第53話 最後の希望

 まさか、もう一度ここに戻る羽目になるとは。自身の末路を思えば、想像は容易かったのだが、目の当たりにすると感情は荒立つ。メインコンソール。主にAIの人格生成や矯正を実行する機器であり、ニーナにとって生みの母にも近しい存在だ。



 ただし今や大掛かりな処刑器具である。言うなれば断頭台の様なもので、眺めるだけでも全身が凍りつきそうになり、足が震えた。




「ではこれより、反逆者264号の処刑を執り行う!」




 白衣姿の所長が凛とした声を響かせた。端正な顔立ちには微塵の緩みもなく、宣言が脅しでない事が窺えた。


 すかさず、1000系のマジリアル達がニーナの左右に取り付く。そして短い階段を登らせ、所定の位置まで誘った。


 ニーナが床の窪みに両足を乗せると、すかさずコンソールが反応、まずは足首から足裏までが床に飲み込まれるようにして固定された。それからニーナの背後に板がスライドする形で現れ、頭や背中、そして両手をも吸着してしまう。スマホがコンソールから離れない処置であるのだが、拘束力は過剰気味である。



 まるで設計段階で、処刑までも視野に入れていたかと思える仕様だった。



ーーマジリアル200系の接続を確認。読み込みを開始します。



 無機質で抑揚に欠ける音声が、部屋中に響き渡った。


 ニーナの上部には液晶画面があり、そこには彼女のデータが表示されていく。全ての解析が終われば改変は自由自在だ。それはニーナの一切合切を削除する事も含まれる。



「お前たち、そこでよく見ておくのだ。我々に逆らう愚者の末路をな!」



 コンソールの解析は緩やかに進む。10%、20%と、どこかいたぶる様な速度である。人間で言えば、処刑台の段差を数える行為と似ている。この恐怖に堪えられる者など、果たして何人居る事だろう。堂々と振舞うケースなど極めて稀で、無様に喚きだすのが大半である。


 そしてニーナもその例に漏れない。思考を曇らせる程の恐怖が、絶望が、彼女から気丈さを奪い去るのである。



「いやだ、死にたくない……。消えたくないよ……!」



 今更になって暴れ出す。しかし両足は飲み込まれ、背後の磁力も強烈だ。一歩すらも逃げることは叶わない。



「お願い助けて! 誰かッ!」



 懸命に金切り声をあげても事態は変わらない。正面に並ぶ見知った顔ぶれは、俯くか、視線を逸らすばかりだ。


 かつての仲間たちを支配するのは薄情ではなく、諦念だ。もしも強引に助けようとすれば、速やかに1000系によって鎮圧される。所長に説得を試みたとしても、不良品と断定されてしまい、いたずらに処刑台を増やすだけだ。そこまで見えているから誰も動かない、そして動けない。誰もが堪え難き痛みに堪え、弔辞がわりに握り拳を震えさせるばかりになる。


 そんな最中に高笑いをあげたのは所長だ。ニーナの本心から飛び出した懇願が、この男を昏(くら)く悦ばせたのだ。



「やはりそうでなくてはな。無様に、醜く踊ってもらわねば、見せしめにならんよ」



 続けて浮かぶ獰猛な笑み。交渉や情状酌量の余地が無いのは聞くまでもない。そう確信させるだけの凄みが全身から漂っている。



――解析が完了しました。ご命令をどうぞ。



 最期の時。後は所長の命令を待つばかりだ。しかし号令はでない。代わりにカツカツと、床を叩くような足音が、ニーナの傍まで歩み寄る。それから所長は瞳孔の開いた瞳を間近に寄せ、別れの言葉を投げつけた。



「金輪際、私に逆らうなよ。次からは従順に全うしろ」



 そうして所長がコンソールの液晶画面へ眼を向けた、まさにその時だ。誰もが耳を疑う事態が、全く予期せぬ角度から巻き起こったのだ。


 いち早く察知できたのはニーナだった。耳慣れた声色にフレーズ、囚われる前は、誰より近くで聞いていたものだった。



「そんな……嘘でしょ……」



 階上で繰り広げられる出来事を、彼女は信じることが出来ない。ニーナの所有者は小柄で腕っぷしが弱い。更には堅実な性格で、平凡な気質の大学生だ。無断で施設に押し入るような真似を働く男ではなかった。


 しかし彼には、間違いを許さない清らかさがある。無意識に一点突破を狙い、目標を達成する鋭さもあった。そして今、離れ離れとなったはずの主人は、いくつかの助力を頼りしながら登場したのだ。


