第33話 月夜の会合

 夕暮れ時を迎える頃になると、タケル達は存分に海を満喫した。バレーに水泳にと楽しんだカツトシは、疲労物質の精鋭に襲われてしまう。



「あぁクッソ遊んだ! 体中痛ぇぞ、もう限界だ」


「私も稼働限界。ニィニ、おんぶ」


「話聞いてたか?」



 始終付き添っていたシトラスも、電池残量が怪しくした。省電モードに移行するのも目前だった。


 一方でタケルも疲労と満足を半々にしつつ、足元の潮溜まりに眼をやった。


 その構造はいくらか複雑だ。押し寄せる波が頂上まで押し寄せると、石と泥で固めたスペースに水が貯まる。海へ向かう唯一の出口は木版で塞いでおり、ダムに似た構造だ。それを開いたなら水は整然と流れていく。石の道で蛇行を繰り返し、ミニチュア橋の下を通るなどしながら、母なる海へと還るのだ。



「ふぅ、結構頑張ったなぁ。指が痛いよ」


「お疲れさまです、タケル様。素晴らしい大作ですが、満潮を迎えてしまえば壊れてしまいます」


「そこが良いんだよ。儚さが心地よいというか、残らない美しさというか」


「ではせめて、記録を撮っておきますね」



 満面の笑みで写るタケル、そして潮溜まり。動画のサムネイル決定である。


 そのうち、遠くでイナが声をあげた。彼女は旅館と話があると言い、皆から離れていたのだ。



「そろそろ日が暮れるし、宿に行こうよ。いつでもお越しくださいだって!」



 タケル達は、遊び疲れた子供の顔を並べながら、イナの先導に従った。緩やかな坂を登りながら歩く事しばし。海辺の旅館へと辿り着いた。



「すごい立派なとこ……。宿泊代って、実はすごく高いんじゃない? ほんとにあの値段で合ってるの?」


「間違いないよ。タケル君は心配性だなぁ」


「だって、ドラマとかに出てきそうじゃん」



 しっくい塀の門を通り抜けると、石畳で整う庭園兼通路がある。そこは縦にも横にも広く、けやきや松といった木々が育ち、日暮れには石灯籠が辺りをライトアップする。


 大きな池で泳ぎ回るのは錦鯉。朱に黒にと、まるで反物が水中を漂うかのようだ。しかしタケルとしては、池に架かる欄干橋に眼が行った。そこを渡る事でメリットなど無い、ただの飾りなのだが、ちょっとした脇道にそそられる気質だった。



「それにしても、近くで見ると圧巻だなぁ」



 本館は、古き良き日本を思わせる和のデザイン。しかし建物自体は新しく、新旧のニュアンスが混在していた。それがタケルに不安を抱かせる。高そうだと。少なくとも、1万弱で泊まれる宿ではないと。


 しかしそんな心情が顧みられる事もなく、イナは気軽に足を運び、自動ドアを横にスライドさせた。玄関では若女将が控えており、タケル達の姿を見るなり、恭しく頭を下げた。



「ようこそお越しくださいました、安里様。従業員一同、心よりお待ちしておりました」


「お世話になりまぁす。2人ほど増えちゃったんですが、大丈夫ですよね?」


「はい、御手洗様より伺っております。隣の部屋をご用意しておりますので、ご安心くださいませ」



 女将の背後に控えた中居達は、それぞれが手荷物を預かり、予約の部屋へと案内した。


 ロビーから館内通路を歩けば、チーク材の床が、足並みに合わせて歓迎の音を鳴らした。ギシギシとした響きが心地よい。それから別館に向かう渡り廊下も、設えた大きな窓から中庭の景色を楽しめる。


 外から石灯籠の光が差し込むのは、各通路が間接照明であるからだ。ぼやりとした明度は絶妙で、視認に困る事もなく、柔らかな安心感を与えてくれる。


 やがて別館のエレベーターで4階、すなわち最上階までやって来ると、それぞれの部屋に別れた。端が飯場家で、安里に河瀬が続く並びだ。



「掴みは悪くないわね、うん。なにせ1泊1部屋で7万円もするんだから。サービスも雰囲気も良いはずだもん」



 疑いようもない高級宿なのだが、タケル達は一人頭1万円しか支払っていない。差分はイナが補填したのだ。


 タケルにお手頃価格で最高のもてなしをするためで、タダ飯タダ宿が不評だったことは、前回から既に学んでいる。ちなみにカツトシの分まで出したのは、整合性を取る為でしかない。好意からでは無かった。


 イナは座布団に腰を降ろし、淹れたての緑茶をすすった。彼女にしてみれば、いぐさの香る畳も達筆の掛け軸も、窓一面に映る大海原にも興味は無い。ただ、タケル達が何をしているか。それだけが気がかりである。



