第35話 見栄えは歪でも

 晴れ渡る空。翌日も好天に恵まれた一行は、旅館の送迎車に乗り込んだ。やって来たのは広々とした快適なビーチ、ではなく、どちらかと言うと大人向けの施設だった。



「はい、今日はここ、陶芸の里にやってきましたぁ!」



 イナがそう告げると反応も様々だ。唖然とするカツトシに、その隣で興味深い様子で見回すタケル。スマホ勢は特に関心を示さず、所有者の傍に侍るばかりだ。


 迎えが来る日暮れまで、ここでガッツリと陶芸体験を楽しむ。これは出発前にタケルが食いついた事が大きい。その意向に対して、イナが全力で応えたのだ。カツトシは巻き込まれたとしか言いようがなかった。



「まったくよぅ、ジジイじゃねぇんだから。陶芸なんかクソつまんねぇだろ」


「そんな文句言うなら、河瀨君は海に行ってきなよ。海岸までダッシュで」


「酷ぇよタケちゃん。海まで何キロあんだよ、行き倒れになるだろが」



 一部の文句は封殺され、揃って工房へ向かうことに。長屋が並ぶ通りは玉砂利で敷き詰められている。ザリザリとした音を響かせつつ、土産屋に蕎麦屋、ギャラリーを通り過ぎれば到着だ。


 体験教室の看板が見える平屋は、柱や床に新しさを感じさせた。ショウウィンドウに飾られる陶器の数々も、動物をモチーフにした愛らしい物が多い。初体験の構えがちな心を和らげてくれるようだ。



「すみません、予約してた安里ですけど」


「はぁい。お待ちしておりましたぁ〜〜」



 カウンター越しに声をあげると、奥から気安い返事があった。そしてガラス戸が開き、身を屈ませて現れたのは、妙齢の女性だった。ここの店主だと言う。濡れた手を花柄のエプロンで拭いつつ、人懐っこい笑みを浮かべた。



「ようこそお越しくださいましたぁ。ぜひ、世界で1つだけの素敵な作品を作ってみてくださいね!」



 タケルは主人の方を見て、感覚が狂うのを感じた。かなり大柄なのだ。メンバーで1番背の高いカツトシでさえ見上げる程である。タケルが並べば、もはや大人と子供にしか見えない。


 そんな反応は見慣れたものらしく、店主は顔色を変えずに奥へと誘った。靴を脱ぎ、板張りの通路を歩いていく。



「すごく大きいよね、バレーボールでもやってたのかな?」


「オレよりでかい女って初めて見たかも」


「確かにね。河瀬君は、大体の人より大きいから」


「なんか、こう……良いな! ここに来て正解だった!」


「どうしたのホント。欲望に素直すぎて不安になるよ」



 先を行く店主の後ろ姿を、カツトシはまじまじと見つめた。どこをとは言わないが、差し当たって膨らみが見て取れる部分だ。すると横から手が伸びて、カツトシのアゴを掴み、真横を向かせた。そして「ニィニはこっち」という、小さな嫉妬が炸裂するのである。


 それからカツトシが2度ほど壁に激突した頃、作業場へと到着した。広いテーブルには人数分の粘土がある。



「ではさっそく、練り作業から始めましょう」



 一通りの説明が終わると、さっそく実践だ。粘土をコネにコネていく。慣れない作業に誰もが難航するのだが、いち早くカツトシが動いた。その顔は不自然なまでに力が入り、可能な限り頬をシュッとさせようと試みるのだ。



「先生、ちょっと分からないです!」


「はいはぁい。今行きますねぇ」



 店主は朗らかな声と共にカツトシの方へ寄った。存在感は強い。しかしそれ以上に大人の色香が漂く、無自覚であっても意識を惹きつけた。


 もちろんカツトシには直撃し、引き締めた顔がみるみる緩む。そして、自然な流れで肩やら足やらを密着させてやろうと企んだ。何と汚い男だろう。以前、雨の降りしきる中で相棒を守った時とは、別人としか思えない。



