夢現ハルシネイション

雨空りゅう

第1話 夢から渡るモノ

 東京、渋谷。大勢の人が溢れかえり、他者の生活に無関心なこの町。

しかし、今回の騒動は興味が引かれるこそすれ、人々の関心を失くすことはなかった。


 夜、とあるマンションの一室で事件が起きた。その一室を囲うように黄色の規制テープが巻かれ、周りの目を遮るようにブルーシートが張られている。忙しなくスーツを着た警察官らしき人達が出入りを繰り返していた。


 降りしきる雨の中、そんな非日常の光景を一目見ようと大勢の野次馬が通りに集まっている。そんな野次馬に溶け込むように中年と高校生らしき男二人組がビニール傘を差しながら事件のあったマンションの一室を見上げていた。


「情報規制は大丈夫ですか?」

 

 紺色のブレザーを着た少年が隣に立つよれたブラウンのコートを羽織る中年の男に問いかける。男はにやけながらもらったばかりの新鮮な情報を眉間に皺を寄せている少年に話す。


「連絡があって問題はないってよ。今回はすごいぞぉ。男女の痴情の縺れで浮気された女が男を刺したって話になるらしい。くっくっくっ」

 

 お互いに顔を見合わせずに言葉を交わす。架空の設定でも他人の不幸が嬉しいのか笑い声が漏れる中年の男。


「そんなだから独り身なんだろーが。おっさん」

 

 視線を寄越さず、そんな大人げない男に眉どころか顔をしかめながら毒を吐くブレザーの少年。二回りくらい年下の人間に嫌味を言われたのが悔しいのか、男はより大人げなくなる。具体的には小学生あたりまで退行した。


「あー、言っちゃいけないんだあ。周りからせっつかれてるおじさんをいじめちゃいけないんだぁ」

「ガキかよ」

 

 傘を持ってない方の腕を顔にあてよよと泣くふりをする未婚の男。そんな可哀そうな男を慰める優しい心を少年は生憎持ち合わせてなどいなかったようで、一言だけ呟いてため息を吐く。

 

 ブレザーの少年が一瞥もせずに放置していると一通り満足したのか、中年の男はふざけるのを止めた。おちゃらけた態度から一変して真面目な表情になる。


「で?そんな俺より年下の少年である君は大丈夫なのかい?前回はひどかったそうじゃないか。もう少しでところだったんだろう」


 中年の男は一人の大人として、先輩としてまだ未熟で子供な少年の身を案じた。先日、少年ともう一人の捜査官で対応した未確認生命体の捜査が非常に困難な代物で、二人のうち一人は重傷を負ったと聞いた。男は少年がこの場にいることからもう一人が重傷を負ったのだろうと結論付ける。


までもう少しでした」

 

 少年はほとんど呻くように言葉を吐く。


 それは最悪の一歩手前だ。二人共が、片方が重傷とはいえ、生還したのは奇跡に近かった。男は少年の言葉に驚き、顔を見ることはないが厳しい表情で冗談を交えながらも𠮟責した。


「完全受肉する直前まで許したのか。もうそろそろ休暇でもとったらどうだい?そんなんじゃあ足手まといもいいところだよ」

「頭の皿カチ割って還してやりましたよ。それにこの仕事って休みたいから休むってできるほど軽いものじゃないでしょう?」

 

 重傷を負っている人間を心配こそすれ自分に情けをかける必要はないと、少年は男の腐心をけろりとした表情で受け流す。


「……違うな。残念ながら」

 

 少年の言う通りこの特殊な仕事は万年人手不足。世界と自分の休暇、どちらかを犠牲にと言われれば休暇返上も仕方ないことだった。


「じゃあちゃっちゃっと終わらせましょう。仕事と仕事の間が俺達の休暇なんですから」


 少年は群衆の中から抜け出し、さも住人の一人ですといった顔でマンションの中へと入っていった。置いて行かれた中年の男は丸刈りの頭を掻き、やる気があるのはいいことなんだがな、とため息を吐く。若人の尻ぬぐい、けつを叩くのはいつだってベテランの仕事なのだ。


「やりますかぁ。は~あ」


 

 ブラウンのコートを着た中年の男はエレベーターで問題の階に到着した。マンションの一室の見張りをしていた黒いスーツの男が近づいてくる。手には四角いカードリーダーを持っていた。


 中年の男は警察手帳をコートの内ポケットから取り出し、カードリーダーに翳した。目の前の男がであることを確認した黒いスーツの男は中年の男に向かって会釈し、脇にそれる。


 中年の男はそのまま黄色の規制テープやブルーシートを素通りしてマンションの問題の一室の玄関を開ける。電気をつけていないのか薄暗く、部屋の間取りが把握しづらい。奥になればなるほど濃くなる暗闇に男は侵入者を拒み、寄せ付けない印象を抱かせた。


 そんな拒絶的な印象はいつものことだと中年の男は気にせず、口笛を吹きながら土足のままマンションの一室に足を踏み入れる。通常の事件の捜査と違い証拠の保全などを気にする必要はない。一般人を入れないように規制をするのは別の理由があるからだ。


暗闇の中、先に入っていたのだろうブレザーを着た少年が部屋の真ん中で立っていた。今回の事件の原因が少年の視線の先、1LDKとなっているマンションの一室の奥の横長のリビングの壁にそれはあった。


 目が暗闇に慣れてきた男が壁を見る。ここの住人は多趣味なのだろう。スポーツバイクにサーフボード、インディーズバンドのポスターが壁を飾っている。住人の趣味で彩られた白い壁にガラスが割れたような大きな黒い亀裂が拡がっていた。一目見るとただの亀裂だが明確な違いがある。その亀裂は壁だけではなく壁に飾ってある物にまで拡がり、揺らめいた。


「なんだ。電気もつけねえで」

 

 後から入ってきた中年の男が現場をよく見ようと部屋の入口に掛けてあったリモコンで照明をつける。部屋全体に光を届かせるように天井の真ん中に設置されたLEDの蛍光灯に光が灯った。


 そこでもまたただの亀裂では見られない現象が起きる。光は亀裂の反対側、白い壁にのみ届き、亀裂とその周囲には届いてはいなかった。いや、届いてはいるのだろう。ブラックホールのように亀裂の中に光が吸い寄せられている。亀裂の周囲はいまだ暗く異常と日常の境界線を引いていた。


「おお、雰囲気があるじゃないか。今回は中々の強敵じゃないか?」


 亀裂の拡がり具合を見て口笛を吹く中年の男。そんな呑気なことを口走る男を部屋の真ん中に立つ少年がじろりと睨む。


「不確定なものを断定しないでください。餌になりたいんですか」


 未確認生命体を前に何をふざけているんだと少年は部屋の入口に寄りかかる中年の男を咎めた。この場では迂闊な想像や発言が命取りになる。故に一般人を遠ざけ、隔離する。慢心による巻き添えはごめんだと少年は言外に告げた。


「まさか口だけさ。この亀裂の中にいるのはナニカ。ほかの何モノでもない。ちりばめられた情報をもとに人間の想像力を餌として受肉する。故に我々はこれに名をつけず。わからないモノをわからないものとして処理する。基本はちゃーんと分かってるさ」

 

 この二人は警察関係者ではあるが捜査対象は人ではなく、未確認生命体と呼ばれるモノだ。彼らは未確認生命体対策局、通称退魔局の捜査官。そして男が少年に対して諳んじた内容は研修で習う基礎の基礎だった。


 少年は舌打ちしつつ、薄い笑みを浮かべる中年の男をなじる。


「分かってんならその通りにしてくださいよ」

「イラついてるねー。何日寝てない?俺の酒でも飲んで落ち着くか?」

 

 男は少年から感じる怒りを肩をすくめて飄々と受け流す。手に持っていたボトルを揺らしておどけて見せる。そんな態度と裏腹に男は少年を心配そうに見つめていた。少年の目元には薄くはない隈ができている。男は少年が責任感が強いことは前から知っていた。以前の捜査を失敗したことで自責の念にかられて少年がちゃんとした睡眠をとれてないことは手に取るように分かった。


「長期戦覚悟でここ四日ほど。ここが今日の俺の寝床です」

「ほお、ストイックなのは嫌いじゃない。けどあんまり根詰めすぎないように」

「まだ体に不調が出るレベルじゃないですよ。俺だってコレに殺されたくない」

「そうはならないことを願うよ」

「じゃあ始めましょうか」


 中年の男は一旦、酒の入ったボトルを床に置き、上着のポケットからスマホを取り出してボイスレコーダーを起動する。捜査対象を見つけた以上やることは一つだった。


「あーテス、テス。2024年3月26日20時31分。東京、渋谷。○○マンション。405号室。本局の情報から捜査対象をカテゴリーAと判定。これから未確認生命体の送還を執り行う。捜査官は二名。伊達丸幸雄だてまるゆきお海堂時恩かいどうしおん。つつがなく終わることを願っている。以上」

「最後のはいりますか?」

「いるさ。そう思っているからな」


 ウインクする伊達丸をガン無視し、闇と光の境界線上に体育座りして、眠る態勢に入る海堂。四日分の眠気が押し寄せてきたのか、うつらうつらと船をこぎ始める。伊達丸は部屋の入口に座り込み、ボトルに入っていた酒を一気飲みする。男の体が熱くなり視界が歪み始める。


「くぅ~。この酒はきついなぁ。……あぁ、眠くなってきたぞぅ。…………」


 視界が暗くなる伊達丸が見た最後の光景は海堂の頭が膝の上に乗り完全に眠りに落ちていた姿だった。



 伊達丸が周りを見るとマンションの一室が西洋風な部屋に様変わりしていた。豪華なシャンデリアに天蓋付きのベット。大理石のテーブルにはティーポッド一式が置いてある。眠りにおちた場所と明らかに違う場所。しかし、伊達丸には動揺は見られない。


「くさい」

 

 先に目覚めたであろう海堂は天使が描かれた天井を見上げ、立派な西洋風の一室に対し、瀟洒な飾りつけに目もくれず辺りに漂う匂いの感想を吐き捨てる。そんな少年に倣うように伊達丸も匂いを嗅ぐ。鼻の奥に甘美な香りが広がる。このような香りを楽しめないとはまだまだ子供だなと伊達丸は柔和な笑みを浮かべる。


「これは甘い香りというんだ。少年」

「起きましたか。見ての通り未確認生命体は形を成してきているようです。これを巣だとすると相手は西洋系のイメージが強い人によく似た何かの姿を借りている。おそらく悪魔あたり。」

 

 海堂は目覚めた伊達丸を目の端に捉え、夢の内容から今回の標的の予測をした。


「決めつけはまずいんじゃなかったか?」


 伊達丸は含み笑いをしつつ海堂の行動に疑問をぶつける。予想や想像は彼らの存在をますます強大なものにさせる。少年が先ほど注意したことだ。


「目の前の情報から送還対象である未確認生命体の役を組み立てることは決めつけではないですよ。それに合っていようが間違っていようが問題はない。もうここまで進行しているのなら今更俺らの考えで補強される心配もないでしょ」


 伊達丸の疑問に海堂は経験から答えを返す。もうここまで未確認生命体のイメージが固まってしまっているのなら正体の予測や推測をしないことは思考停止と言い換えられる。


 辺りを見回して送還対象がここにはいないことが分かったのか、海堂は部屋のドアの前まで歩き外に出ようとドアノブに手をかける。


「ここだとイラつきは収まるのかい?冷静だねぇ」


 目覚めてから座り込んだままの伊達丸が軽口を投げかける。海堂は男の言葉にほんの少しだけ動きを鈍らせる。少し間を置いて、硬い声で返答した。


「……さっさと対象を発見しましょう。ここまでとなると完全受肉するのも時間の問題ですよ」


 海堂は後ろで座ったままのベテランを待たずドアを開け、未確認生命体を探しに行く。やる気ある後輩に置いてかれた伊達丸はよっこいしょと体を起き上がらせて追いかける。


「りょうかーい」



 部屋の外も日本人が思い描く西洋風の城の廊下のような赤いカーペットが敷かれた道が続く。燭台の明かりが壁に掛けてある無数の宗教画を照らす。廊下の先は前後ともに見えない。明かりが十分でないことに加えてとてつもなく長い廊下のようだった。


 長い時間、二人は廊下を渡っていたが我慢の限界に達したのか海堂が大声で喚く。西洋風の部屋の中では冷静だった姿がもはや見る影もない。


「くせぇ。まじでくせぇぇ!!何なんだこのにおいは!」


 指で鼻をつまんで口呼吸してもなお、香りが鼻の奥を刺激する。甘い香りと言っていたが甘さが濃過ぎてもだめだろうと海堂は悪態をつく。伊達丸はこの香りの濃さでも平気なのかスンスンと嗅いで香りを確かめる。


「ふーむ、香水か何かだろうな。それはともかく、匂いが強くなってきていることはつまり……」

「っ!?」


 伊達丸の言葉の意味を理解した海堂が辺りを見回す。やはり燭台の明かり程度ではこの廊下を十分に照らすことはできていない。ほの暗い廊下の先を二人は目を凝らす。


「少年が言った通り受肉寸前のナニカだぞ。用心しろよ」

「了解です」


 緊張が二人の身体を包む。甘ったるい匂いのことも忘れ、目の前の警戒を続ける二人に香りに似た甘ったるい女性の声が後ろのほうから掛かる。


「あら?あらあら、あなたは誰ですか?」

「後ろかっ!!……っ!?」

 

 海堂と伊達丸が急いで後退しながら振り返る。そして未確認生命体を見た二人は口をあんぐりと開けて固まった。固まってしまった。


 そこにいた女性は二十代くらいの日本人の女性だろうか。長い茶髪に大きな瞳。瑞々しい肌に豊満な肢体。何よりも目を引くのはその女性は下着すらつけていないということだった。燭台の明かりに照らされた肢体は一層艶めかしく二人の目に映った。


「西洋の城と裸の女。つまり夢魔か。ふーむ、おっさんの目には毒だな」

「…………」

「答えてくださらないのね。悲しいわ」


 自身の問いが無視されたことが悲しいのか目を伏せる裸の女性。その仕草は自身が裸であることをまるで気にしていない様子であった。


「しっかし、なぜこの姿なんだろうな。なんだったらおっさん好みの姿で出てきてくれたらもっと嬉しかったんだがなあ」

「…………」


 それでも十分すぎるほど目の毒になっているのか、でへへっと緩み切った笑みを浮かべる中年の男。隣にいる少年の雰囲気が変化していることに気づいてすらいなかった。


 今までの緊張が嘘だったかのような微妙な空気が流れる。悲しげな裸の女、にやつく中年の男、なぜか急に黙る少年。


「あ、もしかしてこれ少年の好みだったりするの?年上のおっとりとした女性が好みとはな~。見かけによらんもんだなぁ」

「…………」


 変態おやじは合点がいったとばかりにニヤニヤと海堂の方に笑みを向ける。夢魔が出できてから一言も発さない思春期の少年。目は虚ろで口を半開きにして顔は下を向いていた。


「…………」

「……少年?」


 まさか夢魔の伝承通り魅了されてしまったか、と伊達丸は心配そうに海堂に声をかけ、肩をゆすって意識を確かめる。


「……殺す」


 少年は激怒した。なぜ仕事だけの間柄のおっさんに自身の性癖がばれなきゃいけないのかと。海堂の虚ろな瞳はこいつだけは殺すと殺意に満ち満ちているものに変わっていった。少年はブレザーを脱ぎ捨て右腕のワイシャツの袖をまくり上げる。


 ふらふらと表面上は魅惑されたかのようにゆっくりと裸の女性に近づく海堂。


「あらあら、坊やは来てくれるのね。嬉しいわ。さぁ、いらっしゃいな」

 

 夢魔は構ってくれると分かったのか、悲し気な表情を妖艶な笑みに変えて両手を広げ少年を待つ。海堂が傍まで来ると夢魔はゆっくりと強く抱きしめた。少年の耳元に唇を寄せ、今まで以上に甘い甘い声を出す。


「さあ、私に全てを委ねて。嫌なこと、つまらないこと、全てを忘れましょう」

 

 その甘言にこたえるかのように海堂は標的を強く強く抱きしめ返す。おっさんに自身の性癖を暴露した憎きこんちくしょうを逃がさないために。


「我が右手には悪魔を照らす光が」

 

 海堂の詠唱に呼応するかのように夢魔を抱きしめている少年の右腕が赤く燃え上がる。


「……坊や?何をするの!?放しなさい!!」

 

 思っていた反応とは違う海堂の冷徹な声と自身の背後で揺らめく炎に夢魔は焦り、少年の腕を振り払おうともがく。しかし、捕縛された状態では体をよじらせることしかできなかった。もがけばもがくほど後ろの炎は熱く大きく燃え上がる。


「罪を薪とし、目の前の悪魔を焼き払いたまえ」


 揺らめく大火が海堂の右腕から夢魔の身体に燃え移る。一瞬にして炎は夢魔の身体を包み、より一層激しさを増していく。


「ぎゃあああああ!!!!熱い、あついぃぃぃ!!放してえぇぇ!!!!放せぇえええ!!!」


 海堂から離れようと抵抗するが、抜け出せず燃え続ける夢魔。炎が主を燃やすことはなく、惑わそうとした夢魔を焼き続ける。悪魔が灰と化すまで炎は消えることはなかった。


 

 未確認生命体を送還することに成功し、夢から覚めた二人はマンション近くの公園にある東屋で小休憩をとっていた。


「えぐいことするなぁ」

 

 コンビニで買った缶コーヒーを口につけながら伊達丸は海堂が行った送還方法に苦笑した。


「未確認生命体が模ったのは夢魔、悪魔の一種です。なら火や光が有効ですよ」

 

 栄養ドリンクを一気飲みしつつ、今回の未確認生命体が選んだ正体の弱点を答える。海堂は有名どころを選んでくれたおかげで対処が楽だったと安堵した。


 前回は送還に成功したといえほとんど失敗に近かった。今回の任務の是非で現場から降ろされる可能性すらあった。人手不足といえ送還できない足手まといは現場にはいらないのだから。そんなこともありピリピリしていた海堂は任務が成功した今、辛く当たってしまった伊達丸に申し訳なさが募った。


