第8話 何か轢いちゃいました……?


 七歳になったウィニングは、今までと変わらず走り回っていた。


「本当に楽しいなぁ、走るのは」


 ウィニングが今走っているのは、コントレイル家の庭――ではなく、外の森だった。


 一年前、三日間だけ自分の魔法を見てくれたロイドという男が、父フィンドに「ウィニングに庭は狭すぎるから外を走らせた方がいい」と進言してくれたらしい。おかげでウィニングは、領内をある程度自由に駆け回ってもいいことになった。


 ロイドから教えてもらった技術は、今でも活きている。


(前方、問題なし。……やるぞッ!!)


 安全確認をして、ウィニングは体内の魔力に意識を向ける。


「――《発火イグニッション》ッ!!」


 瞬間、ウィニングの身体がブレた。

 パァン!! という大きな音と共に、ウィニングは超加速する。


 別に《発火イグニッション》なんて魔法は存在しない。

 これはウィニングが勝手に作った魔法というか……自分の中にあるスイッチを切り替えるための、合図のようなものだった。


 ロイドから教えてもらった《身体強化》の瞬間的な出力の向上。

 これをひたすら磨いた結果、一瞬だけ恐ろしい速度で動けるようになったのだ。


 通常の速度とは明らかに一線を画している。

 だから、ちょっと中二病っぽいかなと自覚しつつも、わざわざ名前をつけて切り分けていた。


 目にも留まらぬ速さでウィニングが走る、その時――。

 不意に、足に衝撃が走った。


「えっ」


 大きな音を立てて、何かが吹っ飛んでいく。


「あれ? 俺、何か轢いちゃった?」


 ウィニングは恐る恐る、自分が轢いたものを見に行った。




 ◆




「魔物を倒した?」


 フィンドが微かに訝しむ。

 ウィニングは先程轢いてしまった魔物の死体を両手に抱え、頷いた。


 魔物は基本的に、人にとって害悪だ。

 本能的に人へ襲い掛かるため、遭遇すれば逃げるか倒すか、どちらかを選ぶしかない。そのため魔物を倒すという行為自体には何も問題はない。


(人は立ち入り禁止になっているって聞いたから、安心して走ってたんだけど……魔物がいるとは思ってなかったなぁ)


 なんて、暢気なことを考えていると――。


「この魔物を、どうやって倒したんだ?」


「え? えーっと、その……」


 ウィニングは悩んだ。

 ここで正直に答えると、前方不注意を指摘されるかもしれない。ただでさえ両親は……特に母メティは、ウィニングが一人で森を走ることに不安を覚えている。


 しかしウィニングにとって、もう家の庭は狭すぎた。

 一年前にロイドが予言した通りだ。今、家の庭で全速力を出せば、一瞬で塀にぶつかってしまう。


 森で走ることを禁止されては困る。

 その一心で、ウィニングは嘘をつくことにした。


「ごめんなさい。倒したんじゃなくて、落ちてました」


「……そうか」


 フィンドは納得した素振りを見せる。だが内心では不思議に思った。

 魔物を倒したと言って、見栄を張りたかったのだろうか……? しかし、ウィニングがそんなことを考えるとはどうしても思えなかった。 


「あの森には人だけでなく魔物も入れないよう、衛兵に監視してもらっていたが……何処からか入り込んできたようだな。すまない、怪我はなかったか?」


 領主の顔から一瞬で親の顔に変わるフィンドに、ウィニングはやや驚きつつも頷いた。


「大丈夫です。……というか、すみません。そこまで考えてくれていたんですね」


「このくらいは当然だ。……ウィニング。いつも言っているが、お前はもう少し次期当主としての自覚を持った方がいい」


 そんなフィンドの言葉に、ウィニングは視線を下げる。


「……次期当主、ですか」


「自信がないのか? 安心しろ、この一年でお前には領主の仕事についてもしっかり勉強させたはずだ」


 自信の有無ではない。

 ウィニングは複雑な表情を浮かべたまま口を噤んだ。


 フィンドはウィニングを領主にする気満々だった。

 しかしランニング中毒のウィニングにとって、正直、領主はあまりやりたくない仕事である。


(レインの方が向いてると思うんだけどなぁ……)


 ある日、ウィニングがいつも通りつまらなさそうに領主の仕事について勉強している時、レインが近づいてきたことがあった。


 レインは、ウィニングが使っている教材を見て……キラキラと目を輝かせていた。外の景色よりも、魔法の参考書よりも、豪華な食事よりも、興奮していた。


 しかし、どうやらこの国では一般的に、長男が家督を継ぐらしい。

 フィンドにも体裁があるのだろう。できれば長男を当主にしたいという気持ちは分からなくもなかった。 


「丁度いい。話がある」


 フィンドは他の用件を切り出した。


「お前にはそろそろ、コントレイル家の伝統行事……主従訓練しゅじゅうくんれんに参加してもらう」


「主従訓練……?」


 訊き返すウィニングに、フィンドは頷いた。


「我がコントレイル家には、頼りになる二大家臣が存在する。ファレノプシス家とシーザリオン家だ。彼らは古くからコントレイル家へ忠誠を誓っており、どの時代でも力になってくれた。……主従訓練とは、コントレイル家の次期当主と、二大家臣の次期当主たちが、互いの顔合わせも兼ねて一緒に訓練する行事のことだ」


 コントレイル家の二大家臣については聞いたことがある。

 しかし会ったことはなかった。


 ウィニングは自分の足で動くことができるようになってから、とにかく走ってばかりだった。ひょっとしたら向こうは自分のことを見たことあるかもしれないが、ウィニングの方は特に記憶していない。


「ファレノプシス家は代々優秀な魔法使いを輩出し、シーザリオン家は優秀な剣士を輩出する。今回は両家から一人ずつ参加するそうだ。お前はその二人と一緒に訓練を受けなさい」


「魔法使いと剣士が一緒に訓練を受けるんですか?」


「ああ。魔法使いとて剣も使えた方がいいし、その逆もまた然りだ」


 そもそも魔法使いの定義はふんわりしている。

 言葉通りだと魔法を使える者になるが、それでは全人類が該当してしまうので、少しニュアンスが違う。


 端的に言って魔法使いとは、魔法以外の特殊技能を何も持たない者のことを指す。

 剣を使える者は剣士と呼ばれるし、弓使いや槍使いも同様だ。彼らも勿論、魔法は使えるが、あくまで補助的な範囲でしか使わないことが多い。


 魔法は誰にでも使えるものだが、それでも専門的で奥が深い分野である。

 剣や槍など、他の特殊技能と並行して修めることは難しい。


 それ故に、この世界における魔法使いという肩書きには、どこか専門的な……学者的な響きがある。

 魔法使いも必死だ。何せ他の特殊技能を持たないのだから、せめて魔法では実績を残さねばならない。


 ウィニングも一応、魔法使いに該当する。

 もっとも、一般的な魔法使いと比べるとだいぶ破天荒だが……。


「それと、訓練の教師には高名な魔法使いを呼んでいる。紋章は一級、しかも聖王流剣術を奥伝まで修めた人物だ」


 聖王流剣術とは何だったか……うろ覚えだが、多分、由緒正しき剣術の流派なのだろう。

 ウィニングの脳内は八割くらい走ることで埋まっていた。


「明日、まずは二大家臣と顔合わせする。そのつもりでいてくれ」


「分かりました」


 

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