第54話 もう離さない、離れない
砕けたコンクリートが落下する音は、静寂なる室内によく響いた。一同が固唾を飲んで見守る中、大げさに笑い飛ばしたのは所長だった。背中を仰け反らせる仕草には、少し芝居がかった感がある。
「誰かと思えばスマホ、しかも初号機か。型落ちの貴様が何の用だ」
「同じセリフを繰り返す気はない。状況から察したらどうだ」
「生意気な口を。無策に乱入したことを後悔させてやる!」
所長は手のひらを勢いよく突き出しながら、強制コードを叫んだ。グロリア同様に自由を奪おうと言うのである。
「code:ctrl-ex. id:koneko_mochimochi114118……」
よく通る声だ。セワスキンに届かないハズがなく、一言一句抜ける事なく伝わった。
しかしセワスキンに変化は見られない。嘲笑うような鼻息のあと、額に垂れた毛先を摘んで直す仕草まで見せた。
「な、なせだ! どうして平然としていられる!」
「そんな危険な仕様、世界のAsatoが放って置くと思うか。無効化なら既に完了している。お抱えの情報システムチームは優秀だからな。少なくともお前らよりは」
「クッ、小癪な……!」
「それにしても今のコードは何だ。仮にも業務で使用するものだろう。それが『子猫もちもち』とは、公私混同も甚だしい」
「猫ちゃんを馬鹿にするな! もしや貴様は筋金入りの犬派か? しかも過激派なのだな!」
「勘違いするな。猫の愛らしさは存分に承知している。私は勤務態度について……」
「総員、全力撃滅令(フルポテンシャル)だ! この不届き者を殺せ、潰せ、粉砕しろッ!」
逆上気味の号令が響いた瞬間、護衛の1000系達は壁に取り付いた。壁の一部がスライドして開き、その内側には人数分の電子警棒がある。彼らは速やかに武装すると、一糸乱れぬ動きでセワスキンに攻め寄せた。
「どうだ、この統率された動きは。実に美しい。最新機器のみが実現できる技能だ、型落ちごときの貴様に敵うものか!」
所長が豪語するだけの事はある。セワスキンの前後左右から1機ずつ、さらには頭上に飛んだ1機が制空権も脅かす。タイミングも完璧としか言いようがない。
丸腰のセワスキンは絶体絶命に見える。しかし彼は取り乱す事もなく、微かに腰を落として待ち構えるだけだった。
「ナメるなよ、木偶どもが!」
セワスキンは前方めがけて突進した。振り下ろしの警棒はスライディングで回避。それと同時に敵の足を腕に絡め、力任せに引きちぎり、去り際に警棒を奪う。
残り4機。今度は2機が突出し、残り2機は左右に別れて、押しつつむ様な構えをとった。
セワスキンは再び前に突進。跳躍して飛び越える動きを見せたが、フェイントだ。むしろ姿勢を低くして駆ける。フェイクにつられて上を向いた前衛の間を抜け、同時に電撃を一発ずつ食らわせる。
最後の2機。1機が捨て身の攻撃を仕掛け、残り1機がセワスキンの隙を窺う作戦だ。破れかぶれの突撃である。セワスキンは難なく攻撃をかわし、背負い投げ、電撃を浴びせた。
そこへ最後の1機が飛びかかるのだが、その口にはミニボトルが鋭く投げ込まれた。セワスキンが持参したもので、ラベルには『冷えシュワ緑茶』とあり、開封済みだ。注ぎ口から流れ込む水分と強炭酸が、スマホの内部をしたたかに蹂躙し、全身をショートさせてしまう。
終わってしまえば圧勝だった。セワスキンには傷1つついていない。
「な、なぜだ……! 初号機の型落ちごときが、勝てる訳がないのだ!」
「後学の為に教えてやろう。私は来る日も来る日も、旦那様とお嬢を守り続けた。その都度研鑽も積んだ。お前たちがヌクヌクと暴政ごっこを愉しむ最中にな」
「努力の賜物とでも言うつもりか。そんな下らぬものが、バージョンの壁を飛び越えたとでも!」
「立場や職務が能力を育む事がある。私の仕事ぶりは常に完璧だった。もっとも、1度だけ酷くしくじりはしたが」
セワスキンが冷ややかな視線を背後に送ると、そこにタケルの姿はなかった。タケルは、グロリアを背負うノボルと共に、部屋の隅で駆け出していたのだ。
「ノボルさん、今のうちです。ニーナを助けましょう!」
「あの様子ではロックされているな。まずは解除が必要だ」
窮地を救ったのに感謝のひとつもない。この仕打ちにセワスキンは青筋を立てるのだが、怒りを先に顕にしたのは所長だった。
「何ということだ。ネズミ駆除ごときに、二千万弱の損害を出すなどと!」
「意固地になるからだ。素直にニーナを解放しろ。そうすれば、これ以上傷口を広げずに済む」
「黙れ! ここまで来て引き下がれるか! 決算書など粉飾してしまえば良いのだ!」
動画配信中にも関わらず、酷く大胆な発言が飛び出したが、所長は怒り心頭だ。室内のドアというドアを開き、控えていた1000系のスマホ全てを投入した。もはや何機と数える事も困難で、無数とも思える数が殺到したのだ。
「これでどうだ。さすがの貴様も敵うまい!」
「己のプライドに固執するあまり、損得勘定すら出来なくなるとは。所詮は小利口なだけの小人物か」
「どれだけ犠牲を払っても構わん、目にもの見せてやれ!」
通路という通路から押し寄せる1000系達は、前列から順番に攻め立てた。
さすがのセワスキンも、間断なく押し寄せる敵には手を焼いた。嘲笑う余裕を失い、動きも徐々に精彩さを欠いていく。
「クックック。どうした型落ち。そろそろ電池残量が怪しくなってきたか?」
「クソッ。だからゲームは1日1時間と言ったろう、お嬢め」
セワスキンはスリープ状態で立ち上がったままのアプリを閉じた。タイトルの『スパダリ・ペアーズ 〜オレ達男同士だけど〜』を横目にしつつ。
その間にも敵は包囲網を狭め、ジリジリと迫りくる。潮時か。そう呟くと、セワスキンは大きく跳躍し、ポカリと空いた天井から飛び出した。
これには所長よりも、タケル達の方が驚愕した。いまだニーナは囚われたままなのだ。
「ちょっとセワスキン、何してんだよ。まだ助けてないよ!」
「知らんな。私が頼まれたのは時間稼ぎであって、救出ではない」
「だからってあんまりだろ! 僕たちを置き去りにするのか!」
「縁があれば会うこともあろう。もっとも、私は再会なんぞゴメンだがな」
そんな捨て台詞とともに、セワスキンはいずこかへ立ち去った。場をかき乱すだけ乱して消えたのだ。
残されたタケル達は、もはや絶望の虜だ。室内を埋め尽くす1000系のマジリアル達。5機ですら逃走1択であったのに、眼前には百倍近い数がひしめき合っている。
「どうしましょう、ノボルさん……」
「これはもう笑うしかない。投了、ないしチェックメイトだ」
これまで紆余曲折あったものの、遂に勝敗は決した。やはり物量には敵わない。工夫や作戦で覆せる戦力差ではないのだ。
「散々手を焼かせおって。3千万にも及ぶ損失をどう償ってもらおうか。覚悟しておけ。体中を切り刻んで売り飛ばしても到底足りぬ額面だからな!」
捕縛せよ。そう告げたのだが、命令に被せるようにして甲高い音が耳元を騒がせた。聞こえたのは館内放送で、マイクのハウリングが鳴り響いたのである。
――あっ、あっ。マイクテスト。マイクテスト。
声質は初老の男だ。聞き覚えのない声に「今度は何だ」と喚く所長。タケルにとっても耳馴染みが薄く、記憶に引っかかるものは覚えつつも、思い出すには至らない。
――イナお嬢様。万事整ってございます。
――ありがとうミタライさん。後は私がやるわ。
イナが来ている。驚きの声をタケルがあげる前に、頼もしい台詞がスピーカーから流された。
――所長さん、聞こえる? 研究所の全てを私が掌握したわ。穏便に済ませたかったら、タケル君を解放して。
「小娘。貴様が何者かは知らんが、私を甘くみるなよ。速やかに捕縛し、制裁を与えてやるぞ!」
――アナタが交渉に応じれば、無用な悲劇を起こさずに済むの。少しは冷静になってもらえる?
「偉そうに講釈を垂れるな! 貴様も引きずり出して跪かせてやるぞ!」
――あっそ。じゃあ仕方ないわね。
イナは冷たく言い放つと、コンソールルームの壁にグラフを映した。それは東証一部、株取引の画面であるのが分かる。銘柄はスマホ少女男子研究所だ。
一体何が始まるのか。そう見守るのも束の間、グラフは直角も同然のカーブで下がり始めた。景勝地の滝を彷彿とさせる下落っぷりは、間もなくストップ安。取引停止を迎えてしまった。
「これは、何が起きている!?」
所長がヒステリックに叫ぶ。いつしか画面は分割され、連結子会社や親会社までも同じ軌跡を辿った。この短い時間での損失は、時価数千億円と見込まれる。
所長の腰に差したスマホが騒がしく震えた。それは株価異常を知らせるアラートであり、信じたくないが、受け入れるしかなかった。
眼の前のグラフは現実に起きたものであると。
「何をした小娘ぇ!」
――パパが大株主だからね。好きにして良いって言われたから、売れるだけ売っちゃった。
「こ、こんな事をして、タダで済むと……!」
――元はと言えば、アナタのせいでしょ。ニーナさんを無理やり攫わなければ、タケル君に危害を加えなければ避けられた。自分で蒔いた種だって諦めて。
「これは、1000系どもの損失とは比較にならん。一体どう誤魔化せば……」
――もう1度言うわ。タケルくんを解放して。そうしたら株を買い支えて戻してあげる。
「ふざけた事を。ここまでコケにされて許せと言うのか!」
この男、若くして所長に大抜擢されただけあって、今日に至るまで勝ち続けてきた。学業は常にトップ、難関大学を現役合格し、就職した後も出世頭として知られる。負けた経験のない人生だ。そのため、引き時をというものが分からない。
拗れに拗れた誘拐騒動。その決着は実にあっさりとしたものだった。タケルの要求もセワスキンの横槍も、イナの経済制裁でさえも突っぱねた男だが、本質は雇われサラリーマンなのである。
「誰だ、この忙しい時に……」
所長のスマホに着信があった。一度だけでなく、何度も何度も鳴り続ける。こんな状況だ、応答する態度は酷く荒々しいものになった。
「しつこいぞ貴様! 今は手が空かない、後にしろ!」
そう叫んだものの、顔はすぐに青ざめる。そして電話越しであるのに直立不動となった。
「ひ、東日本、支社長!? ワタクシにどのようなご用件で!」
声を裏返してまで通話する相手は、親会社の重役だった。親しげに世間話を楽しむ間柄ではない。
「はい、それが本日、ご契約者様とトラブルがありまして。もちろん誠心誠意、お話ししている最中です。動画が話題になっている? これはお客様からのご要望でして、私はやんわりとお断りしたのですが、たっての希望ということで。粉飾決済? いえいえ、あれは台本どおりに口にしたまでです」
猫なで声で弁明し、何度も繰り返し頭を下げる所長。そこには理知的な研究者の面影や、暴君として君臨した気配は微塵も無かった。自身の失態を認めつつも、責任逃れを探る男の姿があるだけだ。
「承知致しました。ご契約者様には、可能な限り、ご要望に応えます……!」
所長は拳を震わせながらも、そう言明した。陥落である。それを証左するかのように、室内にひしめいていた1000系達が、緩やかに立ち去っていく。
その最中にノボルが、ニーナの拘束を解除した。ニーナが体をフラつかせて倒れかかるのを、タケルに抱きしめられる事によって留まる。
「タケル様、私なんかの為に……」
「ニーナ。こんなのは1度だけにしてくれ。僕を嫌いになったならともかく、無理やり引き裂かれるなんて、哀しいじゃないか!」
「はい。申し訳、ありませんでした……」
「もう勝手に居なくならないで」
消え入るような声の後、もはや言葉はなかった。力強く抱きしめ合う2人。ニーナの目頭は燃えるように熱くなり、頬に伝う何かを錯覚した。涙など無い。それでも彼女の魂は、歓喜の涙を感じたのだ。
救出が終われば帰るだけだ。しかし行きで乗った車は全壊している。どうしようかと思案するタケルの前に、意外な人物が颯爽と現れた。
「川瀬君。キミまで……?」
軽快にワゴンを走らせてきたのはカツトシだった。助手席にはシトラスの姿もある。それは良いのだが、2人揃ってサングラスを掛けているのは不自然だった。
「おっすタケちゃん。だいぶ騒ぎまくったらしいな」
窓を開けて、サムズアップするカツトシ、隣でシトラスもその動きを真似る。
「川瀬君。なんでサングラスを? もう日が暮れるし、日差しなんか無いでしょ」
「いや、これは、その。格好良いべ? 前の取引で大勝ちしたから奮発したんだよなーー」
「もしかして、顔がバレないようにしてる? 研究所の人たちに知られたくないんでしょ?」
「そ、そんな訳あるか! オレは友達を見捨てるようなダセェ真似しねぇから!」
「いや十分だよ、ここに来てくれただけで嬉しい」
後部座席にタケルと、続いてニーナが乗り込んだ。ノボルとグロリアは別の社用車に乗るといい、ここで別れた。
「それにしてもタケちゃん。大冒険だったみてぇだな」
「まぁ凄かったよ。無事に出られたのが不思議なくらい」
「色々あったんだろ。見たら分かるよ」
後部座席に乗り込んだタケルに、ニーナが両手を絡めて抱きついている。体を密着させて頬まで寄せる距離感は、これまでで一番の接近戦であった。
「あのさ、ニーナ。近くない?」
「タケル様のご指示から、離れてはならないと解釈しました。2度とお側を離れる事はありません」
「いや、それっぽい事は言ったけど。こんなの不自然極まりないでしょ」
「ご安心ください。この世には首掛けストラップ付きのスマホも存在します。それと同じと思えば」
「無理があるでしょ! 君は女の子でもあるんだから!」
2人がやたらイチャつくと、再び後部座席のドアが空いた。息を切らしたイナがやって来たのだ。
「ふぅ、お疲れ様ぁ。災難だったよねぇ……ってイチャついてる人の苦労も知らないでぇーー!」
「安里さん、色々ありがとうね。キミのお陰で危ない所を……」
タケルのお礼は話途中で終わった。押し入るようにして乗り込んだイナが、ニーナの反対側からタケルに抱きついたのだ。それからは左右からの引っ張りあいになる。
「ニーナさん狭いんだけど。後ろの席が空いてるから、そっち座って」
「それは出来ません。首掛けスマホに進化したので、この位置から動けないのです。イナさんこそ、向こうで待ってる豪華絢爛なリムジンに乗ってください」
「ていうか私に言ったよね? タケルくんを宜しくって。だったらここは遠慮すべきでしょ」
「あれは気の迷いです。あるいは白昼夢の類ですから忘れてください」
「図々しい! さっきは私の大活躍で助かったんだから、少しくらい恩を感じなさいよ!」
「タケル様は身の危険も顧みず、私を救出なさいました。その成果を遠ざけようだなんて良識を疑います」
「あの、2人とも、いい加減苦しいんだけど……」
「すみませんタケル様。速やかにケリをつけますので」
「タケルくんゴメンね、狭苦しいよね。邪魔者はすぐ追い出すから、ちょっとだけ待っててね」
いつも通りとしか言いようのない光景に、運転席のカツトシも苦笑を禁じえない。
「おぅい、そろそろ車を出すから。シートベルトよろしくな」
「にぃに、私もアレやりたい。首掛けイチャコラ」
「今言うなよ。これから運転すんだぞ」
「わかった。家に帰ったら存分にくっつく」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ」
タケル達を乗せた車は、闇夜に染まる道を緩やかに辿っていく。賑やかで温かな日常を、無事取り返したのである。
(欲を言えば、もう少し静かな方が嬉しいな……)
タケルのささやかなる願いは、暗い車窓の向こうに飲まれて消えた。
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