第8話 斉物論 4
以指喻指之非指,不若以非指喻指之非指也;以馬喻馬之非馬,不若以非馬喻馬之非馬也。天地一指也,萬物一馬也。
指という立場から「指が指ではない」と証明するだとか、馬の立場から「馬が馬でない」と証明するような名家の論法がある。が、そういったものは指以外の立場のもの、馬以外の立場のものから証明した方がいいだろう。
そもそもにして天地はみな指であり、万物はみな馬なのだ。
(宇宙猫)
可乎可,不可乎不可。道行之而成,物謂之而然。惡乎然?然於然。惡乎不然?不然於不然。
さて人が可を可とし、不可を不可とするのは、どういったわけなのだろうか。道はそこにあって既に完全無窮の存在であるが、人は道によってもたらされた現象それぞれに名称を付与せねばならない。「然り」「然らざり」と言う言葉も、その性質を規定するためにはその言葉を持ち出すより他ない。
物固有所然,物固有所可。无物不然,无物不可。
あらゆるものに「可」の要素が秘められて、「不可」であるものなどないはずなのだ。
……あ、これはちょっとわかりますね。「指」「指ではないもの」の二つがあるとしても、後者は「ポークビッツ」かも知れない。「指」の不可なるものではなく、「ポークビッツ」の可なるもの。ただこの段階ではまだ「天地一指也,萬物一馬也」はうまく解消しきれないなあ。
故為是舉莛與楹,厲與西施,恢恑譎怪,道通為一。
小さな草も大きな木材も、らい病患者も西施も、確かにその外見こそ大きくかけ離れるが、巨視的に見れば「ただ、そこにあるもの」であるにすぎない。
其分也,成也;其成也,毀也。凡物无成與毀,復通為一。
何かを切り分けたときには別の何かが成立したと言えるだろう。何かが成立したとき、元の何かが毀損した、とも言えるだろう。この点において成立と毀損とは、一つの物事の裏返しであると言える。
唯達者知通為一,為是不用而寓諸庸。庸也者,用也;用也者,通也;通也者,得也;適得而幾矣。因是已,已而不知其然,謂之道。
この境地に達したものは、あらゆるものを「庸」、あるがままの姿、として受け止める。庸は用に通じ、用は通に通じる。通はまた得に通じる。
あるがままであってこそ自然の働きをするし、自然な働きであれば、無理がない。無理がない状態であるからこそ、その存在意義を確立できる。この境地に達し、更にそのような状態にあることを意識せずにおれたときにこそ「道」と合致ができた、と言うことができるだろう。
この辺も道徳経二章「天下皆知美之為美,斯惡已。皆知善之為善,斯不善已。故有無相生,難易相成,長短相較,高下相傾,音聲相和,前後相隨。是以聖人處無為之事,行不言之教;萬物作焉而不辭,生而不有。為而不恃,功成而弗居。夫唯弗居,是以不去。」の解説に見えますね。ただやっぱり「天地一指也,萬物一馬也」はわからない。なんなんこれ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます