第46話 それぞれの想いが
タケルは自室にて、無言のままニーナを注視していた。さらに言えば、脇目も振らず、彼女の掌に視線を注ぎ続ける。延々と眺めるのはウェブページの哲学系コンテンツだ。
「目新しいものは無し。もう調べ尽くしたのかもなぁ……」
トラウマを乗り越える件については、答えが一向に見つかっていない。つまりは自分の中には無いという事で、外の世界にそれを求めた。膝が棒になるまで本屋で立ち読みし、図書館にも通い詰め、仕上げとばかりにウェブで情報を漁る。
「トラウマって別に、真っ向から乗り越えなくてもいいのか。脇道を行くのも1つの手段。関わらないように距離を置くとか、目標を変えたりしながら、上手に付き合うのも有りだと」
タケルの中で結論はまだ出ていない。そのせいか、大勢の前でピアノを弾こうとすると、例の症状に襲われてしまう。野外ステージでの演奏はまだマシな方で、屋内の場合は一曲分すら保たずに止める事もある。かつてのシチュエーションに似れば似るほど、その傾向は強い。
学祭まであと半月足らず。その間に克服できないのであれば、もはや棄権するしかない。例の審査員が、辛辣な酷評を浴びせた意図を知る機会を失ってしまうが、新たなトラウマの上乗せは回避できる。
だがタケルは退路を見ようとしない。幼き頃の自分を、長きに渡って音楽から遠ざけた、あの言葉の真意を知りたくて仕方ない。
「ありがとう。もう十分だから、閉じちゃって良いよ」
両手を掲げたままのニーナに告げた。しかし、掌は下がるどころか、微塵も動く気配を見せない。
不審に思って顔を覗き込んで見れば、ニーナは心ここにあらず。ボンヤリと天井の方を眺めるばかりだ。
「あのさ、もう終わったけど?」
「ひゃい!? 本日は概ねが晴れ、所によって小雨が降る可能性が……」
「一体どうしたの。何だかボーーッとしてたじゃん」
「これは、その、深い意味は無いのです。失礼しました」
「そう。だったら良いけどさ……」
ニーナが浮かべる笑みは目映い。だが、普段に比べて焦燥感というか、浮足立つものが滲み出ている。
タケルは気になりつつも、相手が語ろうとしない事もあり、追求の手を止めた。今は目前の課題と向き合わなくてはならない。
「あの時の状況に近づけなきゃ良いのかな。まんま再現しようとするから辛いのかも……」
仮定を立てて実践する。実験のお相手はピアノ教室の浅野小路で、話を持ちかけると二つ返事で応じてくれる。タケルは気に入られたのだ。
ちなみにスポンサーは安里。学生にとって重たい利用料を、小銭感覚で出してくれる。演奏家としては素晴らしい環境であっても、律儀なタケルは甘受しない。費用をまとめてイナに支払おうとしたが、受け取って貰えないとなると、現金書留で送りつける徹底ぶり。借りを作る事を好まない性質(たち)なのだ。
「よし。これなら何とか演奏できそうだ」
何度目かの挑戦で、いよいよタケルは着地点を見つけた。ピアノ教室の屋内ホールで、確かな手応えを感じたからだ。
タケルが安堵の息を漏らしたところ、大きな拍手が鳴り響く。客席に座るイナと、アサノコウジである。
「なるほどなるほど。それが君の辿り着いた答えなんだねぇ」
「すみません。とうとう鍵盤に触れる事もなくなりました。ピアノの先生を付き合わせといて」
「ノンノン気にせずに。今の演奏も素晴らしいものでしたよ。前にも言ったように、ライブはお客様を楽しませてナンボ。形態なんか拘る必要はありませんから」
「タケル君、私も今の曲好きだよ! 思わず涙が出てきちゃった!」
感心するアサノコウジに、絶賛するイナ。客は数人だけであっても、反響は十分に感じられた。後はニーナの意見も聞いておきたい所だ。
「ねぇニーナ。君はどう思った……」
振り向いて声をかけてみると、互いの視線は重ならない。ニーナは自分の両手を見つめたまま、ただ無言で突っ立っているのだ。
