第90話 飾邪 6
當魏之方明「立辟」、從憲令行之時,有功者必賞,有罪者必誅,強匡天下,威行四鄰;及法慢,妄予,而國日削矣。 當趙之方明「國律」、從大軍之時,人眾兵強,辟地齊、燕;及「國律」滿,用者弱,而國日削矣。當燕之方明「奉法」、審官斷之時,東縣齊國,南盡中山之地;及「奉法」已亡,官斷不用,左右交爭,論從其下,則兵弱而地削,國制於鄰敵矣。故曰:明法者強,慢法者弱。強弱如是其明矣,而世主弗為,國亡宜矣。
魏が「立辟」を、趙が「國律」を、燕が「奉法」を厳格に守り通していたとき、各国は強盛を誇っていたが、その運用が緩めば、たちまち国力は衰退していった。だので法を明確に定めるものは強く、法にルーズな者は弱くなる、という。強弱の差はこうして明らかなのに、だいたいの国主はそれを蔑ろとして、滅んでゆくのである。
語曰:“家有常業,雖饑不餓;國有常法,雖危不亡。”夫舍常法而從私意,則臣下飾于智能;臣下飾于智能,則法禁不立矣。是亡意之道行,治國之道廢也。治國之道,去害法者,則不惑于智慧,不矯於名譽矣。
家に決まった仕事があれば飢饉でも飢えず、国に法律が明確であれば存亡の危機に立たされても揺らがない、と言う言葉がある。法を捨てて私欲に走れば、こざかしい知恵の回る臣下らがその頭をめぐらせはじめるだろう。いったんその状況ができれば、もはや法で禁じても意味がない。自ら滅びの道を選び、国の統治を擲ったようなものである。逆を言えば、統治とは法を軽んじる要素を排除することである。そうすればこざかしい提案に惑わされないことも、うわべの名声に惑わされることもない。
昔者舜使吏決鴻水,先令有功而舜殺之;禹朝諸候之君會稽之上,防風之君後至而禹斬之。以此觀之,先令者殺,後令者斬,則古者先貴如令矣。
舜は役人に洪水の水を別の場所に流させるよう命を下した。命令が発効される前に実行した者がいたので殺した。禹は會稽山で諸侯と会見したが、このとき防風の君が遅参したので殺した。先の明君は命令に先んじるものも、遅れるものも切り捨てている。
故鏡執清而無事,美惡從而比焉;衡執正而無事,輕重從而載焉。夫搖鏡,則不得為明;搖衡,則不得為正,法之謂也。故先王以道為常,以法為本。本治者名尊,本亂者名絕。凡智能明通,有以則行,無以則止。故智能單道,不可傳於人。而道法萬全,智能多失。
鏡は曇りなきよう磨いておきけば、他に何をせずとも美醜を明らかとする。はかりは基準が定まっておれば何をせずとも軽重を明らかとする。とは言え鏡もずっと曇らぬままではおれず、はかりも基準が定まったままではおれない。法もまったくこれと同じである。このため先王は古来より定まっていた規範こそを基準となし、そこに基づき法を定め、運用した。統治の根本が定まっておれば名は尊ばれ、乱れゆけば楚の名声は消え果てる。知識や能力といったものも、法が明確であれば活躍の場が与えられるが、逆の場合は機能しない。このため知識能力を持って統治をなそうと心掛けても、そのノウハウは正確に後進には伝わらない。統治の根本を踏まえた法の運用こそがすべてであり、そこを知識能力のみで乗り越えようとしても失敗が多くなるだけである。
夫懸衡而知平,設規而知圓,萬全之道也。明主使民飾於道之故,故佚而有功。釋規而任巧,釋法而任智,惑亂之道也。亂主使民飾于智,不知道之故,故勞而無功。
平準器によって何が水平であるかを知り、コンパスによって何が円であるかを知る。これがものごとを知るやり方だ。明主は民が法に従うよう導く。こうすれば楽に動いていても功績が得られる。平準器を頼らず職人のスゴ腕にばかり頼っておれば、スゴ腕を持たない職人は水平をうまく導けない。法を蔑ろとし、知恵でもって乗り越えようとするのは、政治を乱す原因となる。国を混乱に導く人主はだいたい民に知恵を振り絞るよう言い出す。統治の根本も無しで知恵をあれこれ弄してみたところで、いたずらに疲弊するばかりで、功績など得られまい。
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