第51話 障害を突破せよ

 タケルが押し込まれた車内は殺伐としていた。手荒いハンドル捌きに、アスファルトを削るような加速音。緊迫の気配は後部座席にまで存分に伝わってきた。



「ノボル様。このまま直行されますか?」


「そうだ。研究所の連中に勘付かれると厄介だからな、可及的速やかに向かう」


「承知しました。混雑を回避すべく、カーナビアプリを起動します」



 カーブの度に右へ左へと揺さぶられる。タケルは懸命に胃液を飲み込み、それ自体には成功しつつも、疑問符だけは口から吐き出した。



「あの、そろそろ説明してくださいよ! 僕は誘拐でもされてんですか!?」


「おっと済まない。グロリア、頼めるか?」


「承知しました。ご説明が遅くなってしまい申し訳ありません」



 ひとまずは自己紹介から。運転する若い男は、研究所スタッフの男でノボルという。そしてニーナを自称したスマホ少女は、本来ならばグロリアと呼ばれている。


 そこまでは良いにしても、続けて耳にした言葉をタケルには理解できず、思わず聞き返してしまった。



「レジスタンスぅ……?」


「はい。私とノボル様は、密かに反抗運動を繰り広げている……」



 その言葉にノボルが声をあげて笑う。助手席のグロリアは首を横に向け、咎める視線を真っ直ぐに送った。



「何かおかしいですか?」


「いや済まない。確かに我らは大義を掲げるレジスタンス。研究所の、非人道的なやり方に反抗しているのだからな」



 話をまとめると、ノボル達は水面下で研究所と対立しているのだ。スマホ少女の意向を完全に無視する形で契約を結ぶのは、人道に反するのではないか、人身売買と変わらないというのが2人の主張だ。


 実際、タケルにとっても他人事ではない。スマホ少女に人格があり、契約方式に問題があるからこそ、ここまで拗(こじ)れてしまったのだから。



「なるほど、大体は理解しました。アナタ達は僕とニーナの味方なんですね?」


「そう考えても差し支えない。少なくとも今回は共闘関係だ」


「そして今はニーナを救うべく、研究所とやらに向かってるんですね?」


「まさしく。監視の連中に気付かれるまでが勝負だ。こちらの動きは察知されていない、と思いたいのだが……」


「ノボル様。行方をくらます為に、わざわざ大跳躍を披露して離れました。しばらくは問題ないのでは?」


「それでも所在が不明となれば、注意喚起の知らせくらい飛ぶだろう。連中がどこで勘付くか、そこは賭けになる」



 車が辿るルートはかなり入り組んでいた。国道の大通りを進んだかと思えば、進路を左右に変え、裏路地を駆け抜ける。


 座っているだけのタケルは方向感覚すら失ってしまうが、誘導の声には確信めいた響きがある。不安を感じない訳ではない。それでも、この流れに乗る事に決めたのは、もちろんニーナを取り戻す為である。



「アナタ達の目的は何ですか。レジスタンスだの、反抗してるだの言いますけど、僕に肩入れする理由が見えませんよ」


「飯場君。キミの目的は264号を取り返す事。我々は研究所の非道をつまびらかにし、世論を味方につけたい。264号の奪還は我々の目的に合致する」


「そうですか? そんなに目的が近いとも思えないんですが」


「仮に私やグロリアが告発したとしても、所詮は内部の人間だ。世間からは内輪もめと受け止められる可能性が高い。しかし顧客が発信したとなると話は別だ。研究所に問題有りと考えてくれるだろう」


「つまり、僕にアナタ達の理想を手伝えと?」


「ギブアンドテイク。特に今は、お互いが協力するのがベストではないかね?」



 タケルの答えは既に決まっている。仮に共闘を拒んだとして、車から引きずり下ろされでもしたら、ニーナの元へ辿り着けるかすら怪しくなるのだ。



「まぁ、そうだと思います。僕は内実を何も知らないんですから」


「ならば不審がるのは終わりにしよう。キミも私をノボルと、気軽に呼びたまえ」


「それなんですけど、初対面でファーストネームを呼ぶのはちょっと……」


「いや名字だ。ノボルキワム、野掘究と書くんだ。ゆえに遠慮は無用なのだよ」


「はぁ、そうですか……」



 タケルは未だに現実味の薄さに悩まされている。どこまで本気で、どこから冗談なのか、そもそも冗談を含んでいるのか。何も分からないままに車は進む。それからは高速道路に乗り込み、法定速度ギリギリまでアクセルを踏んで、軽快に飛ばしていく。


 数え切れない景色を見送れば、一般道に降りる。大きな橋を渡り終えた頃、それは見えた。視界一面を埋め尽くす広大な敷地、背の高い壁にグルリと覆われた施設が眼の前に現れたのだ。