単にタケルを無視したのではない。顔面は蒼白で、指先が大きく震えていた。只事でないのは離れていても良く分かる。
「どうしたのニーナ。顔が真っ青だよ」
「えっ、はい! 何か御用でしょうか!」
「何をそんなに見てたの? 今のはメールだよね。深刻なものでも来たのかな?」
「ええと、これはですね……」
タケルが覗き込もうもした時には、既に画面は消えていた。ニーナの柔らかな肌が見えるだけだ。
「あれ、消えちゃった。もう1回見せてよ」
「そのですね。実はとんでもないメールが届きまして、自分の眼を疑うほどの」
「それは、どんな内容……?」
「赤の他人から届いたのですが、百億を超える遺産を継いだ未亡人からでして。お金を支払うので、夜の寂しさを埋めて欲しいと……」
「全力の迷惑メールだよ! そんなの気にしないで良いから!」
タケルは緊張の反動から、強めの声で叫んでしまった。そして話題を、本番のライブへと切り替えた。
これから起こる事を思えば、もっと追求しておくべきだった。ニーナがついた咄嗟の嘘を、見破るべきだったのだ。それを知る由もないタケルは、ただ自分の目的に向けて、邁進し続けた。
「これはチューニングが難しいよなぁ。なんか上手いやり方を見つけないと」
タケルの日々は、にわかに音楽に染まっていった。講義の時間以外は、全てライブにまつわる物事で埋め尽くされていく。
「素材にもう少しこだわるべきかな。微妙に音質が変わるんだよね」
吟味に吟味を重ね、ベストポジションを探す。それは途方もない作業となり、半月程度の時間では足りなかった。
そしてとうとう、本番の日を迎えた。
「ここまで来たら、あとは頑張るだけだ!」
大学入口に掲げられた花のアーチをくぐると、様々な年齢層の人で溢れかえっていた。その上、道沿いには多くの露店が立ち並び、行列を作っては混雑を一層複雑にする。
ただでさえ通り抜ける事が困難であるのに、今日はニーナを連れている。そのせいで、見惚れて立ち止まる者が続出。往来に小さくない混乱をもたらした。
「ニーナ、傍から離れないで!」
人に揉まれながら必死に伸ばした指先が、柔らかな手に触れ、握りしめる。握り返された力は十分なものだが、一瞬だけ迷いがあったようである。普段なら手を繋ぐどころか、腕を絡めるくらいありそうなのに、妙に素っ気ない。
最近になって見せる、不審な様子と関係があるんだろうか。タケルの胸に冷たいものが過ぎった。
「あのさ、何か悩んでるみたいだけど、一体何が……うわ!」
人混みの中では会話もままならない。仕方なく、無言になって突っ切る。ようやく人が途切れたかと思った頃には、既に目的地へと到着していた。北校舎端の視聴覚ホール。何者かから資金提供がジャブジャブと注がれた結果、不似合いなほど立派な施設が完成していたのである。
「ニーナ、さっきの話の続きだけど……」
もはやライブよりも、そちらが気がかりになっている。特に今日は、生返事が多すぎるのだ。何を問いかけても反応が薄い。どうにかして聞き出したい所である。
しかし言いかけた矢先、背中に何者かが飛びついた事で止まる。
「おっはようタケル君! 準備はどう、眠れた?」
「誰かと思ったら安里さんか。おはよう」
「私はね、もう楽しみすぎて眠れなかったの。ギャンギャンに眼が冴えちゃって。だから寝不足でお肌が荒れ気味だから、あんまり見ないでね?」
「安里さん。悪いけどちょっと外しててもらえない?」
「どうして? それよりもホラ。スタンバってた方が良いよ、時間もあんまり無いし」
「待って、押さないで!」
半ば強引に追いやられたタケル。とうとうニーナから、話を聞き出す事ができなかった。その為に、これから起こる事件を未然に防ぐことが叶わなかったのである。
運命の輪は、着実に回り続けていた。
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