第83話 再読 逍遙游3

肩吾問於連叔曰:「吾聞言於接輿,大而無當,往而不返。吾驚怖其言,猶河漢而無極也;大有徑庭,不近人情焉。」

 肩吾は連叔に問うて曰く:「吾れ言を接輿に聞く、大いに當る無く、往けども返らず。吾れ其の言に驚き怖れ、猶お河漢の極み無きなり。大いに徑庭有り、人情に近からざりたるのみ」と。


 肩吾さん、連叔さんに言う。

 接輿くんと話したんだけどわけわからん! こっちの言葉にはクソリプばっかだし! あんまりわけわかんなさ過ぎて、まるで天の川がどこまでも広がるかわからないみたいで泣いちゃった! スットンキョーすぎてしにそう!



連叔曰:「其言謂何哉?」

 連叔は曰く:「其の言は何ぞを謂わんか?」と。


 ほう、どんなこと言ってたんだい?



曰:「藐姑射之山,有神人居焉,肌膚若冰雪,淖約若處子。不食五穀,吸風飲露。乘雲氣,御飛龍,而遊乎四海之外。其神凝,使物不疵癘而年穀熟。吾以是狂而不信也。」

 曰く:「藐姑射の山に神人の居せる有り、肌膚は冰雪が若くし、淖約なるは處子が若し。五穀を食さず、風を吸い露を飲む。雲氣に乘り、飛龍を御し、四海の外に遊ばん。其の神の凝むるに、物をして疵つけ癘ましまずして年の穀りを熟かならしむ、と。吾れ是を以て狂とし信ぜざるなり」と。


 肩吾さんが言う。

 聞いてくれよ、藐姑射の山に神人がいるとか言い出すのよ! どこだよ藐姑射山! しかもその肌は雪のように真っ白で、その振る舞いはまるで箱入りのお嬢様のよう! 穀物はぜんぜん食べずに呼吸と水だけで日々を過ごしてるそうでさ! 雲に乗って飛龍を操り、世界の理からも自由に過ごしてるとか言い出してくんのよ! しかもひとたびその気になれば万物から災いや病をも遠ざけ、しかも五穀豊穣を約束するとか言い出してさ! いやもう訳わからん、こわ、こっわ! キチガイじゃん、キチガイじゃん接輿くん! あんなん誰が鵜呑みにすんだよ!



連叔曰:「然,瞽者無以與乎文章之觀,聾者無以與乎鐘鼓之聲。豈唯形骸有聾盲哉?夫知亦有之。是其言也,猶時女也。之人也,之德也,將旁礡萬物以為一世蘄乎亂,孰弊弊焉以天下為事?之人也,物莫之傷,大浸稽天而不溺,大旱金石流土山焦而不熱。是其塵垢秕糠,將猶陶鑄堯舜者也,孰肯以物為事?」

 連叔は曰く:「然り、瞽者は以て文章の觀を與る無く、聾者は以て鐘鼓の聲を與る無し。豈に唯だ形骸にのみ聾盲有らんか? 夫れ亦た之を有す知らん。是れ其の言なるや猶お時の女なり。之の人や、之の德や、將に萬物を礡く旁い、以て一に為さんとす。世の亂を蘄めんとせるに、孰んぞ以て天下の事を為すに弊弊とせんか? 之の人や、物にて之を傷つく莫く、大いに浸され天に稽かれど溺れず、大いに旱り金石の流れ、土山の焦がるも熱されず。是れや其の塵・垢・秕・糠にて、將に猶お堯舜を陶鑄せる者なり、孰んぞ以て物を事せるを為すを肯ぜんか?」と。


 連叔さんが答える。

 あーwww

 あのさ、めくらは織物の文様を見れないだろ? つんぼは鐘や銅鑼の音を聞けないよな? こういった「感じ取れない」ことって単純に目や耳だけのことじゃねえんだよなぁ。お前さんが、まさに「感じ取れない」やつだからそういう風に感じちゃうんだよ。

 藐姑射山の神人ってえのはな、その心の働きがほっといても世界に通じ、包み込んでるから、別に世界を救い出すためにあれこれひーこらしなくても勝手に通じてるんだよ。何者もあの人を傷つけられやしないし、それこそ天高くまで水浸しになっても溺れない。どれだけ暑くなり、石や金属が溶け出したり、山盛りの土が焼け焦げたところで熱さを感じることもない。

 いやほんと、その爪の垢をこね固めるだけでも堯や舜レベルの人間が生まれてしまうほどだからな。なんでそんなひとが、わざわざ世の中を治めるなんて小事にかかずらおうと思うのだ?



宋人資章甫而適諸越,越人斷髮文身,無所用之。堯治天下之民,平海內之政,往見四子藐姑射之山,汾水之陽,窅然喪其天下焉。

 宋の人、章甫を資し諸越に適かば、越人は髮を斷ち身に文し、之を用う所無し。堯の天下の民を治め、海內の政を平め、往きて四なる子を藐姑射の山に見え、汾水の陽にて窅然とし其の天下を喪るなり。


 連叔さん、更に殴る。

 お前さ、こんな話知ってるか?

 殷の礼の影響下にある宋の人間が、殷の礼に叶った冠をはるか南方、越の国に持っていったそうなのさ。けど越人ってご存知、殷の礼も周の礼も関係ない。髪は短く切ってるし全身には入れ墨が入ってる。そんなところの人間が冠なんか欲しがると思うか?

 だから堯が天下の民を統治し、各地の政を整えた上で、藐姑射山も統治せねば、として向かったもんだから、同じような目に遭った。藐姑射山の神人は四人いるそうだが、彼らと出会い、ぷつっと気を失った。やがて汾水の北で発見されたときには、天下の統治なんてすっかり忘れ去っちまってたそうだ。



 宋人~以下はほんとは節が分かれるそうなのですがね。まぁここでは関連性も強いし、敢えて連叔さんの死体蹴り扱いにしておきます。それにしてもこの章の「分別」がマジできつい。いやまあ「外を見れていない人」に「外に目を向かせる」必要があるから、まずはお前のその固定観念を忘れろ! 的にぶん殴んなきゃいけないのはよくわかるんだけれども。早いところそういう分別の外の世界で遊びたい。あと二節。そこは荘周と恵施のイチャイチャだからわりと別腹ではありますね。


 一方で、宋人<>越人、堯<>藐姑射の神人の対比を見ると、そこには伝統的殷周文化の常識の内と外、と言う対比になってるのが面白いですね。ここにはちらっと斉物論に見えるような「あらゆるものが相対化される」の精神が見えるような気がします。いかに藐姑射山の神人が超越的存在であったところで、それは彭祖にしか過ぎない可能性だってあるものね。この辺りの「リミッターを破壊する」契機はどこに存在するのかしら。どう考えても先が斉物論で、あとが逍遥游ですよね。

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