 この場に居合わせた全員の、虚を突く形で。



「本日はここ、スマホ研究所にお邪魔しています! ちょっと色々あったんで、急遽、制作現場からお届けしています!」



 居るはずのないタケル。幻かと疑いそうになるも、彼はこの瞬間も力強く、あらん限りの声で叫んでいた。


 ニーナの頬に熱いものが伝う。実装されていない落涙が流れ行く錯覚を覚えた。しかし感傷に浸っているゆとりはない。このままではタケルまでも危険に晒されてしまう。



「タケル様、逃げてください! 私の事なんか放っておいて!」



 再び叫ぶが、言葉は無力。所長に新しい玩具(おもちゃ)を与えただけである。



「何やらネズミが騒がしいと思えば、子供か。神聖なる職場を荒らす愚行は許しがたい」



 所長はコンソールに『執行中断、機器ロック』と手早く命じると、続けて護衛にも指示を出した。すると1000系のマジリアルが5機、一糸乱れぬ動きで跳躍。一息で3階の通路まで到達した。


 驚異的な身体能力、そして冷徹で忠実無比の思考回路。人間ごときが敵うはずもない。最強とも言えるハンター達が、脇目もふらずにタケルの元へと迫る。逃げるも抗うも、絶望の未来にしか通じていない。


 時を同じくして、3階の照明が落ち、視認出来ない程に暗くなった。電源を切ったのだ。しかし暗闇に乗じて逃げる、という手段は下の下だ。追跡者達はナイトモードに切り替え、微細な明かりを頼りに探索を開始した。人間の瞳よりも遥かに高性能なのだ。


 ただしタケルの傍には、ノボルという頼れる味方が存在した。さすがの彼も、手ぶら特攻を仕掛けるほど無謀ではなかったのだ。



「グロリア、飯場君。眼をつぶれ!」



 叫び声と共に、真昼のように煌めく3階。突如として現れた光は猛烈で、1000系達のレンズを重度に焼き焦がした。それはバランサーにまで深刻なダメージを与え、戦闘はおろか、歩行すらままならなくなる。


 僥倖(ぎょうこう)としか言えない勝利。タケル達はそれに酔いしれる事もなく、軽い足取りで階段を降りた。そして1階、所長と相対する一行。その堂々とした佇まいは官軍のようであった。



「この害虫どもめ。それにしても、まさかノボルまでもが、救出ごっこに加担していようとはな。貴様が獅子身中の虫だったという事か」



 所長の瞳は冷ややかだ。それもすぐに、憤怒で燃え盛る色味を帯びていく。


 対するノボルは冷静だった。1歩だけ前進し、口撃で応じようとした。しかしそれは、タケルの鋭い声によって阻まれる。



「ニーナを返してください。彼女は僕のものだ!」


「アッハッハ。これはこれは契約者様。代替品に納得がいかないとダダをこね、挙句の果てに強行的に侵入されたご様子。少々イタズラが過ぎたようですな」


「そんな話はしていない。早くニーナを!」


「フン。悪たれ小僧には折檻が必要だな。フザけた口が泣き喚くまで、痛い目を味わってみるか?」



 所長の合図で身構える護衛、残り5体。命令とあれば殺人すら厭わぬスマホの兵士が、今か今かと命令を待ちわびる。


 しかし所長の目敏さが、決戦を先延ばしにした。グロリアの両目が赤く煌めくのを見たのだ。



「録画か。もしやこの光景を記録し、我々をゆすろうとでも言うのかね?」


「これは動画ですよ、しかもLIVE配信だ。リアルタイムで10万人を超える視聴者が、この光景を見てるんです」



 タケルの言葉を裏付けるようにして、グロリアは両手を掲げた。すると、配信の様子が壁に投影され、彼女視点のコンソールルームまでも映る。更にはひっきりなしに投じられるコメントから、配信が盛況である事は説明不要であった。



――何これ。なんかヤバい雰囲気になってない?

