第38話 健診だよニーナちゃん
夏の盛りが続く日々。その猛攻をデパートに避難する事で凌ぐ。
そんなタケル達の元へ、1通のメールが届く。プルプルと震えるニーナがこっそり教えてくれた。
「タケル様、本社より連絡がありました」
「珍しいね。ちょっと見せてもらえる?」
タケル達は書店から出て、物陰に入った。正面向こうには搬入口がある。人など滅多に通らないので、メール確認するには最適の場所だった。
「ええと、なになに。メンテナンスのお知らせ……」
「部品に問題が生じていないか、定期的なチェックが入るのです」
「そっか。健康診断みたいなもんか。これはニーナ1人で行くんだよね?」
「もし可能であれば、所有者の方にもご足労いただきたい、との事です」
「僕は構わないよ。どうせ夏休みだし」
口調の割に、タケルの眼は輝いている。どんな場所で何が行われるのか、興味津々になるのだ。
ロボットアニメのような修理用ドックであるとか、あるいはスーパーコンピューターの並ぶような、最先端技術を感じられる秘密基地なのか。次から次へと、イメージが膨らんで止まらなくなる。
そんな妄想に酔いしれる中、猛然と駆け寄る足音が聞こえた。振り向いてみれば、エプロンを羽織る恰幅の良い女性が、脇目も振らず近づく姿を見た。
「ちょっとアンタ、何してんの! 女の子をそんな所に連れ込んで!」
「えっ、僕ですか!?」
人気(ひとけ)の無い場所で2人きり。そしてニーナは、両手をタケルに突き出している。その態度は何かを拒絶するかのように見えたろう。
とりあえず頭を下げて誤解を説く。共に暮らすパートナーだと告げる事で、彼らは難を逃れた。
それから数日後。電車に揺られてやって来たのは大きな街で、そこにお目当ての英雄ショップがある。受付で来店を告げると、札を渡された。次に声がかかるまで5分弱。店内の新作を確認出来るだけの、程よい待機時間であった。
「受付番号081番のお客様。会場は奥になりますので、こちらへお越しください」
若い店員が、柔らかい口調で告げた。そしてお決まりの笑顔で先導していく。
売り場の次に見たのは、従業員専用らしき殺風景な通路だ。いくつかのドアを横目に通り過ぎ、突き当りのドアを開くと、ようやく会場へと到着した。
「ここが、メンテナンスの……」
「はい、こちらでございます。検査が始まり次第、スタッフがお呼びします。飯場様はご愛用のスマートフォンと共に、ついて行って貰えれば」
その言葉には生返事で返し、去りゆく背中を見送る事さえ忘れてしまった。なぜなら、眼前の光景が、途方もなく期待外れであったからだ。
会場は小ざっぱりした大部屋。見えるのはパーテーションで区切られたブースに、検査室の扉がいくつか。それらに未来や特別性など感じようもない。むしろ、人間の健康診断の方が立派に思えるくらいだ。
これは勝手に期待した自分が悪いのか。脱力し、鼻で息を吐き散らした。するとそこへ、見慣れない女性が歩み寄ってきた。
「飯場タケル様、ニーナさん、お待ちしておりました。本日担当させていただきます、マジリアル119号です。よろしくお願いします」
「マジリアルってことは、貴女もスマホなんですか?」
「はい。事務処理に特化したタイプとなります」
そう告げながら微笑む女性は小柄だ。タケルやシトラスよりも小さく、子供の様にすら見えた。しかしアップにまとめた黒髪や、ビシッと着こなすナース服、そして何よりも知性を感じさせる立ち振る舞い。そこには幼さなど微塵も感じられなかった。
「なんで小柄なんだろう。もしかして、身体が小さい方が狭い所に入れるから、とか? それとも指先が器用だったり……」
「いえ、担当者の趣味です」
「あぁ、そういう……」
身も蓋もない会話。それでも、119号の職務を全うする姿勢に揺らぎは無い。
「ではニーナさん。検査服に着替えましょう。赤外線で送ります」
