第29話 コラボしようぜ
梅雨空が遠のけば、夏の足音が聞こえてくる。やがて曇天模様が恋しくなる程の、厳しい暑さが押し寄せて来るだろう。
タケルの学業は順調そのものだ。中間テストも無事に乗り切る事に成功し、これまでの例に漏れず、成績上位者に名を連ねるのも確実だった。
しかし、全てが順風満帆といかないのが、人生というものだ。
「バイトが決まらないなぁ……」
タケルの家計はややピンチである。この1ヶ月間は全く働けていない。近場であり、なおかつ商店街通りから離れた場所となると、募集そのものが皆無に近いのだ。
「いっそのこと、大きな街で探そうかな。電車で片道20分はかかるけど……」
そこでニーナの方を見れば、視線が重なり、たおやかな笑みを返された。小首を傾げ、胸元も豊かにタプンと揺れる。その瞬間に思う。やはり近場にするべきだと。
ニーナは留守番を命じていても、事と次第によってはタケルの元へ駆けつけてしまう。急な雨で傘を差し入れるのは良いとしても、箸の入れ忘れ程度でもわざわざ大学まで来てしまう。
極めつけは震度2の地震が起きた時。ニーナはやはり大学まで猛然と駆けつけた。既に揺れの収まっている教室に突入し、タケルの頭にクッションを添えながら、机の下へ避難するよう叫ぶ始末。
これが大学だからまだ良いが、様々な人が押し寄せる都市であればどうか。全てが善人というハズもなく、独り出歩くニーナに様々な悪意が迫る事は、想像に難くない。
――そこのお姉さん、5分だけ路地裏に付き合ってくれない?
――そこのお姉さん、5分だけ車に乗ってくれない?
――そこのお姉さん、ちょっと連帯保証人になってくれない?
ダメだ、絶対に。そう思えば、方針を変える訳にはいかない。意固地になる自覚を薄っすらと抱えつつ、手元の求人誌を食い入るようにして注視した。
そんな折りの事だ。卓上でカランと瑞々しい音が鳴る。氷入りの冷たいコーヒーが用意されたのだ。
「タケル様、険しい顔をされてますね」
「そうかな? まぁ、バイトが見つからなくてね。貯金の切り崩してるから、そろそろ決めないと……」
「つまりはお金が厳しいという事ですよね。それなら解決しそうなのですが」
「それはどういう意味?」
タケルが問いかけた所で、インターフォンが鳴った。応対に出るニーナを見送ると、次に見掛けた時は3人に増えていた。
「おっすタケちゃん、コラボしようぜコラボ!」
やって来たのはカツトシだ。もちろんシトラスも一緒で、2人揃ってカーペットの上に腰を降ろした。
タケルとしては、とにかく意味の分からない状況である。
「コラボって。何言ってんの河瀬君?」
「タケちゃん、動画投稿してるだろ? 確かハンニバル放送だっけ?」
「ハンバニルだよ」
「オレも実は動画投稿してて、ちょいバズったんだわ。そこで、この勢いをもっともっと上げてく為に、協力してくれって事!」
そう語りつつ見せつけられた画面は、彼のアカウントページだ。その名も、為替カツトシの方程式、とある。
「為替って事は、投資絡みの動画?」
「ちょっと最近、デイトレードを覚えたんだ。そしたら結構儲かっちゃってね!」
「どうりで、妙に羽振りが良いと思ったら……」
「だからコラボしようぜ」
「そこが分かんない。コラボって有名な人とやるべきでしょ」
「いや、タケちゃんも十分有名じゃん。登録者数もオレよりずっと多いし」
「はぁ……?」
間の伸びた問いかけに対する返答は、やはり動画サイトだった。ハンバニル通信。そのフォロワー数たるや尋常ではなく、ちょっとした地方都市を形勢できそうな人数だった。
再生数も軒並み高い。ズラリと並ぶ撮影した記憶のない動画群は、概ねが10万再生超え。鼻歌動画は版権上、収益化を許されていないが、そちらは図抜けて閲覧されている。もうじき100万再生の大台に手が届きそうだった。
これにはタケルも困惑するばかり。問いかける様にしてニーナへ視線を向ければ、華やかな笑顔で返された。
「タケル様が世界中から愛されて、私も嬉しい限りです」
「待って待って。いつ撮ったの、こんなに沢山!」
