第26話 高機能プリーズ

 週末、タケルの部屋は、普段よりも大賑わいだった。テーブルの上には封を切った缶ビールに烏龍茶、チョコ菓子やら乾き物も並ぶ。小宴のようにも見えるが、一同の視線は酒食ではなく、テレビの方へと注がれていた。



「ええと、じゃあお次はこれだ……!」


「見切った! 内角低めストレート!」



 コントローラーから軋む音が鳴り、画面は激しいエフェクトで煌めいた。そして3ランホームランの文字がでかでかと表示される。



「うわ、やられた! 逆転だ」


「へへっ。良い勝負だったな、うん」



 彼らが興じているのは野球ゲームである。勝者はカツトシ。タケルは9回裏の土壇場で、2点差をつけられての敗北を喫した。


 しかし、脱力するタケルには、甲斐甲斐しく背中をさするニーナが居た。こんな場面でさえも慰めてくれるのである。本当の意味で敗者と呼べるかは、意見の分かれる所だ。



「はぁぁ。いつもに増して羨ましい事ですよ」



 カツトシは見せつけられた気分になり、タバコを取り出した。その場で口に咥え、ライターに火を灯した所で、タケルが慌てて止めた。



「ちょっとちょっと、禁煙だよ。吸うなら外!」


「心配すんなよ。シトラスが居んだから」


「意味分かんないって。臭いがついちゃうから」


「まぁ見てろって」



 タケルの制止を全く聞き入れないカツトシは、気兼ねなく一服。そして無遠慮に吐き出された煙だが、それは部屋を彷徨う事無く、シトラスの方へと集約された。


 煙を吸い込んでいるのだ。シトラスは瞳の光を陰らせ、口を大開きにすると、カツトシから吐き出る主流煙も、タバコの先から昇る副流煙も、それら一切合切を。



「なにこれ、全然臭くならない。こわっ……」


「良いだろ。ストアで買ったんだ。お陰でどこでもタバコが吸い放題だ」


「だからって禁煙ルールは守りなって。少なくとも外では控えなよ」


「何でだよ。煙が漏れねぇんだぞ」


「ルール破ったら周りが驚くでしょ。それに絵面も最悪だよ? 連れの女の子に、口から煙吸わせるとか」


「ちげぇよ。これは鼻から吸って、口から無害な空気を吐き出してんだ」


「どっちでも良いよ。ともかく可哀想だって」



 話題の中心になった事を知ったシトラスは、口元を引き締めてから得意気になった。茶色の髪を撫で付ける仕草も、どこか誇らしそうだった。



「私は大丈夫、むしろ嬉しい。空気洗浄機能を買ってくれたおかげで、活躍の場が広がった」


「そうは言うけどさ。嫌な事を強いられたら、ちゃんと断りなよ?」


「私は嬉しいと言った。ニィニが吐いた息を私が吸って浄化するの。それはもはや、愛の確認行動と言っても差し支えない」


「いや、うん、そういうもの?」



 タケルが釈然としない面持ちでいると、カツトシが口を挟んだ。手元で金属タイプの携帯灰皿を弄びながら。



「タケちゃんは感情移入し過ぎなんだよ。こう見えてもスマホなんだぞ?」


「でも人格があるよ。姿形も人そのものだし」


「じゃあタケちゃんはさ、一生かけて添い遂げる気か? そうじゃないなら、どこかで別れるべき日が来るだろ? 一線を引いとかねぇと最後に辛い想いするじゃん」



 その言葉には何も言い返せなかった。確かに正論である。その時の事情にしろ、スマホの破損にしろ、何らかの形で別れが来る。その日をどう受け入れるか。どうやって自分の気持ちを納得させるのか。タケルには今も見えてこない。いや、意図せず考えないようにしていた、まだ先の話であると。


 それからカツトシ達が立ち去った後も、タケルの心は晴れなかった。思考の海に沈むかのようである。



「さっきのシトラスさん。あれは何だったの、アプリ?」


「いえ、拡張キットですね。専用のパーツを挿入することで、新たな機能を使用できるようになります」


「パーツを挿入って、いったいどうやって……」


「今お見せしますね」


「いや、大丈夫! 口頭説明で!」



 ニーナは先日購入した「ふんわり桃色シャツ」のボタンに手を伸ばすのだが、実物を見せるのは延期になった。


 それから続いた話によると、背中にいくつかスロットがあり、対応するアイテムを挿入できるという。普段は外皮で閉じているが、所定の場所を指紋認証することで開かれる。それが専門用語を取り払った末の説明だった。



