第25話 どうあがいても動画
タケルの手元には今、アルバイト情報誌がある。コンビニで無料配布されているものを、帰宅前に調達したのだ。数百円程とはいえ、費用が浮くのはありがたい話だ。
「さてと、次はどこにしようかなぁ」
以前勤めていたたこ焼き屋はクビになった。タケルにすれば、辞める意思をどう伝えるか悩む矢先の事だったので、渡りに舟である。電話口で聞いた店長の声は妙に爽やかで、梅雨入りの曇天模様を吹き飛ばすような気分にさせられたものだ。
ともかく、幸運にも後腐れなく罷免された訳だ。ページをめくる指先には、未知なる希望が宿る想いだった。
「まかない付きならカフェ、居酒屋。CDショップなら社割有り。引っ越しはさすがに日給が高いけど、僕の体力で勤まるかな……」
じっくりと眺めるうち、テーブルにグラスが置かれた。氷入りのアイスコーヒーだ。ニーナは家事を覚えただけでなく、然りげ無い気遣いまでも習得し始めている。
タケルはありがとうと告げ、手元の冊子をカーペットに置いた。
「アルバイトですか。お次は何を?」
「まだ決めきってないかな。遠すぎるのは嫌だし。かと言って、近ければ何でも良いとはならないし」
「ひとまずは、この近辺でご検討なのですね」
「そうしたいんだけど、それも考えものなんだよ。ここら辺だと、大体が駅前商店街での募集だからさ」
商店街通りには、以前勤めたたこ焼き屋もある。あの店長とは2度と関わりたくないタケルにとって、その立地が致命的だ。さすがに嫌がらせは受けないだろうが、気不味さに苛まれる事は避けておきたい。
しかし遠い職場を選べば、その分ニーナと離れ離れになってしまう。万が一トラブルが起きた場合、駆けつける事ができない。
ニーナに助けられる場面は増えてきたが、今はネックと言わざるを得ない。そして、考えるべき問題なら他にもある。
「面接がなぁ。もうすぐ中間テストがあるから、気軽に受けられないんだよね」
「状況はなかなか難しいのですね」
「あまり日にちを空けたくもないんだけどね。ちょうど良さげな日雇いでも探してみようかな」
「やはりお金が必要ですよね?」
「そりゃもちろん。千円だけでも増えたら嬉しいくらいだよ」
「では、こちらを御覧ください」
ニーナが手のひらを見せつけると、そこには有名な動画サイトが表示された。見るべきものとは、その内容である。
「ハンバニル放送って……これはこの前のやつ?」
「はい。あれから好評を得られたようでして、再生数と登録者が日毎に増えています。あと少しの労力で、収益化も見込めるようになりますよ」
「収益化って、お金を貰うことだよね? あんな動画のどこを評価されたの……」
「後々気付いたのですが、動画の端々に【赤目の女】が一瞬だけ写り込んでまして。その為、ある種の都市伝説的な動画として扱われています」
「完全に棚ぼたじゃないか……。だったら続きを撮っても上手くいかないよ。そもそもね、お金は汗水たらして稼ぐものだよ。動画なんかで貰って良いものじゃないの」
固定観念に囚われるタケルとしては、自然な発想だった。これを受けてニーナも、普段なら彼の持論全てに賛同するのだが、この時ばかりは様子が異なった。
「お言葉を返すようですが、動画投稿も立派な社会活動かと思われます」
「そうかな? 騒ぎ起こして警察沙汰になったり、過激な発言でネット炎上したり、そんなんばっかりでしょ?」
「確かに一部で、不適切な言動が見られます。しかしながら、動画の内容に勇気づけられたり、慰められる人も多いのです。一概に悪く言えたものではありませんよ」
「それで何十万、何百万と貰っても当然なの?」
「動画とは知的財産です。言い換えれば世の中に、精神的な豊かさをもたらす物です。その品質によっては、高額な報酬もあってしかるべきかと」
「まぁ、分かる気はするけど、僕には無理だよ。何の取り柄もないし。皆が納得するコンテンツなんて提供しようがないさ」
タケルは手元のグラスを一気に飲み干した。氷が溶けた後で、味わいは薄い。
それから再び、情報誌を広げて読み出した。問題はあるにせよ、選べる立場というのは良いものだ。自然と気分が軽くなり、鼻歌まで漏れ出すようになる。
「タケル様、歌がお上手ですよね。何か修練の跡が窺えます」
「昔、ピアノを習ってたからね。あんまり良い思い出じゃないけど」
「なるほど。そこで音感が培われたのですね。それも立派な特技だと思います」
「僕に才能なんかないよ。音楽ってのは、やる側じゃなくて、楽しむ側でいるのが1番なんだ」
「お邪魔でなければ、その歌をご一緒したいです。アプリのインストールを許可いただけますか?」
「それは構わないけど、僕はバイト探しを続けるからね」
「もちろん、どうぞご随意に」
それからニーナはプルプルと震えだし、余興アプリのインストールを完了した。これによって一般レベル以上の歌唱力を得た。更には脇の下から白鳩を出現させたり、耳から万国旗を引きずり出す事も可能となったのだが、それはまた別の機会に。
「フンフン、フフンフ〜〜ン」
タケルが口ずさんだのは、流行りの曲であった。
耳慣れたフレーズに、ニーナもすかさず合わせていく。それは副旋律で、タケルのメロディを引き立てつつも邪魔しない、絶妙な響きがあった。
やがて室内は美しいメロディに包まれる。これにはタケルも心地良く感じ入り、リズムに合わせて身体を揺らすようになる。グニグニと曲がる足の指先は、頭の拍を取るためだ。
(良いなぁこれ。気持ちいい……)
こうなると鼻歌では済まない。歌声には明確な芯が通り、歌詞まで再現。もはやカラオケに近い様相となる。
それから数曲を歌い上げた頃、タケルは読み耽る気分ではなくなり、誌面に向く顔を持ち上げだ。その表情は、達成感に照れ笑いを混ぜ合わせたものとなっている。
「ちょっとニーナ、これじゃあバイト探しできないよ。楽しかったから良いけどさ」
「お疲れさまでした。やはり素晴らしい歌声ですね」
「ほとんど君のおかげだよ。僕は勝手に歌ってただけだから」
「お邪魔で無かったなら幸いです。たまにで構いませんので、お相手いただけますか?」
「もちろん良いよ。ところで、どうして君のお目々が真っ赤に光ってるんだい?」
「はい。このような素敵な出来事は記録に残したく、録画させていただきました」
「止めてよね! まさかとは思うけど、動画投稿は……」
「ライブ配信となります」
「えぇーー!?」
この一件によりタケル達は動画サイトにて、少し知られた存在となった。寄せられるコメントも、「この男の子、足でリズム取ってて可愛い」とか「良い声してるね。ずっと聴いてたい」などと好意的なものが並ぶ。
ただし収益化の件は見送りだ。動画内の歌全てが著作権の壁にブチ当たった為だ。必然的に、収益対象外として登録せざるを得ない。
彼らが実際に知的財産権を認められ、確かな額面を受け取るには、もうしばらく待つ必要があった。
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