第11話 斉物論 7
天下莫大於秋毫之末,而大山為小;莫壽於殤子,而彭祖為夭。
道という巨視的観点から立ってみれば、巨大なものの象徴として引き合いに出される泰山とて毛糸の先のその末端より更に小さいものと言えてしまう。彭祖は八百年生きたとされ、人間の目からすれば信じがたいほどの長寿であったが、やはり生まれ落ちてすぐ死んでしまった赤子より短命であるという風にしか見れないだろう。
天地與我並生,而萬物與我為一。
天地と自分とは並べたって生じるものであり、すべては自分と同じ「ただ、そこにあるもの」でしかない。この合一の境地を「一」と呼ぶ。
既已為一矣,且得有言乎?既已謂之一矣,且得无言乎?一與言為二,二與一為三。自此以往,巧曆不能得,而況其凡乎!故自无適有以至於三,而況自有適有乎!无適焉,因是已!
ただ一つの「一」に対し、これ以上何か言葉を尽くすことなど出来ようか? しかし「一」と言う存在があれば、そこには「一である」という概念が現れ、二つのものが存在することになる。そしてそこには更に「二つの現象が存在している」という三つ目の概念が立ち上がる。ここから先の概念増加はどこまでも続く。どんな計数の達人とて、これを数えきることは出来まい。
んー、これは老子の徳経42「道生一,一生二,二生三,三生萬物。」の解説ってことになるのかなあ。ちょっとうがち過ぎな気もしないではないけど。ただ「ただ、あるだけの一つ」に全てのものが回帰するって考え方は確かに詰めていきたいところ。あと荘子のこの解説がいまいち合致しないって言っても「じゃあ老子の話は何を言っているのか」って聞かれたら、これはこれで結局わかんないんだよなあ。なんとなくわかるような気もするし、トンデモな見当違いな気もする。ほんに老子のテキストってこんなんばっかだ。
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