第7話 斉物論 3

夫言非吹也,言者有言。其所言者特未定也。果有言邪?其未嘗有言邪?其以為異於鷇音,亦有辯乎?其無辯乎?道惡乎隱而有真偽?言惡乎隱而有是非?道惡乎往而不存?言惡乎存而不可?道隱於小成,言隱於榮華。故有儒墨之是非,以是其所非而非其所是。欲是其所非而非其所是,則莫若以明。


 人間は言葉を喋る。けれどそれは音にすぎないよね? ひとによって発している音はまちまちだけど、通じてしまう。けどその音そのものはひな鳥たちの鳴き声と何が違うんだろうね?

 こういった所の議論は、そもそも「道」が我々にとって関知し得ないものであるから、どうしても浅はかな真偽の話に終始しなければ行けないところにあるよう思うのだ。それで言葉だけが先鋭化していった結果、儒家と墨家の対立が生み出されたのではないかな。是々非々を争う彼らの言葉を占うには、それこそ真の明知こそが必要になるのではないかな。



物无非彼,物无非是。自彼則不見,自是則知之。故曰彼出於是,是亦因彼。


 ある一つのものがあって、それはひとりの観測者にとっては「あれ」でも、もの自身にしてみれば「これ」だ。観測者からは理解しようのない内情は、当事者であれば理解ができる。「これ」が存在しているから観測者は「あれ」と認識できるし、また「あれ」と他の誰かが呼ぶから、当事者は自身を「これ」と切り分けられる。



彼是方生之說也,雖然,方生方死,方死方生;方可方不可,方不可方可;因是因非,因非因是。


 えー? そんなこと言ってたら生きてることは死んでることであり、死んでることは生きてるってことになるし、可能は不可能と併存するってことになんないー? それで是非を戦わせるにしたって片方の論は正しくも間違っている、片方の論は間違っていてかつ正しいってことになるよね? 一生堂々巡りから脱却できなくない?



是以聖人不由,而照之於天,亦因是也。是亦彼也,彼亦是也。彼亦一是非,此亦一是非。果且有彼是乎哉?果且无彼是乎哉?彼是莫得其偶,謂之道樞。樞始得其環中,以應无窮。是亦一无窮,非亦一无窮也。故曰莫若以明。


 せやで。だから聖人は初っ端から巨視的にものごとを見るんやで。そんで主張Aと主張Bを下手に戦わせず、それぞれを完全に別個のものとするんやで。是も非も問うてみたところで「それが、そこにある」ことはどうしようもなく動かしようがないからね。

 この、すべての対立だとか、矛盾だとかをすべてシカトして、「ただ、そこにある」状態を受け入れた境地を「道枢」って呼んどるねん。扉は軸木を上下の穴にはめ込むことで、初めて回転する。この穴こそが枢やねん。つまりすべての物事も「ただ、そこにある」状態に持ってくことで、ようやく検討に値するようになるねん。だから、道の枢。

 ただ問題がある。扉の枢は一つの扉に対し、上下一つずつ。けど「ただ、そこにある」ものってのは無限にある。となればそれを「否定する」ことになってるものも無限にあるって話になるよね? じゃあどうすればいい? 巨視的に見るねん。



 何これ。殺す気かな? と言うか斉物論をぶつ切りで読むのがバカだというのはわかりました。まぁ、ともなればその断片情報での右往左往をひとしきり残した上で、改めて総体的に考える、が要りそうですね。

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