「承知しました」
119号の掌が突き出される。それに指を添えたニーナは、身体を煌めかせて、衣装を替えた。上下ともにゆったりとした装いになる。人間の検査服と大差無かった。
「ではまず、視力聴力を検査しましょう」
手前のブースに連れられると、その中には白衣を着た年配の男が待ち受けていた。彼は、卓上のパソコンと睨み合いながら、椅子の方を指さした。誰も彼もが愛想良しとは限らないらしい。
「はい、ニーナさん。217号ね。じゃあまずはコレ見て録画」
ニーナは視力検査の機材に顔を付け、しばらく後、離した。そして掌を男の方にかざして、録画したものを再生した。検査機材に流れた映像を、正確に読み取れているかの確認だ。ニーナの掌を介して、何かしらのドラマが繰り広げられる。
雨の中打ち捨てられた犬が、心優しき少女に拾われて暖かな家の中へ。身綺麗にしてもらい、柔らかなベッドで眠る。
しかし犬は狼だった。安らかに眠る一家。音もなく這い寄る狼。獰猛な爪が月夜で冷たく光る。その爪は床のこびりつき汚れに向けられた。キュッキュと剥がし、家の中をピッカピカにすると、元の子犬に戻る。それからはキレイなお家で仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
――なんだそのストーリーは!
タケルは思わず指摘(ツッコミ)たくなるが、違和感を覚えたのは彼だけだ。白衣の男は顔色すら変えなかった。
「色彩、解像度、フレームレート問題なし。じゃあ次は聴力」
するとニーナにヘッドフォンが手渡される。耳から聞こえた言葉を復唱しろ、という検査である。
また妙な題材なのでは。タケルは訝しむと、やはりその通りで、ニーナの口から答えが吐き出されていく。
「凄む凄む怒涛の売り切れ。買い出し営業水曜待つ、うんだいぶ経つ、ふう来週待つ。食う寝るところで済ませとけ。やたら工事のぶらり旅。配布パイポの……」
「はい結構。聞こえてるね。じゃあ次の検査」
「飯場様、ニーナさん、お疲れさまでした。次のブースにご案内しますね」
戸惑うタケルを余所に、滞り無く進行していく。次は声紋検査。通話した際に、適切な声色を出せるかどうかチェックするのだ。
「それじゃあ、まずは、重役おじさん」
「君の資料はトコロテンのようじゃないか」
「次、幼妻」
「おかえりなさいアナタ。ご飯にする? お風呂にする? それとも、タカシ?」
「次、危険な間柄」
「イッヒッヒ。親分、このスイッチを捻るだけでドカンといけますぜ。銀河系が木っ端微塵だぁ」
「問題なし。次の検査行って」
それから通されたのはブースではなく、別部屋だ。扉の先では、まず、レントゲン撮影を思わせる大きな機械が目に入る。
「じゃあ板の前に立って、胸を押し付けて」
「はい。出来ました」
「板をずらします。良いって言うまで強く押し付けて」
「承知しました」
やたらと検査板らしきものを調節しており、難航しているように見える。正面だけでさえ何度も位置を変え、更には背後からも同様に、気怠い声に従いつつ検査を繰り返している。
タケルは不安げな面持ちで、119号にそっと尋ねた。
「今は何の検査ですか? レントゲン?」
「これは胸やお尻の柔らかさと、相手に与える感触の期待値をチェックしています」
「それはわざわざ検査する事なの!?」
「あっ、判定出ましたよ。AAですから、かなり高得点です。さすが200号シリーズは優秀ですね」
「僕に何を言えと……」
それからも検査は続くが、寄り添うタケルは考える事をやめた。
体に電極を繋げ、微弱な電流を流し、問題なく通るか否か。その時の様子が、テレビで見かけるリアクション芸に似ていたとしてもスルー。
ウェブ接続の検査では、データ格納の正確さと速度を調べる。与えられた画像や動画を、所定のサーバーにアップロードするのだが、やはり題材が不適切だ。局長の札を下げられた男が殴られるシーンや、その男が這いつくばるシーン、あるいはその男を縛り上げて大勢が取り囲むシーンなど。
なぜわざわざ、そんな題材を用意したのか。検査スタッフの態度や顔色が悪い事と、何か関係があるのか。タケルはいくらか気がかりになるが、既に疲労している。とうとう何も尋ねる事はなく、その日の検査を終えた。
「飯場様、ニーナさん、本日はお疲れさまでした。検査結果は後日、郵送させていただきますね」
119号が、お帰りはあちらと誘導した。入り口とは反対側のドアである。タケルは何の疑いもなく、そこから帰宅しようとした。少し昼寝でもしたい気分だった。
「はぁ、何か色々ありすぎて、妙に疲れたよ」
「お疲れさまでした。私用にお付き合いいただき、ありがとうございます」
「ちょっと気になったんだけど、僕が来る意味ってあった? 居なくても良かったよね」
通路を一本抜けて、突き当りのドア。それを開ければ解放されるのかと思いきや、まだ屋内だった。
そこは小洒落た部屋で、上等なソファがいくつも並ぶ。ホテルのロビーにも似た光景が広がっており、タケルは困惑して後ずさった。
しかし、戸惑う時間すらロクに与えられず、彼の元へ何者かが歩み寄った。シックな黒スーツで身を固める男が。
「飯場様、メンテナンスお疲れさまでした。お帰りになる前に、少々よろしいでしょうか?」
「あの、何が始まるんです?」
「我が研究所は日夜進化してまして、様々なパーツやアプリが開発されております。本日は飯場様にピッタリのカスタマイズを、資料を交えつつご提案させていただきたく」
「ヒェェ……」
現れたのはセールスマンだった。低姿勢ながらも体つきは大きく、切りそろえた髪は逆立ち、笑って歪んだ瞳が獰猛に煌めく。
絶対に逃さないぞ、という決意。それもかなり強烈なものを、突きつけられたような想いにさせられた。
「さっそく何かお飲み物でも。冷たいお茶、コーヒーなどありますが」
「す、すみません。ちょっと体調が悪いんで、今日は帰りたいです」
「なんですって? それは大変ですね。急ぎ救急車を……」
「あぁ、そこまでしなくても大丈夫です。家で寝てれば治りますから」
「左様でございますか。では、お気をつけてお帰りください。資料やご提案プランは、後日お届けしますので」
「はい、どうも……」
フラフラとした足取りで、ようやく解放されたタケル達。
自動ドアの先はコンクリートジャングル、そして都市特有の喧騒。しかし、今ばかりはなぜか、好意的なものとして受け入れた。
そんなタケルに対し、帰路はニーナが寄り添ってくれた。肩を貸してもらうような格好だ。時おり脇腹に感じる柔らかさ。AAクラスの上等な質感。タケルはそれに触れるたび、悲鳴を押し殺す努力を強いられた。
それから一週間後。彼らの元へ一通の封筒が届いた。A4サイズの茶封筒は、はち切れんばかりに膨らんでいる。
「タケル様。先日の結果が届きました」
「それは良いけど。なんでそんなに詰め込まれてんの? まさか、何か悪い知らせでも……」
その不安は杞憂だった。診断結果はペラ紙1枚のみで、内容も問題無しと、太鼓判が打たれていた。
ではこの大量の冊子は何か。軽く眼を向ければ、新作アプリを始めとした、様々な商品を掲載していた。セールス広告である。
「何だよ、ただの宣伝か。心配して損したなぁ」
「タケル様、新作はかなりお手頃価格のようです。例えばこちら。お熱い夜をご希望のユーザー様必見の……」
「ただの宣伝かぁ心配して損したなぁ!」
タケルはこの時決心した。次のメンテはどこかで待っていようと。カフェで冷たいコーヒーでも飲みながら、検査が終わるのを待とうと。
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