「なるほどね。それにしても、金欠の河瀨君が贅沢な物を買えたもんだね。スロットかな?」


「私にも拡張機能がありますので、ぜひご検討ください」


「いや、今の君で十分だよ。少なくとも、あんな換気扇まがいな事はさせないから」


「ですが、私はシトラスさんの気持ちも分かります。やはりユーザー様に必要とされ、お役に立てるのは嬉しいですから」


「そんなもんかなぁ」


「はい。ですのでタケル様も1度、ストアを御覧ください。例えばR18絶倫キットですとか、淑女の悦楽シリーズなどが……」


「そんなもの買わないなぁ」


「やはり厳しいですよね。だいぶお高い品ですし」


「値段だけを理由に言ったんじゃないよ」



 それからはスマホゲームもそこそこに、眠りについた。気分が優れない中での睡眠だ。悪い夢を誘った事は、自然の成り行きかもしれない。


 何もない空間で、ニーナがこちらに背を向けている。幅広の帽子に厚手のコート。きらびやかな髪に透き通る肌と、容貌は出会った日と変わらずに美しい。タケルが社会という荒波に揉まれて疲労困憊(ひろうこんぱい)し、打ちひしがれる姿とは大違いだ。


 そんな彼女が、キャリーバッグを引きながら立ち去っていく。振り向きもせず、何年も共にしたとは思えない程に少なすぎる、手荷物だけを連れて。



「待ってくれ……」



 留めようとする声は乏しい。しかし、その甲斐あってニーナは足を止め、微かに振り向いた。そうして見えた口から、短い言葉が紡がれた。5文字。それが「さようなら」なのか、「お元気で」なのか。あるいは「ありがとう」かもしれない。


 それを見た瞬間、タケルの胸に刺すような痛みが走った。そこで血が冷えるのを感じ、吐き気すら覚えるようになる。


 なぜこの結末を回避できなかったのか。他に手段はあったハズだろう。悔恨の念に押されるようにして、駆け出した。いや、駆け出したかった。しかし足は一歩すらも前に進まず、ただ無様に両手を伸ばすだけである。


 ニーナの腕を掴んで引き止めたい。しかし遠ざかって行くばかり。出来る事と言えば、ただ懸命に叫ぶのみであった。



「傍に居てくれ、ニーナ!」



 タケルは自分の声で、現実世界へと舞い戻った。時計の針が刻むのは深夜3時。寝汗に濡れる身体をいとわず、室内に視線を巡らせると、彼女は居た。カーペットの上で、ケーブルを腹に挿しながら座るニーナが。



「ピピッ……。タケル様、お呼びでしょうか?」


「いや、その、何でもないよ」


「顔色が優れません。どこかお加減が悪いのでしょうか?」


「気にしないで。嫌な夢を見ただけだよ、ちょっと着替えてくる」


「承知しました。お供します」


「着替えだよ、着替え」


「傍に居るようご命令がありました」


「あれは夢にうなされたせいなの」



 タケルはシャツや下着を手にして、部屋から出た。そこへニーナが、心配そうな面持ちで後に続いた。安否を気遣う声は、タケルが脱衣所にこもってドアを閉めてからも続けられた。


 その一つ一つにタケルは答えていく。1人で着替えられるよ。風邪とか病気じゃないよ。気絶なんかしてない、本当に平気だから。ドアノックと共に押し寄せる問いに、タケルは苦笑を浮かべるのだが、既に落ち着きを取り戻していた。


 そして明くる日。タケルは時間を見つけるなり、ニーナを呼び止めて提案した。



「あのさ、拡張機能だっけ? ストアを見せてもらえるかな」


「承知しました。導入の暁には、より一層励みますね」


「今のままで十分なんだけどね。見るだけでもって思ったんだ」


「では早速、ストアでR18絶倫キットの検索を……」


「もっと普通のヤツにしてね」



 そうして展開された品々に、タケルは眼をひん剥いて驚いた。理由は額面である。


 例えば、手のひらをかざすだけでラクラクお掃除「ハンドクリーナーキット」は、8万円弱。腕の可動域を広げて速やかに洗浄「食洗機キット」は12万円の所を、今なら10万円でのご奉仕だ。


 他にも、反重力揮発コートで実現する「お風呂でウフフ」や、詳細不明の「団地妻のたしなみ」などは、もはや額面を追う気にもなれない。文字通りの桁違いである。



「これ、だいぶ厳しいなぁ」


「理由はやはり、値段以外にもあるのでしょうか?」


「いや、今ばかりは、財布の都合だけで言ったよ」



 タケルは結論の向きを大返しした。今後もニーナを頼るにしても、よく精査する必要がある。互いの距離感だけでなく、掛けるお金も慎ましいものとなるように。



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