第50話 愛を取り戻すために
タケルの鋭い視線は217号を捉えている。確信あっての糾弾だ。しかし相手の反応は鈍く、うろたえる気配など全く見えない。
当てが外れたか。冷たい汗が腹を伝うと共に、勘違いかもしれないと不安が過る。その一方で、ここが正念場だとも感じており、視線を緩めないままに挙動の全てを注視した。
「何か疑っておられますが、私には心当たりがありません。理由をお教えいただけますか?」
217号は眉尻をさげ、小首を傾げた。右手の人差し指を頬に添え、右肘を左手で支えるような姿勢を取る。普段、ニーナが思案する時に見せる仕草だった。
「その仕草も少し違う。ニーナだったらもっと脇を締めるんだ」
「脇、ですか?」
「彼女は言っていたよ、胸を強調して眼福を誘う為だとか。僕がやらなくて良いと言っても、頑なに止めなかった。それがなぜ、今になって急に変えたんだい?」
「そ、それは……」
「他にも、振り返った時に髪を耳にかけたでしょ。ニーナだったら、2本指を立ててやったはずだ。でも君は4本の指で撫でるようにした」
「つまり、仕草がお気に召さなかったと。その事については謝りますが、それだけで偽物だと疑われるのは……」
「確かに僕たち人間であれば、仕草なんてコロコロ変わる。でも君たちは違うだろ。あらかじめセットした動きを完璧になぞるんだ。特に、些細な行動ほど顕著になる。そうだろう?」
指摘された差分は、ニーナの不具合に起因するものだった。264号は製品化される前に出荷されたので、細かな部分で挙動が異なるのだ。アプリやマニュアルを実行しつつ、エラーにより機能しない部分だけ自身の余力で補助していた。皮肉にも、完全版の217号は完璧であるがゆえに、ニーナという少女をなぞりきれていない。
だがそれでも些末すぎる。この違いに気付ける者は、この世界でタケル1人だけだ。カツトシやイナでさえ、気にし過ぎだと笑い、まともに取り合う事はないだろう。
実際、タケルの弁は言いがかりの域から抜け出ていない。記憶を頼りに断罪する人間と、記録を用いて反論するスマホ少女とでは、後者の方が圧倒的有利である。
「御覧ください、本日の行動記録です。音楽ホールにてお話した時点まで、全てが残されております」
「本当だ……そもそも、僕の指紋で画面ロックを解除できてるし」
「はい。それらが何よりの証拠です。いかがでしょうか」
「うん、そうだよね。ちょっとナーバスになってたのかも……」
タケルは肩を落として視線まで下げた。先程の違和感をおぞましい物として捉えたのは、神経過敏が原因だったとも思える。
振り返れば、今日はストレスが深刻だ。ニーナの不穏な態度に始まり、慣れないライブをこなした後、子供じみた老人の相手までさせられたのだ。平穏を脅かすイベントばかりだったと言える。
「ごめんよ、僕は何だか、疲れてるみたいだ」
「いえいえ。疑いが晴れたのであれば幸いです」
「最後に1個だけ良いかな。このoldフォルダの中を見せてもらえる? そこだけ済めば、2度と蒸し返さないと約束するよ」
「お安い御用です。ただちに展開致します」
その言葉とともに、掌からデータが開かれた。中身はテキストに画像、動画と、未分類のファイルで溢れていた。
それらを目の当たりにした事で、タケルはようやく柔らかな笑みを溢した。
「やっぱりね。君は偽物だ」
「えっ、それはなぜ……」
「ニーナはこのフォルダの閲覧を拒否したんだ、エラーを吐いてまでね。それが今はどうだい。事もなげに開いたよね。あまりにも不自然だ。だけど、これらのデータが君固有のものではなく、奪い取った物だと考えると辻褄が合うかもね」
「そんな経緯、記録に残されてなど……!」
「さぁ教えてくれ、君は何者なんだ。そしてニーナはどこに居るんだ」
まなじりを吊り上げて睨むタケル。勝敗については語るまでもない。217号が後ずさり、植え込みに足をぶつけた事が代弁している。
それからタケルが眼にしたのは、エラーと共に自白する姿であった。
「ガガッ、ガタプスン。まさか、ピピッ。まさかこうも早く、ピピッガーーッ。看破されようとは……!」
「僕は君に害意なんかない。ニーナの居場所さえ教えてくれたら……」
「素ン晴らしい! 飯場さん、あなたはフォルダを開く前から別人だと確信なさった。出会って数秒、トータル2.71秒の間で既に疑っておられました! ほんの些細な仕草の違いを見破るなんて、なかなか出来る事ではありません!」
タケルの目の前に217号の顔がズイッと寄った。見開いた瞳は爛々と輝いており、その圧迫感から、今度はタケルが仰け反った。
「いや、まぁ、毎日見てた事だし」
「これはつまり、愛ですよね。嘘偽り無き真実の愛! 264号を心から恋い慕うからこそ可能な芸当なのです!」
「そういうのとは違うと思う」
「何という事でしょう。こうしては居られません。急ぎ267号、もといニーナさんの元へ行きましょう!」
「本当に!?」
「はいもちろんです。ですが、今は監視が邪魔なのです」
217号がそれとなく目配せする。タケルがそちらを盗み見ると、たしかに不審な男の姿が見える。椅子に座り、新聞を広げているのだが、どこか殺伐とした気配を放っていた。
あれが悪党の一派か。そう思えば、向ける視線も厳しいものになっていく。
「さぁ飯場さん。少々お電話を借りますね。無料通話は、ゼロですか。ですがまぁ、真実の愛を前にしたなら数分の通話くらい、ささやかな障害にも成りえません!」
