一二 説難
第47話 説難 1
凡說之難:非吾知之有以說之之難也,又非吾辯之能明吾意之難也,又非吾敢橫失而能盡之難也。凡說之難:在知所說之心,可以吾說當之。
何かを説くことの難しさ。まず、当を得ていない話をしよう。
・説くことができるだけの知識の多寡?
・内容を適切に説明できるか?
・語り尽くすこと?
そういった技術的な話は練習しろ、と言うしかない。それ以前に踏まえないといけないことがある。説く相手の心情を把握し、引き込めるかどうか、だ。
所說出於為名高者也,而說之以厚利,則見下節而遇卑賤,必棄遠矣。所說出於厚利者也,而說之以名高,則見無心而遠事情,必不收矣。所說陰為厚利而顯為名高者也,而說之以名高,則陽收其身而實疏之;說之以厚利,則陰用其言顯棄其身矣。此不可不察也。
名を上げたいと思っている相手に利益の話をしたところで、ゲスな話をするやつと切って捨てられるだけだ。逆に利益を求める者に名誉の話をしたところで空虚な理想主義者と思われて終了だ。
ついでにいえば、世の中には本心で利益を求めているくせにうわべでは名誉を求めるやつもいる。こういうやつに名誉ベースでの話をすれば表向き受け入れられるが内心では軽んじられている。利益ベースでの話をすればこっそりと採用こそされるもののこちらのことは切り捨ててくるだろう。
こういったことをよくよく検討しておかねばならない。
ぎゃー! しんでしまうやつ!
いやね、これ、驚くほど実現が難しいと思ってます。真っ先にやらねばならないことなんですけどね。にしても我々、いみじくもウクライナのゼレンスキー大統領が、この辺を高度に駆使しているのを見せつけられた直後でありまして。彼の演説は、自分が何者であるかを「聞き手にどう響くかを計算し尽くしたうえで」語っていました。さらっとやってのけていましたが、アレはマジで化け物がかっていると思いした。
あらゆる内容、あらゆる語彙、あらゆる修辞。他者に語りかけるとき、それは聞き手側に寄り添っていなければ一切の効力を発揮しない。相手が誰か? 何を欲する者か? どこを目指すのか、誰でありたいのか? そういったものをオープンにする人物か、隠してくるのか、偽装してくるのか? これらを多少なりとも理解しなければ、全ての言葉が無意味となります。
「あそこまで読んでくれればぼくの話のすごさが分かるのに!」
とか抜かすお前。そうお前だよ、過去の俺。
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