「着いたぞ。スマホ少女・男子研究所。通称スシダ研」


「聞いたこと無いです。そもそも語呂が悪すぎませんか」


「これからゲートを正面突破する。キミはこれを着て、大人しくしていたまえ」



 タケルに手渡されたのは新品の白衣だ。包装と値札もそのままで、擬態するにしても杜撰(ずさん)すぎないかと思う。


 するとグロリアの手が伸び、包装のビニル袋は回収され、値札も爪先によって鮮やかに切り取られた。あとは羽織るだけだった。



「ちなみにノボルさん。正面突破とか言いましたけど、まさか大事(おおごと)にはしませんよね?」


「無論だ。騒ぎを起こすほど、達成が困難になる。穏便に進めるつもりだ」


「お願いしますよマジで。僕は、窃盗やら強盗をやらかす気はありませんからね」


「それは我らとて同じ事。ただ理知的に歩を進めるのみ」



 車が正面口に回り込むと、有刺鉄線付きのフェンスが横開きした。ノロノロと徐行で侵入。すると前方から重装備の警備員が2名現れ、警棒を手旗のように振ることで誘導した。


 物々しい。さっきまで車内に漂っていた、どこか気の抜けた雰囲気は一変し、冷たい緊張が走る。タケルは、別の意味でこみ上げる吐き気に脅かされてしまう。



「くれぐれも不審な動きはしてくれるなよ、相手に気取られるぞ」


「わ……分かってますよ」



 小声で会話するうち、外からノックされる。ノボルが窓を降ろすと、すかさず鋭い声が耳に刺さった。



「お疲れさまです、社員証をお願いします!」



 ノボルは無言のままで胸元から取り出し、警備員に手渡した。問題なしと、数秒後に返却される。


 だが次に、鋭い視線が同乗者の方へ向いた。警備員は当然ながら、タケルとグロリアの姿を見逃さなかった。



「こちらの2名はどなたでしょうか」


「後ろに乗ってる若造はインターンだ。まだ数日なので社員証は無い。これは私の不手際ではなく、準備を怠った管理部の責任だ」


「助手席に居られるのは?」


「客先から回収したスマホ少女。トラブルがあってね、急遽この車で連れ帰ったのだが、それも聞いていないのか?」


「保安部には何も来ておりません」


「まったく、あいつらは本当に仕事をしないな。備品管理だけが能か」


「私から上長および管理部に問い合わせます。こちらで少々お待ちいただけますか」


「それには及ばない。その手間を省ける資料が手元にある。君たちも、こんな些末な事で、傲岸な連中の声を聞きたくはないだろう?」



 ノボルが2度、これみよがしにダッシュボードを叩いた。その仕草が、警備員のトランシーバーを口元から離した。



「何かしらの文書があるのですね、助かります」


「では速やかに用意しよう。それはさておき、君は煙草を嗜むのかね?」


「はい、まぁ、そうですね」


「ともかく離れてもらえるか。臭くて敵わん」



 ノボルが冷ややかな顔つきになると、警備員は一歩退いた。そして窓が締まるのを咎めもせず、静観する姿勢となった。



「あの、ノボルさん。大丈夫ですか? 証明書なんて有りませんよね?」



 タケルとしては気が気ではない。インターン契約など交わしていないのだから、適切な文書など存在する訳がなかった。


 一方でノボルは、ダッシュボードから紙の束を引っ張り出しては、自身の膝上に置いた。何の用途かも分からないものばかりだが、この状況を突破できるものは無さそうに見える。


 タケルの不安は募るばかり。それから、さも紙束から探す素振りを眺めつつ、小声の問いかけを聞いた。



「グロリア、飯場君。シートベルトは問題ないな?」


「はい、怠り無く」


「僕も締めてますけど、それが何か……」


「ならば上々!」



 ノボルは叫ぶと同時に、アクセルを深く踏み込んだ。狂ったように摩擦するタイヤ。数秒と待たずに急発進。警備員をその場に置き去りにして、車は社屋へ向かって突進した。



「ちょっとノボルさん! ぶつかるって!」


「口を閉じたまえ、舌を噛むぞ!」


「こんなの強行突破じゃないですか、理知的な歩みはどこに行ったんですか!」


「そんなもの力技の前には無力なのだよ、ワーーッハッハ!」


「笑ってる場合じゃないでしょうがーーッ!」

 


 やがて体に響く衝撃。耳をつんざく衝突音は、ガラスが粉々に砕け散る音。


 車は大理石の床にブレーキ痕を刻みつつ、横滑りに滑り、車体を壁にぶつける事でやっと制止した。


 ボンネットからは微かに白煙が立ち昇っている。それだけ派手な事をやらかしたのだと、責め立てるかのように。



「アワワ、こんなの完全に犯罪じゃないか。器物損壊? 不法侵入? あとは……」


「飯場君、細かいことは気にするな。それよりも保安部に先回りされると厄介だ。走るぞ」


「アンタはどうして平然としてるんですか!」


「飯場さん。あなたとニーナさんは真実の愛で結ばれています。彼女の奪還以上に、大切なものなどあるのですか?」


「アンタもそればっかだな!」



 車を乗り捨てた一行は、ノボルを先頭にして走り出した。けたたましい警報音、遠くから響く怒号。その全てが物々しく、捕まればタダでは済まない事など明白だ。


 タケルは駆け回りながら思う。自分はこの先、就職とか無理なんじゃないかと。裁判になったら、いきなり実刑判決じゃないのかと、生々しい事ばかり考えてしまう。


 そんな想いも、屈強なる男たちに追い回されるうちに忘れていくのだった。

 


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