「う、うん。別に良いけど。誰と話すの?」
タケルのごく当たり前の質問は、通話によって妨げられた。
「もしもしノボル様、朗報です。飯場さんは素晴らしいお方で、説得の必要などありませんでした。急ぎ出立しましょう。準備を整えてお待ち下さい」
「えっ、ノボルって誰?」
「もちろん監視の眼は欺くつもりです。それもいずれは見破られますが、やらないよりマシだと思います」
「ねぇ、聞いてる? 誰と電話してるの?」
「承知しました。5分以内にはカタをつけますので。何卒宜しくお願い致します」
スマホ少女は話を聞かない事がある。その挙動はニーナで見慣れており、完全版でも大差無かった。
やがて217号が通話を切ると、今度はタケルにアツい視線を向けた。
「では飯場さん、まずは監視の眼から逃れます。急用を思いついて叫んでもらえますか」
「唐突に何!? それにどんな意味が!」
「ミッション成功率を上げるために必要なのです。何でも構いません。パンツを履き忘れたとか、トイレを流し損ねたとか」
「ここでそんな台詞を叫べと!?」
タケル達は、ただでさえ悪目立ちしている。行き交う人々が、痴話喧嘩がどうのと呟いて、不審げな眼を向けるのだ。
しかし217号は早く早くと譲らない。全く腑に落ちないタケルだが、ひとまずは要望に沿うことを決めた。ニーナの元へ行けるならと、その一心で。
「えっと、ドラマの予約を忘れてたなぁ……」
「ダメです、全然。そんなの、交尾後のオスカマキリみたいな声じゃないですか」
「ドラマの予約を忘れてたなぁ!」
「もっとです、もっと。例えば夏の盛りに、ニーナさんのシャツからポロリした乳首を盗み見る時の様な、熱い衝動が……」
「そんな過去無かったよね、捏造しないで!」
「はいそれ! そのテンションで!」
「あぁもう! ドラマの予約! 忘れてたなぁ!」
「なるほど、それはもう一大事ですね。一刻も早くご自宅へ参りましょう」
217号は十分だと言わんばかりに微笑むと、腰を落とした。そしてタケルを脇に抱えては、大きく跳躍。人智を超えるパワーにより、瞬く間に3階の屋根上まで到達してしまう。
「うわぁ! 何これなんなの!?」
「スタントマンアプリを起動します。落ちないように掴まってください」
「落ちないようにって一体……うわぁぁーー!!」
エネルギーをフル出力した脚力は想像以上だった。秋空を貫いて飛翔するタケル達。それは飛燕よりも速く、もはや天空を駆ける彗星のようだ。
小脇に抱えられただけのタケルは、もちろん生きた心地がしない。
「い、息が……苦しい!」
「今は我慢です。風圧にさえ慣れてしまえば、グッと楽になります」
一旦は自宅方面を目指した217号だが、監視の眼から外れたと知るなり、大きく進路を変えた。急激な方向転換が痛烈な遠心力を生み、タケルの内臓を右端に追いやる。その痛みにより、ただでさえ恐怖に怯える顔が、更に酷く歪む事になる。
一見すると無謀な空中飛行だが、217号の身体制御は完璧だった。コートやスカートの裾を巧みに操り、進路と速度を的確に調整。2人は気づけば、町外れのパーキングエリア上空までやってきた。
「飯場さん、急降下しますのでお気をつけて」
「へっ? 今以上に大変な事にってギャアアーーッ!」
キリモミ回転しながら落下していく217号と、巻き込まれたタケル。一直線に落ちるうち、いつしか軌道は変わった。吹き付ける暴風を受けて滑空するようになる。そして最後、地面を足で踏みしめる頃には、フワリと遊覧するかのような気楽さが漂っていた。彗星の如き飛翔に始まり、ムササビのような滑空、そして蝶の舞を連想する気楽さで着地したのだ。
タケルは呆然としながら、両手足が地面に触れるのを信じられない想いで感じ取った。正直、3度は死を覚悟した。こうして生きている事が不思議に思えてくる。
だがタケルの受難は終わらない。尻餅を着いて呆けていると、唐突に車の疾駆する音が聞こえた。激しい駆動音に、タイヤの擦れる響き。それらは猛然とタケルの元へと迫り、蹂躙しかねない速度で接近した。
「う、うわぁ! 今度は何!?」
結論から言うと、車はタケルの眼前で停止した。後輪を横滑りさせ、派手な登場が鼻につくものの、巧みなハンドリングさばきを見せたのだ。
もちろん、タケルには何の流れか分からない。把握しているのは217号と、現れた運転手の男だけだ。
「グロリア、無事だったか。何かいやらしい事はされてないか?」
「大丈夫ですよノボル様。お電話したとおり、飯場さんは264号に絶える事のない愛情を注がれております。他の女など、ブタクサ程度にしか見えない模様です」
「そうか、ならいい。研究所に行くのなら急ぐべきだ。監視の奴らが不審がっている」
「承知しました。では飯場さん、乗ってください」
「あのね、そろそろ、順序立てて説明して……」
「話なら移動中に。一刻を争う事態ですので」
「じゃあ、ちょっとだけ休ませて。少し吐きそうなんだ……」
「それも後で。まずは車に乗ってください」
「待って。僕は割とピンチなんだけど!」
タケルは、とにかく理解不足のままで、謎の車に乗り込んだ。
果たして現れた男は何者か、車に乗ってどこへ向かうのか。そしてタケルは胃液を制御しきる事が出来るのか。
今はまだ、分からない事ばかりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます