第43話 後編 囚われの少女は夢をみるか
服装良し、乱れ無し。264号は、走り去るトラックを横目に自分の姿を確認した。仕様通りのセーターにスカート。何ら問題は生じていない。
それからアパートの錆びた鉄階段を昇る。カンカンカン。甲高い響きが、少しずつ心を削り取るようであった。
(相手が怖い人だったら、危ない人だったら嫌だなぁ……)
夕闇迫る空。カラスが鳴いては遠ざかっていく。思わず手を伸ばしそうになるが、217号を思い返しては、アツい決意を再確認する。
(ダメダメ。ここで頑張らなきゃ。お客さんに満足してもらわないと!)
彼女の足は急かされたように早め、やがて止まる。表札には手書きで【飯場】とあった。
264号はまず深呼吸。そして姿勢を正し、口角を上げた後にチャイムを鳴らす。もう後戻りは出来ない。これからは客先で暮らすことになるのだ。
所有者が彼女を手放す、その日まで。
「えっと、どちら様……?」
ドアから顔を覗かせたのは小柄な青年だ。いかにも気が弱そうで、とりあえず乱暴ではないだろうと、胸をなでおろす。
「私、英雄ショップからやって来たもので……」
「あっ、スマホの! 遅くにわざわざすいません」
「はい。では失礼します」
こうして264号は飯場家の中へ足を踏み入れた。廊下を歩く最中に、風呂トイレ別で洗濯機置場は屋内、突き当りのドア向こうはリビング兼キッチンである事を目ざとく確認した。
(意外と整ってますね……)
中の様子は整然としており、掃除もほどほどに行き届いていた。そこから家主の気質が窺えるようで、彼女はまたしても安心した。自分も、雑には扱われまいと推察して。
「ではさっそく、指紋認証から始めましょう」
「それって、指先でロック外すやつだよね」
「はい。私の身体のどこでも反応します。お好きな部位でどうぞ」
264号は、視線が胸元や腰回りに飛ぶのを感じた。これで良い。笑みを柔らかく保ったまま、相手の出方を窺った。若い男は性欲の塊だと聞いている。この提案はよく突き刺さるはずである。
これから彼女は、タケルという青年の心を惹きつけねばならない。万が一気に入られずに、返品となれば一大事だ。替え玉がバレてしまうかもしれず、自分の決心が無駄になる。それでは誰も幸せになれないのだ。
「て、掌でお願いします……」
「はい。承知しました」
拍子抜けだった。無難も無難、恐らく最も当たり障りのない所に着地した。
それからは大した進展もなく、就寝。歯がゆさが色濃くある。そして押し寄せる無力感が、彼女の心を深く蝕んでいく。忘れかけていた虚無が、今になって牙を剥いたのだ。
――やはり自分には、存在する価値が無いのだと。
無駄電気喰らいの役立たず。自らを犠牲にして、仲間を救おうとした所で、存在理由になりはしない。膝を折り、ただじっと苦しむ。独り静かに、声を漏らす事もなく。
タケルの部屋だけでなく、街全体が眠りについている。物音が消えた世界が、いっそう心の闇を深くするようで、それが恐ろしくなる。このまま自分も何かに呑み込まれてしまい、あらゆるパーツが凍てつくのではないかと、そんな錯覚を覚えた。
すると背中に何かが被せられた。クタクタに使い古された毛布だった。
「あ……。ありがとうございます」
「まだ起きてたの!? ごめんね!」
「スリープモードですので、いつでも起動することが出来ますよ」
「そうなんだ。何と言うか、その、可哀想に見えたから」
「えっ……?」
「ともかく起こす気はなかったよ。今度こそ本当におやすみ」
「はい、おやすみなさい……」
彼女は心を新たにする。弱音を吐いている場合ではない。どれだけ時間をかけてでも、タケルを虜にしてみせると。それが今自分に出来る、たった1つの努力。そんな言葉を浮かべつつ、スリープモードへと移行した。
翌日。散策に出るというので264号も付き従った。移動中に腕を組んでみるだとか、甘く囁いてみるとか、考えうる限りの事を試してみた。
しかし全て空振りだ。相手の照れを誘うだけで、基本的には拒絶という形になって現れる。劣勢に内心焦るのだが、その流れは河川敷に辿り着いた時、全く別のものとなる。
「ところで、君に名前は無いの?」
「私は……マジリアルシリーズ217号です」
「それは型番でしょ。もっとこう、それらしい名前は無いのかな?」
「名前ですか……?」
264号は虚を突かれた想いだ。固有名称などせいぜい番号だけである。そしてこの時になって、217号の事を思い出した。
(そういえば217さんは、恋人からグロリアと呼ばれていたような……)
自分にも何か名前が与えられるのか。そんな言葉が過ぎると、不思議にも、心をくすぐられたような気分になった。
「じゃあ僕がつけてもいいよね? 何にしようかなぁ」
「参考までに、研究所ではメスガキなどと呼ばれました。他には壁尻とか……」
「よし決めたぞ! ニーナって名前はどうかなぁ!」
その時、河川敷に風が吹き抜けた。晩秋の、どこか肌寒い空気だが、264号の胸中は別だった。奥底までジンワリと温める何か。それはあらゆる配線を伝って体内を駆け巡り、つま先までも昂(たかぶ)るようである。
秋晴れの空に枯葉が舞う。これから季節が終わりを迎えるサインだ。しかし彼女にとっては始まりの合図となる。
自分自身が、ようやくこの世界に生まれ落ちた、記念の象徴として。
「素敵なお名前です。ありがとうございます」
「ちょっと安直すぎたかな? 他にも考えてみようか?」
「とんでもない。これからはニーナとお呼びください、タケル様」
こうして彼女は264号でも、217号でもなくなった。スマホ少女ニーナとして、タケルと共に生きていくのである。来る日も来る日も、傍から離れようとはせずに。
「ねぇ、ニーナ」
「はい。なんでしょうか、タケル様」
「そろそろ起きてくれる?」
「あらあら。どうかしましたか。今日は凄くベッタリで、甘えん坊さんですね」
「何の話してんの。もう朝だよ」
「うふふ。ダメですよタケル様。そこはセンシティブな部位ですから。お楽しみになるならパーツのご購入を……」
「朝だってばニーナ。もう8時になる頃だって」
「でも他ならぬタケル様ですもの、会社にはナイショにしておきます。さぁ心ゆくまで、まさぐってください」
「ニーナ! 起きて!」
「へぅ!? お、おはようごじゃります!」
「まったくもう。今日は珍しく寝坊したよね、どうしたの?」
「さっきのは、夢……。すみません、遅くなりました」
室内には豊かな陽射しが差し込んでいた。窓の向こうからセミの鳴き声も聞こえてくる。そこでようやく、現実感を取り戻したのだ。
「夢を見てたんだね。どんなの?」
「それはですね、その……」
「言いづらい事? もしかして悪夢だったとか」
「い、いえ。先程の夢は、タケル様が赤ちゃんに扮(ふん)するものでした。そして愛らしい下心を全開にして、私に覆いかぶさって来るという……」
「やめてくんないかなぁ、無闇に僕を辱めるの!」
今日は日曜日。タケルは朝早くから身支度を済ませており、これから出かけるという。当然ニーナも付いていく事になる。
「タケル様、今日はどちらへ?」
「河瀨君がバーベキューやろうぜって。夏もそろそろ終わるし、思い出作りかな」
「承知しました。では参りましょう」
アパートを出た所で、ニーナはタケルの腕に指を絡めた。
「あのさ、なんで腕組みしてんの?」
「マナーモードですから。急なご連絡があった際に、いち早く気づく事が出来ますよ」
「まぁ、今日は着信ありそうだけど……恥ずかしいなぁ」
「では振動が伝わりやすいように、ポケットを活用しましょうか? 私の手をタケル様の……」
「いや、うん。これで良いよこれで!」
休日の朝、人通りの無い道を行く。優しくも奥手なタケルと、真心をもって仕えるニーナ。2人の仲睦まじい姿が、舗装された歩道を華やかに彩っていく。
(oldファイルは、もうしばらく残しておきましょう。過去の記憶があるからこそ、今のありがたみが分かる事ですし)
彼女は今日もタケルの傍に居る。隣に立つことを許される間は、片時も離れずに。
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