第6話 斉物論 2

大知閑閑,小知间间;大言炎炎,小言詹詹。其寐也魂交,其覺也形開,與接為搆,日以心鬬。縵者,窖者,密者。小恐惴惴,大恐縵縵。其發若機栝,其司是非之謂也;其留如詛盟,其守勝之謂也;其殺若秋冬,以言其日消也;其溺之所為之,不可使復之也;其厭也如緘,以言其老洫也;近死之心,莫使復陽也。


 人間は目が覚めているときには知覚や言葉を用いて外界や他人と接触軋轢し、寝ているときもなんだかんだで同じようなことをしている。とかく知覚や言葉にいつまでも縛られ続けているのは、ただ窮屈でしかない。寒さに枯れゆく木々のような、衰えゆく老人のような、衰弱の末の死しか待っていない。



喜怒哀樂,慮嘆變慹,姚佚啟態;樂出虛,蒸成菌。日夜相代乎前,而莫知其所萌。已乎,已乎!旦暮得此,其所由以生乎!


 喜怒哀楽をはじめとした様々な感情は次から次へと発生してくるが、それは果たしてどこから生まれるのか。いや、やめだ、やめだ、そんな遠大なテーマの答え、今日や明日なんぞで得られるわけもなかろうに!



非彼无我,非我无所取。是亦近矣,而不知其所為使。若有真宰,而特不得其朕。可行己信,而不見其形,有情而无形。


 外部からの刺激に対する反応こそが感情であり、ならば外部からの刺激がなければ心は動かない、と言われている。これもある意味では正しいのだろうが、ただ結局のところ「感情がどうやって発生するか」の答えにはなっていない。ともなると、「それを付与した何者か」の存在を仮定しなければならないのではないか。それをいま「真宰」と呼んでみることにしよう。もっともそれが必要であるにもかかわらず、それを我々が知覚することはできないのだが。



百骸、九竅、六藏,賅而存焉,吾誰與為親?汝皆說之乎?其有私焉?如是皆有為臣妾乎?其臣妾不足以相治乎?其遞相為君臣乎?其有真君存焉?如求得其情與不得,無益損乎其真。


 人体にはいろいろな機能があるけど、それら一つ一つを意識して細かく制御できているわけではない。とするとそれらは自分の下僕というわけでもないのだけれど、しかしトータルとして一つにまとまって「自分の身体」として機能している。となると「真に支配している誰か」が別にいるんじゃないか?



一受其成形,不忘以待盡。與物相刃相靡,其行盡如馳,而莫之能止,不亦悲乎?終身役役而不見其成功,苶然疲役而不知其所歸,可不哀邪?人謂之不死,奚益?其形化,其心與之然,可不謂大哀乎?人之生也,固若是芒乎?其我獨芒,而人亦有不芒者乎?


 ひとたび生まれ落ちたら、死にゆくその日まで外物との軋轢葛藤を繰り返し続ける。なんともかなしい。それが生きていることだと言うけれど、生きるためには死にゆかねばならないとは、どうしようもない矛盾ではないのか? それとも自分がわからないだけで、他の人は理解しているのか?



夫隨其成心而師之,誰獨且无師乎?奚必知代而心自取者有之?愚者與有焉。未成乎心而有是非,是今日適越而昔至也。是以无有為有。无有為有,雖有神禹,且不能知,吾獨且奈何哉?


 人は生まれながらの純粋なる心が備わっていて、ここに知愚はない。けれど外物にさらされゆくうちに変質し、是非を分別するような考え方を身につけていく。しまいには「今日越に向かって出発して昨日到着した」と言ったありえぬ命題を生み出すに至っている。あり得ないものをありえると言い切れるなど、人知はいつの間に禹王の知恵すら超越できたのだ?



 自分のお仕事がほぐし屋で、そんで趣味でお絵かきするのに当たって人体をもうちょっと詳しく学ばなきゃって思って、最近はいわゆる解剖学関係の分野に踏み込んでるわけですが、いや、人体キモいよね? なんでそんなにも「人間の様々な行動を実現すべく」設計されてんの? いやこの辺はいみじくも「旦暮得此,其所由以生乎!」が拾うようなテーマで、万年余の人体進化の過程において、そのうちのわずか一世代にすぎない人間があれこれ考えても仕方のないことなのかもしれんのだけど(ひと世代あたり三十年前後のスパンで数万年規模での遺伝子情報の受け渡しを連鎖させるこそが一つの生命体が生存するための戦略だと仮定すると、俺ひとりの人生なんてちょっと伸びた爪みたいなもんでしかないわけだし)、それはそうと「なんかをプランニングしてる誰か」がいると考えるのは何もおかしいことではないよね? とは思えなくもない。ただ荘子は「そいつは実在してないよね」と一発で切る。あぁ、しゅき! そうなんだよね、「そのトンデモネープランナー」は確かにいるのかも知れないけど、少なくとも我々の知覚には引っかかってこない。

 そして荘子は、ひとりの人間が「真宰」の境地になんぞ立てるはずもない、立てたと豪語する人間は、ただの詭弁者にすぎない、とする。だってお前死ぬじゃん、と。いちいち直接的スギィ!

 何だかよくわかんねーけど、トンデモネーもんは、いる。けどトンデモななさすぎてよくわかんねー。こんなやつのことは過去の偉大な王だって知覚し切れんかったんだろうさ(知覚できてりゃそれに対する解説があるはずだろうし)。なら凡人である俺が知覚することなんて無理無理、無駄。


 この辺は道徳経第一章「故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。此兩者,同出而異名,同謂之玄。玄之又玄,衆妙之門。」に接続する感があるなー。それを下手に理解しようとしないようにしておくことで、より深き境地(妙)にいたる。下手に理解しようと目論んでも、表面的な些末ごと(徼)しか拾えなくなる、的な。とは言っても、本当の意味での真宰……老子の言う「道」は、妙と徼との違いなんてもんが些末ごとにすら思えるほど、更に奥深いところにあるんだけどな! みたいな。


 うん、まぁ確かに老子よりは易しい。それでも十分パニクるけど。

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