「日常のハイライトを撮影し、その都度アップロードさせていただきました。事後報告となってしまい申し訳ありません」
「聞いて無いんだけど……しかもこんな内容!?」
動画は1分弱の尺で、タケルの日々が綴られているのだが、どれもこれも些細な出来事ばかり。更に言えば、少し恥ずかしい場面も散見された。
寝起きにベッドの中で着替えたら、シャツの前後ろが反対。コーヒーの粉を、横着にも瓶から直接コップに入れれば大量にイン。ニーナを驚かそうと物陰に隠れて、いざ飛び出した拍子に滑って転ぶ。
それらのどうでも良い日常は、荒みがちな世間に対して絶妙な角度で突き刺さったのだ。
「ほんと恥ずかしい。今からでも非公開にしたいよ」
「ですが、好意的なコメントが大半ですよ。かなりの高評価だと言えます」
「こんなものがどうして……」
ニーナの言葉通り、寄せられた称賛の声は多い。大抵は「この男の子可愛い」だの、「凄く良い声してるよね、歌も上手いし」だとか、「ちょっと尻をお借りしたい」といった文面だ。
もちろん、一部では批判的なものも見受けられた。20に1つくらいは「これは営業ショタ、私の慧眼は欺けない」といったコメントも有るには有る。
しかし、全てはノーコスト動画での反響だ。手放しで喜べる成果だと言えた。
「なんだよ営業ショタって。意味はわからないけど、酷い侮辱を受けた気分……」
「ちなみに、収益化した動画の報酬はコチラになります」
「えっ……こんなに!?」
「タケル様にご提案です。今後はアルバイトではなく、動画投稿を検討なされては? 雇われて働くよりも時間を有効活用できますよ」
「確かに勉強の邪魔にならないけど。でもさ、この程度の事で大金を貰っても良いのかな……」
「ルールに従い、得た報酬です。どうぞご笑納ください」
「まぁ、くれると言うなら貰うけど。突っ返すのも規約上、難しいだろうし」
「はい。既に振り込まれてますから」
「妙に手際が良すぎない?」
こうなれば後は流れだ。コラボ動画も断る理由はなく、ニーナの撮影のもとで収録が開始された。
「どうも皆さん、ハンバニル通信です……」
「いよっ! 待ってました!!」
タケルの隣には、盛大な拍手を鳴らすカツトシと、毛束をミョンミョンと揺さぶるシトラスの姿があった。あぁ、そういうのやるんだ。タケルは不自然な熱気を横目に、本日のお題を告げた。
「ええと今日は、変わったお菓子を食べてみようのコーナー……?」
「どうも動画をご覧のみなさん! 為替カツトシの方程式からやって来ました、今日はコラボなんで宜しく!!」
そんな大声とともに、テーブルには買い物袋が置かれた。それは差し入れを兼ねた、動画のネタである。タケルはろくな説明を受けておらず、カツトシのリードに任せきりとなる。
「話題の新商品を、今から皆で食べてみたいと思います!!」
そこに並ぶのは、世間で賛否両論、どちらかと言うと否寄りの品ばかり。それらを1つひとつを試食し、各自コメントするというのが趣旨だった。
まずはキンキンに冷えた棒アイス。見た目こそありきたりな氷菓だが、照り焼きチキンタルタル味という、かなり攻めた商品である。その味わいは脳が混乱すると、もっぱらの評判だ。
「これは、なんつうか、キッツ……」
カツトシは1口だけで俯いた。甘い氷を感じる一方で、濃厚なたまり醤油とタルタルソースの香りが鼻腔を脅かすのだ。菓子にしては塩辛く、かといって白飯に合う程でもない。その曖昧さが、未知なる景色をチラつかせるのだ。
「シトラスは食うなよ、水分が多すぎる」
「もちろん食べられない。2つの意味で」
酷評に次ぐ酷評だが、タケルはまんざらでもない。少し思案顔になるだけで、手早く完食してしまった。
「ごちそうさま。割と美味しかったよ」
「嘘だろオイ。具体的にはどう良かったんだよ?」
「なんだろ。しょっぱさで甘さを引き出してるし、タルタルの風味が優しいとこ?」
「どんな味覚してんだ、スゲェ……」
その涼し気な顔にカツトシは困惑しながらも、次なる刺客を繰り出していく。
「ええと、今度はこれだ。濃厚プロセスチーズ納豆ヨーグルトウェハース!」
