第20話 養生主 2

公文軒見右師而驚曰:「是何人也?惡乎介也?天與,其人與?」曰:「天也,非人也。天之生是使獨也,人之貌有與也。以是知其天也,非人也。」


 公文軒が右師の姿を見てびっくりした。足切りの刑に遭って、片足を失っていたのだ。思わず聞く。

「その足は生まれつきなのか、刑罰にあったのか?」

「生まれながらの運命だよ。一本足である運命を天によって授けられたのだ。ならば足切りの刑に遭ったのも、天によるお導きだ」


 お、おぅ……? 各解説がノータイムで「右師」を足切りにあった人物ですと解説しており、えっ荘子のテキストをどう読み解いたわけ? とそわそわした。確かに最後の繰り返し方を見ると「人によるものだけど、それは天が人をそう動かした」とも読めるし、いいんでしょうけど。

 自分に訪れた運命は、自分に訪れた運命。そこに対してくよくよしても仕方ないので、そう言うものとして過ごす。アドラー心理学かな?



澤雉十步一啄,百步一飲,不蘄畜乎樊中。神雖王,不善也。


 山沢を駆け回る雉はエサや水を求めてほうぼうを駆け回るような苦労を負っているが、しかし篭に閉じ込められたいとは思わない。エサや水にたらふくありつけられたとしても、そこに自由がないためだ。


 この話は上の話に接続されるものとして読まれることが多いけど、自分の引いた原文では分けられていた。どっちかってと分けるほうが適切に感じる。「いまのこの状態であることをよしとする」は共通するけど、前条と一緒にしたら意味合いがぼやけるような気がするので。



老聃死,秦失弔之,三號而出。

弟子曰:「非夫子之友邪?曰:「然。」

「然則弔焉若此,可乎?」

曰:「然。始也吾以為其人也,而今非也。向吾入而弔焉,有老者哭之,如哭其子;少者哭之,如哭其母。彼其所以會之,必有不蘄言而言,不蘄哭而哭者,是遁天倍情,忘其所受,古者謂之遁天之刑。適來,夫子時也;適去,夫子順也。安時而處順,哀樂不能入也,古者謂是帝之縣解。」



 老子が死んだ。秦失が弔問に訪れ、ひとしきり泣いて立ち去ろうとする。老子の弟子が「あなたは老子のご友人ではないのですか?」と聞くと「そうだよ」と答える。「では、何故そうもあっさりと弔問を終わられるのです?」

「そうだね、彼を君子だと思って付き合ってきたが、今、そうでないとわかった。人間は生まれ、死ぬ。これは当然のこと。だと言うのに君たち弟子は、彼が実の親兄弟だったというわけでもないにかかわらず、いつまでも彼が生きていた頃の時代にしがみつこうとしている。無論かれはそれを求めていなかっただろう、しかしいま君たちがそうしていつまでも嘆き悲しんでいるというのは、無意識のうちに彼もそれを求めていたのだろうさ。巡り合わせはいつかほどけるもの。私は彼もまたそこにいつまでも留まり続けぬ者、天帝のくびきから解き放たれた者だと思っていたのだが」


 ???

 老子って「その終わりがわからない」人じゃなかったっけ? そういう人の葬儀の話をあえて創作するってことは、当然何かの含意を感じ取らなきゃ行けないところでしょう。そうすると自分にとっては、荘子が自分と同じこと考えてたんじゃないかって思えてならない。つまり「道徳経において、老子の言葉に後世の人間の手垢ついた言葉がつきすぎ」。

 秦失について抑えるべきは「老子と同じ境地に立つ者だったけど、老子が残した弟子を見て失望した」でしょう。無為自然の境地を極めた者のはずが、何故か儒者のような弟子たちに囲まれ、しかも儒者のような嘆き悲しみようを受けている。

 そしていまこれを「儒」と呼んだけれど、実は孔子以前から既に存在していた葬礼の形なのではないか。そういったさまざまな伝統に対しての疑問に始まる諸々の疑問を、天帝の呪縛、と呼んだのではないかな。

 何せ老子、古来の中国思想が万物の始祖を天帝と置くのに、へーぜんと「道が先、天帝があと」って言い切りますからね。オブラートにくるんでますけどこれ、「神が人を作ったのではなく、人が神を作ったのだ」って言ってますよ。「そこまで言い切ってるはずのお前がなんで天帝以来の思想に囚われた葬儀をしつらえさせるような教育を弟子にしてんのよ!?」と呆れた、となるのでしょうかね。しらんけど。

 老子ごっこでも書いたことだけど、自分は「老子」と比定しうる人物が道徳経全編をものしたとはどうしても思えません(と言うか、近日の研究では普通に継ぎ足しが指摘されているらしい、その辺の論文確認できてないけど)。これはきっと荘子の段階で成立していた道徳経を読んで、荘子も同じようなことを感じたんではないでしょうか。いや道徳経って、マジで「アンチ儒」みたいな臭さがひどいんですよ。この条ってそれを風刺してるんじゃないかって思うんです。

 まぁ現在の道徳経が完全に成立したのって漢代に入ったあと、みたいな話もあります。荘子の段階でどれだけ「アンチ儒」的クソ言動が盛り込まれてたのかは、正直謎。この辺も明らかにできれば面白そうだけど、問題は荘子もまた成立年をきっちり同定できるわけでもないってことですよね。この条を荘周が創作したのか、あるいは荘周の時代に既に秦失の逸話が保存されていたのか、それとも後世の創作が編入されたのか。この辺もぜんぜんわかんない。つまり、妄想しか許されないわけです。



指窮於為薪,火傳也,不知其盡也。


 あまりにも難解で迷っていたら、金谷治氏が「よくわからん」と断言されてて惚れた。いやマジでわからん。池田知久氏は前節と繋げて「薪はひとたび端まで燃えれば自らの運命はそこまでだと知っているが、老子はいざ自らの身に火が伝わってくると、その境地に至ることが出来なかったのだ」と解説なされていて、確かに納得度の高い解釈なんだけど、だとしたら「古者謂是帝之縣解。」より前に入ってこない? みたいな疑問もあって、配置的にもやっと来る。ただまぁ一般釈「いったん一本の薪に火がともったら、それが燃え尽きても火は続く。しかし薪自身はそのことを理解できない」よりも適切ではある気もする。一般釈だと「自らの身を死まで全うする」には弱い。



 総じて、自らの生を全うするようにせよ、自らの死を従容と受け入れよ、が語りたかった章のようです。

 

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