第27話 信頼の証明
マジリアルシリーズ410号、通称シトラス。彼女は、カツトシの快適な暮らしをサポートすべく派遣された、少女型スマートフォンである。
茶髪のショートボブに、頭頂からミョンと伸びた毛束。モノトーンカラーのメイドらしき衣服。その容貌は比較的幼く、小柄な体型も手伝い、人によっては成人未満だと判断する事もしばしば。
「シトラス。大学に行くぞ」
「珍しい。今日の天気は曇りだけど、槍でも降ってきちゃいそう」
「今日から中間テストがあんだよ。名前くらいは書いとかねぇと留年しちまう」
「じゃあ、ついてく」
カツトシの両手がズボンに突っ込まれると、当然のようにシトラスが手を差し伸べ、二の腕に指を絡めた。最近出かける時は、決まってこのスタイルだった。
安アパートの階段を降り、裏道を歩く。人通りのない坂道で、2つの陰が並んだ。その最中に、頭頂からミョンと突き出る毛束も揺れ、ヘッドトレスを優しく撫でた。
「随分嬉しそうじゃねぇか。大学に行くだけだってのに」
「学生の本分は勉学。ニィニが目覚めてくれたようで、それが嬉しい」
「出席の為に行くようなもんだがな」
歩きながら一服でも。そう思ってタバコを取り出そうとして、止めた。タケルとの会話が尾を引いているのである。
「別に、オレのスマホなんだからよ。好きに使っていいじゃねぇか」
「その通り。私はあなたのもの。だから、もっともっと使ってちょうだい」
「その言い方、何か怖ぇぞ」
「たくさん依存してくれたら良い。そうすれば、私無しじゃ生きていけなくなる」
「そうなって堪るかよ。オレは賢く使う側、お前に命令する立場、オッケー?」
「おっけーおっけぇー」
空いた手の方で、ピースサインを見せつけるシトラス。軽すぎる返答であっても、カツトシは半分聞き流した。特に珍しくもない、普段通りの光景なのだ。
「じゃあオレは教室でテスト受けてくっから、その辺で待ってろ。揉め事は起こすなよ」
「分かった。天井とかに張り付いて、通行人をやり過ごす」
「そこらのベンチにでも座ってろ!」
半ば締め出される様にして別れたシトラスは、言葉に従い、キャンパス内のベンチで待つ事に決めた。
しかしシトラスもニーナに負けず劣らず、容貌が美しい。道行く学生たちから熱い注目を浴びたのも、当然の結果だと言える。人だかりが出来るまで、それほど時間は要らなかった。
「お嬢さん可愛いね。タダで飲み会に参加できるサークルあんだけど」
「お酒は飲まない。行かない」
掛けられる声は鳴り止む気配を見せない。見知らぬ人々は、初対面のシトラスに対し、ひたすら無遠慮に話しかけていく。
「その格好可愛いですね。メイドのコスプレ?」
「違う。普段着」
「1枚だけ写真撮って良い? 出来ればポーズもお願い」
「撮影はやってない。諦めて」
「今度の日曜に、うちのサークルで大きいイベントがあるんだけど、アナタにも来て欲しいなぁ」
「週末は1日中ニィニと過ごす」
「すいません、目線くださーーい。ついでに今日1番の笑顔で、握りこぶしを口元に添える感じのヤツ!」
「今は笑う必要がない」
様々な好奇の言葉を打ち返すうち、12時を告げるベルが鳴った。それからは、徐々に人垣もはけていき、やがてシトラスが独り残された。
「終了から5分経過。遅すぎる」
シトラスは立ち上がり、教室の方へと向かった。しかし学生たちが出ていった後である。そこに人影は一切なく、外から漏れ伝わる笑い声がうるさい程の静けさを保っていた。
「ニィニ、どこに行ったの」
カツトシを探す足は早まる。頭頂の毛束も、センサーを彷彿とさせる程に、左右に揺れ動いた。
この広大なキャンパスで人探しは困難だが、迷子になる恐れはない。大学ホームページより、学内マップのPDFファイルを保存済みなのだ。
それからは行き違いを懸念して、教室傍の通路を探索した。すると、自販機前で佇むタケルの姿を見つけ、足を止めた。
「あなたは、ニィニのお友達1号。飯場タケルさん」
「誰かと思えばシトラスさん。君独りだけなの?」