それは控えめに言って、危険物と呼ばれる代物である。発酵食品は皆大好き。じゃあ混ぜてみようと作ってしまったのがコチラだ。ネットの評判はやはり否定ばかりで、賛の意見は見つける事すら困難な程である。
「じゃあいただきます……」
カツトシは深呼吸を挟み、意を決してから食らいついた。しかし2度3度と噛み締めただけで、動画からフレームアウトしてしまう。そして流しに駆け込み「しばらくお待ち下さい」となり、戻ってきた時には蒼白な顔面を晒すのだ。
「無理して食うなよシトラス。マジで脳がバグるぞ」
「何これ、堆肥? それとも腐葉土?」
「一応は食い物だよ、人間様のな」
「そうなの。ニンゲンってまだまだ分からない」
「オレだって分かんねぇよ。何でこれを作って、世間に放出しちまったのか」
そんな散々な言葉が続くのを余所に、サクサクと軽やかな音が鳴る。タケルはさほど顔色を変える事無く、思案顔を浮かべる一方で、迷いなく飲み込んだ。
掌サイズのウェハースを平らげるのは時間の問題だ。そして外野が固唾を飲んで見守る中、1食分の全てが食い尽くされた。
「タケちゃん、平気なのかよ?」
「うん、別に。それなりに美味しいかな。もうちょっとチーズ感があると更に美味しく……」
「いやいやいや、どこを変えるって次元じゃねぇから!」
この規格外なタケルを迎え撃つのも、とうとう最後の一品。カツトシはアツい自信を隠そうとせず、晒す前から不敵な笑みを浮かべていた。
「随分と余裕な顔してるけど、それもいつまで保つかな? こいつを前にしたらお終いよ!」
「何で君が対抗心を燃やしてるの?」
「ジャジャーーン! 最後のお菓子は「生ショコラ風海鮮ウニ醤油ミソ味」チョコレートです!」
「あぁこれね。美味しいよね」
「……ハァ?」
「じゃあいただきます」
タケルは小分けの袋をためらいも無く破り、チョコを噛みしめる。軽やかな仕草だ、痩せ我慢からは程遠い。むしろご褒美にありついたかのような、安らかな笑みを浮かべる程である。
これにはカツトシも絶句。そして動画は、速やかにエンディングを迎える事となった。
「視聴者の皆さん、ごめんなさい。タケちゃんの防御力が高すぎて、微妙な流れになっちゃいました!」
「僕、何か悪いことした?」
「それじゃあまた今度! 為替カツトシのフォローもよろしくね、ばいばい〜〜」
「えっ、これで終わり!? いくら何でも企画が緩すぎ……」
タケルの苦言は虚しくも、ニーナの横槍によって遮られた。
「お疲れさまでしたタケル様。とても良いものが撮れたと思います」
「いや、ダメでしょこんなんじゃ。お菓子ポリポリ食べて終わりだなんて。もっと色んなアイディアを煮詰めてさ、笑いなり衝撃なりを盛り込まないと」
「タケル様は、無闇に構えない方が良いですよ」
「タケちゃんは狙ってやらない方がウケる」
「飯場タケルさんは、素の状態こそ面白い」
「解釈一致!? いつの間にそんな評価を受けてたの?」
タケルは釈然としないものの、いざ動画を投稿すれば結果が付いてきた。動画再生数はその日のうちに1万を超え、高評価率も9割以上と、初コラボの出だしは上々だった。
その一方でカツトシはというと、後日、大きな苦難に見舞われていた。動画ではなく為替取引が問題だった。大波の様なドル円レートに弄ばれ、資金を瞬く間に溶かしてしまう。その悲痛な叫び声は、動画を介して世界中に拡散されていった。
「やっぱりさ、こんな風に事件とか強烈なイベントがあった方が、面白いと思うよ」
「河瀬さんは、浮き沈みの激しい方が光り輝くタイプです。タケル様とは質が違うのですよ」
「そういうもんなの……?」
なお、資産の全てを吹き飛ばしたカツトシだが、そのうちの何割かは動画収益によって埋め合わせた。界隈で「見本の様な資産溶解」ともてはやされ、驚異的な反響を叩き出した為だ。こうしてカツトシは素麺ライフの強制を免れた。
そんな詳細はタケルには届かず、今日も今日とて謎のお菓子を頬張るのだった。
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