「ええとですね。練る時は掌の硬い所を使って……」



 店主が並び立とうとしたその時。プルプルと震える手が阻んだ。小さな右手。シトラスのものだ。



「インストール完了。ニィニは私が教える。放っておいて」


「あらぁ、お嬢さんも陶芸のご経験が? もしかしてお好きなんです?」


「そうでもない。でも、基本はマスターした」



 それからシトラスは、不自然なまでにカツトシにへばりついた。これより2人の世界に突入だ。オープンスペースであるのに。


 その一方でタケルは終始無言だった。黙々と粘土に向き合う様は、まさに一心不乱。それが店主の眼に止まるのも当然の事だ。



「あらぁお兄さん。随分と筋が良いんですねぇ。アナタもご経験が?」


「いやいや初めてですよ。勘でやってるだけです」


「そうですかぁ? 魂の込め方というか、物を創るベースができてるというか。創作家に向いてるんじゃないです?」


「持ち上げ過ぎですよ。僕は平凡ですから」



 そんな和やかな会話の中、イナが動いた。そして甘ったるい声を出す。不自然にギラついた瞳とは対象的に。



「タケル君。上手なら、私を教えてほしいな」


「僕は頼られる程じゃないんだけど」


「まぁそう言わないで。ちょっとで良いから」


「まぁ、別に構わないよ」



 タケルが向かいのイナまで近寄ろうとしたところ、腕を掴まれた。隣のニーナに止められたのだ。



「あの、タケル様。私にもお教えいただきたく」


「ニーナも? 2人同時に、どうしようかな」


「差し当たって、掌には何kgwほど力を込めるのでしょうか?」


「キログラムウェイト……?」


「それと、掌で円の軌跡を描いてましたが、何ラジアン取るべきかも」


「数字での説明は出来ないからね!?」



 タケルが説明に苦慮する一方で、イナには店主が付いた。密着せざるを得ない態勢につき、腕やらフトモモやら、柔っこい部分が触れる。もちろんそれらは、彼女にとって報酬とは呼べない。込み上げる歯がゆさを粘土に叩き込むばかりだ。


 やがて工程は進み、手びねりと呼ばれる作業へと移った。陶芸と言えばロクロを回して作る印象が強いのだが、必ずしも器具を使うとは限らない。



「ちっ。ロクロなら良かったのに。そうすりゃ、先生に後ろから抱きしめられるシチュも愉しめたのによ」


「ニィニ。そういうのが好きなら早く言って」



 シトラスはカツトシの背後から腕を回し、手びねり作業を続行した。それはどこか、二人羽織にも似た格好だ。


 その光景を学び見たニーナは、タケルの背後に回った。そして温かくも、ムニョンと柔い感触にて背中を蹂躙するのだ。



「何してんのニーナさんん!」


「どうやら、これが作法のようです。郷に入れば郷に従えとも言いますし」


「あのね、こんなフザけてたら先生に怒られちゃうよ!」



 ちらりと店主の方を窺ってみる。すると、最初こそ困惑気味であったのだが、顔はすぐに綻び、親指が突き立つまでになる。



「若いって良いわね、気にせずどうぞ!」


「良いんですか、そんなんで……」



 師匠より許可が降りたとあって、一気呵成(いっきかせい)。ここぞとばかりに密着する2組。


 それを向かいから見せつけられたイナが黙っている訳もなく。彼女は粘土を片手にテーブル下に潜り込んだ。そしてヒョコッと顔を出した先は、タケルの腕の中である。



「うわっ! 安里さんまで、何なの!?」


「これが作法だって聞いちゃったから、私も言う通りにしようかなって」


「絶対違う! 曲解も良いとこだよ!」



 タケルはすかさず護衛(おもり)を探した。しかしわざわざ探すまでもなく、セワスキンは正面に陣取っていた。ただし視線は手元に集中。そして満足気な息と共に背中を反らした。



「出来たぞ主人よ。これでどうだろうか?」


「あらぁお上手ですねぇ。置物ですか?」


「そうだ、猫ちゃんだ。マンチカンの生後半年をイメージした」


「うんうん出てますよ。好きで好きで堪らない、という感情が」



 何気なく放たれた褒め言葉は、一同に電撃の様に伝わった。主に女性陣。自分の想いを乗せろという、存在しない課題を背負い、懸命になるのだ。



「ニィニ待ってて。凄いの作ってあげる」


「お、おうよ。頑張れ」


「タケル様。素敵な作品をプレゼントしたいです。ご期待ください」


「う、うん。ありがとう……?」


「ごめんねタケル君。私ちょっと本気出すから」


「安里さんも? まぁ、真面目にやるのは良いことだよ……」



 先程までの浮わっついた空気はどこへやら。シトラスが、ニーナが、イナまでもが真剣な面持ちとなる。もちろん自分のテーブルに戻った上でだ。


 それからは、適正のあったタケルも無言になる。そして場の空気に乗せられたカツトシも、集中して創作に取り組んだ。一足先に終えたセワスキンは、室内のギャラリーを見回るばかり。


