堂はぶんぶんとかぶりを振った。あまりの必死さに美代の心は彼の嘘を暴こうかと鎌首をもたげる。


「いや、全然そんなことはない」

「ならいいけどー。本当のことだけ話してよねー」

「そうするよ」


 ほっとした表情で前を向く海堂。美代は確証がない今、そんなことする必要はないかと考えを改めた。二年生なって初めての登校日、人生で一度きりの時間。無理に争う必要はない。穏やかに行くべきだ。


「…………今はね」


 ぽつりと美代がつぶやいた言葉は春風に乗ってどこかへ消えていった。

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