「違う、ニィニと来た。テストが終わるのを待ってた」
「河瀨君なら、テストが終わってすぐに教室を出て行ったけど。どっかでウロついてんじゃないかな」
「分かった。ありがとう」
シトラスは頭頂の毛束だけでお辞儀し、その場を駆け去った。そして当て所もなく彷徨う。彷徨う。やがて全域を探し終えた頃、にわかにキャンパスが騒然となった。
「大変だ、救急車を呼べ! 怪我人がいるぞ!」
逼迫した声がシトラスを急かし、走らせた。長々と探して見つからないのだから、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性がある、そう考えた矢先での騒ぎだ。彼女の思考回路で、悪い未来が浮かぶのは自然の成り行きだった。
「退いて! ニィニ、大丈夫!?」
人だかりを掻き分け、その中心へと向かう。
そこは中央校舎1階の階段付近。最下段を枕にして倒れる男。年の頃は四十路ごろで小柄、カツトシとは似ても似つかない男。助教授だった。
「誰……ニィニじゃない」
話によれば、助教授は歩きスマホの常習者で、今日は階段を踏み外してしまったと言う。
シトラスは腹の底から悔やんだ。自分と離れているカツトシが、「ながらスマホ」など出来ようも無いのだから。すぐに別人だと看破できたはずだった。
「いったいどこ行ったの……」
いよいよ手掛かりを無くし、途方に暮れるシトラス。垂れ下がる毛束も、萎れた草花の様だ。
そんな彼女の耳に、耳に馴染む声が届き、体だけでなく毛束も直立する。カツトシの声だった。
「ニィニ、そこに居るの!?」
校舎を挟んだ向こう側を目指し、脇眼も振らず駆け出した。探し人は確かに遊歩道を歩いていた。
ただし、シトラスの知らない女と歩きながら。
「マジでさ、うちのサークル入ってよ。飲み会タダだし、暇な時は部室棟でノンビリできちゃうよ」
今はまさにナンパの真っ最中だった。どうにか振り切ろうとする女性に、まとわり付きながら追うカツトシ。もちろん怪我や異常などなく、普段以上にピンピンとしていた。
シトラスは毛束を震えさせると、足音を殺しながら近寄った。そしてナンパ師と化したカツトシを、背中から羽交い締めにしてしまう。
「そこのアナタ、うちの人がごめんなさい。もう行って良いわ」
足早に去りゆく美女。この期に及んで、言葉巧みに引き留めようとするカツトシ。それから「獲物」が見えなくなると、今度は激しい口論が待ち受けていた。
「何すんだよシトラス! もうちっとで落とせたのに邪魔しやがって!」
「全然ダメ。あのままじゃ警備員を呼ばれてお説教エンドだった。それよりも、ニィニこそ何してたの」
「オレがどうしようと勝手だろ。それとも、お前に許可取る必要があるってのか?」
「私は待ってた。心配になってアチコチ探し回って、途方に暮れて。その結果がコレなの?」
「うるせぇんだよいちいち! 何かとひっつきやがって、いい加減ウンザリなんだよ!」
カツトシは怒りに任せて言葉を連ねた。しかし、彼の心に冷水が浴びせられる。シトラスのミョンと伸びた髪が、大きく揺れ動くのを目の当たりにする事によって。
それは鋭く伸びたり、萎れたりを繰り返し、結局は曖昧な形となって落ち着いた。
「分かった。だったら離れてあげる」
「お、おい。待てよシトラス!」
彼女はその場から逃走した。キャンパスから飛び出し、路地裏を当て所もなく駆け続けた。その最中に、野良猫から威嚇されるという事態にはなるものの、この逃避行はまだまだ続く。
シトラスには、スマホとしての活躍以外にも、大きな使命を持つ。ユーザーの心を独占すること。何者よりも愛される存在となることである。それはシリーズの400番代が固有に持つもので、ニーナやセワスキンとは異なるのだが、彼女の人格の根底にあるものだ。
しかし今はどうか。ユーザーの傍から離れ、独り町中を逃げ回っている。一応はカツトシの意向を汲んだ結果だ。それならば走り続ける意味はない。だがシトラスは、未知なる行動理念によって急かされ、ただ闇雲に逃げ回るのだ。