 すると工房は静かに、それでいて強烈な創作意欲によって支配された。この予期せぬ事態に、主人は身体を震わせて綻んだ。



「凄い気迫……初心者とは思えない。もしかしたら、全員が表現者の天才なのかしら?」



 実情を知らぬ者からすれば、そんな感想を抱くのも当然だ。場を支配し、原動力の大半は恋心なのだが、傍目からは読み取れない。


 そんな中で声を高くしたのは、イナだった。

額の汗を腕で拭い去り、黒髪をしなやかに靡かせた。



「出来たぁ! コーヒーカップ!」


「へぇ凄いなぁ、上手いもんだよ」


「どう、持ち手のシャープさが上品でしょ? キレイに焼けたらタケル君にあげるね!」

 

「僕にくれるの? どうして?」


「どうしてって……。その、えっと、棚に飾っときまぁす」



 秘技、朴念仁ムーブ。イナの苦労が報われる日は来るのか。少なくとも、器の出来は関係ない模様。


 それからも続々と形が整えられていく。カツトシは花瓶らしきもの。不器用さを隠せておらず左右不均等だ。隣のシトラスはタンブラーで、側面の凹凸が握りやすそうである。サイズもビールを飲むのに丁度良い。さすがに作法をインストールしただけの事はあった。



「どうニィニ。私の愛が分かる?」


「うん。持ちやすそうだな」


「もっと労って。扱いが下手すぎる」


「うるせぇんだよ。ガタガタ言うなっつうの」



 カツトシはシトラスの頭を雑に撫でた。それはどう受け止められたか。答えは、シトラスの毛束が、優しく左右に振られる点にのみ現れていた。


 比較的、難航したのはタケル達だ。こだわりの強さから、完成まで漕ぎ着けるのに苦労させられる。まだやれると手を加えるタケル。そして、熱意の表現に納得のいかないニーナ。


 時間は湯水の如く流れていき、納得がいくころには陽が傾き始めていた。



「できた、グラタン皿!」


「ようやく形になりました。マグカップです」



 やっと終わったのかと、一同はようやく解放された気分になる。長時間の健闘を拍手で称えたのは店主くらいだった。



「さてと、これを後は焼いてもらって……あっ!」


「キャアッ! すみませんタケル様。ぶつかってしまいました、お怪我は?」


「怪我はないけど、器が……」



 渾身の作品は互いに激突してしまい、大きくひしゃげていた。作り直そうにも、日暮れは目前。むしろ迎えを待たせてしまっている程だ。



「残念だけど、これで焼くしかないね」


「タケル様。少しばかり手を加えてもよろしいですか?」


「別に構わないよ。こんなザマだし」



 仕上げとばかりに、ニーナは竹串で細工を施した。手の込んだものではない。シンプルな線を刻みつけただけだ。


 そうして旅行が終わり、彼らが日常へと戻った頃。陶芸での1件を忘れかけていたのだが、完成品が自宅に届けられた事で、にわかに思い出す。



「ニーナ。この前の器が来たよ。やっぱりひしゃげちゃってるね」


「いえいえ、これで良いのですよ」



 テーブルの上に並ぶ、2つの歪な器。しかし互いを寄せると凹凸が一致し、1つの食器とも思える一体感が生まれた。更には、ニーナによって刻まれた模様が生きる。側面に大きなハートマークが浮かび上がるのだ。



「どうでしょう、タケル様。想いが現れている気がしませんか?」


「これ、誰にも言わないでよ? 恥ずかしいからさ」


「はい。2人だけの秘密にしましょう」



 成果は少しだけ不格好だ。しかしニーナは慈しむように眺めている。タケルは隣でムズ痒く感じつつも、肩を並べたままで、器に眼をやるのだった。

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