「少年ってそっちの人だっけ?」

「違いますよ。あの詠唱もその場の思い付き、アドリブです。中途半端な夢魔の皮を被った未確認生命体。俺の猿真似の悪魔祓いで皮がはがれて留まれなくなる。本物ならその筋の人しか払えないと思いますけど」

 

 海堂は自分がやったのはあくまで猿真似で悪魔祓いではないと否定した。未確認生命体の送還は未確認が真似る存在や捜査官の送還方法によって様々。少年の送還方法は火葬。今回の未確認生命体との相性は良すぎるほどであった。


「様になってたけどなぁ」

「あいつらは人が想像し恐れるものの皮を被り、亀裂から入ってくる。大抵が悪魔や怨霊で、だから俺たちが周りから退魔師呼ばわりされるんじゃないですか。歳ですか?」


 未確認生命体とは文字通りの言葉ではない。この世界でまだ確認できていない生物の総称ではなく、それらは黒い亀裂からやってくる。何かの皮を被って何かの目的をもってこの世界に入ってくる。何かによく似たナニカ。その未確認生命体を元居た世界に送り返す捜査官。通称退魔師。それが彼らだった。


「ぼけてない、ぼけてないよー。……多分」


 そうだったそうだった、と伊達丸は頭を掻く。研修のマニュアルを諳んじられるのにこういうことはど忘れしてしまうのかと人は寄る年波に勝てないんだなと海堂は不憫に思った。


「しっかりしてくださいよ」

「あとの事後処理は警備課の仕事だ。現場の俺たちは処理班に引き継ぎして帰るかねー。この後飯でもどうだい?」

 

 親指と人差し指で円を作り口に寄せる伊達丸。お互いよく生き残ったと勝利の美酒でもどうだと未成年の海堂を誘う。


「俺はそのまま帰りますよ。酒はほどほどに」

 

 海堂の返答に伊達丸はがっくりと項垂れる。元気なおっさんだと少年は呆れる。仕事前にはああは言ったが家に帰ってベットで寝たいのが本音だった。項垂れたまま伊達丸はぽつりと呟く。


「残念だ」



「ご苦労様です。海堂捜査官。引き継ぎにまいりました」


 黒いスーツを着た二人の男女が東屋のベンチでうとうとしていた海堂の目の前に現れた。どうやら警備課の人間がきたらしい。海堂は立ち上がり任務完了の報告を行う。


「ご苦労様です。送還完了しました。送還対象は未確認生命体カテゴリーA一体。捜査官は海堂時恩、伊達丸幸雄。引き継ぎをお願いします。」


 そんな海堂の報告を聞いて男女は顔を見合わせる。なにか不手際でもあっただろうか。問題点を聞く海堂。


「どうされましたか?」

「いえ、今回の未確認生命体に対する捜査官は一人だけと伺っておりますが」

 

 黒スーツの女性が少年に訳を説明する。


「は?」


 海堂はその質問の意味が分からなかった。現にここにもう一人いるじゃないかと横を見る。……反対側を見る。後ろのベンチを見る。あのおっさん、報告に立ち会いもせずもう飲み行きやがったと少年は私情を優先する飲んだくれに公憤を覚えた。今度任務で会ったらただじゃおかないと海堂は決意を新たにする。


「あのおっさんもう飲みに行ったのか。申し訳ありません。今回の任務は規則通り二名で行っており、もう一人の捜査官は自分から注意を……」

 

 同僚の考えられない行動に追いかけてぶん殴りたくなる海堂だが、怒りを抑えつつ引継ぎの両名に謝罪をしようとする。それを遮って二人組の男性の方が話を続けた。


「いえ、そういうことではなく。今回の捜査官は海堂さんお一人では?こちらに届いた音声データではそうなっております。ですので至急今回の件の詳細なレポートを本部に送っていただきたく思います。未成年の捜査官には単独捜査の権限は与えられておりませんので」

 

 その言葉を聞いた海堂はそんなわけないと慌てて仕事用のスマホを起動させ、最新の録音データを流す。


「『2024年3月26日20時31分。東京、渋谷。○○マンション。405号室。本部の情報から捜査対象をカテゴリーAと判定。これから未確認生命体の送還を執り行う。捜査官は一名、海堂時恩。以上』」


 その録音データには確かに一人で未確認生命体の送還を行う自分の声が入っていた。海堂と引継ぎの三人がスマホを見つめる。


「……どうなってるんだ」




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