第49話 決別する過去

 タケルはステージに1人、肌に熱い程のスポットライトを浴びていた。逆光のせいで客席の方は見えない。しかし、自分が歓迎されていないであろう事は瞬時に理解した。



「なんだよコイツ、グラスなんか並べて」



 ざわめきの隙間に、不審げな言葉が聞こえた。水を注いだグラスで奏でるグラスハープ。奏者が居ないわけではないのだが、やはり知名度は低く、ギターやピアノとは比べるまでもない。



「一発芸でもやる気かよ、出番が違うぞ!」


「フザけてんなら帰れ! そんでもってジリヒンのアンコールでも聞かせろッ!」



 客席では、示し合わせたかのようなが騒ぎが起きた。口々に叫ばれる、帰れという罵倒。ジリヒンの過激派ファンが加熱した結果だった。思わず眉を潜めたくなる態度だが、空き缶を投げ込まないだけ、まだ理知的かも知れない。


 その時タケルは、強烈な敵意を前にしても静かだった。そして口で反論する代わりに、指先を濡らし、グラスの縁を擦った。


 するとどうだろう。ホールには確かな音が澄み渡った。非電子的で温かな音が客の心を和らげ、甲高い響きが罵倒する者たちを叱りつけるかのようである。たったの1音で、タケルは荒れだしたステージを見事、掌握してみせた。



(よし、聴く姿勢になってくれたな)



 ひとまず胸を撫で下ろした。騒ぎが続いたとしたら、イナが憤激して強権を発動しかねなかった。セワスキンに牙を剥かせる程度なら、ためらわずに実行しただろう。無用な混乱を招かずに済んだことは幸いだ。後は練習通り演奏するばかり。


 湿らせた指で一音一音、丁寧に浮かべていく。それらは調和し、響き合って和音となり、余韻までも重ねて深みを生み出していく。実に繊細な構成であった。


 これは単なる演奏ではない。耳で聴く魔術だ。溢れ出る音の全てが尊く、消えゆく様子は涙を誘うほどに儚い。しかし未練を抱く間にも新たな音が繰り返し、繰り返し生み出され、さながら永久に紡ぐ生命の営みのようだった。



「何だよこの曲……没入やばすぎ」


「全然わからんけど、さっきから涙が止まんねぇんだが」



 観客は茫然自失となって聞き入った。ついさっきまで、暴言が飛び交っていたとは思えないほど、会場に一体感が生まれていた。


 やがて、タケルの指先は細やかさを増していく。クライマックスだ。複雑に音を絡め、さらには彼自身の歌声も乗せる。歌詞のない旋律だ。だがその抽象的な合算が、聴くものに更なる想像力を与え、涙腺を直撃する。どこもかしこも頬が濡れそぼっていた。


 それから、タケルは最後の1音を鳴らし、辺りにか細い余韻をもたらす。最後にグラスの縁を手で抑える事で、全ての音を消し去った。


 静まり返るホール。だが、それはすぐに万雷の拍手で塗り替えられた。



「すげぇ! なんだ今の、とにかくすげぇ!」


「アンコール! アンコール!!」



 あちこちからオカワリの声があがる。しかし今はソロライブではない。時間の制約がありますよと、進行役がとりなすことで、アツい要望は辛うじて鳴りを潜めていく。



「はぁ……どうにか乗り切ったなぁ」



 舞台袖にはけたタケルは、ひとまず安堵の息を吐く。だが今度は、ニーナ達の姿が見えない事に、小さくない不安を覚えた。


 探しに行くべきだ。そう思いつつも、結果発表までホールから離れるなと言われている。今はまだ動くわけにはいかない。


 仕方なく椅子に座り、発表を待つ。大丈夫、客席にでも居るはずだ。そう言い聞かせはしても、ゆすり続ける足は忙しない。



「お待たせしました、これより結果発表です!」



 進行役がアナウンスする。タケルはそれを聞くなり、ステージ上に飛び出した。一刻も早く終えたい、不吉な予感は膨らみ続けているのだ。


 そんな態度を邪推したジリヒンが「勝った気でいるのかよ、調子に乗るな」と絡んでくるが、取り合わなかった。もはや結果などどうでもいい。ニーナの安否の方がよほど気がかりだ。



「臭花祭ライブパフォーマンスの大賞を発表します。大賞は……ジャン・リード・ヒンターラントの皆さんです、おめでとうございます!」



 結果が知らされると、客席から動揺が聞こえた。それはやがて不満となり、怒号までも混じるようになる。



「そりゃどういう訳だ、飯場タケルの方がずっと良かったぞ!」


「不正だろ! 理由を教えろ!」



 タケルの演奏に魅入られた客が、次々と抗議を始める。だがそれは、ジリヒンファンとの抗争の幕開けになった。



「誰だ今のは! ジリヒンが負けてるっつうのか!」


「あんなクッソしょぼいステージが良いわけないだろ、耳腐ってんのかオイ!」



 口喧嘩はさらに燃え上がり、一触即発となる。危険を察知して立ち去る審査員、運営本部に応援を求める進行役。再び場が荒れてしまい、事態の拾集には時間がかかりそうだ。


 もう終わりで良いよね。そう考えたタケルは、ステージから駆け去った。念の為、控室の方でもニーナの姿を探す。居ない。では客席に向かうかと、裏口から外へ出た。


 するとそこへ、タケルを呼び止める声が掛かる。野太く、年配の口調。そちらに顔を向けた途端、胸に冷たいものを感じた。


 白髪頭を後ろに撫で付けた、虎ひげの男。例の審査員が現れたのだ。



「待て、そこのお前。話がある」


「すみません。今は急いでいるので、落ち着いた頃にでも……」


「オレの要件を後回しにするほど、大事な用か? 今しがた親でも死んだか?」


 

 あまりにも傲慢な態度が、タケルの足を縛りつける。無視して通り過ぎるには立ち位置が悪すぎた。柵と外壁の間は狭く、正面に陣取る相手を突破するより、要件を聞いてしまった方が早いと思えた。



「お話とは何ですか」


「今日の大賞は別に譲ったが、お前の態度次第ではデビューさせてやってもいい。追々、相応しいステージも用意する」


「そうですか。僕は別に……」


「ただし条件がある。お前はオレの弟子であると公言しろ。あらゆる技術はオレから習った事にするんだ」



 タケルは、粘性の強いものに絡みつかれた気分になり、後ずさった。相手の意図は分からない。しかし、返答次第では取り返しのつかない事になるとだけは、瞬時に理解した。



「なぜですか。アナタから教わった経験なんかありませんよ」


「実際そうでも謳い続けろ。オレには生涯敵わないとも付け加えてな」


「そんな事に何の意味があるんですか」


「オレはお前のような、思いつきだけで表現する人間じゃない。本物の天才だ。だが世間のバカどもは、とにかく目新しいものに食いつく。本当に偉大な者を忘れ、ポッと出のガキをありがたがる。そんな無知蒙昧すぎる妄言を封殺するために、必要な事なのだ」


「本物の天才……?」


「言っておくがな、オレもやろうと思えば、グラスをお前以上に操る事が出来る。だが、あんな物は楽器とは言わん。音楽に対する冒涜だと言っても良い。だから触らない。そこもしっかりと覚えておけ」



 タケルは強い目眩を覚えた。あと一歩で、過去と現在の何かが繋がりそうになる。それは、知らない方がマシという予感はあるが、追求する事に決めた。タケルなりの、けじめである。



「あなたは覚えてますか? 今から10年前、ピアノコンクールで言ったことを。当時小学生だった生徒に向かって、2度とピアノを弾くなと言ったんです」


「10年前? そんな事いちいち覚えているものか。そもそもだ。その程度の台詞は、コンクールの度に毎回のように言っている」


「子供相手に、なぜそこまで強く言うのですか。酷く傷つく子も居るでしょう」


「理由は明白だ。調子に乗っているからだ。このオレの前で、さも自分の方が上手いと言わんばかりに弾き散らかす。これぞまさに無礼千万。激しく咎められても当然だ」


「そんな、そんなくだらない理由で……!」


「もしかして、お前もオレに叱られた1人か? だからグラスハープに手を出したと? だとしたら途方も無い馬鹿野郎だ。そこまでいくと同情を禁じえない」



 タケルの目眩は、強烈な頭痛に変質した。この瞬間に全てを理解したのである。この男は、幼い夢を奪い去った人物は、単なる子供であった事を。


 かつての1件を例えるなら、幼児が遊ぶ積み木を、横から蹴り崩したようなものだ。そして自分の方が上手く出来ると怒鳴る。歳の近しい子ならまだ許される暴挙も、親と同世代の男がやらかしたのだ。大人げない、という次元ではない。もはや異常である。


 タケルはつい自嘲した。こんな男の為に10年もの間、縛られてきたのかと思うと、もはや笑うしかない。そして話し合う意味もなかった。一刻も早くニーナを探しに行かなくては。



「言いたいことは色々ありますが、とりあえずデビューの話はお断りします。では先を急ぐので」



 タケルは身をよじって男の脇を通り抜けた。その時、肩を掴むなどの妨害は無いものの、言葉による追撃は押し寄せた。



「お前は歯向かうつもりか。今後、音楽業界での居場所を無くしても良いのか。オレは顔が広いんだ。あらゆるステージから追い出してやるぞ」


「だったら音楽なんか2度とやりませんよ。バカバカしい」


「このガキが……。絶対に後悔させてやる、覚悟しておけよ!」



 タケルは、繰り返される罵詈雑言を背中で聞き流した。自分を縛り続けた、過去との決別が完了したのだ。にわかに軽やくなった足が、彼を行くべき場所へと誘う。ニーナが待つであろう、ホールの観客席の方へと。


