第32話 我に秘策あり

 海の家で着替えよう。そんな掛け声で男女散らばったのだが、イナだけは足取りが違った。彼女が単身向かったのは駐車場で、黒塗りのワゴンが集まる一角だった。


 異様すぎる車列の傍では、老練なる執事が控えている。そして、美しい所作とともに出迎えてくれた。



「お嬢様、お召し替えはいかがなさいますか?」


「やっぱりAプランでいくわ。ビシッと決めたいもの」



 イナがミタライに告げると、左端のワゴンだけ後部座席が開いた。その内側は改装を施しており、水着専用のクローゼットと脱衣所が一体化していた。


 同タイプの車は近くに何両も停められている。1店舗分の水着を持参したのだ。それだけでも大荷物であった。



「さぁ、着るわよ。こんなモノ、滅多に手が出ないけど」



 Aプランの水着は、強烈に攻めたデザインだった。小さな花をモチーフとしたのは良いが、上も下も花飾りで隠すのみで、ほとんど裸に近い。飾りに通された紐の形状から、辛うじて水着だと判断できる程である。


 当然イナとしては恥ずかしい。顔面に辛子でも塗り込んだように、あるいは湯当たりしたかのように真っ赤だ。しかし、彼女の無駄に強い熱意は、この場でも本領発揮してしまう。



「これも全部タケル君の為ッ!」



 遂に着た。その水着に袖と呼べる部位は存在しないが、腕を紐に通し、やはり裾も無いが足を通した。そして上から大振りなバスタオルを羽織り、肩から膝までを覆い隠した。


 後はタケルの前で、コッソリ披露するのみである。



「こ、こんな姿を見ちゃったら、きっと夢中になってくれるよね……」



 駐車場を出て海の家を通り過ぎ、砂浜へとやって来た。そこには着替えを終えた男性陣が集結しており、皆が揃うのを待ち受けていた。


 身内のセワスキンは良いとして、カツトシが邪魔に思える。イナが物陰から様子を窺う事に決めた。すると、断片的ながらも会話が聞こえてくる。



「シトラスさんに水着を買ったんだね。海に入れないのに」


「大丈夫だぞ。普通に泳ぐつもりだから」


「水に濡れて平気? もしかして『お風呂でウフフ』も買ったの?」


「いやいや。水着を着れば、拡張キットが無くても泳げるっての。もちろん、脱いだ瞬間にヤベェ事になるが。拡張キットみたいに、どんな格好でもオッケー、とはいかないらしい」