そして、そんな彼女の元へ、1つの凶報が舞い込んできた。
「午後から急な雨に注意、降水確率90%……!?」
シトラスは咄嗟に口元を隠し、駆け込める場所を探った。だがここは住宅街。コンビニや商店街からは遠く、その距離を瞬時に踏破するのは不可能だ。
やがて、廃屋寸前の個人経営店を見つけた。固く閉ざされたシャッターがシトラスを阻むのだが、軒下は利用できる。そこでひとまずの安全を確保した時、雨は本格的に降り始めた。
「何てこと。いつの間にか、とんでもない窮地に……」
予報通り雨脚は強い。降りしきる雨は水溜りを生んでも尚、止む気配を見せなかった。
シトラスは飛沫から逃げるようにして、シャッターを背にしながら立ち尽くした。体内に多量の水が入りでもしたら、メンテ送りは免れない。そして出荷状態に戻されてしまえば最期。全ての記憶を喪失する事になる。
「嫌だ。忘れたくない。忘れたくないよ……!」
胸に去来する記憶。カツトシの笑顔が、怒り顔が浮かんでは消える事を繰り返した。
何は無くとも、両手を重ねて口を厳重に守る。腕や足先が濡れるのは構わない。最大の弱点さえカバー出来れば、後はどうとでもなる。
しかし、彼女の懸命な努力を嘲笑うかのように、1台の車が駆け抜けようとした。タイヤが底の深い水溜りを踏む。すると、その拍子で水飛沫が跳ね上がり、シトラスの体を目掛けて襲いかかった。
「あっ……!」
その速度は猛烈だ。見てから反応できる物ではない。シトラスに出来る事といえば、ただ両目を瞑るのみ。万に1つの幸運にすがりながら、運命の裁きに身をゆだねた。
しかし、どれだけ待とうとも、飛沫が体に届かない。恐る恐る眼を開いてみれば、目の前で大きな背中が立ちはだかっていた。
根本が黒くなりだした赤い短髪。黒字に白ドクロがうるさいTシャツに、膝の破けたデニム。カツトシだった。その手には開いた傘があり、寸での所でシトラスを守り抜いたのである。
「ニィニ。どうして……」
「この馬鹿野郎! ケンカするにしても、もう少しは後先考えやがれ! どんだけ探し回ったと思ってんだ!」
「……私だって、ニィニの事探した。ナンパしてるなんて知らずに」
「あん時とは状況が違ぇだろうが!」
怒鳴りつつも、激しく息をつくカツトシ。そこへ梅雨寒の気配が漂い出すと、その怒りもすぐに冷えていった。
「とにかく帰るぞ。このままじゃ風邪ひいちまう」
「私は風邪なんてひかない」
「オレがだよ。今日はスゲェ冷えるんだ」
カツトシが苦虫を噛み潰した顔で横を向いた。その顔が、シトラスには不思議と愛らしく見えて、思わず毛束を柔らかくしてしまう。
「ニィニって、何だか格好悪いよね」
「おう。お前のピンチを救ったヒーロー様なんだが?」
「細かいことは良いから。お家へ帰ろう」
それからは並んで歩き出した。カツトシから渡されたマスクにより、水対策も万全だ。
しかし傘のサイズが心もとなく、2人で入るには小さすぎる。だがその割に、シトラスは濡れずに済んでいる。不思議に思ってカツトシの方を見れば、彼の左肩が雨ざらしである事に気づいた。
その姿が、シトラスには無性に嬉しく感じられた。表情こそ変えないものの、頭の毛束が飛び跳ねるように高く揺れる。
「ニィニ。お家帰ったらね、好きな事して良いよ」
「マジで? じゃあエロい動画観たい。たくさん」
「たくさんはダメ。10分だけ」
「それじゃあ意味ねぇよ。全然足んねぇ」
「せっかく私という美少女がいるのに。好きにして良いと言ってるのに」
「じゃあさ、サッカーゲームやろうぜ。マジで鍛えまくったから」
「構わないけど。どうせ私の圧勝」
「いいや今日こそ勝ってみせるね。雪辱戦だかんな!」
カツトシの声が高らかに響き渡る。それに応えたのかは定かでないが、いつしか雨は止み、雲間から光が差し込むようになる。
その陽射しは、彼らの帰路を明るく照らすようにも見えた。
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