 しかし、今度は人混みが邪魔をした。ホールの入口方面に回ってきたのだが、付近には露店が連なり、酷い混雑で先に進めない。


 どうやって突破するか。足踏みをしていると、屋台の方から気安い声が聞こえた。



「おおいタケちゃん、ライブは終わったんか?」


「川瀬君! どうしてこんな所に!?」


「サークルの奴らに店番頼まれちってよ。だから観に行けなくてゴメンな。ライブは動画で補完しとくから」


「ちょうど良かった! ニーナを見なかった? それか安里さん!」


「えぇ……? オレはひたすら焼きそば焼いてたからなぁ。シトラス、お前は見てないか?」



 カツトシが鉄板をヘラで擦りつつ、後ろに声をかけた。するとテントの幕があがり、シトラスの顔が覗いた。



「見てない。でも、位置情報なら割り出せる。スマホ少女だもの」


「そっか。じゃあ早速教えてやってくれ」


「今はダメ。至極のセクシーポーズ108選をインストール中だかは」


「そんなの後にしろ!」


「仕方ない。48で中断する。埋め合わせは後でキッチリと」



 シトラスは顔色を変えず、視線を高くした。そうして四方の空を眺めたかと思えば、おもむろに指先で差し示した。



「この道の端、裏門傍に居る。南校舎に向かって歩いてるっぽい」


「だってよタケちゃん。つうかケンカでもした?」


「ありがとう、南校舎だね!」


「ケンカ慣れしてるオレからアドバイスすっけど、まず最初に謝っとけ。そしたら色々とスムーズに……」



 タケルは最後まで話を聞かずに駆け出した。普段なら走って5分程度の距離だが、今は遠く感じられる。


 混雑を避けて近道を進んだ。その時に足を踏み外し、植え込みに身を投げてしまう。頬やら膝を擦りむき、手足に血がにじんでも、意に介さず走り続けた。胸に去来する後悔の念と、漠然とした不安が急き立てるのだ。



「ニーナ、君は何かに苦しんでいたんだよね。気付いてやれなくてゴメンよ……!」



 今日迄を振り返れば、最近のタケルは自分の事で手一杯だった。もう少し周囲に気を配れなかったか。特に、しょうもない男との過去に引きずられたせいと思えば、腹立たしさまで感じられる。


 眼前に迫る南校舎。タケルは息を整える間も惜しんで、裏門の方へ向かった。こちらは一変して人が少ない。すれ違う顔を流し見て、ここに居ないと知るなり、また猛然と駆け始めた。


 合流は間近であるのに、どうしてこうも焦りが濃いのか。タケル自身にも理由が分からず、気の急くままに走り続ける。そうして校舎の外を半周もした頃、彼は遂に見つけた。1人の少女が雑踏に飲まれようとする後ろ姿を。



「待って、ニーナ!」



 その言葉に相手の足が止まる。追いついたタケルは、荒い息をついたまま、とりとめもない言葉を並べた。



「ごめんね、今終わったところだよ。すぐに探したかったんだけど、色々あって。そしたら河瀨君に会えて、場所を教えてもらえて、それから……」



 タケルの声に反応し、少女が緩やかに振り向いた。長くしなやかな青髪と、トレンチコートの裾が微かに揺れる。その顔は泣き顔でも、怒り顔でもなく、柔らかな笑みだ。全てがいつも通り。無事な姿を目の当たりにした事で、ようやくタケルは安堵した。


 しかし胸を撫で下ろしたのも束の間で、すかさず違和感に襲われてしまう。それは静まるどころか、むしろ肥大化し、遂には胸の奥で激しく弾けた。



「お側を離れてしまい、申し訳有りません。所用につき、しばらく外しておりました」



 仕草も声色も慣れ親しんだもの。しかし拭い去れない何か、微細すぎて見落としかねない差分を、タケルは眼を剥いてまで凝視した。抱かれた疑念は、静かに確信の色味を帯びていく。



「君は一体、誰だ……?」


「ご冗談を。私はマジリアルシリーズ217号。貴方様よりニーナというお名前を賜った……」


「違うよ、君はニーナなんかじゃない! どうして、一体何が目的で、彼女の真似事をしてるんだ!」



 タケルは息苦しさを忘れ、人目もはばからず叫んだ。


 相手の少女はというと、今も変わらず、微笑みを絶やそうとしなかった。

 

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