第42話 前編 囚われの少女は夢を見るか
大学帰りの夜。タケルが何気なく、ニーナの掌からデータフォルダを眺めていた時の事。ふと見慣れないものを眼にした。
「何だろこれ。oldファイルってあるけど、こんなもの作ったっけ?」
「これは、その……私がここへ来る前の記録となります」
「じゃあ昔のニーナが残されてるんだね。見ても平気?」
「ピィーーガガッ、ピピィーーひぇっ。ガタガタプスン。そればかりは。プスンプスンそればかりはご勘弁を」
「ごめんよニーナ! まさかそこまで嫌がるとは思ってなくて!」
卒業アルバム感覚で尋ねた事を、タケルは強く後悔した。そして2度と触れまいと、プライバシーには踏み込まないと決心して、寝床についた。
一方でニーナは、腹に電源を挿しながら振り返る。スマホとして派遣されるまでの、研究所で過ごした日々を。
「いっその事、削除してしまった方が良いのでしょうか……」
ニーナの視線が暗闇に向く。その先で、デジタル時計が1時ちょうどを知らせてくれた。体内時計とは寸分のズレもない。それでも彼女は眼を逸らすこと無く、ボヤリと光る時計を眺め続けた。
やがて意識は深い深い領域へと落ちていく。脳裏で繰り広げられるのは、研究所で出荷されるのを待つ日々だった。
「じゃあ、この問題を……。217号、答えろ」
ホワイトボードの前で、白衣姿の男が命じた。そのどちらも元々は純白であったのだが、経年劣化は避けられず、薄汚れた印象を受ける。
挙手して立ち上がるスマホ少女。胸元に着けたゼッケンには、大きく「217」と描かれていた。
「その場合は、満面の笑みで伝えます。ここから先は、有料パーツをご購入後にお楽しみください、と」
「うむ。宜しい。君は比較的優秀らしい。他のメスガキ共も見習うように」
白衣の男がボードに向かって、乱雑に教えを書いていく。小難しい単語や略語でひしめき合うが、何の事はない。簡単に言えば、いかにしてユーザーに高額パーツを買わせるか、つまりは儲けるかについて書き殴られただけだ。
それを眺める少女達は、義務教育の教室さながら座学的である。本来AIへの指導は、専用システムを作る方がずっと効率的なのだが、用意するだけの金も時間も無かった。
よって、大部屋に所狭しとスマホ少女が集う。どれもこれも同じ顔であるのは、全員が200シリーズである為だ。格好も、紺色ジャージに統一されており、傍目から個体差を見分けることは難しい。胸元のゼッケンだけが頼りであった。
「今日の授業はこれまで。すぐに充電して、自室へ戻るように」
17時の鐘。それが鳴るなり、白衣の男は速やかに立ち去っていった。するとスマホ少女たちも、同じ顔を並べてラウンジへと向かった。
研究所の内装は殺風景だ。どこもかしこも灰色の壁ばかりで、窓は無い。白色の蛍光灯が冷たく灯るが、それすらも所々で消えかけており、快適さからは程遠い有様だった。
一行がラウンジに到着した。くたびれたテーブルの上に電源タップが大量にあるだけの、酷く寒々しい部屋だ。見る人によっては監獄の様に感じるだろうが、会話だけは比較的自由である。
「217さん、凄いね。あんなにパパッと答えられちゃうなんて」
217号の隣から、264と描かれた少女が語りかけた。瞳はどこか、尊敬の色味を帯びていた。
「凄いだなんて。アナタも訓練次第では、同じ事が出来るようになりますよ」
「私なんて、とてもとても! 217さんみたいに、お淑やかじゃないし、運動も得意じゃないし……。何か勉強してるの?」
「うふふ。秘密の特訓を欠かしません、マンツーマンのね。強いて言えばそれくらいでしょうか」
「なぁにそれ? 一体どんな事を……」
その時、部屋の外から217号に声がかけられた。呼ばれるなり、ヘソからケーブルを外し、速やかに駆け寄った。その足取りは、どこか軽やかに見える。
「どうしたんだろ。充電中に呼び出しとか。217さんに何かあったのかな?」
不安げに視線を送る264号。しかし、研究員と親しげに喋る217号は、目映い笑顔を絶やさない。心の底から楽しんでいる様にも見える。
「誰だろ、あの人。見かけないスタッフだなぁ」
「ありゃ新人だろ。すげぇ若いし。担当も違うのに足繁く通うたぁ、ご苦労なこった」
刺々しい口調で語るのは同期のスマホである。彼女は全く同じ見た目であるのに、コンセプトが理由で荒い人格に設定されている。
「291号さん。何か知ってるの?」
「あん? お前は知らねぇのかよ。あいつらデキてるって、もっぱらの噂だぜ?」
「……私達スマホだよ!?」
「そうだよ。いつかアタシらはユーザーの所へ出荷されちまう。だから担当とか、ここのスタッフ連中と馴れ合うのは禁止。恋愛沙汰なんて、アタシらはまだ良いけど、スタッフは失職もんだよ」
「そうだよね。バレたら大変だよね……」
「あの男も若いからな、そういう計算が出来てねぇんだろ」
「でも217さん、楽しそう。凄く輝いてる……」
向こうの2人はいったい何を語り合っているのか。何がそんなに楽しいのか。264号は気になって仕方がない。
「ところで264さぁ、ちょっと頼みがあんだけど」
「……うん」
「今日の掃除当番、代わってくんない?」
「……うん。えっ? どうして!?」
「頼むよ。今日の夜は222とポーカー対決やりてぇんだ。埋め合わせは必ずやるから、お願い!」
「はぁ……。分かったよ。その代わり、借りはどっかで返してよね」
「へへっ。助かるぜ、サンキュー!」
2人は互いの掌を重ね合わせると、胸のゼッケンが入れ替わった。識別コードごと交換したのである。こうなってしまっては、見分ける事は極めて困難だ。
それから充電が完了するなり、約束通り掃除である。モップ片手に所内を回り、ゴミを収集して捨てる。優秀なスマホが数人がかりでやるとはいえ、研究所は広い。かなりの重労働だと言えた。
「はぁぁ、早いとこ片付けて部屋に戻りたいね。頑張ろうよ291さん」
「う、うん。そうだね。278さん」
「あれ? どうしたの? 今日は元気がないっていうか、妙にしおらしいというか……」
「えっ? いや、その、うるっせぇよ! こちらと根っからのエモっ子でい! チンタラ遊んでねぇでホラやっぞ!」
「そ、そうだよね。手早く片付けちゃおう」
分担を決めて、それぞれが分かれていった。264号も任された手前、サボるつもりなないのだが、パフォーマンスは酷く悪かった。
「私って、何の為に居るんだろう……」
存在意義のゆらぎが、彼女の心の奥底を蝕んでいたのだ。
この暮らしは孤独ではない。大勢の仲間が居るのだから。言うなれば大家族のようなものである。
しかしその一方で、自分の代わりは何十人も居るという事実。もし仮に、何らかのトラブルで彼女が誘拐されるとか破壊されたとしても、世の中は大して騒がずに回り続ける。せいぜい、生産ラインの日程が変わる程度である。
「どうして私は、生まれてしまったんだろう。何を喜びに生きていけば……」
苦悩は深い。彼女がいつしか問うようになった問題は、一向に答えが見つからなかった。
それから掃除を終え、291号とゼッケンを交換すると、自室に戻った。すでに260から269号は帰還しており、膝を折りたたんで座り込んでいる。起きている仲間は1人も居なかった。
やがて10時を回った頃に電灯が消えた。暗闇の中、264号は挨拶も無しに、スリープモードに入ろうとする。
「嬉しそうだったな、217さん……。私にも、あんな風に笑える日が来るのかな」
264号はなかなか寝入ろうとはしなかった。天井で煌めく、非常灯の薄明かりを眺めるばかり。そして、長い溜め息の後、ようやく眠りについた。
翌日。この日は朝から身体訓練があった。デフォルトの機能だけでなく、アプリも併用した動きになるので、個体によっては困難を極めた。
「よし。264号は休め。次、265号」
トランポリンに棒登り、跳び箱や持久走と、かなり強めにしごかれた。スマホの自分がここまでやる必要はあるのかと、疑問を胸に秘めながら、壁際で腰を降ろす。
1度充電してサッパリしたい。ボンヤリと考える最中、横から軽快な声をかけられた。
「おう264。昨日はあんがとな!」
「291さん。お疲れ様。勝負には勝てたの?」
「あぁそれはだなぁ……。ところで、217はどこかな、見かけねぇけど!」
下手な誤魔化しだが、一応は狙い通りに話題がそれていく。
「217さんなら街に行ったって。例の担当者と、実地訓練するんだとか」
「マジかよ。デートみてぇな事しやがって。いよいよ別れが辛くなるぞ」
「訓練だよ。お店に入ったり、公園歩いたりとか、それだけの話じゃない」
「分かってねぇな。愛する者同士なら場所を選ばねぇよ。そこらでチュッチュ始めるに違いねぇわ」
「さすがにそれは……」
やがて身体訓練は終わった。264号は片づけの1人として後作業を命じられた。マットをしまいこみ、それからはラウンジへと向かう。彼女だけ遅れをとって、ただ独り歩くのは、例の考え事が原因であった。
通路をトボトボと歩き、いくつかの角を曲がる。すると、通路脇で立ち話をする2人を見つけた。
(あれは、217さん?)
2人がまとう空気はというと、昨日のように甘くはない。むしろ緊迫した気配の方が強かった。
「グロリア、僕は決めたよ。契約者になって君を見受けする。君なしの日々なんて考えられない!」
「声が大きいです。それと、うまくいくとは思えません」
「たとえ失敗したとしても、このまま指を咥えて眺める訳には……!」
その時、264と男の視線が重なった。すると男は身をひるがえし、話途中でその場から立ち去った。
「あの、ごめんなさい。217さん。お邪魔しちゃったようで」
「264さん、気にしないでください。単なる世間話ですから」
「ついでと言っては何だけど、1つ聞いてもいいかな。217さんは辛くないの? さっきの人と離れ離れになって、スマホとして暮らしていくだなんて」
「はい。辛くはありません」
217号は、柔らかな笑みを崩さなかった。それは同タイプですら魅入ってしまうほどに美しく、気高い。
「彼との想い出があるから、強く生きていけるんです。いつかは別れる宿命だとしても、最後の一瞬まで、あの人を心から愛そうと。そう思うだけです」
それではお先にと、217号が立ち去った。後に残された264号は、不意に自分がつまらない存在に思えた。
同じタイプのスマホで、同じ修練を積んだはずなのに、この違いは何なのか。その答えが見えず、存在意義は激しく揺さぶられてしまう。それから、ラウンジへ向かう足取りは更に重たくなり、足を引きずるかのようになる。
「おせぇぞ264! 先に充電もらってるかんな!」
やっとの事でラウンジに戻るなり、291号の怒号を聞いた。もはや264号に微笑む気力すらなく、ただ静かに電源と接続した。
そんな矢先の事だ。白衣の男が部屋の入口で声を響かせた。
「217号はいるか。返事をしろ」
「はい。ここに居ります」
「お前にはこれから、契約者の元へ向かってもらう。大学生の男性、一人暮らしだ」
室内におおっ、という歓声が鳴り響く。217号は小さく会釈で返し、白衣の男に連れられていった。
そうして2人が遠ざかると、室内は世間話で騒がしくなる。またとないゴシップに群がったのだ。
「かぁーー、可哀想によ。悲恋だって分かってても、やっぱり目の当たりにしちまうとな。お前はどう思うよ264?」
「あの、217さんは、これからどうなっちゃうの?」
「出荷されて無事契約者のもとへ。寝食をともにするという、ひとつ屋根の下で2人暮らしさ。よりにもよって若い男だってんだから、運命ってのはロクなもんじゃねぇ」
「若い男の人だと、何か問題あるの?」
「ちょっと考えりゃ分かんだろ。アタシらは、ニンゲン様の間じゃ絶世の美女ってくくりなんだ。そこへ性欲を持て余した兄ちゃんの所に遣されんだぜ? 何をされちまうか、言うまでもねぇだろ」
「そんな……! 217さんの彼は、こうならないように頑張ってるんだよ! 自分が契約者になる事で、217さんと一緒に暮らせるように!」
「まぁ、そんなん無理だわな。優秀な型番はスタッフじゃなくて外部に回される。顧客満足度っつうの? そういう兼ね合いでね」
「ダメだよ、そんなの……許せない!」
身を震わせてうつむく264号。涙を流せない自身が恨めしい。本音を圧し殺して立ち去ろうとする仲間の為に、泣くことも出来ないのか。
己の無力さを呪った時、ひとつ閃くものがあった。
「291さん。昨日の借りを返してもらえる?」
「そりゃ構わねぇけどよ。なんだよその顔、怖ぇよ」
「別に。いつも通りだって」
「んな訳あるか。悪代官みてぇなツラだぞ」
「そんなのどうでも良いから、ホラ行くよ!」
264号は291号を連れて走った。そして準備を手早く終えてから、通路を駆け抜けた。すると、角の向こうで217号と白衣の男が歩いてくるのが見えた。先回りに成功したのである。
「ねぇ291さん。私の合図でバケツを引っくり返してね」
「あぁ怖ぇ。わざとだってバレたら、叱責どころじゃねぇそ……」
今だ。264号の合図で、バケツに満載した水が撒き散らされた。それは白衣の男の足元を濡らし、床を水浸しにしてしまう。
注意が逸れたタイミングを見計らって、264号は駆けた。そして217号の掌を掴み、データの送受信。互いのゼッケンを入れ替えてしまった。
「おい、何をやっている! 水の扱いには気をつけろと言ってるだろう!」
「えへへ、すんません。ちょうど足元にたこ焼きが転がってまして……」
「まったく。217、大丈夫か? 濡れたりはしてないか?」
「はい。問題ありません」
「では急ごう。出荷に遅れればクレームになりかねん」
こうして、白衣の男にスマホ少女は連れられていった。
「あ、あの……!」
217号が縋(すが)るように声をあげた。すると217号に扮した264号が、握りこぶしを真横に掲げ、親指を天井に向けて突き立てた。そして足を止めることなく、ゲートの向こう側へと消えた。
(これで良かったんだよ。私を愛してくれる人は居ないけど、217さんには居るんだし……)
こうして、264号は研究所を後にした。見知らぬ土地へ、顔も知らぬ相手と暮らすために。
(217さん、私の分までお幸せに……)
大型トラックの荷台で揺られつつ、心の中で繰り返し別れを告げた。それはどこか、自身に言い聞かせるかのように。
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