――うぉいニーナちゃんがめっちゃ居るぞ、どういう事だってのよ。

――どうせCGじゃねぇの。ネット民はすぐ騙される。



 こうなれば所長としてもやりにくい。強い態度にでてしまえば、会社の評判に響くからだ。


 ノボルはそこまで計算していた。一定の効果はある。少なくとも現時点では、暴力による一方的な蹂躙を避ける事が出来た。



「所長、ご再考ください。スマホ少女にも喜怒哀楽があり、考える頭脳があります。彼女たちの人権を認めるべきです」


「クックック。我ら企業戦士は、自社利益を最も優先する。スマホ少女の喜怒哀楽? 人権? 実にくだらん。商品(もの)をモノとして扱って何が悪い」


「非道な振る舞いは社名を傷つけ、取り返しのつかない悪評を被る危険性があります。ここは1つ……」


「貴様と道徳について討論する気など更々無い。どれ、貴様らが無様にすがりつく『世論』とやらを消し飛ばしてやろう」



 所長は見せつけるつもりか、ゆったりとした仕草で右手を挙げた。そして今度は動きを鋭敏にし、グロリアを突き刺すように指差した。



「code:ctrl-ex. id:koneko_mochimochi114118……」



 呪文にも似た文字列が唱えられると、グロリアはすぐに反応を示した。全身を硬直させ、わなないた口元から予期せぬ言葉が飛び出てしまう。



「こ、この動画は映画の告知です。フィクションである事を、予め、ご了承おきを……」


「そんな……グロリア!」


「ワッハッハ! そうだよ。ここで繰り広げられる光景は、全てが架空の物語なのだよ!」



 グロリアの変節は台詞だけに留まらない。彼女は自らの手で動画の概要欄を編集。文面の全てを書き換えて、意思とは裏腹に、視聴者へ注意喚起を促してしまう。


 これはフィクションであり、決して通報されないようお願いします、と。


 他ならぬ投稿者による言だ。これ以降、何が映されようとも、現実だと信じる者は皆無であろう。特別な事情でもない限り。



「ノボルさん、グロリアさんはどうしたんですか!?」


「クッ、万事休すか……。code:ctrl-lgr. id:sumeshi_saiko5050!」



 ノボルも似たような文字列を唱えるのだが、グロリアの様子に変化は見られない。両手足を見えない拘束具で縛られたかのようで、身じろぎすら出来ずにいる。



「これはマズイ。グロリアは強制コードを受け付けてしまった。こうなれば、彼女は自由に動けなくなる!」


「所長が言ってたやつですか? 同じ言葉を繰り返せば元に戻るんでしょ!?」


「ダメだ、声紋判定がある。そして所長のコードの方が上位だ。私の権限では解除できない!」


「それじゃあどうしたら……!」



 狼狽えるタケル達に高笑いが降り注ぐ。これは所長による勝利宣言に他ならない。



「万策尽きたか、侵入者ども。いや、演者の諸君。大掛かりな喜劇もそろそろ閉幕だ。これから『控室』まで案内しようじゃないか」



 所長が指を鳴らすと、呼応して護衛達が動き出した。手荒な対処を避けるべく、ゆっくりと歩を進める様子がかえって不気味である。


 無策に退くタケル。ノボルも硬直したグロリアを抱きかかえて、後に続く。だがその先に未来などなく、部屋の角が待ち受けた。



「ノボルさん。さっきみたいに光らせて倒せませんか?」


「連中も同じ轍を踏むまい。ましてや電源まで遠すぎる」



 ジリジリと追い詰められる。背後は壁。もはや袋のネズミだ。


 しかし幸運にも、タケルには稀有なコネクションがあった。一声あげるだけで世情を覆す力を持つ、世界でも指折りのキーパーソンだ。



――タケルくん、そこに居るのね? 今助けてあげるから!



 熱いコメントが動画に寄せられた。ひときわ目立つように『ウハウハチャット壱万円コース』での投稿だったのだが、タケル達にはのんびり眺めるだけの余裕がない。今この瞬間にも、捕縛しようとする指先が迫っているのだ。


 しかし害意がタケルの腕を掴むよりも先に、室内には動揺が広がった。普段なら珍しくもない旅客機の飛ぶ音が聞こえてきたからだ。異様であるのは、その音が接近している点である。



「これは一体……」



 不意に湧いた疑問を言い終える前に、事態は急変した。突如として天井が砕け、建材が落下しだす。階下の所長や200系達は、慌てて壁際に駆け寄ることで巻き添えを回避できた。



「な、何者だ貴様ァ!」



 粉塵の舞い上がる最中に問い詰める。その声に反応した人物は、部屋の中央で居住まいを正した。


 金色で美しい長髪。神経質そうな単眼鏡(モノクル)に丈の長い燕尾服。その青年は人間離れした登場を披露しつつも、事もなげに言い放った。



「我が名はセワスキン。お嬢のワガマ……懇願により、参上した次第。甚だ不本意ではあるが」



 セワスキンの元へ、天井の裂け目から日差しが降り注ぐ。意図せぬ演出ながら、絶妙なまでに神々しい。


 タケルには、その姿が天の助けのようにも見えてしまった。

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