「そんな仕様なんだ。知らなかった……」


「せっかくなら泳がせてやりてぇじゃん」



 イナの位置では所々が聞き取れず、今ひとつ全容が理解できない。もう少し近寄ってみようと移動していると、華やかな声を耳にしたので、その場で身を屈めた。


 着替えを終えての登場だ。普段着のままのニーナとは異なり、シトラスは装いを新たにしていた。それから1歩前に出て、カツトシの顔を下から窺った。



「ニィニ、お待たせ。似合ってる?」


「何言ってんだ。オレは何着るか知ってんだぞ」


「それでも褒めるのがモテる秘訣。ニィニは勉強が足りてない」



 現れるなり不平を漏らすシトラスは、紺色ワンピース水着という装いだ。胸元には白い布で「4ー10」と、大きく描かれていた。もしかしなくても、例のアレにしか見えない。


 タケルは僅かに怯むと同時に、軽蔑の眼差しまで上乗せした。



「河瀨君。これってスクール水着だよね? 趣味を大っぴらにし過ぎじゃない?」


「違ぇし。シトラスがやたら露出ヤベェのばっか選ぼうとしてさ。紐だけの水着とか、そんなヤツを。だから説得に説得を重ねて、やっとここに落ち着いたんだよ」


「紐って……キツイなぁ。そんな水着を選ぶ人の気が知れないね」



 今の言葉は、隠れながら聞き耳を立てるイナに突き刺さった。今まさにキツイと評された出で立ちなのだ。


 すかさずイナは駆け出した。その姿はスプリンターの如く。風を切り、埃を巻き上げ、駐車場へと雪崩れ込む。ミタライが話しかける脇を通り過ぎ、速やかにワゴンの中へ突入。


 慌てて手に取ったのは、一番人気と言われるビキニだ。白桃色の生地でフリルの縁取りがある、どこか愛らしさを感じさせるデザイン。急遽、着替えた。


 そうしてイナが砂浜まで戻った時には、既に息を切らしてしまった。



「ハァ、ハァ。お待たせ、しましたぁ……」


「随分遅かったね安里さん。妙に疲れてるし」


「えっと、水着に着替えたら、楽しくなっちゃって。その辺りを走り回ってたんだぁ」


「そ、そうなんだ。まぁ、はしゃぎ過ぎて怪我しないようにね」



 のっけから失敗した形だが、イナは自らを激励した。秘策はまだまだ残されている。そう思うだけで、心は健やかに持ち直すのだ。


 それから一行は、イナに先導されて砂浜を歩いた。やがて純白のビーチパラソルが出迎える。人数分だけ用意されたリクライニングチェアーは木製で、白を基調としたデザインが目を引く程に眩しい。



「さてと、日焼け止めを塗らないとね」



 チェアーの横から腰を降ろしたイナは、サイドテーブルに手を伸ばした。そしてボトルを取ると、体にクリームを塗りつけていく。


 そして一段落した所で振り返り、タケルに声をかけた。



「ごめん、背中を塗ってくれない?」



 作戦としては古臭いが、それだけに世間から認知されており、違和感なく頼めるメリットがあった。


 それだけではない。イナは椅子の横から腰を降ろし、タケルに対して背を向けている。白く均整の取れた背中が美しい。椅子に潰される尻肉など垂涎モノだ。更に腰の重心を片側にずらす事で、体の曲線も強調する。極めつけに黒い後ろ髪を横へ流し、うなじを見せる事も忘れなかった。


 強い。今日という日を見越して、訓練を重ねただけの事はある。わざわざモデルコーチを雇い、血の滲むような特訓を繰り返した成果が、今キラリと輝くのだ。



「えっと、僕がやるのかい?」



 彼女の努力は実を結びつつあった。難攻不落のタケルが、顔を赤らめつつ視線を外したのだ。あと1歩。ほんのひと押しで城門が砕ける。そんな手応えが確かに感じられた。



「うん。タケル君にお願いしたいなぁ」


「でも僕は、こういうのに慣れてないよ」


「平気平気。ただ塗るだけで良いから」



 差し出したボトル。少し間があって、タケルの手が伸びる。



――堕ちた!



 そう確信した瞬間。両者の間を何かが超高速で駆け抜けた。それは勢いよく放たれた小石で、タケルの薄皮を裂き、遠くのさざ波を砕いた。


 小石の出どころを探れば、やはりと言うかセワスキンだ。彼は片膝を地面に着いて体幹を安定させ、左の掌に乗せた小石を、利き手の指で弾いて射出したのだ。その姿はさながら歴戦の兵士。どこかクロスボウを幻視させる様である。



「そこまでだ、飯場タケル。多少の事は眼を瞑ってやるが、あまり調子に乗るな」


「別に調子に乗ってない。そう言うならアンタがやれば良い。お手伝いロボットなんでしょ」


「護衛だ。履き違えるな」


「似たようなもんだよ」



 何という哀れ。結局はセワスキンの手にボトルが渡り、クリーム担当の座も一緒に移る事になる。



「何なのよ、もう。邪魔しないでよ」


「お嬢。交際とは清くあるべきだ。体の関係は婚姻を結んだ後、存分に愉しめ」


「大げさだよ。ちょっと触(さわ)られるくらいなのに……」



 イナがチェアーに寝そべり、クリームを塗られる間、各々も準備に勤しんだ。ビーチボールを膨らませたり、体操で筋肉をほぐすなどして。


 それにして旗色が悪い。先程から連戦連敗と言って良い。しかしイナにはとっておきの最終手段が残されている。それをどこで放つべきか、チェアーに寝そべりながら虎視眈々とチャンスを窺う。その機会は、カツトシの掛け声によって到来する事になった。



「よっし、あそこに浮かんでるブイまで競争しようぜ!」



 カツトシとシトラスが立て続けで海に突撃。イナも飛び起きて、その背中を追いかけた。


 快調に飛ばしていくカツトシ達を見送ると、イナは緩やかに速度を落とした。背後から感じる男の気配。セワスキンには防水対策を施していないので、タケルに間違いなかった。


 そして程々の水深までやって来ると、イナは態勢を崩し、叫んだ。



「助けて、足が……!」



 沈みかける背中を大きな掌が支えた。作戦成功だ。後はタケルの体にしがみつき、存分に密着すれば、陣形完成である。窮地を救ったヒーローは、熱い口づけと抱擁によって歓迎されるのだ。



「あぁ、タケル君、ありがとう。不安だからもっと傍に……」


「お嬢。準備運動を怠ったな。子供でもあるまいに。以後気をつける事だ」


「……ハァ? なんでセワスキンが海の中に!?」


「護衛の為、予め旦那様に拡張キットの導入をお願いをしていた。海人魂という製品をな」


「へぇ、そうなんだぁ……知らなかったぁ」


「1度陸(おか)まで戻るぞ」



 無意味に救出されていくイナ。帰還の最中、彼女の視線は砂浜へと向けられた。波打ち際で佇むタケルとニーナの姿が見える。



「タケル様、海に入られないのですか?」


「だって僕は泳げないし。足だけ濡らしてお終いだよ」


「浮き輪の貸出もあるようです。行ってきましょうか?」


「いや、止めておこう。そもそも人間って肺呼吸だから、水中に飛び込むべきじゃないんだよ。足の届かない所まで行くなんて、正気とは思えないね」


「承知しました。では砂浜から浅瀬の範囲内で活動する事とします」


「それよりもニーナは濡れて平気なの? 水着を買えてないから普段着だし。ちょっと怖いんだけど」


「手足くらいでしたら問題ありません。雨の陽気と同様に考えていただければ、イメージしやすいかと」


「そうなんだね。じゃあさ、一緒に潮溜まりを造ろうよ。すごく空いてるから、誰の迷惑にもならないし」


「はい。お供させていただきますね」



 2人が仲睦まじく、穴掘りや石並べをする脇で、イナは無用なマッサージを受けていた。


 この頃にはイナも心がへし折れてしまう。せっかくの作戦も空振りに始まり、努力も虚しく次の策も空振り、そして最後の秘策までもが空振りに終わったのだ。顔色は、精根尽き果てたと語るかのように重たい。


 それからカツトシが戻ると、小腹が空いたと言った。タケルも賛同したので、一行は海の家へと向かう事にした。



「凄い広く感じるね。お客さんが殆ど居ないせいかな」



 店内は先客のカップルが1組居るのみで、座席も選び放題だった。奥座敷に6人で座る。


 比較的静かな環境だ。寄せては返す波の音と、ラジオから流れるDJの語り口調が調和し、心地良いひと時を与えてくれた。


 しかし情緒豊かな光景も、料理が並ぶなり騒がしくなる。先陣を切ったのはシトラスだった。



「ピピッ。ガタガタ、プスン。美味しい焼きそばピピィーー。やきそばおいしピピッ。おいししししピィーーッ!」



 続けて叫ぶのはセワスキン。



「ピピッ、ガァーー。このイカ焼きはピーーッ、きょのイカ焼きは、この、このこのこ。プスンプスン。きょのいかやきぃぃピピィーーッ!」



 そして最後を飾るのはニーナだ。たこ焼きの紙皿を持ちながら激しく震えだす。



「ピィーーガガッ、ピピィーーうみゃ。ガタガタプスン。うみゃいですね。プスンプスンうみゃみゃみゃみゃあ〜〜」


 

 イナはアイスティーのストローを咥えたままで、思わず眼を見開いた。彼女だけが知らなかったのである。この場に居合わせる半数が、人型スマホであるという事実に。



(もしかして、ニーナさんは……)



 タケル達は特に隠そうとした訳ではない。たまたま教える事を失念していただけだ。


 それはさておき、ガタプスンとする姿に、イナは一条の光を見た。そして普段の活力を取り戻すと、勢いよくアイスティーを飲み干した。


 その味は記憶に全く残らなかったのだが、それは些細な事である。彼女の心は未来だけを見ていた。


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