「まさかとは思うけどね。イチャイチャしたりしてないよね?」



 イナは壁に耳を当てて様子を探った。しかし何も聞こえない。今度は空のコップを介して聞き取ろうとした。だがやはり得られるものは何も無い。


 さすがは高級旅館だ、壁の逞しさが違う。もし仮に不適切な声をあげ、反復運動を思わせる振動が起きたとしても、隣に伝わるものは何も無いのだ。



「失敗した。いっその事、盗聴器でも仕掛けるべきだったかな」


「お嬢、軽やかに一線を越えようとするな」



 セワスキンは、空の湯呑に茶を注いだ。仕方なく口を付けるイナだが、やはり落ち着けず、指先で前髪を弄んだ。


 窓の向こうから、海原に反射した夕日が差し込む。その眩しさが何故か不快で、思わず障子を閉めた。そんな折の事だ、部屋のドアがノックされたのは。


 弾かれた様にしてイナが出迎えると、そこではタケル達が勢揃いしていた。



「えっと、どうかした? 何かトラブルでもあった? 何も聞こえなかったけど」


「これからお風呂に入ろうと思って。安里さんはどうする?」


「そうだねぇ。私も入って来ようかな」



 イナは浴衣を片手に部屋を出た。


 声掛けに訪れたのはタケルとカツトシのみ。ニーナ達は部屋で充電しているのだろうと、当たりをつけた。叶うならば、それとなく尋ねて裏を取りたい所だ。



「ねぇ、ニーナさんは? シトラスさんも居ないけど」


「うちのシトラスなら充電中だぞ。だいぶ遊び回ったからな」


「ニーナもだよ。随分と消耗してたみたい。コンセント挿したままで、今頃はスリープモードじゃないかな」


「ふぅん。じゃあ部屋で独りきりかぁ。寂しいだろうね」



 それから大浴場前で男女別れた。脱衣所でTシャツを脱ぐと、陽に焼けた所が少しだけヒリつく。しかし痛いという感覚は薄い。


 かけ湯代わりのシャワーもそこそこに、大理石の湯船に身を委ねた。窓の向こうは夜の海。陽はいつの間にか沈んでいた。ただ漆黒の闇の中、石灯籠がボヤッとした光を浮かべるばかりだ。



「月は、出てないな。曇り空かな?」



 イナは、湯に濡れた髪を指先で弄んだ。瞳は揺れる水面を見ている。しかし心だけは、今日という1日を映すばかりで、眼前の光景など有って無いようなものだ。



「スマホだったんだね、ニーナさんも」



 独り言が微かに響く。その声を、自身の耳で聞けば、一層の信憑性が増すようだ。


 やがて数少ない泊り客が、浴場へと現れたのを機に、湯船からあがった。それから手早く身体を洗い終え、すぐに脱衣所へ。


 持参した浴衣に着替えると、竹編みの椅子に腰掛けながら髪を乾かしていく。そして櫛で整えた頃、ようやく心の整理がついた。



――2人きりで話がしたい。



 そう思えば、ノンビリなどしていられない。荷物を小脇に抱えて脱衣所から出ようとした。だが、出入り口付近で人の気配を察知して、足が止まる。



「いやいや、すんげぇ立派な風呂だったな。こんなの人生で初めてだぞ」


「朝風呂だと、また違って見えるんだろうね。窓から海が一望できるそうだし」



 タケル達だ。イナは、体感以上に長湯をしていたため、彼らを出し抜く事に失敗したのだ。このまま部屋に戻られるとマズイ。そう確信すると、イナはスマホを取り出し、手短に指示を出した。



「すぐにBプランを実行。場所は大浴場。時間は10分も作れれば良いわ」


「直ちに急行します」



 頼もしい声を聞いたかと思えば、通路の向こうが賑やかになる。10人ほどの、法被(はっぴ)を羽織る男女が現れたのだ。彼らは軽快に吹き鳴らす横笛、手元に吊るした太鼓を鳴らすなどして、降って湧いたような騒ぎを引き起こした。



「おめでとうございます! あなたは、当館の大浴場をご利用いただいた、114562組目のお客様です」


「えっ、僕が? 数字が半端すぎない?」


「さぁさぁ、記念の景品がございます。どうぞこちらのクジを引いてみてください!」


「まぁ、引けというなら、やりますけど」


「お連れ様も是非。一等は豪華食べ比べ、黒毛和牛のしゃぶしゃぶセットですよ」


「マジで! オレもやっていいの!?」



 足止め成功。やや強引な流れだが、タケル達を浴場前で引き止める事は出来た。あとは騒ぎに乗じて通路を進み、部屋の前まで戻るだけだ。


 そしてタケルの部屋まで来ると、ノックを鳴らした。しばらく間をおいて小さな返事があった。



「はい。タケル様でしょうか?」


「ごめん、私。安里だけど、ちょっと開けてくれる?」


「すみません。タケル様が戻られるまで、開ける事はできません」



 そう来たか、とイナは思う。そしてこの融通の利かないあたり、やはりスマホなのだと確信する。


 もちろん、このままトンボ返りするつもりは無い。ある程度は想定済みであった。



「ええと、そのタケル君なんだけど。下の方でちょっとトラブルになってて。ニーナさんを呼んでくるように頼まれたの」


「そうだったのですか。すぐ向かいます」



 錠の重たい音が鳴り、ドアは開かれた。ニーナの顔はどこか鋭いのは、タケルの窮地を耳にした為だ。



「着いてきて、こっちだから」



 イナは階段を降りつつ誘導した。タケル達と出くわさないよう警戒しつつ、館内を移動した。そして1度外に出て、中庭へとやって来たのだ。


 月明かりは無い。館内から漏れる照明と、灯籠の灯りが頼りである。



「安里さん。タケル様は……?」



 その問いかけを背中で聞いたイナは、飛び跳ねるようにして振り向いた。口元は微笑み、愛らしく唇を歪ませる。しかし瞳は笑ってなどおらず、視線で相手を射抜くかのようだ。



「ごめんね、ニーナさん。実はアナタとお喋りしたかっただけなの。誰にも邪魔されず、2人きりで」


「それは、どういう……」


「ねぇアナタ。タケル君とはどういう関係なの? タケル君の事、どう思ってる?」



 その時、雲の隙間から月が覗いた。下界に降り注ぐ月光。それはイナの横顔も照らし出す。


 しかし、月の力をもってしても、彼女の笑みを清らかには出来なかった。さながら肉食獣。獲物を見定めて狩り取ろうとする、獰猛な顔があるだけだった。


 

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