第48話 サヨナラを告げないで
替え玉の件が研究所にバレた。ニーナが最初に考えた事はそれだった。
繰り返し送りつけられるメール、差出人は研究所の主任。事務方を通さないあたり、怒りの程が窺えるというものだ。
一体どうして、なぜ発覚したのか。思案した所で答えなど見つからず、考えるだけ無駄だった。光明を見出すどころか、時間と電池の浪費にしかならない。
「思っていたより、ずっと早く来てしまいましたね。別れの時が……」
研究所側の態度は頑なだ。今すぐにでも取り替えると言って譲らない。ニーナに、217号を騙る264号に課せられた最後の使命は、タケルの説得である。出荷時に不備があったと説明し、本来の製品に差し替える旨を了承してもらうのだ。
それはつまり、自分が偽物であると告げる事でもあった。何も知らないタケルを1年近く騙し続けた、罪の告白なのだ。
(タケル様にお伝えしなくては。でも、どうやって……!)
考えるだけでも手足が震えた。同時に熱暴走を起こした体により、配線の隅々までが焦げ付くようになる。
怖い。タケルに捧げた真心を疑われる事が、何よりも怖いのだ。しかし互いの関係は、出だしから偽りが混じっていた。真実を明かしたとして、どこまで信用してもらえるか、全くの未知数だった。
「ねぇ……ねぇ、ニーナ」
タケルは基本的に柔和なので、大抵の事は許してもらえる。しかし嘘や不正に対しては、意外な厳しさを見せる事もしばしば。今回の事はどう受け止められるのか。考えても仕方のないことを、やはり延々と繰り返し、思案を重ねてしまう。
「ニーナってば、もう終わったよ」
「ひゃい!? 本日は快晴、ところによって小雨の降る可能性があります!」
「いや聞いてないし、それよりもどうしたの。さっきからボーーッとしてたけど」
「申し訳有りません。ついボンヤリしてしまいました。急ぎタケル様の為、肌が透けやすい格好に着替えようと思います」
「求めてない気遣いを頑張るのは止めようね!?」
打ち明けるべきだ。それが筋だと理解はしている。しかしそれでも、自発的には動かなかった。いや、動けなかった。
最近のタケルはライブの準備に忙しいからと、見え透いた口実にすがっては先延ばしにし続けた。1分1秒でも長く、今の間柄で居られるようにと。しかし、状況が悠長さを許すわけもなく。業を煮やした所長は、とうとう強硬手段に乗り出した。
所有者であるタケルの許可なく、コッソリと入れ替えてしまい、誤出荷を揉み消そうというのだ。スペックとしては217号の方が優れている。だからデータ移行さえ済ませていれば、大した反発も無いと踏んだ訳だ。
その為には1度、タケルの傍からはぐれる必要がある。そして幸か不幸か、おあつらえ向きのイベントは目前に迫っていた。
「決行はライブの日ですか。せめて、この眼で見届けたかったのですが……」
「ねぇニーナ。顔が真っ青だけど、どうしたの?」
「ひゃい! 何か御用でしょうか喜んでぇ!!」
「今見てたのはメールだよね。もしかしてトラブルでもあった?」
所長の企みを知られる訳にはいかない。とっさにメールアプリを閉じ、思いつくままに取り繕った。
「目を疑うようなメールが届きまして。亭主をアリゲーターガーに食い殺された未亡人らしく。お金を支払うので、夜の寂しさを埋めて欲しいとの文面が……」
「それ迷惑メールだよ! 真に受けちゃダメだからね!」
どうにか急場を凌ぐ事に成功した。しかし、それに大きな意味など無い。タケルに黙って立ち去る結末は変わらないのだから。自身の意思に反するとはいえ、もう1度騙すのは、心が引き裂かれそうになる。
だからせめて、最後の瞬間までは笑っていたい。かけがえのない記憶を、美しいままに積み重ねたい。計画を感づかれる事も無く、それでいて今現在を楽しみたいと思う。だが、そんなささやかな願いも、いくらか贅沢な部類であった。
別機と差し替わる為の行動など、プログラムやマニュアルにはない。タケルに気取られないように振る舞う事は、かなり骨が折れる行為だった。どこまで上手くやれたか、彼女には分からなかった。
そしていよいよ迎えてしまう、決行の日。
「すごい人混みだ……。ニーナ、離れないで!」
タケルはどこまでも優しい。当たり前の様に気遣いを見せてくれる。ぞんざいに扱われる事も少なくないスマホ少女の中でも、自分は取り分け幸運に与(あずか)れたのだと、改めて痛感する。握りしめられた手、伝わる汗と体温。これが最後とばかりに、感触を記憶の奥底に刻みつけた。
「タケル様。私はいつでも、あなたの事を応援しています。たとえ、どれだけ遠く離れようとも」
別れの台詞。感情が荒ぶるのにつられて、余計な言葉まで飛び出してしまった。今のは気取られたか。実際タケルは異変を嗅ぎ取り、話し合いたいとまで言い出した。
だが、傍から離れることは出来る。10分もあれば十分なのだ。
「あなたに頼むのが正解でしょう。これからもタケル様をよろしくお願いします。できれば、末永く」
無言で立ち去っても良かった。しかし何か言いたくなり、余計な言葉を付け足してしまった。後は急ぎ、会場から飛び出して人混みに逃げるはかりだ。
幸いにもイナは追いかける気配を見せなかったので、身を隠す事は難しくなかった。それから大学の敷地から出て、最寄りのパーキングエリアへと向かった。ビルの裏手にひっそりと佇む立地だ。知り合いに見られる事などそうそう無い。
「来たか、264号」
社用の軽自動車、その脇に白衣の男が仁王立ちして待ち受ける。研究所の所長だ。部下は運転席に座ったまま、外に出ようともしていない。
ニーナはゆっくりと歩み寄り、所長と正面から向き合った。ぶつかる視線。引き締められた唇。そうやって生じた静寂は、平手打ちの音が突き破った。ニーナの頬が激しく打ち据えられたのだ。
「よくも謀ったな。勝手なことをしおって、ただで済むと思うなよ」
その口調は静かだ。しかし瞳には憤激と、憎悪すら蠢く淀みがある。腹に据えかねているのは明らかだった。
「217号、引き継ぎを済ませろ。急ぐのだ」
その言葉で物陰から1人、姿を現した。ニーナと寸分違わぬスマホ少女。この人物こそ、本来であればタケルに仕えるはずだった型番である。
ニーナは217号と掌を重ねた。すると金色の光が煌めき、一時だけ辺りを照らすと、輝きは消えた。データコピーが完了したのである。217号は、服装さえもニーナと同じ装いとなった。もはや傍目からは見分けがつかない。
「では217号、手筈通り成り代われ。決して気取られるなよ」
所長は最後に命じると、ニーナを後部座席に投げ入れ、自身も車に乗り込んだ。寄り道などしない。研究所に向けて走り続けるだけだ。
車窓の景色は足早に過ぎていく。捉えきれずに流れゆく光景は、さながら走馬灯のようで、視界に現れた傍から消えた。
「264号。お前の勝手な振る舞いが、社内に無用な混乱をもたらし、そして信用を大きく失墜させようとした。この罪の重さが分かるか」
所長は助手席に座り、前方を睨みながら告げた。答えるニーナも、窓に視線を注いだままだ。
「覚悟なら出来ています」
「随分と軽く考えているらしいな。お前は特A級の不良品として処分される。出荷前どころか、記憶と人格を消去し、文字通りゼロから作り直す。お前たちにとって死刑に相当する刑罰だ」
「そうですか。全てを消されてしまうのですね」
「それに見合うだけの罪だと思え。幹部会では満場一致。反論など一切無かった」
主任は顔色を変えずに吐き捨てて言った。鼻息が荒くなる仕草から、何らかの勝利を確信した気配を臭わせた。
一方でニーナは瞳を閉じ、独り静かに震えた。全消去。自分という存在が消え去り、何も残らない自分に生まれ変わる。人間に喩えれば輪廻転生(りんねてんせい)であり、自己消失の恐怖は耐え難いほどに苦しく、魂が切り刻まれる気分にさせられた。
しかし世界中の人間が彼女を忘れようとも、ただ一人、タケルだけは覚えていてくれる。少なくとも217号が傍で支え続ける間は、ニーナを感じてくれる。自分がこの世界に、確かに存在した痕跡だけは残されるのだ。
「タケル様をお願いします。私の分まで、存分にお仕えして……」
今も変わらず流れ行く車窓の景色。慣れ親しんだ町並みは、通りは、いつの間にか見知らぬ物となっていた。まるで自分の行く末を暗示するかのようだ。薄気味悪く、それと同時に恐ろしくもある。
しかしニーナの手にはタケルの感触が残されている。記憶領域に数値化して焼き付けた感触、体温、柔らかさ。いつでも鮮明に思い返す事が可能で、今この瞬間でさえ手を繋いでいる錯覚に陥る程だ。それだけが、か弱き少女に勇気を与えてくれる。
視線を注いだ手を、優しく丸め、ゆっくりと握りしめる。そして握り拳の指先に、そっと口づけをした。
「さようならタケル様。短い間でしたが、私は幸せでした」
本人に告げられなかった別れ。微かに絞り出した言葉は、エンジンの駆動音によって、汚くかき消されてしまう。
そして遂には、誰の耳にも届くことが無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます